海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

閑話休題

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gooニュースに以下の記事が載っていた。

「首相『野党は文句ばかり』と批判 福島遊説で、鳩山氏と火花
2007年4月14日(土)19:54 (共同通信)

 安倍晋三首相は14日、参院福島、沖縄両選挙区補選の告示後初めて遊説、福島県内4カ所で街頭演説した。民主党の鳩山由紀夫幹事長も同県内を回り、火花を散らした。首相は福島市で『野党は格差、格差と文句を言うばかり』と民主党などを厳しく批判、構造改革を推進し景気底上げを図る路線の正当性を訴えた。格差問題について『フリーターらが正規の職に就けるよう再チャレンジ支援を進めていく』と表明。」

その格差を放置、助長してきたのは、お前さんがたではないのかい。不公正税制は正されるどころか、ますますひどくなっている。消費税という低所得者に不利な税については税率アップが過去にされたし、今後もされようとしている。
それを民主党などの野党にあたるのは、お門違いも良い所。このように、この安倍という人間は、論理的思考力が欠落しているのではないか。

「慰安婦の強制がなかった」とか、そもそも軍が慰安婦の募集や移送、慰安所の設営、管理にいたるまで関わっているのに、「軍は慰安婦と一切関係ございません、だから慰安婦の補償なんか一切関知しません」と嘘八百並べているのは、自分の方じゃないか。

「野党は文句ばかり」ではなく、「安倍首相は嘘ばかり」である。

カルト安倍よ、統一協会と関係がないというなら、その証拠を出してみよ。嘘ばかり言うな、卑怯者!

<写真は陸軍南支派遣軍有田部隊が広東・恵州で撮影した中国人の行商人>

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軍歌で「皇軍大捷の歌」というのがある。あきれたぼういずが、その軍歌をネタにして歌ったりした。その中の一節に「思えば遠く来たものぞ」というのがある。
「皇軍大捷の歌」の歌詞は、以下の通り。

皇軍大捷の歌
作詞 福田米三郎 作曲 堀内敬三 

一番 国を発つ日の万歳に しびれるほどの感激を こめてふったもこの腕ぞ 
   今その腕に長城を こえてはためく日章旗

二番 焦りつく雲に弾丸の音 敵せん滅の野にむすぶ 露営の夢は短夜に 
   ああぬかるみの追撃の 汗を洗えと大黄河

三番 地平か空か内蒙の 砂塵に勝利の眼が痛む 思えば遠く来たものぞ
   朔風すでに吹き巻いて 北支の山野敵もなし (以下、省略)  

この「思えば遠く来たものぞ」のオリジナルフレーズは、中原中也の詩にあるらしいということがわかった。
その中原中也の詩とは、以下である。

頑是ない歌 (中原中也)

思えば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ 月はその時空にいた

それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち 思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか 生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど 遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り 結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら いたわしいよなものですよ

(以下、略)

「皇軍大捷の歌」は1938年(昭和13年)の作、作詞者は福田米三郎である。その同名映画は同年5月12日に松竹から封切上映されている。中原中也は、その前年1937年(昭和12年)になくなっており、「頑是ない歌」を含めて編まれた「在りし日の歌」という詩集は、1938年(昭和13年)4月に創元社から出版されている。ということは、微妙であるが「皇軍大捷の歌」の作詞者福田米三郎は、その詩を知っていた可能性もある。しかし、「皇軍大捷の歌」では「地平か空か内蒙の 砂塵に勝利の眼が痛む 思えば遠く来たものぞ 朔風すでに吹き巻いて 北支の山野敵もなし」と歌っており、「思えば遠く来たものぞ」というフレーズが似ているだけで、詞の内容は中原中也のとは似ても似つかない。だから、この「皇軍大捷の歌」が中原中也の詩の盗作かといえば、曲調もあわせて全体の印象が違うため盗作とはいえないだろう。一部フレーズの流用があったかどうか程度のことである。

ところが、この中原中也の詩とそっくりな歌がある。ずっと後に作られた、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」である。
一方の海援隊の武田鉄矢作詞の「思えば遠くへ来たもんだ」では、以下のような歌詞になっている。

踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた

思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

筑後の流れに 小ぶな釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた
二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
<b>思えば遠くへ来たもんだ</b> あの頃恋しく思い出す (以下略)

(画像付きの歌は、以下のHPでごらんになれます)
http://www.youtube.com/watch?v=bh1LsD62QcQ

うーん、歌詞もよく似ている。汽車の汽笛というのも共通しているし、大体、「今では女房子供持ち」というフレーズもそっくりである。中原中也のオリジナルでは十二(才)というのが、海援隊のほうでは十四(才)と微妙に変えられてはいるが。

