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一応、今までの概要調べや遺構の踏査結果を森-CHANが本職のカメラマンに撮ってもらった写真と手持ちの資料の一部などを作って編集したものである。 小生が以前、「千葉県の戦争遺跡」ブログ(http://blog.goo.ne.jp/mercury_mori/) に書いていた文章を加筆するとともに、八柱演習場については戦後の旧軍人たちの開拓記念碑についての地元町会が出した冊子などを参考にして記載を増やした。 まだ、「架橋」「交通」「射撃」などと工兵の演習資料が手元にあるが、なにしろ膨大なため、徐々に形にしていこうと思う。演習の記事は未完であるが、まずは大きな懸案の一つが年内に片付いた。 (画像は、陸軍工兵学校で学んだ、ある工兵連隊の将校が描いた架橋作業の操作船)
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冬は、落葉樹が葉を落とし、細い枝が姿をあらわすが、寒気のなかで、そういう冬枯れた景色を見るのも、風情がある。 |

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以前紹介したように、柏で戦争遺跡の研究会があった。そのスピーカーは、小生の親戚である森-CHANである。あの男につとまるか心配したが、何とかなったようだ。来場者には大学教授や研究者もおり、むしろその人たちに講演してもらえばよいのに、と思うのは小生だけではなかったろう。 最近、「千葉県の戦争遺跡」HPに陸軍工兵学校のページをつくることを考え、資料集めをしたり、写真を撮ったりしている。また、夏ごろからは木更津海軍航空隊跡を訪ねて、海軍航空隊のページを作る予定がいっこうに進まない。 日本の軍歌とソ連の軍歌のページは作ったが、これは本筋ではない。優先順位からすれば、木更津が一番先で、工兵学校、軍歌の順なのだが、森-CHANの頭のなかは逆なのである。 研究会は、手賀の湖と台地の歴史を考える会主催のもので、その会が見つけた掩体壕の話や柏市域の戦争遺跡で特徴的な(はやりの言葉ではオンリーワンの)秋水の地下燃料庫などについて、皆に報告するという趣旨であったが、一応そういう資料は揃えていた。 ところが、森-CHANは、使用した会場がカルチャーセンターで、時々バンドや民族音楽などの演奏家が音楽の演奏をするような場所で、プロ仕様のアンプやスピーカーがあるのを幸いに、冒頭長々とロシアの音楽を流し、果ては後の時間が足りず、尻切れトンボみたいになったようだ。いくら洋楽が好きだといっても、研究会の趣旨とは違うであろう。 来場した年配の方から初石にB29が落ちたのを見た、関係者はどういう処分をうけたか、などの質問があったという。 、 森-CHANも、初石にB29が落ちたという件は知っていたが、詳細を思い出せず、お茶を濁したらしい。 B29が初石に墜落したのは、1945年(昭和20年)5月25日、東京に大規模な空襲があった日で、B29は柏飛行場の日本軍の軍用機により被弾し、初石の雑木林を開墾した畑の中に墜落した。このとき、滞空時間が長かったにも関わらず、初石に落ちたB29の搭乗員11名は全員墜落で死亡した。その遺体は損傷が大きかったらしい。そしてその遺体を集めた村民は、琴平神社の東北の入会地(共同墓地に隣接した土地)に掘った穴に遺体を投げ込むようにして、米兵の遺体をかなり粗略に扱い、埋葬したという。 初石の場合は、搭乗員が全員死亡していたが、他の墜落事案では搭乗員が生きて捕虜となったのを地域の住民が軍人等に扇動されて殺害したり、軍人がその生きた捕虜を新兵に銃剣刺突訓練をさせるなどして殺すといったことが全国的にあった。千葉県でも茂原では、軍人がB29墜落で重傷を負いながら生き残った米兵(少尉)を斬首して殺害している。 そして、必ず死んだ米兵はろくでもない埋葬の仕方で葬られる。捕虜を生きていても、死んでいても粗略に扱うのは、太平洋戦争当時の日本人の行動様式であった。 確かに無差別の爆撃を行った米軍兵士は、一般の人からみて文字通りの「鬼畜」であったかもしれない。しかし、捕虜として囚われの身となれば国際法上保護してやる義務が生じる。 汝の敵を愛することができないような、日本人の道義の退廃が、日本の大きな敗因の一つであることは、終戦直後に東久邇宮総理の「一億総懺悔」論で言われたことであるが、その発言の趣旨はともかく、一面ではそういう道義面において日本は敗北したといえるであろう。
