海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

反軍下士官森某

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かつての紅顔の軍国少年は、いかにして「反軍下士官」となりしか
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イスラエルの独善的なシオニズムは、パレスチナの民衆を先祖伝来の土地から追い払い、今またガザ地区への空爆などで多くの罪なき人々の血が流されている。

イスラエルは、アメリカなどの軍事的、政治的支援を受け、中近東の覇者として振る舞ってきた。エルサレム自体がキリスト教、ユダヤ教の聖地であるとともに、イスラム教の聖地であることに象徴されるように、宗教上の対立も根深い。

それにしても、イスラエルは、ナチスによるユダヤ人弾圧から脱して、新天地に建国した筈が、今度はパレスチナ人民を圧迫するにいたった。砂漠でも走る戦車や各種兵器の開発、関連技術の発達を通じて、イスラエルは軍事力を強大なものとした。まるで、かつてユダヤ人を迫害していたナチスが、パレスチナ人を迫害するユダヤ国家と姿を変えて生まれかわったようである。

イスラエルは、白りん弾のようなとんでもない兵器も使っている。白りん弾は照明弾や煙幕に使われるのだが、人体に触れると燃焼時の高熱で「骨まで焼き尽くす」といわれる兵器で、「悪魔の兵器」とまでいわれている。イスラエルの広報官は煙幕などに用いていて、非人道的な使用はしていないと言っているが、実態は別だ。実際、人口密集地域にロケット弾や白りん弾などを撃ち込んでいるのだから、国際的な批判は当然である。

今回の空爆によるガザ地区での犠牲者は、約千人、うち3分の1は子供だそうだ。

こんな無益な戦いは、即刻止めてほしい。

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田母神という戦後生まれの元空幕長は、戦争の惨禍から何も学ばず、不戦の誓いも忘れ、果ては政府見解までないがしろにするという、自分自身で過誤と歪曲の何乗もの愚劣な「説」を唱え、一応自衛隊から放逐された。それが退職金を満額もらえる定年退職の形であり、早めにやめさせた以外には懲戒の要素がないのは、戦時中に将官が軍規違反をしても軍法会議等にかけられず、不問に付されたことがあるのに似ている(たとえば海軍乙事件で、福留繁参謀長がゲリラの捕虜となり、軍機密書類を敵のゲリラに奪われたのを、海軍上層部は擁護し、軍法会議にかけず、福留は要職に留まった件など)。

こうした荒唐無稽な言説が、ある程度まかり通っている背景には、戦争体験の風化がある。それは人の記憶も、戦争体験者が年々減っていて、語り継ぐこともままならないといったこともあるが、終戦直後に占領軍が来る前に大量の軍関係書類が焼却され、特に軍の機密にかかわる書類がほとんど残っていないことから、文書の裏付けがしにくいということもあろう。

そこで、大いに意義があるのは、金石文の刻まれた記念物、軍関係の建物、民間に残る軍関係の記録などで、戦争遺跡を残すということは、そういう戦争体験の風化に対し、物で戦争の記憶を伝えるということに他ならない。それは「負」の記憶であるが、正しい歴史を伝えるためには、耳障りのいいことばかりでなく、嫌なことも含めて記憶しておらねばならないのだ。

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先日といっても、8月の9−11日であるが、名古屋で第12回戦争遺跡保存全国ネットワークのシンポジウム愛知大会が開かれた。なお、会場は名古屋市千種区の名古屋大学であった。当日は、約120名の参加があり、全国から様々な報告がなされた。小生はもう年で暑さがこたえるため、当日は親戚に出席してもらい、資料などは後で送ってもらった。
記念講演で宗田理さんの豊川海軍工廠の話があるはずだったが、本人が体調不良とのことで、それはなく、戦争遺跡保存全国ネットワークの各委員や名古屋大学の方から報告があり、豊川海軍工廠については「豊川海軍工廠跡地利用をすすめる会」の伊藤さんからの報告があった。

