海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

閑話休題

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宴席で出された茹で蛸 ケータイ投稿記事

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ある宴席で出された茹で蛸。その宴会は、各テーブルには席札だけあって、料理は各人で取ってこいという、バイキング形式であった。

だから、蛸も丸ごと置いてあり、お好みの儘に切り取り次第とばかり、鋏が添えてある。

「引っ張りだこ」というのは、蛸を干すときに、足をひろげ、体全体を四方八方に引っ張った状態にした姿を語源とするそうだ。この茹で蛸も、もちろん干してはいなかっただろうが、何となくそういう形をしている。

蛸は軟体動物だから、生きているときはとらえどころがないが、干したり、茹でたりすると、姿形が明瞭になり、色も変わるところが面白い。

街なかの陸軍境界標石

前にも紹介したが、陸軍境界標石は意外に街なかに残っているものだ。それは、思いもしない日常生活で使っている道路脇だったり、銀行のATMコーナーのそばであったり。これは、戦争遺跡というほど、大袈裟なものではないが、確かにその場所に旧軍施設や旧軍用地があったという証拠である。そういうものが、津田沼や津田沼を起点とする新京成線沿線あるいは大久保など京成線沿線の街角にあるということは、軍郷習志野ならではということかもしれない。

<昔新津田沼駅があった西友裏の線路沿い>
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例えば、昔の新京成新津田沼駅があった西友裏の線路沿いにも四本ほどある。
以前、新津田沼駅の近くには、陸軍境界標石が線路際の骨董屋の並びの塀に二本、線路の反対側の道端に一本、骨董屋の南、線路脇の駐車場の塀に二本、自転車置き場の中に一つと合計六本あった。
ところが、最近見ると、線路脇にあったマンションを建て替えており、骨董屋の並びの塀にあった陸軍境界標石二本がなくなっていた。ごく短期間に、何十年もあったものがなくなっていく。

骨董屋のビルがある踏切のところから前原駅までの手前まで線路脇に小道がある。その線路脇の小道に面して長野土地建物の事務所があるが、そこから前原駅方面までの道沿いに最低三本ある。

何十年も前から歩いた道なのに、線路脇の路上にそうしたものがあることに気付かなかった。北側に昔国際製粉の木造の何階建てかの大きな建物があり、西側には小学校のある、その線路脇の道と藤崎台方面からの道が交差するところに踏切があり、四十年ほど前までは有人踏切であった。もっと前は警報器がなかった。

この踏切には、小生にとって、やるせない思い出がある。実は、この近くで戦後小生も世話になった、スラバヤ沖海戦、ミッドウエー作戦、レイテ沖夜戦などの歴戦の勇士の元海軍大尉K氏が事故死している。あれから、もう四十五年もたつのが信じられない気がする。戦後作家・軍事評論家となり、太宰治のような髪型をしていたが、気さくないい人だった。既に河出書房から本も上梓して、週刊誌に連載も決まった矢先の事故死。潜水艦乗りで数々の戦闘で生き残った人なのに、なぜ戦後になって鉄道事故で死んだのかと話したものである。お葬式には、多くの人が弔問に来ていたが、御親戚や近所の人以外に、仕事関係など様々な人が参列していた。
なくなるまで乗っていた愛車は、水色のスバル。残された奥さんと子供は、その後どうしたのか、しばらくは前の家にいたようだが、今は元の住所には住んでいない。確か、コロという名前だったと思うが、K氏は柴犬を飼っていて、その犬をよく散歩させていた。

小生には、その陸軍境界標石が、陸軍と海軍の違いはあるが、K氏の墓標のように思えた。K氏のご冥福を改めてお祈りする。

<元海軍大尉が事故死した踏切近くの陸軍境界標石>
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新京成線になった鉄道連隊演習線関係のものでは、前原駅周辺、三咲駅周辺、初富駅周辺、常盤平駅北の住宅地、新八柱駅周辺などに陸軍境界標石がかたまってある場所がある。

前原駅近くでは、駅から見える塀に埋め込まれて一本、また附近の畑の中、線路沿いに三本並び、ほかに一本やや奥まった前原の寺、道入庵に近いところにあり、都合五本あることになる。

<前原駅近くの境界標石>
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三咲駅周辺では、駅の南側線路沿いにあるが、お隣の滝不動駅のほうまで続いているかどうか、そこまで歩いていないので、今後調べてみたい。

<線路沿いの何気ない風景にある境界標石>
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新京成線として、現在営業している路線以外に、かつての鉄道連隊の演習線が廃線となった跡にも、陸軍境界標石はある。前述の常盤平駅北の住宅街にある陸軍境界標石も、厳密には廃線跡にある。鉄道連隊のつくった陸軍演習線は、満州の地形を模しており、ところどころわざと屈曲させるなどしているため、戦後京成電鉄に払下げられてから、営業運転に適さない屈曲部分をショートカットしたために、新京成の常盤平と五香の間は従来の演習線の路線でなく、五香駅の北、金ヶ作交差点あたりから栗ヶ沢をへて、常盤平駅の北をかすめて、21世紀の森と広場の公園の東を通り、常盤平駅の西のあたりに出てくるのが、かつての演習線の路線であった。
だから、常盤平駅から、かなり離れた北側の栗ヶ沢の住宅地などに、廃線跡が断続的に見られ、そこに陸軍境界標石群がある。

