海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

反軍下士官森某

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かつての紅顔の軍国少年は、いかにして「反軍下士官」となりしか
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つくられた農民兵士像

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もう随分昔に「農民兵士論争」というのがあった。
それは、岩手県農村文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、1961年7月)の理解をめぐる論争のことであり、有名な『きけわだつみのこえ』など学徒兵が残した手記、遺書と異なる、農民出身の兵士たちの手記や遺書にあらわれた、農民兵士の実像の理解をめぐっての論争である。

一般に農民は純朴で、生産者特有の健全な平和志向を持っているとされる。事実、『戦没農民兵士の手紙』には、そういう意識の横溢した文章が多く載せられている。
一方、農民兵士にとって、軍隊とは、その厳しい初年兵教育も既に農村では疑似体験済みであって、逆に貧しい農村とは違い、三度三度飯が食える、天国のような場所であり、それがゆえに農民を軍隊に志願までせしめた、という説がある。農民兵士が軍隊につよい憧れを抱き、志願をするものもいた根本的な原因は、『戦没農民兵士の手紙』編者によれば農民の「底知れぬ生活の貧しさ」にあるとされている。

しかしながら、一律に農民兵士を論じることは危険であり、正しく捉えることにならない。軍隊という鋳型にはまった古年兵、さらには下士官といった人々は、当然ながら初年兵とは意識が異なるし、農民兵士の出身階層も自作、小作の区別がまずあり、自作でも広大な田畑をもつ村の有力者から、零細な自作農まで種々あったわけである。『戦没農民兵士の手紙』でも、戦死時准尉にまで昇進していた26歳の青年の手紙を、「つたない」農民兵士の手紙として紹介するなどの誤りをおかしている。26歳で准尉になるなど、下士候、乙幹でも相当優秀でなければありえないし、そういう兵士が無学であったはずがなく、軍隊内でも模範的な者であったことは間違いない。

現代でも、農民兵士を一律に捉え、戦前、戦中の農村が貧しかったがゆえに、彼らにとって軍隊は天国であった、安堵の地であったということをいう人がいる。しかし、そうではなかったことは、『戦没農民兵士の手紙』のなかでも、自分が出征している間、故郷の田畑での農作業を気遣い、親兄弟を心配するものが種々収録されていることが、その証拠となろう。

あるメーリングリストで小生が投稿した文章を以下に掲げる。

「森兵男です。小生も、この意見に同意できません。

小生自身は志願兵で、農民出身ではありませんが、小生のいとこで陸軍に応召して中国戦線で戦死した者の実家は農家でした。一度召集解除になり、太平洋戦争が始まってすぐに再応召した伍勤上等兵で、1942年(昭和17年)に死んで本当の伍長になったのですが、もともと軍隊には行きたくなかったようです。
志願した小生のような者も、元は普通の中学生ですので、軍隊に安堵していたわけでないのは事実で、海軍の甲飛予科練の先輩連中では、募集時に兵学校に準ずると聞いてきたのに、その待遇がスペアそのものであったため、海軍に騙されたと思った人が少なからずいました。

むやみに殴る上官や薬莢をなくして縊死した兵隊の話のほうは、よく分かりますが、農村出身がゆえに軍隊が安堵の地というのは実感として分かりません。下級の兵士は酒保で一日にタバコなどの買い物を何度かすればなくなってしまうほどの薄給でしたし、農民出身者は自分が兵隊にとられて田畑はどうなっているか、残された家族の生活はどうかなど、心配でしかたなかったと思います。」

なお、そのメーリングリストでは、何人かの軍隊経験者が「農民兵士にとって軍隊は安堵の地」というのに反対し、なかには「馬鹿にするな」というような強い論調で書いていた人もいるのに対して、その意見に賛成なのは軍隊経験のないひとばかりであった。