愛知県には、豊川海軍工廠跡や名古屋陸軍造兵廠、瀬戸地下軍需工場跡、陸軍第15師団司令部庁舎跡、豊橋連隊跡、など、305もの戦争遺跡があるそうだ。

シンポジウムのなかで、沖縄戦での「集団自決」の記述をめぐる大江健三郎氏と岩波書店に対する、元陸軍海上挺身隊戦隊長らの訴訟は、訴訟を起こした「新しい歴史教科書をつくる会」側が南京大虐殺に関して世論をミスリードしようとしてうまくいかないために、沖縄に目をつけたということが説明された。

その報告をおこなったのは、沖縄平和ネットワークの村上氏。沖縄住民の言葉の引用のなかで、住民たちが隠れたガマのなかで、幼い子供が泣き出したのに、あらわれた日本兵から毒入りおにぎりを渡して殺すことを命じられたある家族が、子供たちだけを死なすのではなく、みんな死ぬ時は一緒に死のうとガマを出て、米軍に遭遇して隠れたり、海水入りの食べ物を食ったりして新しいガマを求めて右往左往したことが語られた。

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この訴訟については、一審、二審とも、沖縄戦での「集団自決」への軍の関与を認め、原告の主張を退けた。大阪高裁の判断の通り、沖縄住民は勝手に軍の保有する武器である手榴弾で自決したのではなく、軍から支給された手榴弾などで、軍の関与のもとで「集団自決」したのである。
またぞろ、原告らは上告したが、歴史の真実は変わらない。

その歴史の真実を正しく伝える、裏付けの重要な要素が戦争遺跡である。今、史跡・文化財として指定・登録された戦争遺跡は、144件あるというが、それはまだまだ少ない。文化財に指定されていない、戦争遺跡の保存は、所有者の善意によるところが多いわけで、その意義を理解しない所有者の都合で容易に壊されたり、原型をとどめないように改変されたりする。こうした戦争遺跡は、別に美しいものだけではない、なかには不気味なものも多いだろう。にも関わらず、我々はその保存に関して、今まで以上に行政側に訴えていく必要がある。

(写真上段:豊川海軍工廠跡に残る空襲時に爆弾が落ちて出来た穴、中段:戦争遺跡保存全国ネットワーク・シンポジウム愛知大会、下段:沖縄戦での沖縄住民)

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先日、有楽町駅近くの工具等を売っているDIYの店で買い物をしたあと、同じビルの階上にあるシンガポールレストランで食事をした。

ビールはタイガービール。それに、何かチャーハンのようなものを注文した。タイ料理のように特段辛くないし、クセもない。日本にある店舗だから、日本人好みにしてある。

店内にはマーライオンが飾ってあり、南国の雰囲気を出している。
思えば、かつて昭南島と呼ばれたシンガポールを、太平洋戦争初めの段階で日本軍が占拠してからは、日本軍による住民虐殺があり、多くの不幸な事案がおきた。
小生の身内のいた野砲兵部隊は、マレー半島最南端のジョホールバルからシンガポールの英軍陣地にむけて砲撃し、シンガポールを落としてからは、その守備についた。その身内から聞いた話でも、虐殺された華僑系住民が埋められた場所が市街の周辺にいくつかあったとか、夜そうした場所の近くを通りたくなかったとか、いろいろある。小生の身内自身は、住民虐殺に加わったわけではないが、小生の身内とて軍刀を差して、シンガポールの街を闊歩していたのだから、かの国に幾分か迷惑をかけたのであろう。

後にシンガポールから日本軍が撤退したときには、シンガポールの住民から、日本語で「バカヤロ」「バカヤロ」と、かつて日本軍兵士がシンガポール人に向かって言った言葉をそのまま投げ返され、生ゴミを二階屋などから撒かれたのである。
戦後、こうした事実を知る人が少なくなり、田母神のような荒唐無稽なことを言い出す連中も出てきたことは嘆かわしい。

ふと、そんなことを考えた。

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田母神俊雄元・空幕長がアパグループの懸賞論文に出した論文は、およそ論文とはいいがたいものであった。

まず、歴史事実の認識が間違いだらけ。「日本が侵略国家でない」というが、日清戦争やその後の北清事変において、中国における権益を確立、拡大すると同時に、清朝を叩くことで朝鮮半島における日本の政治的、軍事的、経済的支配を確立、やがて1910年8月22日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合した、いわゆる韓国併合をしたことは、歴史的事実である。また、台湾も日清戦争後、1895年(明治28年)の下関条約で日本が領有することになった。こうして、日本は欧米にならって、帝国主義支配を行うようになり、一方ソビエトに対しては、シベリア出兵で反革命的な干渉を行った。これらも歴史的事実である。

