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最近、あるMLで、茂木某という参加者が、主張のまったく異なる大多数の参加者に対して、悪罵を投げかけるという「事件」があり、はからずも小生も巻き込まれた。というより、あまりにくだらない茂木某の主張ではあったが、あまりに事実に反したことばかり書くので、いい加減腹も立ち、半分茂木を批判しつつ、スマラン慰安所問題の紹介をしたものである。 それに対して、茂木某が退会するといいながら、最後のあがきのようなメールを送りつけてきた。「史実を世界に発信する会」だかなんだか知らぬが、程度が知れるというもの。右翼の理論派かと、最初は思ったが、あまりに無知であり、事実関係を詳細に調べる労力を惜しんでいるのか、その気もないのか、といったレベルの御仁である。何か拍子抜け。 読むのも退屈かも知れぬが、それを紹介させていただく。 Sat, 25 Oct 2008 10:46:28 +0900 皆様、森兵男です。 慰安婦の強制連行、あるいは強制慰安婦化の話の典型例は、誰かさんは名前を間違えていましたが、インドネシアのスマランで起きたスマラン慰安所事件です。別名を白馬事件ともいいます。 これは娘を慰安婦にされたオランダ人の抑留者リーダーが陸軍省から捕虜調査のため派遣された小田島薫大佐に訴えて発覚し、慰安所は閉鎖されましたが、張本人の南方軍管轄第十六軍幹部候補生隊の能崎清次隊長(当時少将)以下関係者は軍法会議にもかけられませんでした。 能崎が慰安所開設について州知事と話をつけ、部下に命じてオランダ人の抑留者から若い娘を強制連行して慰安婦としていました。 事件関係者は、終戦後オランダ軍によって処断されましたが、内地に帰っていた大久保大佐は追及をおそれ、仙台で自決しました。 慰安婦強制に軍が関与した明確な証明は、スマラン事件を一典型とし、インドネシアのみならず、フィリピンや中国でも記録され、多くの証言があります。慰安所は陸海軍問わず、部隊の駐屯地に存在し、日本人慰安婦は軍属になっている場合も多かったのです。 茂木という人は、慰安婦強制はなかったという割にはスマランという地名もうろ覚えとは、そもそも事実関係を良く調べておらず、自分の好まない話は戦争体験者から聞こうともしない、偏狭な考え方の人だったのではないかと思います。 Sat, 25 Oct 2008 19:24:57 +0900 (JST) 皆様 茂木商店です。 また誰か揚げ足を取るといけないからといって、インドネシアのことを取り上げたら、マスランではなくスマランだという『ツマラン』揚げ足を取るやからに出会うとは面白いことです。 ただこの件で言えば明々白々なことは、ちゃんとした同意なく慰安所で働かせる、などという違法行為は、日本軍は許していなかったということです。さもなければ慰安所を閉鎖するはずがないぐらいの常識がどうしてこの人には働かないのか、全く呆れてものが言えません。処罰云々について言えば、悪いことには違いないが、別に日本語でだました、というより、普通のもの(オランダ女性)ならそういう仕事と察しがつくので、それでよいとしていたが、そうでもないれいがあった、ということなので、そこまではしなかったのかもしれません。いずれにしても、こういうことは許せない、という軍の方針なくして閉鎖などありえません。こんなことも分からない人間と議論するのはきつい。 また中国などで、どうして慰安婦を強制連行する必要などあるというんですか。 いまや中国は世界一の売春婦大国ですが、戦前の中国は、どの町にいっても淫売宿がはびこり、売春婦はわんさといました。ただこういうところを利用すると、衛生問題(今でもひどいですが、昔ははるかにひどい状態だった)、性病問題に悩まされることになります。慰安所で『雇った』慰安婦も、衛生検査をしても問題が起りがちでこれを管理する軍は苦労していたことが記録に出てきます。そういう記録をまるで、『従軍慰安婦』を強制連行していた証拠にする『バカ』がいるんですから、まったくやになります。そもそもなんで強制連行する『必要』があるんですか。普通の淫売宿より、『慰安所』はあはるかに収入もいいし、衛生管理もしてrくれるのですから、募集は応募を大きく上回るのは理の当然でしょう。こんな常識もない人達との議論は矢張り時間の無駄です。 Nさんにはご親切なお言葉をいただきましたが、参加しているとついついこういう議論に時間を費やしてしまい、肝心のことが犠牲になりそうですので、やはり退会させていただきます。 最後に、『慰安婦とアメリカ軍の非行』と題する小文を別メールで(量がオーバーするので)お送りしておくことにします。慰安婦問題(未だ従軍慰安婦などという捏造後を使っている愚かな人もいますが)については矢張り西岡力さんの『よくわかる慰安婦問題』(草思社)を読まないとほんとの話になりません。 Sun, 26 Oct 2008 14:28:55 +0900 (JST) 皆様、森兵男です。 MLを一寸見ぬまに、また茂木某が発信していました。退会を口にしながら、最後の悪罵のつもりでしょうが、小生のメールに対するもののようですので、反論いたします。 憚りながら、わが日本海軍で鍛えた根性は、そこらの年上の人間に対する礼儀もわきまえない無礼者のバカな寝言になどは、びくともしないのです。 1.スマラン慰安所問題について スマラン慰安所問題は、慰安婦強制の論議をする際に避けて通ることのできない問題です。その地名すら、覚えていないのが、「ツマラン」ことでは済まされない。 東條英機と西条秀樹が名前が似ているといって、間違えるやつがいないのと同様です。重要な固有名詞が頭にはいらないのは、よほど覚える気がないか、脳の構造に問題があるのでしょう。 これは、前にも書いたように、オランダ人の抑留者のリーダーが日本陸軍の小田島という大佐に訴えて、発覚したもので、陸軍は国際問題になるのを恐れて慰安所そのものは閉鎖しました。これは前に書いたとおりで、茂木某は小生がそう書いたことを読解する能力すらないようです。 問題は、陸軍刑法に照らしても、犯罪行為であるのにもかかわらず、能崎らを軍法会議にもかけず、逆に能崎を少将から中将に進級せしめたような陸軍の姿勢にあります。抑留者に対する虐待が国際的に明るみに出てはならぬと、姑息に動き回って、肝心の当事者を処分しないのは、どう考えてもおかしい話です。 小生が言いたいのは、そういう人権軽視が軍内部だけでなく、海外住民に対しても行われ、中国人に対する残虐な仕打ちや南京虐殺、シンガポール虐殺などの蛮行が繰り返されたということで、人権軽視が根本原因なのです。 2.海外での慰安婦強制について インドネシアの例は、いろいろ述べてきましたので、繰り返すのはやめます。 フィリピンの例もたしかNさんが紹介してくれたと思います。 茂木某は、中国人の慰安婦強制はなかったと、奇想天外なことを言っていますが、これは巷間話題となって、皆さんもご存知かと思います。すでに、不当判決ということで、話題になった裁判があります。中国人慰安婦強制と西松建設の中国人強制連行問題です。 以下、朝鮮日報(2007/04/28)の記事 最高裁判所第1小法廷(才口千晴裁判長)は、中国人「慰安婦」被害者と遺族らが日本政府を相手取り損害賠償を請求した裁判で、日本軍による慰安婦の強制連行と暴行を事実とした2審の判断を認めながらも、「1972年の日中共同声明により請求権は放棄された」として原告側の請求を棄却した。 判決文は「現在、中国・山西省に住む80歳の女性ら2人(うち1人は死亡)は13歳と15歳だった42年、日本兵らにより拉致・監禁され、複数の兵士から繰り返し性的暴行を受けた。精神的にかなりの後遺症が残っている」と指摘した。だが「72年の日中共同声明に基づき、中国人は裁判で日本側に戦争被害の賠償を請求することはできない」として原告側の上告を棄却した。(略) 最高裁判所第1小法廷(才口千晴裁判長)は、中国人「慰安婦」被害者と遺族らが日本政府を相手取り損害賠償を請求した裁判で、日本軍による慰安婦の強制連行と暴行を事実とした2審の判断を認めながらも、「1972年の日中共同声明により請求権は放棄された」として原告側の請求を棄却した。 ''判決文は「現在、中国・山西省に住む80歳の女性ら2人(うち1人は死亡)は13歳と15歳だった42年、日本兵らにより拉致・監禁され、複数の兵士から繰り返し性的暴行を受けた。精神的にかなりの後遺症が残っている」と指摘した。だが「72年の日中共同声明に基づき、中国人は裁判で日本側に戦争被害の賠償を請求することはできない」として原告側の上告を棄却した。'' これは、大変有名な事件であり、門前払いのような裁判の不当判決については、日本の新聞でも批判的なコメントを寄せていました。 茂木某は小生も含め、多くの人に悪罵を投げつけてきましたが、常識のないのがわれわれでなく、自分のほうであることを死ぬまでに気づいてもらえば良いかと思います。 茂木某が気づく頃には、小生はもはや、この世にはおらないとは思いますが。 どうも、この種の問題で、日本軍が行った過去の罪悪を詭弁をもって擁護する連中には、何かアジアの民衆に対する蔑視、あるいは女性に対する差別感情があるように思う。慰安婦だった人には、同情こそすれ、「兵隊より金儲けしていた」とか、「どうせお前らは・・・」といった言葉がどうして出てくるのかわからない。 道端で荷物が重くてうずくまっている老人を見れば、ちょっと荷物を持ちましょうかとか、手を差し伸べるのが普通の人の感情であろう。慰安婦問題で元慰安婦らに悪罵を投げる徒輩は、難儀している人を邪魔だからどけと足蹴にするようなものである。 ゆがんだ歴史認識の裏には、子供の頃にネグレクトをうけたとか、その人が育ってきた家庭環境などの特殊な事情があるかもしれない。また、そうした人で、一部の人は、本当に精神を病んでいるのではないだろうか。 |
反軍下士官森某
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習志野市大久保の八幡公園は、昔騎兵旅団の司令部のあった場所である。 |

