海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

反軍下士官森某

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かつての紅顔の軍国少年は、いかにして「反軍下士官」となりしか
http://x6.sarashi.com/bin/ll?077544200
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「戦争を語り継ぐ」の西羽氏から、以下の紹介があった。ここに、転載するものである。

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7日の毎日新聞奈良版に、植田義弘さんが主催されています「戦争を語りつぐプロジェクト」の活動が紹介されています。

<活動は戦後60年を控えた04年夏から。知人の紹介で取材に出向いたり、過去に書いた手記の提供を受けるなどして、体験者の声を集めた。現在、HPでは、国内の戦争体験者約70人による「市民の証言集」を紹介。活動中に知り合った米国の日系4世ジャーナリストが提供してくれた在米日系1、2世17人の証言も掲載している。>

「newsそれから:戦争を語りつぐプロジェクト 90人の貴重な証言、HPに」


当プロジェクトのウェブサイトは:

「戦争を語りつぐ60年目の証言」
http://www.geocities.jp/shougen60/

ますますのご活躍を期待しています。

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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/8c/4d/jyo_takuya/folder/946233/img_946233_51016027_1?20090927101556

♪楊芽を吹くクリークで 泥にまみれた軍服を洗う姿の夢をみた お国の為とは言いながら

ほんとにほんとに御苦労ね


民主党に政権がかわって、国民の大多数は無駄なダム工事を中止する政府の方針を歓迎した。しかし、既得権益にまみれた自民党土建族は、ダムのような利権をなかなか手放そうとしない。

地元住民を補償金で懐柔し、いまやダムは金まみれ、肝心な工事はいっこうに進んでおらず、このまま進めると、さらに膨大な金が飛んでいく。全体で8千億円かかるとされ、既に半分くらいの金を使っている。ところが工事の進捗は3割くらいであろう。予定より大幅に遅れているから、もしも完成した暁には8千億どころか、1兆円を越えるかもしれない。その金の殆どが、国民にとっては無駄遣い。そして、どこに金が流れるかと言えば、自民党支持層の金城湯池である土建屋にである。そして、その金の財源は国民の税金および、首都圏の住民の水道料金などである。前にかいたように、あの八ッ場ダムは治水にも何も役に立たない、無駄な公共事業の代表なのだそうだ。

それを今まで金を既に使っているからと、無駄遣いの上塗りをしようという、大澤群馬県知事、自民党群馬県連は銃殺刑ものである。日本人なら、恥を知れ!!
お彼岸の中日に来て、どうのこうのなどという寝言は、嫌がらせ以外の何物でもない。

もちろん、住民の生活には十分配慮する必要はあり、以下日経より引用した文にもあるように、八ツ場ダム反対派議員も、そう言っている。

''住民の生活再建「国が責任を」 八ツ場ダム反対派議員''

 民主党が建設中止の方針を示している八ツ場ダム(群馬県)をめぐり、関係都県のダム建設反対派の議員でつくる「八ツ場ダムを考える1都5県議会議員の会」が12日、都内で役員会を開き、国が責任を持って地元住民の生活再建に取り組むよう新しい国土交通相に要望する方針を決めた。

 民主党は建設中止の際には地域振興など地元住民の生活再建事業を行うとしており、要望は建設中止を前提とした。

 役員会で群馬の関口茂樹県議は「都議選、衆院選で無駄な公共事業をなくすという民意が示された。地元住民に配慮した生活再建をしっかり行うことが、後世に大きな負担を残さない唯一の道だ」と述べた。〔共同〕(12日 23:01) 


しかし、今の長野原町のやっているのは、反対派住民が前原大臣と直接話をしにきたのを、職員が制止して会わせないようにしたり、星河なにがしとかいう女のダム推進派町会議員を一般の住民にみせかけて、推進派の言い分をあたかも推進派の意見が町全体の意見のように言わせたりしたり、姑息きわまりない。それを知っているはずのマスコミも、反対派についてあまり報道せず、町長らが言っていることを一方的に放送しているだけで、真相が伝えられない。

