海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

戦争遺跡探訪

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柏の戦争遺跡の研究会

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以前紹介したように、柏で戦争遺跡の研究会があった。そのスピーカーは、小生の親戚である森-CHANである。あの男につとまるか心配したが、何とかなったようだ。来場者には大学教授や研究者もおり、むしろその人たちに講演してもらえばよいのに、と思うのは小生だけではなかったろう。

最近、「千葉県の戦争遺跡」HPに陸軍工兵学校のページをつくることを考え、資料集めをしたり、写真を撮ったりしている。また、夏ごろからは木更津海軍航空隊跡を訪ねて、海軍航空隊のページを作る予定がいっこうに進まない。

日本の軍歌とソ連の軍歌のページは作ったが、これは本筋ではない。優先順位からすれば、木更津が一番先で、工兵学校、軍歌の順なのだが、森-CHANの頭のなかは逆なのである。

研究会は、手賀の湖と台地の歴史を考える会主催のもので、その会が見つけた掩体壕の話や柏市域の戦争遺跡で特徴的な(はやりの言葉ではオンリーワンの)秋水の地下燃料庫などについて、皆に報告するという趣旨であったが、一応そういう資料は揃えていた。

ところが、森-CHANは、使用した会場がカルチャーセンターで、時々バンドや民族音楽などの演奏家が音楽の演奏をするような場所で、プロ仕様のアンプやスピーカーがあるのを幸いに、冒頭長々とロシアの音楽を流し、果ては後の時間が足りず、尻切れトンボみたいになったようだ。いくら洋楽が好きだといっても、研究会の趣旨とは違うであろう。

来場した年配の方から初石にB29が落ちたのを見た、関係者はどういう処分をうけたか、などの質問があったという。

森-CHANも、初石にB29が落ちたという件は知っていたが、詳細を思い出せず、お茶を濁したらしい。

B29が初石に墜落したのは、1945年(昭和20年)5月25日、東京に大規模な空襲があった日で、B29は柏飛行場の日本軍の軍用機により被弾し、初石の雑木林を開墾した畑の中に墜落した。このとき、滞空時間が長かったにも関わらず、初石に落ちたB29の搭乗員11名は全員墜落で死亡した。その遺体は損傷が大きかったらしい。そしてその遺体を集めた村民は、琴平神社の東北の入会地(共同墓地に隣接した土地)に掘った穴に遺体を投げ込むようにして、米兵の遺体をかなり粗略に扱い、埋葬したという。

初石の場合は、搭乗員が全員死亡していたが、他の墜落事案では搭乗員が生きて捕虜となったのを地域の住民が軍人等に扇動されて殺害したり、軍人がその生きた捕虜を新兵に銃剣刺突訓練をさせるなどして殺すといったことが全国的にあった。千葉県でも茂原では、軍人がB29墜落で重傷を負いながら生き残った米兵(少尉)を斬首して殺害している。

そして、必ず死んだ米兵はろくでもない埋葬の仕方で葬られる。捕虜を生きていても、死んでいても粗略に扱うのは、太平洋戦争当時の日本人の行動様式であった。

確かに無差別の爆撃を行った米軍兵士は、一般の人からみて文字通りの「鬼畜」であったかもしれない。しかし、捕虜として囚われの身となれば国際法上保護してやる義務が生じる。

汝の敵を愛することができないような、日本人の道義の退廃が、日本の大きな敗因の一つであることは、終戦直後に東久邇宮総理の「一億総懺悔」論で言われたことであるが、その発言の趣旨はともかく、一面ではそういう道義面において日本は敗北したといえるであろう。
以下の案内がありました。よろしければどうぞ。




第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」 戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、
参加者のみなさんとともに戦争と平和について
考えたいと思っています。
今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。
戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。
「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の
文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するう
えでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)〜6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00〜15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00〜12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00〜15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)


<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博 
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758

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来月13日になるが、柏で柏飛行場周辺の戦争遺跡の研究会があると聞いている。主催は「手賀の湖と台地の歴史を考える会」(代表:上山和雄國學院大學教授)である。

森-CHANも、ご本人の意に相違して、スピーカーになるようだが、「千葉県の戦争遺跡」HPの更新のほうも、忘れずにやってほしいものだ。木更津に行っても、なかなか新しいページを作ってくれないので困っている。一方、あまり関係ないページは新設してくれた(資料室のなかに軍歌関連のものを二つ)。音楽著作権協会といろいろネゴしてくれたのは、ありがたいが。それはともかく。

例の柏陸軍飛行場周辺では、掩体壕が見つかり、また秋水の地下燃料格納庫などもあって、まだいろいろな遺構が残っている。「手賀の湖と台地の歴史を考える会」が、そうした戦争遺跡の保存要望を当時の柏市長本多晃氏に提出したのが、先月。これは東京新聞や千葉日報に取りあげられた。この小さな反響をさらに、大きなものにしていってもらいたい。

以前、小生の「千葉県の戦争遺跡」でも取りあげたように、高射砲第2連隊跡地に入った補充兵中心の部隊にガス室があり、防毒面を付けた訓練が行われたりしたことを書いたが、柏飛行場でも航空教育隊でガスの遺棄があったという話もあり、まだ分からないことが多い。

掩体壕にしても、無蓋掩体壕が5基も6基も残っていたとは、意外である。もとから、こんぶくろ池周辺には、掩体壕があるという話はあった。しかし、その遺構は前からやぶの中にあったとはいえ、存在することは公知のものであったはずである。柏市が保管している、測量地図にも出ている。だが、長年「野馬土手」として扱われてきた。調べてみて、「野馬土手」だと簡単に片づけてしまう人と、昔の航空写真と照合したり、実際にはかりに行く人では雲泥の差がある。