しかし、なぜこういう盗作行為がおこなわれるのだろうか。それは、本人達も恐らく軽い気分でしたのだろうが、自分達もそれほどメジャーになると思っていなかったのか、中原中也の詩など知らない人間ばかりだと思ったのか、苦し紛れについというのが本音だろう。
このことを知って、好人物と思っていた武田鉄矢氏に対し、失望感を抱かざるを得なかった。盗作したなら、その旨を男らしく言ってくれれば良いのに。

なお、この一文は友人の城宅也氏の文章を本人の許可を得て、一部を変えて転載したものである。
城氏のブログ:「中年ジェット」(http://blogs.yahoo.co.jp/jyo_takuya/folder/946233.html)

バンコックの雑踏にて

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タイ、バンコックの町は暑い。ドンムアン空港に飛行機で降り立てば、眼鏡のレンズは曇り、熱帯の世界に突入する。空港からハイヤーでホテルに向かう途中、運転手が高速道路を使っていいかと聞くので、OKといえば、高速道路を飛ばすこと、飛ばすこと。途中、やけに大きくHINOと書いたトラックを見かけるが、日野自動車をそんなに強調したいのか。あるいは偽物かもしれない。高速道路なのに、ウインカーも出さずに車線変更してくる車、危険きわまりない。

バンコックの道路は年がら年中、工事中である。そのため、ホコリがいたるところに舞っている。また、バンコック名物は道路の渋滞、これはどの国よりも激しいかもしれん。高速から下りるころには、渋滞が始まってしまい、なかなか前に進まず。ふと、窓から景色をみれば、廃屋と思えた家から何人か出てきたのだが、傾いた家に何家族かで住んでいる様子であった。
しばらく走って、車が信号で止まると、いきなり道路を斜め横断してきた小さな男の子が車の窓を拭き始め、チップをよこせという(むろん車道を歩行者が渡って良い筈がない)。ダメダメと手を振ると、今度は別のがやってきた。見ると手に花輪というか、ジャスミンの花を数珠繋ぎしたもの(プアンマーライというらしい)を持ってきた。私の友人がいくらかと聞いたが、20バーツくらいだったか。友人があれこれ言っている間に、信号が変わり、友人はその花輪をてにすることができず、悔しがっていた。

ホテルは日本系のホテルであったため、日本人スタッフもいるのだが、大多数は現地の人である。客室はやけに広く、20畳ほどもあったろうか。高級ホテルならウエルカムフラワーなどあったのだろうが、一般のホテルではそのようなものはなく、簡単な応接セットがあったのと、もちろんベッドがあり、明らかに人工大理石を貼り付けた浴室兼トイレがあった。窓から見るバンコック市街は、町の中心ではなく、ちょっと外れの風景、特にビルがまばらに建っているのだが、そのビルの間に見える野原に人が住んでいる様子でバラックがたち、ガスボンベが置いてある。その野原の横には運河があり、小さな船が行きかっている。まるで終戦直後の日本のような場所に、ところどころ近代的なビルが建っているような、新旧混在というか、変な光景であった。

そのホテルでは、日本から同行した友人とホテル内の喫茶コーナーへ行った。友人はケーキセットを頼んだのだが、ケーキは何があるか聞いていた。現地人のボーイは「チョコラ、ショコラ、・・・」とたどたどしい英語で説明していたのだが、私はボーイが可哀そうになり、「ケーキなんか何でも良いじゃないか」と口をはさんだ。

しばらくホテルで休んでいると、現地に住んでいる友人がボルボに乗ってホテルに来た。一緒にホテル内の日本料理屋へ行き、酒を飲んだ。友人は現地人の運転手がいるので、飲んで帰っても良いのである。

翌日、その現地の友人と待ち合わせ、バンコックの街へ。歩いて観光ではなく、友人のボルボ車を現地人で英語のできる運転手さんが運転して案内してくれるという。王宮、エメラルド寺院、黄金の寺などに行く。途中、ホームセンターのような場所に寄った。そこで、例の友人が気にしていたジャスミンの花輪にまた出くわした。友人は、いったい何をするためのものだろうかと、まだあれこれ言っていた。そのホームセンターの駐車場に車をとめ、現地人の運転手さんは休んでいたのに、われわれが乗っているときには冷房をつけていたのだが、みると冷房を切った状態で、窓をあけて休んでいる。現地の人にとっては、30度くらいでも涼しく感じ、それ以下の気温では寒いのだそうだ。
昼食は、バンコックから暫く車でいったレストランでトムヤンクンなどを食べた。とにかく、日本で食べるタイ料理の数倍からい。唐辛子は赤いのではなく、青いのが曲者。もし、これを食べてからくて水をのんだら、火に油を注いだように、口のなかに火が燃え盛った状態になる。

また、その日の夕食は、中華料理屋でフカヒレやいろいろご馳走を食べた。しかし、あらゆる料理に香草(パクチー)が乗っている。フカヒレなんか何も乗せない方がいいと思うのだが、ちょっと邪魔であったかもしれぬ。しかし、高級な店であったため、いるお客は白人と日本人だけ、現地の人は高くて、それこそ一月分の収入を一食で使ってしまうことになるので、なかなか来られないそうだ。