地元では八ッ場ダムのことを「福田ダム」といい、かつて総理をつとめた福田赳夫たちが、その利権のために推進役となって始めた公共事業だという。その後も、連綿として自民党土建族が、利権を守るために暗躍し、福田赳夫の息子の福田康夫も親子二代で頑張ってきた。だから、自民党にしてみれば、こんな金の成る木を簡単に捨ててはなるもんかというわけだ。

可愛そうなのは、民主党の前原。別に国土交通相になろうと思っていなかったんだろうが、めぐりあわせでそうなった。そして、公約を実現しようと、政治家として当然の動きをした途端、大きな抵抗勢力にぶち当たった。

しかし、民意は前原国交相の味方である。どこかの道楽息子が、先祖の遺産も持ち出して遊び呆けているなら、それをやめさせるのが身内のつとめである。例え、その道楽息子の子分たちや、不良仲間がどうこう言おうと関係ない。

八ッ場ダムといい、JALといい、自民党政権では臭いものにふたをされていたのが、一気に出てきたんで、大変だろうが。ほんとに御苦労ね。




転載元転載元: 中年ジェット

ああ屠龍震天制空隊

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現在の自衛隊松戸駐屯地は、かつての逓信省中央航空機乗員養成所、のちの松戸陸軍飛行場の敷地一部を戦後自衛隊が利用したものである。

松戸陸軍飛行場は、終戦時には東西1.8km、南北1.4kmにおよび、西は現在の松飛台の住宅地、工業団地、さらに八柱霊園の一部まで、その飛行場の敷地であった。1940年(昭和15年)3月に民間の操縦士や整備員を養成する目的で設立された逓信省中央航空機乗員養成所の飛行場は、太平洋戦争の戦局悪化に伴い、「首都防衛」の必要性から、陸軍の飛行戦隊がこの飛行場に配備され、実質的に陸軍の飛行場となった。

陸軍第一○飛行師団の当時の師団長であった吉田喜八郎少将が、その隷下各戦隊に戦闘機四機をもって、無線機と酸素のみで武装を外した、B29への体当り専門の特攻隊を編成させたのは、1944年(昭和19年)11月7日であった。飛行第五三戦隊でも、児玉戦隊長により青木哲郎少尉以下四名が特攻隊員に選ばれた。

1942年(昭和17年)4月18日にドゥーリットル陸軍中佐率いる米軍陸軍航空隊B25爆撃機16機が東京、名古屋、神戸を目標とした昼間爆撃は、日本本土への初めて空襲であったが、軍に限らず民間にも大きなショックを与えた。それから2年半たって、防空体制は、防空施設の整備強化や1943年(昭和18年)6月の工場家屋の疎開を含めた防空法改正などを行い、徐々に整えられていった。しかし、「超空の要塞」B29への防空対策としては、高射砲も迎撃戦闘機も質量ともに不足しているのが現実であった。

当時、1万m以上の高高度を飛ぶB29に対し、せいぜい6千mの高度が飛行最適高度として飛ぶようにしか設計されていない日本の戦闘機が立ち向かうのは無理があり、実際1万m以上の高高度にまで上昇できた機はわずかであった。これは「予期したる戦果を挙げざりし主原因は我の科学技術の立ち遅れ」と吉田師団長をして嘆かしめた、日本とアメリカの飛行機の設計・生産に関する技術、能力の格差に起因するものであった。その格差を思えば、日本陸軍は相当無理をして米軍機空襲への邀撃を行っていたのである。

<震天制空隊の屠龍>
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機体の横に描かれているのは鏑矢

その特攻隊は、東久邇宮防衛総司令官によって、「震天制空隊」と命名された。名前はそうそうたるものであるが、第五三戦隊の屠龍からも、機体を軽くするため機銃や搭乗員を保護するための防弾板が取り払われた。

その丸腰になった機体には、

 帰らじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をとどむる         

という楠木正行の歌にちなんで、鏑矢が描かれた。楠木正行は言うまでもなく、楠木正成の子であり、父正成が湊川で戦死した後も、楠木家の惣領として南朝のために戦った。この歌は、四条畷に足利の大軍を迎え撃つべく正行出陣の折に詠んだ辞世の歌である。屠龍の機体に描かれた鏑矢は、歌に出てくる梓弓から足利の大軍に見立てられたB29の群れに向けて放たれ、生還を期せず迎え撃つとの決意を表しているのであろう。

