海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

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先日、天気は小雨が降っていたが、それほどでもなく、体調も良かったので、久しぶりに足利まで行ってきた。足利といえば、世間の人はフラワーパークに行く人が多いが、駅から歩いて行ける距離の場所で、史跡がいくつかある。足利の人はは、足利尊氏は逆賊だという皇国史観のねじ曲がった考え方から、戦時中など肩身の狭い思いをしたらしい。軍隊では足利出身だというだけで、古参兵から殴られたり、足利尊氏と関係のある寺などは、逆賊の寺と言われたりしたそうだ。
足利にある史跡で、有名なのはなんといっても足利学校である。足利学校自体が国の指定史跡で、国宝になっているものも含め、貴重な書物も沢山所蔵している。ちかくにある鑁阿寺も、国の史跡である。
 
<足利学校の門>
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足利学校は、日本最古の学校といわれるが、その歴史が明らかになるのは室町時代の1439年(永享11年)関東管領であった上杉憲実が、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主として経営にあたらせ、書籍を納めるなどして学校を再興してからというが、遠くフランシスコ・ザビエルなどの宣教師たちの記録にも出てくる、当時としては有名なアカデミックな場所であった。
 
実は、この足利学校に海軍の「有名人」が植えた月桂樹の木がある。「文」の象徴である足利学校と「武」の海軍とでは余り頭の中で結びつかないが、別に軍人だからといって、こうした場所に植樹してはいけないという法もあるまい。
 
<足利学校の玄関附近で>
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学問といえば、儒学が中心だったのは、江戸時代もそれ以前もあまり変わるまい。儒学といえば勿論尊崇されていたのは孔子であり、東京では湯島聖堂などが有名であるが、やはり足利学校にも孔子廟がある。
孔子廟は、聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟である。足利学校では江戸時代前期の1668年(寛文8年)に足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営された。
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王の子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王の書である。
 
<足利学校の孔子廟>
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ところで、この孔子廟の入口をはいり、向かって左側に、東郷平八郎が植樹した月桂樹があり、廟堂をはさんで向かって右側には伊東祐亨、上村彦之丞が植えた月桂樹がある。この三人が植えた月桂樹の横にたつ立札には、それぞれの当時の官姓名と日付が書かれている。その日付は、どれも日露戦争後の1906年(明治39年)12月23日である。
 
<東郷平八郎の手植えの月桂樹>
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これは、三人が足利学校の孔子廟において、孔子とその高弟を祀る釋奠(せきてん)に参加した折に、日露戦争の勝利を記念して植樹したものである。
足利学校事務所によれば、その釋奠という式典で使う釋奠幕の前で撮った記念写真があるそうである。  
 
<伊東祐亨の植えた月桂樹(左)と上村彦之丞の植えた月桂樹(右)>
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東郷平八郎は、連合艦隊司令長官として日本海海戦でバルチック艦隊を破った日露戦争の立役者であり、伊東祐亨は東郷と同じ薩摩出身で、大本営にあって海軍軍令部長、日露戦争当時元帥になった、上村彦之丞は第二艦隊司令長官であるが、実質的に日本海海戦の勝利をもたらした。それぞれが日露戦争当時の海軍を代表するような人物である。それが揃って、足利学校で植樹していたのだから面白い。
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日本人には理非をわきまえ、相手を思いやる徳性があると思います。 「非理法権天」といわれる所以があります。 それを旗印としたという楠正成さんが、そういう偉い人かどうかは分りませんが。
 
正しいと信じたことを言うのは良いですが、既に証明されている事実がないと言ってみたり、勝手な自分の考えをあたかも日本国民全体の意思であるかのような主張をするのは、おかしなことです。
ナチス・ドイツが毒ガス室を使って、大量なユダヤ人虐殺を行ったのは、事実です。 これをネオナチは毒ガス室などなかった、ナチはユダヤ人を殺していないなどと言っていますが、出鱈目なのは明らかです。
南京事件しかり。 二十万人、三十万人などと、みみっちい数字の争いよりも、いったい当時の中華民国の人口が何億人だったのか、南京というと勝手に地区を限定されるので言い方を換えて、江蘇省の長江周辺にどれほどの多くの民が住んでいたのかを思い起こしてほしいです。 もちろん、虐殺というのは惨たらしい殺害ですから、一人でも虐殺ですし、それが100人以上なら大虐殺でしょう。
 
当時の陣中日誌や部隊の行動記録を見ると、やたら捕虜を「処断」という言葉がでてきますが、ジュネーブ条約で禁じられた捕虜への虐待、殺害が、当然ながら国際法上も決してなされてはならないことが、日本では兵隊まで徹底した教育がされず、捕虜が足手まといになるとすぐに殺害する傾向がありました。 しかも第10軍柳川兵団の軍規はかなり乱れており、上陸以降略奪暴行の限りを尽くしていました。 それを本来取り締まり、許さない筈の法務将校はわずかな人数しかおらず、逮捕も大勢のなかから偶然目についた現行犯のみですから、どうしようもありません。
 