<常盤平駅のはるか北に散在する境界標石>
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境界標石も、街なかの銀行の前にあると、廃線跡が道路になったことを知らないと奇異に思うかもしれない。

習志野市大久保の京成大久保駅前のある銀行の前の路傍にも、陸軍境界標石があるのに、この間気がついた。今は「ハミングロード」としゃれた名前がついているが、その道も鉄道連隊の演習線が津田沼から千葉にむかって延びていた廃線跡である。戦後は、自衛隊が一時線路を使っていたようだ。

そのハミングロードも、銀行の前だけでなく、スーパーの店舗前にも、分りにくいが陸軍境界標石があり、大久保駅と京成津田沼駅の間の警察署がある辺りまで、点々と境界標石がある。

<銀行店舗前にもある陸軍境界標石>
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京成大久保駅前のスーパーを過ぎると、住宅街も途切れ、畑が見えてくる。そのあたりは、朝夕ジョギングをする人や散歩する人がめだち、市民の憩いの場にもなっている。晩秋から冬は椿が咲き、春から初夏にかけてはアジサイや皐月なども咲く。


<市民の憩いの場にもなっているハミングロード>
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先日、といっても大分前だが、名古屋まで行った折、時間に余裕があったので、東海道線を少し戻って緑の多いところで途中下車した。

そこは大高。駅の近くの寺の裏山が鷲津砦、その数百メートル離れた住宅街のなかの山が丸根砦の跡だそうだ。
大高川の下流は、戦国時代には、入江になっていたらしい。だから、桶狭間の合戦でも、織田勢は潮の満引きを気にしており、引き潮の時にのみ付近を通行している。

大高川下流には、船津があったらしい。そこは知多半島の西岸から伊勢方面に開く海運の拠点であった。

織田信長のころの創建らしいが、大高城のそばに海岸寺という寺もある。付近が海だった証拠だろう。大高城自体、そういう水運をバックにした城だったと思うし、付近には江戸時代から続く醸造業の店や工場がある。

かつては、灯台のように火をたいた台地があり、海からその火をみて船を運航したようだ。

それと、当地に祀られている火上山の氷上姉子神社の神とは、どういう関係なのだろうか。氷上姉子神社は、日本武尊の妃、宮簀媛命(みやすひめのみこと)をまつっている。「姉子」とは「姉御」という意味ではなく、夫のない女性のことで、日本武尊が東征の帰途に宮簀媛命を偲んで詠んだ歌から付けられたという。

そもそも、大高とは火高(ほだか?)といい、火上山の氷上姉子神社も、火上姉子神社といったらしい。ところが、1382年(永徳3年)に火上姉子神社で火災があり、そのため「火」の字を改めて、地名を火高から大高、火上から氷上へとしたと神社側では伝えている。しかし、1382年以前の古記録で、「氷上」の文字が使われており、1382年(永徳3年)というのは正確でないようだ(もっと古い可能性がある)。また、なぜ火上山は、そのままなのだろうか。

この氷上姉子神社は熱田神宮の摂社であり、昔は水運でつながっていたため、熱田とも、当地は関わりが深い。

いろいろ調べてみると、面白いかもしれない。

(写真は大高川、大高城跡)

驚くほどのことではないが、日頃見慣れた街角に陸軍境界標石がたっていることがある。

もちろん、やたらにあるわけではないが、かつての陸軍の駐屯地や演習場の跡地、陸軍演習線の鉄道跡などに、陸軍境界標石はある。

新津田沼駅に近い、新京成線の線路沿いには、かつて六本の陸軍境界標石があったが、最近四本に減ってしまった。しかし、残っているものも、あまり目立たない場所にある。

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上の写真は、そのうちの自転車置き場にある陸軍境界標石である。これが陸軍のものであることは、パッと見では分からない。

また、現在は普通の道路沿いで、近くに銀行や商店街のある場所にも、境界標石があったりする。以下は、四街道の駅前にある陸軍境界標石である。これも、他の標石のようであるが、角が欠けているものの「陸軍」の文字が鮮やかである。

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小生も、昔は陸軍境界標石など、気にも留めていなかったが、このようなものでもだんだん少なくなってきた。

何気なく、見送りそうな光景。そのどこに陸軍境界標石があるか、おわかりだろうか。

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(自転車の車輪越しに見える電柱脇に一本、その電柱の場所から細く分岐する道路の反対側の木の根元、棕櫚の傍に一本ある)

豊年音頭

琉球民謡といっても、門外漢でさっぱりわかっていないが、先日あるところで、琉球民謡を演奏しているのを聴いた。

「豊年音頭」という歌で、あたらしいものらしい。だから、琉球民謡というより、沖縄民謡といったほうがいいかもしれない。

以下は、小生が撮影した演奏の様子であるが、素人なのでうまくとれていないのは、ご勘弁願いたい。


当日、浴衣のファッションショーのようなことを能楽堂でやっていて、その関係で浴衣を着た男女が壇上にあがって、一緒に踊って楽しそうであった。

また、三線(サンシン)は、基本的に三味線と同じ楽器とおもうが、何となく情緒がある。

最近よく「島歌」というのが演奏されるが、これも広い意味では、同じジャンルなのだろう。

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