ちなみに松戸の震天制空隊の屠龍に描かれた鏑矢は、赤と白の派手なものであったという。

しかし、何れにしても彼我の飛行機の能力の格差を埋める非常手段として、「体当り」による特攻が選択され、戦闘機から武装やパイロットの生命を守る防弾板を外し、脱出できるかどうか分からない「体当り」をさせたのであるから、これは乗員の生命を軽視した論外の策といわざるを得ない。その機たるや、損耗しても惜しくないような老朽機、要はポンコツであったのである。機体ごと、体当りする衝撃は、大変なもので、我々には想像もできない。ぶつかってから脱出することは、ほぼ不可能であるし、ぶつかる前に、乗っている機から脱出することも難しく、脱出できたとしてもパラシュートが無事に開くとは限らない。実際、体当りして生還できた人の方が少ない。

まして、技量未熟なパイロットも多かったのである。まだ操縦時間の少なく特別操縦見習士官や学徒出身者、少年飛行兵出身者、養成所出身の下士官などが殆どで、熟練したパイロットは少なかった。
技量未熟といえども、その志は想像もできないものであり、実際飛行第五三戦隊で特攻死した学徒出身の渡辺泰男少尉は現在の電機大を首席で卒業し、工兵として入隊後幹候となって航空兵科に転じたのだが、志操堅固な立派な人物だったらしい。東京荒川上空で、B29に体当り、一機を撃墜、自身の機はきりもみ状態になりながらも住宅地を避け、荒川に水中自爆した。

精神力のような優劣のつけ難いものはさておいて、彼我の科学技術力の差は、高高度戦の立ち遅れだけでなく、レーダーも日本側の夜間戦闘機には殆ど装備されておらず、その面でも日本側は遅れていた。米軍の空襲は夜間に行われることが多く、それに立ち向かう日本軍の戦闘機も夜間戦闘能力がなければならない。レーダーを備えていない日本陸軍の戦闘機は照空灯の明りが頼りで、照射目標を目視で接敵攻撃するというものであった。後に八木アンテナをつけた機上射撃用の電波兵器が試作され、屠龍2機に取り付けて実証実験したが、実用化に至らなかった。

これに関しては、以下のような証言がある(「続・陸軍航空の鎮魂」より、佐々利夫氏 [元陸軍飛行第五三戦隊付 大尉])。

「我が国では、夜戦用射撃管制装置の実用化にはほど遠く、20年の中頃やっと試作機・タキ二号が完成し、53戦隊の二式複戦2機の頭部を切断し重爆の機種のようにプラスチックの窓を取り付け、前方には八木アンテナを突き出した改装機に試作タキ二号機を搭載して実験を始めた。しかしながら期待どおりに作動せず、終戦までついに日の目を見ることができなかった。われわれは、最後まで、照空灯協力の原始的攻撃法によらざるを得なかった。従って、照空部隊の展開しない都市や、又展開しても天候不良のため照空灯の光芒が雲に妨げられる場合は攻撃が成立せず、敵機のじゅうりんに任せるほかなかった。」

非常手段に訴えた特攻隊の編成にも関わらず、B29を撃墜することは容易ではなく、B29の防御火器に阻まれ、また高高度性能に差があるあまり、接敵すらままならなかった。実際にB29に体当たりに成功しても、「超空の要塞」と呼ばれた堅牢なB29が墜落しないこともあり、B29の周りにP51などの戦闘機が護衛している場合には、武装をはずし丸腰になった震天制空隊ではなすすべがなかった。

こうして、震天制空隊は隊員の努力にかかわらず、期待された戦果をあげることができなかった。飛行第五三戦隊の震天制空隊は、1945年(昭和20年)4月まで6次にわたって編成され、11名の隊員のうち、8名が戦死した。

この屠龍震天制空隊の最後の隊員は、隊長であった青木哲郎少尉と青山俊明伍長で、1945年(昭和20年)4月末、突然青木少尉は解任され、朝鮮軍飛行師団司令部に配属になった。沖縄特攻要員と思われたが、結局特攻には行かずに終戦を迎えた。青山伍長(終戦時軍曹)は、藤ヶ谷飛行場に移り、最後まで戦ったが、戦死を免れた。二人とも、結果としてあの非合理な特攻で、B29に体当りにすることはなかった。 