創氏改名などに代表されるように、民族の文化的な面についても抑圧し、台湾、韓国に日本語教育を実施、日本の神道を持ち込むなどして、あちこちに神社を建設、現地の人々には文化面でもいろいろな抑圧を行った。

田母神は、日本が韓国を併合して、あたかも朝鮮人が喜んだように書いているが、まったく事実は逆である。それは、日本が朝鮮で大学を作るなど教育の向上に力を入れ、また朝鮮人を日本の士官学校や学習院に入学させたと、田母神がその「論文」で評価しているのと裏腹に、当時の京城帝国大学は、主に日本人用の大学であり、たとえば、医学部の定員200名のうち、朝鮮人枠はわずか4人であった。また、京城市の周辺にあった旧制中学は日本人用であった。これは何を物語るか自明であろう。

要するに、日本が明治時代から、朝鮮、台湾で行ってきたこと、そして先の大戦で中国大陸で行ってきたことをみれば、これが侵略国家でなくて、何であろうか。そういう根本が、田母神俊雄という人物にはわからないらしい。欧米列強も日本も侵略国家だったのであり、もし日本がそうでないとすれば朝鮮半島や台湾、さらに旧満州で長年続いた日本の政治的、軍事的、経済的支配はなかったことになる。まるで、西から太陽がのぼって、東に沈むというのと同じで、じゃあ何のために大勢の日本の軍人や官僚たちが、終戦まで外地のそうした地域にいたのか、ボランティアでもしていたとでもいうのだろうか。

これは、ナチスは何も悪いことはしてこなかったという、ネオナチの馬鹿どもと同じ論調である。

今回、田母神俊雄元・空幕長が懸賞論文に応募した、アパグループCEOの元谷外志雄氏とは旧知の仲であり、元谷氏も、「報道されない近現代史」(産経新聞出版)という本を出していて、その関係で近現代の論文を募集したらしい。しかも、空自で90人以上も、その論文に応募したというから、その癒着ぶりが問題となろう。

今回の「論文」が如何に出鱈目であるかは、いろんな学者たちが指摘している。そのなかで、右派の論客であるはずの秦郁彦氏や慶応の小林節教授も批判していることは、如何にこの「論文」なるものが、ひどいものかを示しているだろう。

秦郁彦氏によれば、「論文は事実誤認だらけだ。通常なら、選外佳作にもならない内容だ。私の著書『盧溝橋事件の研究』も引用元として紹介されているが、引用された部分は私の著書を引くまでもなく明らかなデータだけ。事件の1発目の銃弾は 第29軍の兵士が撃ったという見解には触れもせず、『事件は中国共産党の謀略だ』などと書かれると誤解される。非常に不愉快だ。」ということだ。

だいたい、張作霖爆殺はソ連の仕業という荒唐無稽なことをいうなら、その謀略の背後に関東軍が存在していないことになる。では、なぜ、その件で田中義一が首相を辞めたのだろうか。張作霖爆殺を関東軍がやったから、時の総理大臣が天皇に叱責され、辞職したのではないか。田母神によれば、昭和天皇がソ連のやったことで、田中総理を叱責し、辞任に追い込んだことになるが、いつから日本の総理大臣は外国の謀略の責任までとるようになったのであろうか。

民間の元日本軍人からも、異論・反論が出ている。たとえば、最近新聞で取り上げられた本多さんという94歳の方は以下のように述べている。

侵略を知らぬ空幕長の空論

                                    
     無職 本多 立太郎 94
                        (和歌山県みなべ町193)