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大阪で南京事件の際に、実際に虐殺された市民の遺骸などを目撃した、元海軍兵士の証言や南京で父や弟を日本軍に殺害されたという中国人の証言を中心とした集会が12/5(土)に開催された。 その集会とは、「戦場の街・南京 −安全でなかった国際安全区− PM6:10開場 6:30開演 場所:エルおおさか南館 5Fホール 被害証言:楊翠英さん(当時12歳) 加害証言:三谷 翔さん 南京戦参加元兵士 講演:『程瑞芳日記』は語る 国際安全区で続発する性暴力 南京大虐殺60カ年全国連絡会 共同代表 松岡 環さん 主催:南京大虐殺60カ年大阪実行委員会」である。 元海軍兵士とは大阪府在住の三谷翔さん(90)。南京戦当時は、支那方面艦隊第三艦隊第十一戦隊 第二十四駆逐隊所属であったが、1937年12月17日から25日の間、南京城内の掃討後の死体の山、中山埠頭での虐殺現場を目撃した人である。最後の生き残り世代として、「ほんまに見たんや」と伝える責任があるから証言したいとのことで、今までは素顔を公開していなかったが、今回は素顔でとのこと。 南京事件で親兄弟を殺されたという、中国人のほうは、楊翠英(ヤン・チュイイン)さん(84)。 南京事件といっても、当時の少年の世代が80歳を越え、実際に虐殺に加わった兵士の証言は得にくくなっている。ちなみに、三谷さんも元軍人とはいえ、目撃者であって当事者ではない。しかし、今となっては貴重な証言といえる。 今回の集会で、三谷さんは長江停泊中の駆逐艦から見た、南京の河畔の虐殺での阿鼻叫喚の光景を語った。「殺害した兵士も、出征前はよき父であり、頼もしい青年だったはず。殺すか殺されるかの日々の中で、人間が壊れた。戦争こそ元凶だ」と語っている。 三谷さんは、既に何度か証言をしているようだ。三谷さんの「虐殺の光景、わが遺言 90歳元兵士『南京大虐殺』証言」(朝日新聞大阪本社版、3日夕刊)という記事は、以下をご参照方。 また、「南京大虐殺 60ヵ年全国連絡会」公式サイトは以下。 |
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以下の案内がありました。よろしければどうぞ。 第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」 戦争遺跡を地域の文化財に 見て、歌って、考えて。 今年の戦争展は、こころとからだを通して、 参加者のみなさんとともに戦争と平和について 考えたいと思っています。 今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。 「継承」があらためて問われているといえます。 心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の 文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するう えでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。 ■第1日目 12月5日(土) 13:00〜15:00 文化行事 「くちびるに歌を 心に平和を」 歌うのは貴方、聴くのも貴方! アコーディオンとピアノ伴奏つき。 展示見学を兼ねてご参加ください。 (友情出演 合唱団「白樺」 ほか) ■第2日目 12月6日(日) 10:00〜12:00 若者の発表 「戦争の記憶をどう引き継ぐか」 13:00〜15:00 シンポジウム 「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」 パネリスト 姫田光義さん(中央大学名誉教授) 山田朗さん(明治大学教授) 新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット) 司会 渡辺賢二さん(明治大学講師) <主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博 (顧問)白井厚・須田輪太郎 <後 援> 川崎市 <連絡先> 亀岡敦子 045(561)2758 |