生き残りの隊員のうち、青山伍長は後に自衛隊にはいったが、青木少尉は戦後関西に住み、伝統工芸品の製造販売を行ってきた。内地の留守宅に屠龍震天制空隊の写真を置いて行ったため、それは無事に現在まで残った。今、鎌ヶ谷市が発行している文書に多くの震天制空隊の写真が載っているが、多くは青木少尉の残したものである。

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以下の集まりがあります。よろしければ、どうぞ。

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「あの戦場体験を語り継ぐ老若の集い」

        戦場体験放映保存の会・ 戦場体験資料館

9月17日(木)正午開場 1時開演〜3時30分
                    日比谷公会堂 入場無料

あの未曾有の大戦に動員された旧日本軍兵士は789万人。戦没者310万人。
帰国できたのは310万人です。その後の記録は何処にもなく、当時の少年兵も80歳を超えました。今や健在者は40万人前後と推定されます。

「戦友よ、語ってから死のう」の思いを共有する戦友の皆様、日比谷で会いましょう。

 戦地の姿を伝える元兵士の体験談は間もなく消えてしまいます。
 これをビデオ・音声に撮り、あるいは手記を集めて、攻世代に遺すべきと「戦場体験放映保存」の運動を進めています。

 戦争の極地であった戦場が、ドラマや将軍、参謀、高級将校達の戦記物のみで伝わるのでは、真の戦場の姿を映し出すことは出来ません。名もなき庶民の声を残しておきたいのです。

今回の日比谷には、戦場体験を記録する活動に取り組む「孫」「子」世代が、西から東から集います。会社員や学生、映画監督、写真家、主婦など立場は様々。これが最後の集会です。是非参加して下さい。

とも
     戦友よ、語ってから死のう!


○日中戦争参加 95歳 兵士は弾が尽きても戦って死に、敵討ちと部落を   
         掃討した
○24時間召集 赤紙から一日での入営。職場、近隣、身辺すべて片付ける

○中国 人足にと苦力(クーリー)狩り、返してと泣き叫ぶ家族を追い払う

○初年兵仲間が自殺 泣きながら肉片を拾い集める

○ガダルカナルへ 米軍機240機に追われながら海岸に乗り上げる

○ニューギニア 半年で60キロの体重が36キロに

○レイテ沖海戦 駆逐艦が爆発、死体は手、指、顔が小さく白蝋のように

○レイテ島 泥田、こんな惨めな死に方は嫌だと言いながら皆死んでいった。

○ルソン島 行軍に倒れた水牛の生き血に命を救われる

○硫黄島 戦死者の臓物を被服に塗り付け死体のふり

○沖縄戦 足に迫撃砲弾、弾丸の雨と火炎放射器の下這いずり回る

○満蒙開拓義勇団 14才の志願、新天地に飛行機で迎えに来ると母を説得

○ソ連参戦 即席爆雷を抱いた特攻待機、戦車は一つ向こうの道を行った

○関東軍満州撤退 司令部、憲兵隊は、邦人を残し、8月20日内地上陸

○回天特攻 敗戦、混乱の特攻再開情報で111名が爆死する事故

○シベリア抑留 戦友は飯盒を握り冷たくなっていた

○遺骨収集 私がパンを分けなかった戦友の死が今も胸をえぐる

○昭和33年復員 看護婦、内戦の中国共産党軍・野戦病院へ徴用され13年


今年は若者も来るぞ

□「語らずに死ねるか!」        長尾英治監督

□「花と兵隊」 ビルマ未帰還兵に取材  松林要機監督

□主婦が記録するシベリア抑留      いしとびたま

□ミンダナオで戦死の父を探して     荻原光子

□戦争遺跡写真家            安島太佳由

□こども達が体験する戦争体験      フリースクール・
                    ドリームフイールド

連絡お問い合わせ
           戦場体験放映保存の会・戦場体験資料館
           電話03-3916-2664(火・木・土日祝)
           FAX 03-3916-2676
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/5f/c5/aikokunohana1938/folder/1002545/img_1002545_33094834_0?20090825235315