 元兵士である。1939年、25歳で応召。2度の中国出征とシベリア抑留を経て47年に帰国した。中国戦線では無数の友を失い、シベリアの凍土には多くの友が眠る。
 戦争は、もう二度とあってはならぬ。どんな理由があろうと、人の命は地球より重い。しかし、戦後63年。戦場を体験した人間が少なくなり、戦争の記憶が我々から失われている。それに呼応するように、戦争を肯定し命を散らすことを美学とたたえるかつての風潮が際立つ。恐ろしいことだ。
 「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」。そう主張する論文を、航空自衛隊のトップが書き、民間企業主催の懸賞論文に応募していたという。自衛隊そのものが再び軍隊と化している証しではないか。
 我々は中国で、言うに言われぬ体験をした。村をあらし、村人を手にかけた。あの戦争は、まさしく「侵略」だった。日本の占領が「圧制からの解放」などとは、きれいごとに過ぎない。中国人民を苦しめた我々の痛みが空幕長にわかるのか。頭の中だけで、戦争を語るのはやめて頂きたい。

小生は、下士官に任官しながら、戦地に行ったこともなければ、戦争中外地に行ったことすらない。ただ、内地で特攻死するための訓練と、戦争末期は壕掘りばかりしていたような気がする。

しかし、本多さんのように、中国で野戦をたたかい、加害体験を語った人は意外に多くいる。だが、その証言を今までは皆が聞きたがらなかった。それは、そもそも悲惨な戦争の傷跡を忘れたい、特に加害者の立場になった人間では戦犯追及という問題もあったから、話すことをためらった人間が多かったし、聞く側も同胞の醜い行為について聞きたくなかった。田母神も、こういう人々の証言など聞く耳を持ってこなかったのだろう。要するに、知らずに大きなことを言っている。しかし、今こそ聞くべきである。

今回、アパグループの元谷外志雄代表は、安倍晋三の非公式後援会「安晋会」の副会長をつとめる一方、田母神とも親交があったことが明らかになっている。例の懸賞論文の懸賞金300万円は、田母神への献金のようなもんだ。例の懸賞論文にも90人以上の航空自衛官が応募しているが、これは組織的な動員があったと考えられる。空自の連中も、こんなことに動員され、哀れというしかない。

政府自民党は、政府の方針にも反する、田母神という不逞分子を一応更迭し、切り捨てた。しかし、切り捨てただけではすまない。そういう人物をなぜ、長年自衛隊のトップに据えてきたかということである。それは、かつて三矢研究が明らかになったときも、旧軍の将官レベルの関与やら、いろいろ出てきたし、栗栖のときも同様の問題があった。

本件は、例えば、毎日新聞なども社説(11月7日)で取り上げている。

<前空幕長問題 政府の責任を明らかにせよ>
「最大の問題は、ゆがんだ歴史認識を持ち、政府見解を否定する人物がなぜ、空自のトップに上り詰めることができたのか、ということである。田母神氏は空幕長就任後、空自の隊内誌に今回と同趣旨の文章を寄せていた。同氏を空自トップに据えた自公政権の責任は重大である。麻生首相の考えをぜひ聞きたい。」
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/

麻生総理も、本件については決着済みと思ってか、その後コメントもない。その政治姿勢が問われるところである。これも定年退職ですむような話ではなく、田母神がやったことは、もっと罪が重いのだ。それをなあなあで済ますなら、それこそ日本国の恥である。


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以前、新津田沼駅の近くには、陸軍境界標石が線路際の骨董屋の並びの塀に二つ、線路の反対側の道端に一つ、骨董屋の南、線路脇の駐車場の塀に二つ、自転車置き場の中に一つと合計六本あった。
ところが、最近見ると、線路脇にあったマンションを建て替えており、骨董屋の並びの塀にあった陸軍境界標石二つがなくなっていた。ごく短期間に、何十年もあったものがなくなっていく。

戦争遺跡は、文化財になっているものも、少ないし、モラルの低下した昨今では、文化財に指定されていようと破壊する人間、団体が存在する。

少しずつ、こうした歴史的な遺物がなくなっていくのでは、戦争の惨禍を語り継ぐのも、難しい。

陸軍境界標石など知らない世代は、確実に増え、そのうち日本に陸軍と海軍があり、その大元帥が天皇であったことも、太平洋戦争を戦ったことも忘れ去られはしないだろうか。
戦争で多くの民衆が死に、家を焼かれたことも、予科練という海軍の鋳型にはめられ、空か海の特攻で死んだ若鷲たちがいたことも。


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