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朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/16(土) 午前 10:31
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/16(土) 午前 10:30
1931年(昭和 6年)⇒311、247人
1932年(昭和 7年)⇒390、543人
1933年(昭和 8年)⇒456、217人
1934年(昭和 9年)⇒573、695人
1935年(昭和10年)⇒625、678人
1936年(昭和11年)⇒690、501人
1937年(昭和12年)⇒735、689人(日中戦争始まる)
1938年(昭和13年)⇒799、878人
1939年(昭和14年)⇒961、591人〕(自由募集が開始)
1940年(昭和15年)⇒1190、444人
1941年(昭和16年)⇒1469、230人(大平洋戦争始まる)
1942年(昭和17年)⇒1625、054人(斡旋が開始)
1943年(昭和18年)⇒1882、456人
1944年(昭和19年)⇒1936、843人(徴用が開始)
1945年(昭和20年)⇒200〜240万人→ 終戦の年
1946年(昭和21年)記述なし
1947年(昭和22年)⇒598、507人
1958年(昭和33年)⇒611085人
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
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2011/4/16(土) 午前 10:29
1905〜1908年⇒記述なし
1909年(明治42年)⇒790人
1910年(明治43年)⇒記述なし
1911年(明治44年)⇒2、527人
1912年(大正 1年)⇒3、171人
1913年(大正 2年)⇒3、635人
1914年(大正 3年)⇒3、542人
1915年(大正 4年)⇒3、917人
1916年(大正 5年)⇒5、624人
1917年(大正 6年)⇒14、502人
1918年(大正 7年)⇒22、411人
1919年(大正 8年)⇒26、605人
1920年(大正 9年)⇒30、189人
1921年(大正10年)⇒38、651人
1922年(大正11年)⇒59、722人
1923年(大正12年)⇒80、415人
1924年(大正13年)⇒118、152人
1925年(大正14年)⇒129、870人
1926年(昭和 1年)⇒143、798人
1927年(昭和 2年)⇒(165、286人)在日朝鮮人一世が渡日。
1928年(昭和 3年)⇒238、102人
1929年(昭和 4年)⇒275、206人〕
1930年(昭和 5年)⇒
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
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2011/4/16(土) 午前 10:26
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
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2011/4/16(土) 午前 10:10
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
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2011/4/16(土) 午前 10:08
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
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2011/4/16(土) 午前 10:07
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
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2011/4/16(土) 午前 10:04
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/16(土) 午前 10:03
こうした不正渡航の取り締まりに、当時あたっていた福岡地方裁判所の検事は次のように述べている。この内容からもいかに多くの朝鮮人が日本を目指したかがよく分かる。
(昭和14年3月「福岡県下、在住朝鮮人の動向について」・『在日朝鮮人関係資料)
集成』第四巻)
「現在の鮮内(朝鮮半島内)と申しましても、それは主として北鮮地方(今の北朝鮮)でありますが、非常に重工業が発達して参りまして、人的資源が不足しているのであります。でいかに南鮮地方(今の韓国)の人を北鮮地方に移住させるかということに苦慮している。ところが朝鮮人は北鮮に移住するのを好まない傾向があり、内地(日本)に渡来したいという希望が相当多いようであります。密航してくる朝鮮人は大抵最低30円ないし40円くらいの金を密航ブロ−カ−に渡すそうであります。
その金を作る為に自分の家、屋敷、田畑、その他を売って裸一貫になって内地に密航して来るのであります。それが掴まって朝鮮に返されるのであります。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/16(土) 午前 9:30