小川関治郎という法務官の陣中日誌には、
「12月26日
○松岡憲兵大尉午後六時頃来部打合せ、某少佐事件に対し同大尉は曰く 上官を脅迫し強姦し掠奪物を内地に送り暴行数度に及ぶが如き幹部の者を不問に付するが如きは不公平なり 若し隊長に於て適当の処置を為さざる場合には自分は今後兵の事件を検挙せざるべしと
○地××××、殺人、強姦、脅迫事件を受理し勾留訊問を為す 又 吉×××(少尉)岡××(少尉)殺人事件に付き勾留訊問を為す
愈明二十七日正午に杭州に向け出発の命あり 吉×××事件は十二月十七日金山に於て支那人間に稍々不穏の挙動ある如きことを聞き直ちに部下数十名を引率し支那人部落に至り射殺斬殺を為したる事実にして その間上官に十分連絡せざるのみならず一つの好奇心より支那人を殺害せんとの念に基くものと認めらる」
とあり、第十軍が軍隊としての体をなさず、部下の将校が上官の将校を脅迫したり、婦女暴行や略奪を何度も繰り返していたことを軍当局である憲兵大尉が嘆いているのが分かります。 こういうことがたくさんあった、だから数十万の中華民国の民間人が日本軍によって殺害されたのです。 しかし、蒋介石が率いる国民革命軍は、北伐の頃は威勢が良かったのに、1937年頃は日本軍に押されきゅうきゅうとしていました。点と線を守るので精いっぱいだったようです。
 
1937年中華民国の首都南京は国民革命軍を率いていた蒋介石が脱出してしまい、唐生智が指揮をとっていたものの、既に指揮命令系統は乱れ、蒋介石の命令も伝わらず、全軍に戦意を喪失した兵や脱走兵も多く、結局攻防戦の後に落城します。それで、大量の捕虜が出ましたが、これを「処断」していったのが実態です。「処断」は簡単で、重機関銃一丁あれば、三分間で100人くらいは出来たといいますから、これを100人で同時に実行したら10万人を30分で殺害できた理屈です。だから、ごく短時間で多くの捕虜や非戦闘員が殺害された、それも南京を取り巻いている部隊は多かったので、現場に近くない場所では何事もなく、柳川兵団以外の部隊は、格別軍規が乱れていた訳でもないので、南京周辺にいてもそういう事実を知らない部隊も多かったのです。
 
ところが、最近の大都市の市長のなかで、やたらに、南京事件はなかったなどとネオナチかそこらのネトウヨ並の妄想を話したり、宣伝までしてわざわざ中国(大陸)と摩擦を起こす市長がいるかと思えば、メールをチェックして組合活動を調査するなどと職員の人権を殆ど無視した意地悪市長がおり、困ったものです。無断でというのは、コンプライアンスに触れるし、業務用のメールは、ふつう仕事でしか使わないちゅーの!
 
彼らには、殆ど協調性がありません。 だから、自分の盟友や自分を支えてくれた人とも、すぐに仲たがいをしています。また、大人物なら、少々部下が原則と外れたことをしても仕事さえやっていれば目くじらを立てることもないでしょうが、およそ意地悪じいさんが自分の家族などにするようなアラさがし行為におよび、ひんしゅくを買っています。
 
そんなトンチンカンな市長さんたちがいて喜ぶのは、日本を弱体化しようとたくらむ北朝鮮かどこかしかないでしょう。あるいはアメリカのCIAかな?
 
<以上、「愛国の花 花ちゃんブログ」より許可を得て転載>
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世の中には困ったちゃんが、大勢いますが、政党ではまさに自民党がそれ。
 
本当に、こんな政党が長い間、日本の政界を牛耳ってきたのですから、信じられません。 報道によれば、自民党は47年間も、衆議院の土地を勝手にタダで使っていました。 要は、よそのうちの土地に、車をずっと留めている不法占拠者です。 ほんとに、馬鹿じゃないの?
 