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太平洋戦争も末期となった1945年(昭和20年)2月、今の成田市松崎(まんざき)になるが下総松崎駅から歩いて20分ほどの八生(はぶ)地区に米軍機が落ちた。これは日本軍が迎撃して落としたのであるが、運悪く八生国民学校(今の八生小学校)に落ちてしまった。それで、その国民学校は壊れて、全焼。その米軍機を操縦していた、フィリップ・トーレイ海軍中佐は操縦席に腰掛けたまま死んでいた。

その中佐の死体を操縦席からはずそうにも、周りに集まってきた地域の人たちは英語が読めず、操縦席をどう動かして外れるかが分からない。ようやく湯浅為司郎という医者で当時の八生村村長だった人が駆けつけ、英語の説明書を読んで、操縦席からトーレイ中佐の遺体をはずした。ちなみに、その地域は湯浅という名字の家だらけである。

その後、集まってきた人たちはトーレイ中佐の遺体を殴ったり、中佐が所持していたピストルを奪い合ったりしたが、結局ピストルは憲兵隊に没収された。

その遺体は、村はずれの馬捨て場に葬られたが、戦後になって米軍が当時の松崎村に墜落機の調査に来た。そのとき、大沢という村の収入役が、馬捨て場に埋葬したことをまずいと判断、来迎寺という近くにある寺の墓地に改葬して、事なきを得たという。そして、遺骨や遺留品を取りにきた米軍の担当者は、手厚く葬ってくれたことに感謝の意を表したという。

終戦を境にして、こんな話は全国的にいろいろあった。

(写真は、トーレイ中佐の遺体が一時改葬された来迎寺)

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言うまでもなく、慰安婦の大半は、日本人である。日本人の慰安婦が調達しにくくなった戦時中には、朝鮮人も慰安婦とされるようになり、少数ながら台湾人、中国人などの慰安婦もいたが、日本人も含め騙しや強制によって慰安婦とされた者も多い。

去る2007年7月30日、米議会下院は日本軍の慰安婦問題についての決議を異議なく採択した。これは、米国にいるロビーストを通じた、日本政府の工作にも関わらず、圧倒的な支持を受けて採択されたものである。この決議は「日本軍が性奴隷制を強制したことについて、明確かつ曖昧さのない形で歴史的責任を正式に認め、謝罪し、受け入れるべきである」との意思を表明している。

今まで、政府は慰安婦は軍の強制ではなく、「自主的に」慰安婦となったといわんばかりに、虚言を弄してきた。あまつさえ「国賊」安部晋三のごときは、元慰安婦の女性に対して人権無視の暴言を吐き、そのあまりの女性蔑視、民族蔑視のアナクロニズムについては、頭がおかしいのではないかと思ったが、実際その通りで、総理大臣を退任した。

ともかく、日本人慰安婦のなかには、軍属であったものがいたことは周知の通りである。それは、慰安婦でありながら、何らかの事情で弾薬運びなど戦闘に加わったり、軍の病院などに勤務したものなどで、軍属慰安婦は少数であったと思われてきた。
実際に、日本人の女性で慰安婦であったことを公言する者は殆どなく、戦後国会で取り上げられたり、「春婦伝」「暁の脱走」といった映画などになったりはしたが、元慰安婦自身がマスコミ等の表舞台に出ることは憚られ、わずかに芸妓出身の慰安婦の証言が出版された程度である。日本人慰安婦はその数が多かったにも関わらず、実態が分からない面が多い。慰安婦でなくても、生活苦から夜の女になる人は終戦直後には多かった。彼らは通常、足を洗って家庭に入るか、普通の職業婦人になる人も少なくなかった。そのため、以前は元慰安婦など珍しくもなく、誰々は元慰安婦らしいという、情報はみな知っていた筈であるが、今では、日本人慰安婦はいなかったと本気で思っている無知な若者までいる。彼らのお婆さんが、元慰安婦であったかもしれないのにである。