本日は、お集まりいただきありがとうございます。只今、ご紹介のありましたXXであります。

公明党が、日本国憲法に違反した、いわゆる「違憲政党」であることは、皆さまご承知の通りであります。憲法や法令でさだめた要件をみたしていない以上、もはや公明党は政党の体をなしておらず、即刻解党すべきと考えております。

公明党の母体は、言うまでもなく創価学会ですが、これは一応東京都のほうに宗教法人としての届を出しております。しかしながら、その宗教法人としての要件については、おおいに疑義がある。そのあたりを現在徹底的に洗っておるわけでありまして、それについてはあとでいろいろ行動を起こそうとしております。ご承知のように、創価学会は日蓮正宗の信徒団体として出発し、その日蓮正宗からも絶縁されております。そして、日蓮正宗という母体を失い、お寺はないわけですので、通常私たちがおこなっているような、法事にお坊さんに来てもらって、お経をあげてもらうようなことも彼らはできないのであります。お葬式も、お寺ですることができない、そもそもご本尊の仏様がないのです。

そうした団体が堂々と仏教であるとか、宗教法人であるというのは、おかしいのです。それが一つ。

また、創価学会は、その政治組織として公明党をつくりました。60年安保の後、昭和39年ですが、「公明政治連盟」というのをつくり、それを「公明党」に改組しましたが、その創立者は池田大作であります。つまり、創価学会の会長になった男が公明党を創立したのです。

公明党は、今も昔も、創価学会員で構成されております。その資金も、一般のひとからの寄付もありますが、大方は創価学会から出ています。その創価学会は、一応宗教法人ですので、税金その他優遇されており、お金を集めやすい。その集めたお金が公明党の資金となって、人も創価学会員で活動している。これは、明らかに政教分離の憲法の考えに反してますよ。

(略)

ところで、創価学会、公明党がやってきたことで、大いに問題になったのが、言論弾圧事件です。昔、藤原弘達さんという評論家がいました。例の小汀利得さんらとテレビ番組をやっていた方です。

藤原弘達さんは、前から創価学会の問題点について調査されてきたのですが、昭和39年からは創価学会員の実証的調査を行いました。当然、創価学会の幹部たちからも聞いたりしているのです。その調査によって、元学会会員だった植村左内、隈田洋などが書いた創価学会批判の本が創価学会側の妨害で出版できなかったという事実を知ります。その後、藤原さん自身が、公明党や創価学会批判を書いたところ、創価学会からいろいろ妨害工作があった。そして、昭和44年には例の『創価学会を斬る』という出版妨害事件が起きます。

これには公明党委員長であった竹入義勝から依頼をうけた田中角栄元総理が、藤原さんに出版中止を求めてきています。そのころから、「自公共闘」があったのですね。(笑)

(略)

創価学会の盗聴事件は、日本版ウォーターゲート事件とでもいいましょうか、とにかく民主主義への挑戦ですね。彼らは、いまだに謝罪もしていない。まさにオレオレ詐欺の連中が罪の意識がないのと一緒です。盗聴が悪いことだと思っていないんですから。盗聴なんて、人権侵害もいいところですよ。
これは昭和45年に、共産党の宮本顕治委員長の家の電話が盗聴されていた事件で、創価学会の学生部の連中がやっている。でも、山崎正友という人物の単独犯行にされています。

最近でも、公明党の委員長までつとめた矢野絢也が、創価学会による言論弾圧、人権侵害について語っています。裁判所に提訴もしていますし、矢野絢也の手帳を創価学会が勝手にもちだしたことについても、最近はやりの「黒革の手帖」じゃないですが、似た名前で本を出しています。

矢野自身、創価学会の大幹部から公明党の委員長になったのですが、そういう人間すら都合が悪くなると、切り捨てて、今度は2億円創価学会に寄付しろとか、無理難題をいったり、脅迫したりする、これが創価学会=公明党なんです。

皆さん、今進めている運動を、一緒にやっていただく、あるいはご支援いただくことによって、日本の未来を少しでも明るくしようじゃありませんか。

(以下、略)

---

上記は、先日都内某所で行った勉強会でのお話です。だいたい、書き取りました。あー、しんど。

ちなみに、お話であった矢野絢也さんの去年6月の記者会見の様子がYouTubeに出ていました。以下に掲載します。



転載元転載元: 愛国の花−花ちゃんブログ


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