遺構にせよ、文書にせよ、新たな発見を期待する。

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柏陸軍飛行場周辺に掩体壕があるとの話は、前からあった。しかし、それは長い間確認されていなかった。戦後60年以上たち、柏に展開していた陸軍の各飛行戦隊など飛行場関連の軍人たちは、次々と鬼籍に入り、飛行場が戦後米軍に接収されて、返還後も飛行場跡地が開発されていくなかで、飛行場の関連施設遺構にかんする記憶も風化してしまった。

どういうわけか、旧柏ゴルフ倶楽部敷地内に掩体壕跡と伝えられる箇所があり、それはこんぶくろ池の公園予定地内である。現在、柏市が管理しており、立入りが禁止されている。

國學院大學の上山教授を代表とする「手賀の湖と台地の歴史を考える会」では、柏市の許可を得て、その場所を含めて巡見を行った。掩体壕といわれる、その位置を地図上に特定する、また周辺を調べてみる、終戦後1,2年の航空写真と見比べて、その場所が航空写真でどうなっているかを調べるなどの活動を後日行った。

その後、航空写真でもうつっている税関研修所の東側の道が、柏陸軍飛行場の東誘導路といわれる道であることが分かり、その道路沿いに3基、さらに国道16号線を越えた香取神社近くに3基の掩体壕があることが踏査・実見によって判明した。

それらは、別に新たに「発見」されたものではなく、従前は野馬土手と思われていたのである。それが、航空写真に写っている掩体壕と場所が一致すること、また形状が印旛陸軍飛行場の掩体壕や茨城県小美玉市の百里原海軍飛行場とも似通っていることから、野馬土手ではなく掩体壕であることが分かったのである。
但し、一番初めに同会が調査した旧柏ゴルフ倶楽部敷地内の掩体壕跡と伝えられるものが、結局何であったかは判明していない。

<柏陸軍飛行場の略図>

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旧柏ゴルフ倶楽部敷地内の掩体壕跡といわれるものは、東側の土手は高さもあり、掩体壕の一部と考えておかしくないが、南西側は崩れた形で、高さも1.5mほどと低い。

東側の土手も、北のぼさ藪になっている部分で切れており、直下は平坦地、さらに一段低くなる。南西側の土盛の傍、土盛で囲まれた平坦地に、大木があり、太平洋戦争中にはすでに当地に生えていた模様。

これらの土手などを柏市に所蔵されている記録では、掩体壕跡としている。

ただ、箱形の掩体壕としても、三方の土手ではなく、二方のみであるのは、不自然で、掩体壕ではなく、別の構築物であったと思われる。仮に掩体壕であったとすれば、未完成であったか、一方が破壊されたと考えられる。


<旧柏ゴルフ倶楽部敷地内の伝・掩体壕跡の東側土手>

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同会は、自然保護団体の案内で周辺を探索し、柏市正連寺の国道16号線の西側にあって、こんぶくろ池に近い資材置場横の藪化している場所で、馬蹄形の掩体壕跡が確認できた。

形は五角形の一辺がない形であり、土手はかなり高く、高い部分では3mほどありそうであった。東側は藪がすごく、見通しが利かず、土手の距離を図るのもレーザー距離計などでは歯がたたず、巻尺で測るしかないように思われた。西側の土手の上にのぼり、向こうをみると、土手が城の土塁のように切り立っていることが分かった。

後日、その場所を1947年(昭和22年)の米軍撮影の航空写真等で確認すると、確かに該当する掩体壕があり、その前の道が誘導路であることも分かった。さらに自然保護団体の話や会員の実見により、税関研修所脇の庭球場近くの山林に一つあることが分かった。

瓢箪から駒のような話で、伝聞から掩体壕跡といわれる土手を調べたあとで、こちらももしかしたら掩体壕かもしれないとしてまわった後のほうが、正真正銘の掩体壕であり、その場所を昔の航空写真と照合したところ、米軍が1947年に撮影した航空写真にうつっている掩体壕と一致し、芋づる式に誘導路沿いの別の掩体壕も見つかって行ったのである。

同会は前述のこんぶくろ池近くの資材置場横のものとあわせて、踏査したところ、両者の中間の位置に、半壊しているが、土手の高い掩体壕があることが分かり、税関研修所脇から国道16号線まで都合3つ掩体壕があることが判明した。そして、国道16号線の東側の香取神社周辺に3つの掩体壕があって、合計6基の掩体壕が柏にはあることになった。

<誘導路沿いの掩体壕の土手にのぼる>

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ブログ記事ではなく、自分のHPのご紹介です。

自分のHP「千葉県の戦争遺跡」に、「『首都防衛』の飛行場」として、柏陸軍飛行場と印旛陸軍飛行場の記事を掲載しました。

URLは、http://www.shimousa.net/  です。

印旛陸軍飛行場は草深(そうふけ)飛行場とも呼ばれていましたが、資料が自分の自宅周辺で手に入るものがほとんどなく、印西市に直接行くしかありませんでした。

印旛飛行場に駐屯していた陸軍飛行第二三戦隊の戦友会が、回想録のようなものを出してくれており、また逓信省の印旛地方航空機乗員養成所の元生徒有志の方の回想録もあり、助かりました。

また、森―CHANが印西市教育委員会との折衝やら、やってくれたので、印旛のほうは思ったよりスムーズにいったかもしれない。

あとは、松戸、藤ヶ谷、下志津飛行学校、八街。

できれば、海軍の木更津、茂原も。

(写真は、現在の印旛地方航空機乗員養成所 本館跡 〜開発中で椎の木が一本残るだけ)

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