慰安所は外地だけでなく、内地の軍施設のそばには多かった。もっとも、台湾には新竹にあったきりだったようだ。最近では、民間の軍需工場にも、慰安所があったことが明らかになっている。つまり、軍と同様に、民間会社も慰安所を抱えていたのである。

慰安婦に関する軍の関与については、今までもいろいろな軍関係者の証言があり、物的証拠としては軍自体の文書が少数ながら発見されている。今回、イギリス公文書のなかから、敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達が、つい最近発見された。それは、連合国側が暗号解読して作成したイギリス公文書である。発見したのは、関東学院大の林博史教授である。林博史教授については、沖縄でのいわゆる集団自決についても、有意義な論述を行っておられ、小生も以前から注目していた。この発見は大きい。
なお、この場合、軍というのは、陸軍ではなく、残念ながらわが海軍である。しかし、陸海軍を問わず、また烈々たるその武勇にもかかわらず、日本の軍隊は数々の戦争責任を負っているのも事実で、元海軍軍人としては忸怩たる思いであるが、仕方がない。

林教授たち研究者は、慰安婦が看護婦に雇用された際の身分が軍属だった可能性が高いとみている。前から、慰安婦を看護婦にしたという元軍人らの証言はあった。今回発見された文書により、日本人慰安婦を敗戦時に軍属雇用するという配慮から、軍が戦時中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な史料としている。さらに、戦後慰安婦を看護婦としたことは、自分たちの責任を回避し、占領軍からの追求を逃れようと姑息な手段を使ったと考えられる。

これについて、琉球新報は「従軍慰安婦 恥ずべき旧軍の事実隠ぺい」と社説で述べている(2008.6.21)。

「またも旧日本軍の犯罪の一端が明らかになった。戦後補償の焦点ともなっている従軍慰安婦問題で、旧軍が敗戦直後に、日本人慰安婦を看護婦に雇用するよう通達していた。
 従軍慰安婦問題を隠ぺいする姑息(こそく)な工作である。一事が万事。この際、国には慰安婦問題に関する旧軍犯罪の徹底調査を求めたい。
 従軍慰安婦問題では、第2次大戦中、戦地の慰安所で日本軍に性的被害を受けた朝鮮半島や中国などの女性たちが、日本政府に謝罪や賠償を求め続けている。
 政府は1993年に官房長官談話の形で『おわびと反省』を表明し、95年には『女性のためのアジア平和国民基金』(アジア女性基金)を発足させている。
 しかし、民間募金を『償い金』とする方法に、元慰安婦らは反発している。民間募金では、日本政府の正式な謝罪と受け取れないというのが理由だ。
 加えて、1人当たり200万円という補償額を受け取るために、従軍慰安婦として名乗り出る社会的デメリットもある。実際、償い金を受け取った元慰安婦は90人余にとどまったまま、事業は2002年に終了している。
 実態解明も不十分なまま、口先だけの謝罪では、性的奴隷とされた元慰安婦たちの傷は癒やされない。だからこそ元慰安婦たちは現在に至るまで日本政府に対する公式謝罪と損害賠償請求を繰り返し提訴している。
 これに対し最高裁は昨年、『日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄された』との判断を示し、慰安婦の請求権を否定している。
 従軍慰安婦問題では、政府の謝罪や補償の根拠となる当局の関与の度合いが常に問題になってきた。
 今回見つかった英公文書で、旧軍が日本人慰安婦を軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達電文(1945年8月18日)の存在が明らかになった。
 軍が戦中に慰安婦管理に事実上深くかかわっていたとする見方を補強する貴重な資料とされる。
 しかも、内容から旧軍が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性も指摘されている。
 通達電文は『完全に理解した後、焼却』との指示も明示している。
 『慰安婦隠し』で、犯罪を隠ぺいする重犯行為ともいえる。
 戦後60年余を過ぎてなお慰安婦問題で謝罪も賠償も不十分な日本政府に国連人権委員会や欧米議会から非難決議が続いている。
 旧軍による慰安所建設や慰安所規則、利用日指定、性病検査の実施の事実は、すでに判明している。政府がすべきは旧軍の犯罪隠ぺいをほう助し、責任逃れをすることではない。国民が求めているのは旧軍犯罪の徹底調査と告発であり、被害者への謝罪と補償である。」

