海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

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Kamikaze 神風特攻隊に主観を置きました YouTube 動画 ...
© All Rights Reserved.image from Flickr掲載ページ
: http://paranoids.sakura.ne.jp/youtube/search/Kamikaze/

【画像】1944年11月25日12時56分、空母エセックスに突入直前の山口大尉機(艦上爆撃機・彗星三三型)

学徒兵 許されざる帰還
〜陸軍特攻隊の悲劇〜
http://www.nhk.or.jp/special/onair/071021.html

http://image-search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=slv1-tbtop&p=%E7%89%B9%E6%94%BB%E9%9A%8A
 
特攻隊志願者はこうして造られた!
親友、安居所三君の場合!


今の若い方には、後長く生きられて数年という特攻隊に、どうして次々死を覚悟し当時の若者たちが志願して行ったのか不思議に思われると思います。

そこで、今日は、当時中学4年生(今の高校1年生)だった私の親友、安居所三(やすいしょぞう)君が、どうして特攻隊を志願したかのいきさつをお知らせしたいと思います。

安居所三君は、私の親友でした。
放課後、あるいは勤労動員の作業を終わってから、いつも、彦根からの琵琶湖岸の1本道を、一緒に自転車で家に帰りました。

私の家は、今は彦根市に吸収合併された、市の中心部から、自転車で約40分の純農村でした。
安居君の家は、私の住んでいる集落から、さらに、自転車で約20分のところにありました。

その頃は、中学3年生になると、陸軍、海軍の予科練習生(いわゆる予科連)の募集が始まります。
身体の柔軟な、中学3年生から仕込んで、戦闘機乗りに仕立てあげるためです。

当時、皆,腹ペコで、次はぎだらけの制服をきていた私たちにとっては、腹一杯ご飯が食べられて、金ピカの七つボタンに、桜に、碇(いかり)の制服制帽に身をかため、腰に短剣を吊るした予科連生はあこがれの的でした。


しかし、厳格な身体検査に合格しなければ、予科練生になれません。
担任の先生は、毎月1回、クラスの生徒を身長の順番に並べ替えます。
そして背の高い順番に、「ハイ、今月は、先頭からここまで」と、毎月数人ずつ予科連を志願させます。
彼らは、当初は約2年で一人前の飛行機乗りに仕立て上げられ、やがて特攻隊員として死んでゆくのです。

私は、クラスで小さい方から5〜6番で身長が足りず、飛行機の操縦棹に足が届かないため番外です。
安居君は、背の高い方から数番目でしたが、母一人、子一人の家庭だったため受験を免除されていました。

しかし、中学4年生になるとそうもゆかなくなりました。
毎月、毎日、特攻隊で死んでゆくのですから補充が大変です。


 
軍隊は、各中学校長に、学校ごとに、今月は○○名受験させろと割り当てがきます。
校長先生は、各担任の先生に、何名受験させろと割り当てます。

割り当て人数を消化できない担任の先生は、今まで免除していた安居君に目をつけ、勤労動員の後で疲れている安居君を、校舎に呼び出して、連日受検を強制します。
私は、暗くなっても、校門のところで待っていて一緒にかえります。
そんなある日、特別遅くなっても帰ってきません!

やっと帰ってきたので、どうしたと聞くと、もうどうしようもなくなって、断りきれずに、受検することを承諾してきたというのです。
お母さんの反対をどう説得すると聞くと、黙ってハンコを盗み出して願書を提出するというのです。


どうして、反対しきれなかったんだと聞くと、とても断れる雰囲気じゃなかったというのです。

当時の化学実験室は、座席が階段状になっていて、先生は一番低いところで実験をします。
各自が実験するほどの設備がないため、生徒は階段状の椅子に座って、高いところから見守る仕組みになっていました。

その一番低いところに、担任の先生と、相対して座り、担任の先生が、説得するのを、校長先生や、配属将校ど、全校の先生方が見守っているのです。
もう、最後は、担任の先生が気の毒になって、承諾してしまったとのことでした。


それから数日後、彼ともう一人の受験生の送別会を安居君の家で開きました。
はじめは、大人しくしていた二人は、かき集めてきたどぶろくの力を借りて「何が目出たいんだ、あと2年足らずで、俺達は必ず特攻隊で死ななければならないんだぞ!そんな気持ちがお前らに分かるか」と暴れだし、襖や,障子などを打ち破り、やっとのことで皆で抑えつけました。

こうして、昭和20年の7月、彼らは入隊してゆきましたが、8月には敗戦を迎え、幸い特攻隊で、死ぬこともなく帰ってきました。
 
卒業後、大阪の呉服屋さんに勤め、十数年経って、仕事で北海道にやってきて、しばらくぶりに当時の話になりました。

実際に、そのようにしてわずか18〜19歳で死んで行った人々の多かったことか!

戦争賛成!日本の自衛隊も、もっと海外へ、核武装、敵地攻撃論容認などと勇ましいことを言う人は、真っ先に、自分や、自分の子供が、20歳前後には、ほぼ確実に戦死するよな状態を、望んでおられるのかどうか、しっかり、胸に手を当てて、考えてもらいたいものだと思います。


明治時代のジャーナリスト長谷川如是閑氏は、「戦争絶滅請合法案(せんそうぜつめつうけあい法案)」を発表し、政府の高官、その家族が、真っ先に戦場に赴くべきことをのべました。

さしずめ、小泉2世や対馬2世、麻生氏、安倍氏、中川昭一氏や、久間、小池百合子、石破、浜田氏など歴代防衛相や、ついでに元民主党の影の防衛相浅尾氏と、その家族が先ず敵地攻撃とやらに身を挺してもらいましょう!

転載元転載元: 軍事費削って!5秒に一人、飢餓で命を落とす子ら

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