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夕暮れ迫る池のほとりに、ちびっこ武者が集まった。 |

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伊勢の名物といえば、汁の黒い伊勢うどんに赤福、生姜糖。伊勢神宮の内宮の場所には、和菓子屋で土産物などを扱っていた、岩戸屋などがあった。はるか昔、伊勢神宮には海軍の第一種軍装を着て行ったが、戦時中の思い出の一こまである。 |

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以前、八柱の陸軍境界標石や陸軍鉄道連隊の演習線跡を見に行ったとき、新京成線の線路脇に廃線跡のような場所を見つけた。そのことをあまり気にとめていなかったのだが、最近別のことで鉄道には悩まされ通しである。 その廃線跡らしき場所とは、下の地図の左下、線路跡をかいて端に「?」とあるあたりで、新京成の線路にごく近い。 それは「つつじ公園」と書かれた看板のある公園で、その廃線跡は森のホールのほうに続いている。 その延長線上に、石の標柱のようなものがあったので、すわ大きめの陸軍境界標石かと思いきや、「青面金剛」の文字庚申塔であった。しかし、その道をしばらく行くと、本当に陸軍境界標石があり、しかもどういうわけか駐車場の車止めとして使用されていた。 それから先は、「21世紀の森と広場」公園となり、改変が著しくよく分からない。
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