金が惜しいのか、昔の罪で人に謝るのが嫌なのか、これまでの日本政府の態度は大人気ないというか、先進国の一角を標榜する国の態度だろうかと疑問に思うことばかりである。

この辺で、方針を変えない限り、アジアはもちろん欧米からも相手にされなくなるだろう。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/8c/4d/jyo_takuya/folder/946233/img_946233_43491783_0?20080613235629

昔、海軍工廠だけではなく、日本のあらゆる軍需工場、生産現場において朝鮮人徴用工が働いていたといっても過言ではない。しかし、その実態がよく分かっていない。
確かに朝鮮半島出身の人たちが、工廠で働いていたのは知っているが、人数すらはっきりしない。

軍の側から何か資料がないだろうかと思っていたら、何のことはない、防衛省の文書で、1940年に陸軍省戦備課が出したのがあった。
タイトルは「朝鮮工場労務者内地移住斡旋に関する件」で、昭和十五年九月の陸軍省戦備課の通達である。

「警保徴發 壹第三六六四號 朝鮮工場勞務者内地移住斡旋ニ關スル件 整戦課第六七號 副官ヨリ陸軍航空本部總務部長、陸軍技術本部總務部長、陸軍兵器本部總務部長、陸軍然料廠長、陸軍運輸部長、陸軍被服本廠長、陸軍糧秣本廠長、陸軍製絨廠長及陸軍衞生材料本廠長ヘ通牒案(陸密号) 首題ノ件別冊寫ノ通協定セラレ陸軍ニ於テハ之チ準用スルコトニ定メラレタルニ付別紙斡旋申込書記載要項ニ準ジ調製シ毎年五月二十日(本年ニ限リ九月二十日)迄ニ陸軍省整備局長宛送付セラレ度依命通牒ス 追テ陸軍ハ成ルベク本協定ニ準據スベクモ雇傭期間、從事セシムベキ事業及作業ノ種類等ハ適宜變更スルコトチ得ルニ付申添フ 陸密第一八二二號 昭和十五年九月五日


そのなかで、朝鮮人労務者が働く工場として、「別紙 工場労務者の従事すべき事業及作業の種類」のなかに、
「一.事業の種類
(一) 金属工業
(二) 機械器具工業
(三) 化学工業
(四) 電気業
とし、可成軍需工場又は生産力拡充計画に依る工場たること。

二.作業の種類
金属試験工、分析工、製銑工、製鋼工、非鉄金属精錬工、鋳物工、鍜工、熱処理工、溶接工、製罐工、旋盤工、タレツト工、研磨工、フライス工、歯切工、機械組立工、機械検査工、電力電路工、アルミニユーム製造工、軽金属製造工(但しアルミニユームを除く)、電極工」と、従事する事業、作業の内容も規定されている。朝鮮人徴用工を軍需工場や重点生産力拡充の拠点 に配置し、貴重な労働力として位置付けていたことがわかる。一方では、建設、土木作業のような一般の作業、とりわけ3K職場のようなところでも、朝鮮人労務者は働いていた。

ところで、この朝鮮人徴用工なる人々がどうして日本に来て、海軍工廠などで働いていたのか。
一般には、人の嫌がる危険な仕事、重労働などには囚人たちがよく使われていた。
豊廠でも、火工部の火薬庫の周りに大きな土塁があるが、それを築いたのは囚人たちだそうだ。また市川の国府台を軍隊の町として整備するための大掛かりな土木工事にも囚人が動員され、その工事での死者は市川の歴史博物館近くの墓地の片隅に葬られている。
同様に、線路工事などの重労働の土木作業や工場での割りと危険な作業に朝鮮人労務者、徴用工が使われていたようである。
その彼らは、日本に来たくて来たのだろうか。なかには儲け話があるからと、つられて来た人間もおるだろう。しかし、強制連行の問題がある。これは色々と証言がある。

