全返信表示
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:46
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:44
はっきり言って当時の朝鮮半島は、すかんぴんにして無知の社会であり、ソウル以外の町は治安が悪く、ソウルでさえ非常に不潔で外国人の目から見て世界一不潔な町だったという。この李朝時代はしばしば疫病がはやっていた。
日本が統治する前の朝鮮半島とはこのような劣悪な環境と状況のなかにあったが、歴史教科書などでは“日本は悪である”とするために、この肝心な統治以前のことについて歴史教科書で触れると、「日本=悪」が成り立たなくなり、絶対に触れられることはない。
しかし、日本は日韓併合という形で統治することにより、今のお金で約63兆円(国家的予算の規模から算出)という莫大な資金を朝鮮半島に投入し、以下の偉業を成し遂げている。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:42
☆日本統治以前の大韓帝国の状況
当時の朝鮮半島は治山治水も整備されておらず、豪雨になると洪水のため平原は一夜にして湖沼と化してしまうことがたびたびあった。(朝鮮半島の河川水量は日本の約2倍、一方渇水期の流水量は1/10分から1/20分しかなく、干ばつや洪水などの自然災害に対し歴代王朝は何も手を打ってこなかった。)
そのため灌漑用水をめぐっては争いが絶えなく、また林野も荒廃をきわめ、多くは過塾林という老齢樹となっていた。なかでも針葉樹は虫害がはげしく、漸次枯死し続け、また盗伐、乱伐、冬期の薪(マキ)材の需要など林政の不備等数え上げたらきりがない。
また、当時の大韓帝国とは名ばかりで、産業らしいものはなく農業社会で構成されていた。そのため教育を受けた者は少なく、それは朝鮮には近代的意味での学校などほとんどなかったからである。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:41
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:39
〔※日露戦争後に日本の保護国になった頃の朝鮮の人口は980万人(1906年)、その6年後の合邦後(併合後)の1912年には1400万人に急増している〕
マスコミや歴史教科書では「韓国は善で被害者」、「日本は悪で加害者」とされているが、これらは数字の上からもデタラメであるということが示されている。
日本が朝鮮を統治した初期の頃、このような国家倒産の危機に直面していたが、財政改革をしようにも朝鮮半島内には人材がいないため、ロシア推薦のアレキシェ−フ度支部(大蔵省にあたる)顧問を招いたが改革に至らなく、その後、1904年(明治37年)に第一次日韓条約が結ばれ、日本政府推薦の目賀田種太郎財政顧問が迎えられた。
朝鮮への日本の財政負担は1904年の第一次日韓協約による、同年10月の目賀田財政顧問の着任からはじまったが、日本統治時代は「1919年」の1年間を除き、毎年補充金を朝鮮につぎ込んでいる。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:37
李氏朝鮮と、日本でのその時代における徳川時代の人口の増加率をみれば一目瞭然である。
李成桂が李朝を創建(1392年)したときの朝鮮の人口は、約550万人であり、李朝が518年後に滅びた時(1910年)の人口は、約1300万人であった。
徳川家康が幕府を開いた時(1603年)の日本の人口が、1200万人だったが、1872年(明治5年)に日本ではじめて国勢調査が行われた時の人口が3000万人となっている。
徳川時代は270年で李朝のほぼ半分でしかない。徳川時代の日本が隣国の李氏朝鮮に較べて、どれほど善政を施したものだったかがよく分かる。
朝鮮半島の人口は、日本それにしても、李氏朝鮮はまっとうな国家としての資格をまったく欠いていた。統治時代に入ってから急激かつ爆発的に増えている。
日本が朝鮮を統治した初期の頃の朝鮮の人口は約1200万人であったが、終戦の1945年の35年後には2800万人を数え、たった35年で、約1600万人も増えている。
これらの数字は、日本統治時代の評価がどうであれ、李朝が民衆をどれほど悪政のもとに置いていたかを示している。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:35