翌日も、友人とバンコックへ。ちょうどボールペンのインキが出なくなったので、デパートでボールペンを買うことにした。伊勢丹があり、そこで買い物。店の前でパフォーマンスをしていて、若い女性が歌と踊りでなにかの宣伝をしていた。タイ語はまったく分からないので、何のはなしか知らないが、ときおり「ターイ」というので、タイとどこかの試合の宣伝のような。デパートでは売り子の女性は、みな現地人である。文房具売り場で、ボールペンを捜していると言い、パーカーの安いものを買うことにした。それで書いてみると、青いインキだったので、黒のが欲しいというと、その店員さん、何本か全く違うタイプのボールペンを出してきて、インキを確認すると、その別のボールペンから芯を取り出し、パーカーのボールペンのものと交換したのであった。「えー、嘘だろ」と思いつつ、黒いインキのパーカーボールペン(もはや別物)を買ったのである。

その日の夜は、チャオプラヤ川沿いの高級ホテルに飲みに行った。ホテルのバーのようなところで、いろいろカクテルを注文する。バーの支配人のような年配の男性は、テキパキと仕事をこなしていた。注文を受けると、指をパチンと鳴らして、厨房へ伝え、身のこなしもさすがプロという感じであった。チャオプラヤ川の夜景は綺麗であった。しかし、昼間みると隅田川と対して変わらない、あまりきれいな川ではないのだそうだ。
最初気付かなかったが、そのバーの年配の男性は、少し足を引きずっていた。そして、それを懸命にかくそうとしていた。

いばらく飲んでいると、運転手の男性が、ボルボ車が故障したと言ってきた。何事かと聞くと、ウインカーを倒すと左右に点滅するパネルで、常時上下の矢が点滅するという。車に乗りこんでみると、たしかに上下の矢が点滅する。上下に矢が出るというのも、初めてみたが、車自体はちゃんと走るのであった。
その車で送ってもらい、宿泊先のホテルへ。窓から見ると、ディスコかなにかのビルの派手な電飾が、点滅していた。

翌日、朝食をとると、日本へ帰るため、また空港までタクシーで向かう。朝は道路もすいていて、やけに早く空港についた。みやげ物などを見ながら、時間をつぶし、90%以上が中国人の乗客という中国の飛行機で香港まで行き、香港から日本へ帰った。
二泊三日の強行軍であったが、バンコックの素顔を垣間見た気がした。自分としては、足の悪いのを隠しながら仕事をしていた、バーの支配人のことがなぜか忘れられない。

(これは2006年以前にバンコックを訪問したときの記録であり、現在ドンムアン空港は国際線には使用されていません)

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愛知県は知多半島の南端近く、知多郡美浜町河和(こうわ)から古布(こふ)、矢梨にかけて、太平洋戦争末期に水上機の基地として存在した、河和海軍航空隊で歌われていたズンドコ節。単純だが、分かりやすい詞で、隊員の真情がよくあらわれている。


     ここで別れちゃ未練がのこる  

     せめて河和の駅までも

     送りましょうか 送られましょか

     可愛いあの娘の目に涙

 

               今日も暮れゆく河和の町を

               肩で風切る小意気なすがた

               あいつは誰だとよくよく見れば

               上陸がえりの士官さん

    

                         エスになるなよ堅気になれと

                         やさし母ちゃんが泣いて言うた

                         だけど私は堅気にゃなれぬ

                         可愛いインチに会えぬもの


 *註 エス:海軍の隠語で芸者のこと
    インチ:馴染みの芸者、ここではintimateでお馴染みさんという意味


 写真は第二河和海軍航空隊跡地にたつ記念碑(上)、同隊隊員の写真(下)

桜散る

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毎年桜の開花シーズンになると、花見やら行楽やらが盛んになる。この日本人の習性は、昔からであるが、なぜ桜がこうも好まれるのであろうか。別に梅でも、チューリップでも、薔薇でも良いと思うが、薔薇をみて花見酒を飲む人はいない。やはり、桜なのである。

それは、桜がパッと咲いて、パッと散る、あるいは武士の生き様のような姿を、日本人の精神性が好むのであろうか。梅や桃、あるいは桜によく似た海棠ではなぜ駄目か、やはり桜のはかないところ、無常なところが良いのであろうか。

忠臣蔵で有名であるが、浅野内匠頭の時世は、

風さそふ 花よりもなほ さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残りをいかにとかせむ

である。この「花」とは桜のことである。そして、旧暦の3月14日(4月10日頃)に田村右京太夫の屋敷で腹をきるとき、桜は咲いていたであろう。桜の木が田村右京太夫の邸宅にあったかどうかは知らないが、桜とともに散り行く身ということで、何か腹を切る前の心境にあっている。

海軍の襟章も桜があしらわれている。それも、パッと咲いて散る、武士道精神と共通しているからか。

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