政党とかの色つきじゃなく、牧師さんがやっていた平和運動のHPが無難かなと思って、参考サイトとして掲示すれば、以下のようなものがある。

岡まさはる記念長崎平和資料館のHP
http://www.d3.dion.ne.jp/~okakinen/index.htm

まあ、同じようなHPはいろいろあるので、特に紹介しない。それくらい強制連行の証言も多いのである。

以前、豊廠の朝鮮人徴用工について、小生は以下のように書いた。
「南門橋のところに、真新しい宝篋印塔の形をした慰霊碑があった。側にあった説明板をみると熊谷組が建てたという。しかし、豊川海軍工廠と熊谷組に何の関係があるのだろうか、この熊谷組も海軍工廠の跡地に入ったくちなのである。日本車輌やトピー工業、ミノルタは知っていたが。豊川市穂ノ原2丁目1-1に熊谷組の営業所があるから、おそらくその関係であろう、なるほどね。でも、ちょっと待てよ。飯田線の前身の一つである三信鉄道の工事には、多くの朝鮮人労務者が動員されていた。その工事請負人は飛島建設の熊谷三太郎がやった。熊谷三太郎は熊谷組の創始者であり、この難工事をして自立したのである。また、その飯田線の一部豊川鉄道の引きこみ線が豊川海軍工廠に入っていたという関係もある。そこでも朝鮮人労務者は働いていただろう。では、豊川海軍工廠にいた朝鮮人徴用工にも、熊谷組が関係しているんじゃないか。証拠はないが、その可能性はあるだろう。」

この一つの海軍工廠においても、いったい何人働いていて、豊川空襲で何人なくなったのか、はっきり分からないのである。ともかく、数百人というような単位ではなく、何千人という単位で働いていたであろう。ただ、工廠神社のあった場所近くに、韓国人徴用工の記念植樹があるのみである。

半田の中島飛行機でも、多くの朝鮮人たちが空襲でなくなった。1992年に中島飛行機半田製作所「被保険者名簿」を半田市が公表したが、それには1,282人の朝鮮人が記載されており、うち1,235人が直接朝鮮から連行されてきたという。

転載元転載元: 中年ジェット

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昔、京大で滝川事件というのがあった。それは京大事件と呼ぶこともあるが、大学自治を軍国主義日本が否定した事件であり、本格的に日本が戦争の道へ向かう象徴的なものであった。

京大滝川幸辰教授の著書『刑法講義』『刑法読本』の中の内乱罪、姦通罪に関する記述が、内務省により、天皇が側室をもつことを批判しているようにとられ、1933年(昭和8年)4月に発売禁止処分が下された。翌5月には斎藤内閣の鳩山一郎文相が小西重直京大総長に滝川の罷免を要求、これに対して京大法学部教官全員が辞表を提出して文相の要求を拒絶したが、5月26日、文部省は文官分限令により滝川教授の休職処分を強行した。

京大学内では、法学部の学生は教授会を支持し処分に抗議する運動を起こし、他学部の学生もこれに続いた。さらに東京帝大など他大学の学生も呼応し、7月には16大学の参加により「大学自由擁護連盟」、さらに文化人200名が参加する「学芸自由同盟」が結成された。『中央公論』『改造』などの雑誌や、『大阪朝日』などの新聞のメディアもかれらを支援し文部省を批判する論説を多く掲載した。

文部省は強硬で、小西に代わる新総長松井元興の進達をまって強硬派の佐々木惣一ら六教授を免官した。これに抗議して他の十四教官も辞職、全教官の三分の二が京大法学部を去った。学内の抗議運動や、自由擁護連盟も弾圧により解体した。