李朝の末期(※1800年の末頃以降)には、王室による浪費が重なった結果、宮中の内帑金〔君主のおてもとにあるお金、つまり君主(国の元首、皇帝など)が自由に使えるお金〕が底をついたために、売官売職が横行した。道長官である監司(日本でいう県知事)は俸禄がなかったのに、百万両の相場で売官された。監司や郡守に当たる守令(知事)も、まったく無給であった。
それなのに高額のワイロを使って、その地位を手に入れた。それは不正な手段を用いても、それ以上の収入が見込めたからである。そこで赴任すると、容赦なく民衆から収奪している。
李氏朝鮮は、中国と同じように中央から官吏を派遣して、全国を統一している。
監司や守令たちは、着任すると、在任中に人民をほしいままに搾取収奪して、蓄財した。そのうえ、高級官僚である両班たちは、威張りちらしたり、贅沢にふけることを好んだものの、労働や商業、製造業を卑しんだ。これらの地方長官たちは、自分の懐を肥やすことだけに熱心で、殖産(産業を盛んにすること)を振興することに、まったく関心がなかった。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:33
『李朝時代の大韓帝国の実態と朝鮮総督府の施策』
戦後の韓国に外交官として駐在したことのあるアメリカの朝鮮史家グレゴリ−・ヘンダ−ソンは、李朝が近代と触れるようになる1860年前後の政治と社会に触れて次のように述べている。
「李朝は、もはや経済的破産と崩壊の寸前であった。すでに軍事力はほとんどなく、政権の分裂と内紛で行政は麻痺状態となり、慢性的百姓一揆の機運に脅かされていた」
当時の大韓帝国(李朝時代)は、有史以来はじめて「帝国」(※1897年に朝鮮から大韓帝国に改めた)と名乗ったものの、「帝国」どころか国家の体さえなしていなく、国家財政は実質的に破産状態で、倒産寸前の会社のように、どこかの新興会社に買収してもらわなければ亡国の危機にあっていた状態であった。
まず近代国家としての財政制度や国家会計予算制度がない。歳入も歳出も、すべてどんぶり勘定で宮室と国家の財政を全く区別していなかった。
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:15
その「武力で支配しいいつくせない苦しみをあたえた」などのデタラメさは次のことからも分かる。
歴史教科書で、朝鮮人を抑圧、弾圧したとされている統治下の警察であるが、例えば1910年(日韓併合が始まった年)末の朝鮮半島全体の警察官の数は、当時の朝鮮半島全体の人口1300万人〜1400万人の朝鮮人に対し、5693名で、内訳は日本人警察官2265人に対し、朝鮮人の警察官は3428人で、警察官の半数以上は朝鮮人が占めており、軍隊にしても1個師団(6千人〜2万人程度の兵員規模)か1.5個師団程度で、この殆どが北方でロシアの南進に備えるものであり、もし、当時の朝鮮人が併合に反対して過激な行動をとったなら、日本の軍隊も警察も多勢に無勢でひとたまりもなかったであろうことは数字の上からも容易に分かる。
つまり、朝鮮における官憲(役所、役人、特に警察)に「残虐な住民弾圧」をできるほどの物理的な力もなかったし、李氏朝鮮時代に比べたら、住民は、はるかに日本統治時代の警察を信頼していた。これが当時の朝鮮の実態である。
この「日韓併合の真実」を読んでも、「李氏朝鮮時代」と「日本統治時代」の違いが良く分
朝鮮人虐殺に手を染めた日本人、朝鮮人を助けた日本人
反軍下士官森某
[ DONSEEL ]
2011/4/22(金) 午後 4:13
先の「日韓併合の真実」には李氏朝鮮時代の住民弾圧の様子が細かくかかれている。その一つを抜粋すると「官僚や地主であった両班の残虐な行為はあらゆるところで行われた。李朝社会には人権はまったくなかった。我が国の常民(百姓)は、自分の生命さえ他人に任せた生活をしているから、じつに悲惨である。両班たちが国をつぶして亡ぼした。
常民たちは、しばしば横暴な両班たちによって殺された。少しでも気に入らないことがあれば始終なぐられ、もし財物があれば取り上げられ、妻が美しくあれば、妾として奪われる。小人のような常民は、自分の財産も、自分の妻も、自分の生命も守ることができなくて、両班の気ままに委せねばならないから、国のために尽くす力もない。常民は少しでも思うことを喋れば、殺されるか、肘や膝を折られてしまう」などなど、ほとんどの日本国民が教えられていないか、知らないことばかりであるが問題は李氏朝鮮時代の住民弾圧にからませ、それを歴史教科書の中では「武力で支配し、いいつくせない苦しみをあたえた」などというふうに日本が行っていたかのごとくデタラメな記述をしてあることである。