「自民党の衆院土地の使用『許可なし』 衆院事務総長
 
 自民党が党本部のある東京・永田町の衆院の土地1320平方メートルを無償で使っている問題で、衆院の鬼塚誠事務総長は5日、『過去に自民党の本部用地として使用許可が行われた事実は確認できなかった』と述べた。衆院予算委員会で村越祐民氏(民主)に答えた。
 無償使用について自民党は『衆院が認めている。議員や官庁が駐車場として使うなら合理性はある』(石原伸晃幹事長)と説明している。村越氏は自民党が宣伝車を止めるなど『占拠してきた』と質問で指摘。鬼塚局長は『今後土地管理の適正化を図る』と答えた。
 国有財産管理を扱う安住淳財務相は『自民党にも問題があるが、衆院は長年この問題に対応してこなかったなら財産を管理する資格があるのか』と答弁した。」
朝日新聞社 2011年12月5日23時6分
 
これに対して、自民党の石原幹事長は、「車を止めていただけ」と答え、自民党内部からは何が悪いのかと言う声もでているそうです。 また、自民党のコンプライアンス室の橋爪雄彦弁護士は「賃貸借契約はなく、従って賃料も発生しない」と言っていますが、無断で土地を使用しているから、賃貸契約がないのは当たり前です。 まさに、発狂した言い分です。 まったく、国有地に勝手に車を止めていい道理がどこにあるの?
 
みてみぬふりの衆議院事務局も、大いに問題があり、政官の癒着の卑近な例かもしれません。 しかし、管理人がポン助だったとしても、賃料を払わなくていいわけがありません。 ざっと16億円くらいにはなるそうですから、それをタダで踏み倒すなら、自民党は国費をドロボーしていることになります。
他人の土地に勝手に車を止めたら、普通なら不法侵入で、刑事も民事もアウトです。 
 
普通、この手の返済は3倍返しです。 16億円の3倍は、48億円。 自民党には、48億円きっちり国民に返してもらいましょう。 そして、その上で解党すべきです。 こんな政党、日本に存在する資格なし。

転載元転載元: 愛国の花−花ちゃんブログ

市川の国府台で「赤レンガをいかす会」(代表:吉原廣氏)という団体が、戦後に県の血清研究所が使用していた赤レンガの旧軍武器庫を保存すべく、その見学会を開催していたので行ってきた。
それについては、以前工兵隊の発電所と聞いていたので、当ブログでもそう書いていたが、そうではなく現存するものは教導団の頃に設置された可能性のある武器庫だという。
実は、1970年(昭和45年)に解体されたもう一つの赤レンガの建物があったそうだが、それは現存するものより大きく、あるいはそちらが発電機を置いていた建物か。
いずれにせよ、現存する赤レンガは出来た頃より、血清研究所が使用していた頃にいたるまで、倉庫としてしか使われていないらしい。
 
<外観>
 
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なるほど、実際に中に入って見ると木造の梁や柱があって、すくなくとも今残っているものには発電機を設置したような跡はみられない。
この赤レンガ倉庫が設置されたのは、明治時代であることは間違いないが、時期は特定できていない。発見された棟札には「起工明治三十六年三月六日 竣成仝三十六年三月三十一日」とあり、工期は25日間であったことがわかる。つまり1ヶ月たらずで出来たことになるのだが、これが建物全体か、のちに屋根を直した際のものかが不明である。
この棟札の件は県血清研30年誌に掲載された、当時の職員の佐藤寛三氏の「思い出」に書かれ、その後棟札自体が発見されたことで、1903年(明治36年)に建物ができたと考えられたが、市川市立博物館所蔵の1901年(明治34年)印刷の「野砲兵第一連隊及び第十六連隊兵営の図」に第十六連隊武器庫として、同じ場所と思われる位置に同様の倉庫が一棟だけ描かれているというのだ。
野砲兵第十六連隊は、国府台に設置されていた下士官養成の教導団がその役割を終えて1899年(明治32年)に廃止された後に設置され、この倉庫が出来た後のようだが、1904年(明治37年)〜1905年(明治38年)日露戦役では、旅順要塞攻略戦、奉天大会戦に出陣している。既に国府台にあった野砲兵第一連隊、野砲兵第十六連隊に続いて、1908年(明治41年)に野砲兵第十五連隊が国府台に置かれた。1919年(大正8年)には野砲兵第十四連隊も世田谷から国府台に移された。野砲兵第二旅団司令部も設けられ、国府台一帯は、まさに「砲兵の街」となった。
野戦で使用する砲は砲身だけでなく、移動するための車輪、照準その他の附属物があり、その保管には赤レンガ倉庫は決して大げさなものではなかったのだろう。勿論、砲兵といえども小銃の類も使っただろうから、それらもいくらかは入っていただろうが。
 
<二階内部>
 
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赤レンガ倉庫といっても、舞鶴の海軍の赤レンガ倉庫などと比べるとかなり小ぶりである。幅は7.7mほどしかなく、長さは20.69mである。それが2階建てで高さは9.78m、一棟のみ。レンガの積み方は、レンガの長手と小口を交互に積むフランス積みで、明治でも早い頃にはやったもの。旧軍施設では、猿島要塞など少数しか残っていない。1890年頃にはイギリス積みというレンガの長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式が一般的になった。ちなみに、千葉市の鉄道連隊の材料廠は、イギリス積みの変形で端部のみ長さの違うレンガにするオランダ積みである(以下参照)。
 