この京大を去った教官の多くは、立命館大学へ流れ、免官された六教授のうち、佐々木惣一、末川博は後に立命館の学長にもなった。

ある名門家の息子で、この滝川事件の折に学生で、この事件に関係したものがいた。それを仮にAとするが、Aは学生のときに左翼運動に関わったものというレッテルを貼られたのだが、紆余曲折あって後に陸軍少尉となった。もちろん、滝川教授の書籍に対する言論弾圧や京大の自治への文部省当局の介入に対する、京大学内外の反対運動は、自由や民主的権利の確保を希求するものであって、いわゆる左翼運動ではないのだが、当時はそれが混同されていた。

陸軍士官学校などの軍隊の学校出身ではない、Aが陸軍のなかで少尉になったのは、幹部候補生か何かになって、士官適正があると認められて進級したはずであり、当然ながら以前の考え方を捨てさせられたものと推認できる。軍隊という鋳型は、「思想矯正」のための強制装置だったのである。

A少尉と同郷で、学校の教員をしていたTさんは、戦時中に補充兵として陸軍にとられた。そして、歩兵としての教育をうけた。Tさんは田舎の中学校を卒業し、代用教員を務めた後、正式な教員になった人で、当時既に三十歳前後、年齢的にもA少尉と同年代であった。

そして、あるときTさんは、その滝川事件に関係したというA少尉に、外出先であい、軍隊とは話には聞いていたが、やはり人間性を無視するところだとか、いろいろ考えるところをA少尉に言った。それは、そのA少尉が滝川事件に関係したことを知っていて、その人なら、自分の思いを理解してくれるだろうと思ったからである。

それからしばらくして、Tさんは他の補充兵たちとともに、上官に呼び出され、このなかに地方(民間)で教師をしていたか知れないが、帝国軍隊に対して驚くべき考えを持っている奴がいる云々と言われた。それは、営倉にいれるとか、反軍思想で軍法会議というのではなしに、一種の脅しとして言われただけであるが、明らかにTさんのことを指していた。補充兵には、もう一人教師をしていたものがいたが、その軍隊に対する驚くべき考えというのは、Tさんが外出で偶然であったA少尉にぶつけた不満のことだというのが容易に察せられた。あの外出のとき、TさんとA少尉以外は、その場ではおらず、事後Tさんが誰かに言ったわけでもないので、A少尉がTさんの話したことを軍隊で報告したとしか思えないのであった。

すなわち、A少尉は滝川事件に関係した当時のままではなく、軍隊教育の洗礼をうけ、右翼の将校になっていたのである。それをTさんは分かっておらず、ベラベラと自分の本音をA少尉に披瀝してしまった。A少尉は外出先とはいえ、兵の不穏当な発言を聞いて、将校の義務として連隊に帰って報告したのだろう。

この上官からの言葉で、Tさんは不用意に本音をA少尉に漏らしたことを後悔した。そして、軍隊とは密告や他人の揚げ足取りが横行する場所であることを悟ったのである。


結局、Tさんは、富士の裾野などでの内地勤務を経て、一度も戦地に出ることなく、終戦を迎えた。

Tさんは、終戦後再び教壇にたった。戦時中以前は小学校の教員だったのだが、色々研鑽して中学高校教員も出来るようになり、後には高校野球で有名なある工業高校の校長を務めたり、また地方自治体の教育長を歴任した。

そして、退官後は本も出版し、郷里で悠々自適の生活を送った。Tさんの著書には、あらかじめ連絡をくれれば、郷里の名所旧蹟を案内するとあったので、年取ってからも世話役的なことはしていたのだろう。かつての上官である将校や同僚の兵たちとも、戦後うまく付き合っていたようだ。

一方、その後、A少尉がどうなったか、私はしらない。


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