今の国府台の赤レンガ倉庫は、旧血清研の時期にいろいろ改変がされている。例えば一階東側中央の出入口は、旧軍時代のものではないそうだ。一階は血清の冷蔵に使用され、ウレタンが部屋の内側全面を覆う形にされている。二階も多少は改変されているようだが、ほとんど旧軍時代のままになっている。
本来の出入口である西側(江戸川側)にある出入口から急な階段を二階にあがると、むき出しになった天井が古い日本家屋と違い、直径25cmほどの梁の上に筋交い状に細い柱が屋根に向かい三角の形をつくっているのに気付く。
これはトラスというもので、両側の壁に組み込まれた二重の桁によって支えられている。阪神淡路大震災の際に話題となった耐震構造でも、日本建築に筋交いを使うことで強度を高めるということが言われたが、こういう構造は屋根の重みを松の直径40cmくらいの大きな木などの太い梁を使わなくても支えられるのだという。
窓も古いままで、窓枠の内側に少し窪みがある。元は外側に観音開き扉があったのだが、蝶番が残っているだけで失われている。窓には嵌め殺しの鉄格子があり、内側には、金網戸とガラス戸がある。
 
<窓の外側>
 
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<窓の内側>
 
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窓に嵌めこまれた鉄格子は、現地で組み立てたのではなく、工場で組み立てたのをレンガを積む過程でレンガに穴をあけて嵌めて行ったもの。だいぶこみいった作業であった模様。
なんと、面白いことに旧軍時代の「兵器係」「使役兵」といった壁への小さな貼り紙が残っており、軍帽か何かを掛けて使ったのではないかと思う。札を掛けた、出社カードのようなものではなかろう。
南側の天井の梁に近い場所にフックがあるのだが、何を掛けたものか、これは使用目的が分らない。詳細な見取り図か何かないと、はっきりしない。だれか覚えていれば幸いであるが。
 
<旧軍時代の名札>
 
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人の記憶は、年とともにあいまいになる。言葉も昔歌った歌でさえ。小生が戦後復学した学生の頃に歌った「青年よ団結せよ」の歌は、ソビエトのV.クルーチニンが作曲、P.ゲルマンが作詞した歌で、日本ではイールズ声明反対闘争が盛り上がるなかで歌われた。この歌は戦争直後の1947年、プラーグ国際青年祭コンクールで入選し、「全世界民主青年歌」とともに愛唱されたというが、その一方の、「全世界民主青年歌」を学生の頃よく歌っていたかといえば、あまり記憶がない。戦後ですら、記憶が薄れている。戦時中の詳細なことは尚更分らなくなる。
話が横道にそれた。この赤レンガ倉庫は、いずれ創設の時期などが明確になってくると信じるが、歴史の証言者が高齢となり、次々に鬼籍に入ってしまう中、保存の決定とさらなる研究が急がれる。
神戸・南京をむすぶ会の方より、以下の案内があり、転載するものです。

***
南京、海南島フィールドワークに、21名のメンバーで行ってきました。第15回目の訪中で、神戸・南京をむすぶ会と兵庫在日外国人教育研究協議会の共催によるものです。以下のようにインターネット報道されています。
(複数のメーリングリストに投稿しています。重複して受け取られる方には申し訳ありません。)

また、「南京・海南島フィールドワークノート」(A4版、88頁)を560円で販売しています。購入希望者は、送料80円とあわせて640円分(80円切手8枚)を神戸・南京をむすぶ会事務局(〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1 神戸学生青年センター内)にお送りください。

また、以下のように報告集会を開きます。ご参加をよろしくお願いします。
●報告集会の日程
日時:2011年9月30日(金)午後6時半
会場:神戸学生青年センター
※午後8時?から、小陽春で懇親会の予定です。
※懇親会の方は、事前に参加のお返事をよろしくお願いします

***

なお、同じ団体の活動を報じたものとして、新華社の日本語版に以下の記事があった。


「8月15日、南京各界の百人余りと日本の友人が中国を侵略した日本軍が行われた南京大虐殺で殺害された同胞記念館で和平集会を行って、中国人民抗日戦争勝利66周年を記念し、南京大虐殺に見舞われた30万人の同胞を悼んだ。和平集会に参加した日本団体は日本銘心会・南京第26回友好訪中団、神戸・南京を結ぶ会第15回訪中団、長崎日中友好希望の翼第9回の訪中団となる。」

ご参考まで。

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