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前回、padaさんが投稿されていた記事を
興味深く拝見した
佐賀県伊万里市に滞在しての長期出張中に
海を渡った肥前陶磁器がインドネシア、バンテンの
遺跡から出土している事を知った
自身がインドネシアへの出張を嫌って
伊万里出張を選んだのに、調べてみると
その場所は出張先の近くである事が判った
との内容だった。
遺跡から出土した陶片を紹介しながらの
回顧録記事で、
刷毛目に鉄釉を施した二彩唐津の陶片が掲載
されている書籍の事や、
ブログ友が投稿した記事にも、タイのアユタヤ
にて川底からあがる陶片が、同手のものであると
紹介されていた内容に触れている。
古唐津が生産されていた時代よりは
時代は少し後になるが、
磁器の生産が盛んになり、需要が押されぎみ
だった陶器製品だが・・
佐賀県武雄付近を中心に数多く生産されていた
唐津陶は、装飾に工夫を重ね、二彩の唐津が
生まれた。
その販路が海外へも向けられていた事は、
陶器愛好家としては、嬉しい事でもある。
手持ちの刷毛目陶片の中から、似たように
鉄釉を施した陶片を探し出してみた。
これらも間違いなく海外渡航予備軍でした
以上の二点は装飾の技法には共通する部分が
みられるが、鉄釉を用いての線描きでは無い
padaさんが紹介していたバンテン出土の
陶片に施されている鉄釉は線描きのように
見えることから、
森川店の古窯訪ねある記の資料から、次の
ような窯跡資料を出してみた。
伊万里市大川町に立川地域があり、ここからは
相知町を経て唐津港まで比較的近い距離にある
かなり以前に訪ねた地域なので、当時と周辺の
様子は変わっている事と思う
作られています。
この窯は、西本谷窯(にしほんだに)と呼ばれ
ましたが、別名で立川窯(たつがわ)の名称も
有ります。
椎ノ峰窯の陶工だった「小松栄八」という
人物が享保の頃、移り住んで窯を開いたと
記録されており、明和五年まで操業して
いたそうです。
刷毛目の上から鉄絵を描いている大鉢
特に、下段中央の櫛刷毛目に鉄絵の陶片は
バンテン図録掲載の陶片とよく似ている
鉄釉の流し掛けや柄杓掛けの製品は至る所
にて見る事が出来るが、鉄絵を描いている
ものは、椎の峰窯と此処の窯だけではない
かと考える
多分、図録掲載陶片は、此処の製品だった
のではと思える
櫛刷毛目に鉄釉で線描きしているが、
鉄釉の発色がうまく出ず、黄茶のような
色にあがっている
おまけ記事
この西本谷窯では櫛刷毛目の茶碗なども
焼かれており、
小峠窯の刷毛目茶碗とされている製品には
此処の茶碗が紛れているのを見掛ける
左側・・西本谷窯・櫛刷毛目茶碗
右側・・小峠窯(武雄市)櫛刷毛目皿
(手直に、この皿が有った)
更にもうひとつ、
左側・・西本谷窯・半磁器染付茶碗
右側・・木原窯(佐世保市)半磁器染付茶碗
こちらも、相当に木原茶碗として紛れています
こちらも、おまけの画像
図録掲載の荒磯文に似たような陶片を
出してみました
長崎県波佐見町 辺後ノ谷窯(へごのたに)
(17世紀中〜末)
さらに、おまけの画像
図録掲載とよく似たのを選んでみました
板ノ川内窯ノ辻窯・輪花染付皿欠片
(17世紀前期)
今日はpadaさんの記事に触発されて
似たような陶片を探し出して書いてみた。
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森川天さん
まさに古陶の資料館なみいやそれ以上ですね。
ひとつの陶片から派生してつぎつぎと広がり
を見せる。
貴重な資料を拝見致しました。
ナイスです。
[ ことじ ]
2015/7/10(金) 午後 9:21
森川天様へ
Pada様やnazonazo様にこの辺りをご紹介頂いたのですよね。二彩唐津ですか。そして櫛刷毛目ですか。私はこれが良いなあと思います。半磁器となるともう直ぐ古伊万里に近づく。そして波佐見ですか。これを見ると私は即くらわんかと単純に思ってしまうのですが。かなり時代が古いのですね。そして最後の映像なると初期伊万里かなと勝手に感じるのですが。これは私の思いです(笑)。お許し下さい。ナイスです。有難うございます。
2015/7/10(金) 午後 9:34
すごい御研究です。資料採集、現地調査。
好い物を拝見、勉強させていただきました。
有難うございました。
2015/7/10(金) 午後 11:16
アユタヤで拾って来た陶片の故郷がこちらだったんですね。 ここか作陶され、海を渡ってタイへ! 凄いなぁ〜〜〜〜 僕の陶片は西本谷窯? それとも、木原窯のどちらなんでしょうか???
2015/7/11(土) 午後 8:25
イヤー素晴らしいです。
これそっくり、本に使えますね。
肥前陶磁器の海のシルクロードと言うタイトルにしてアユタヤから
バンテンまで追っていくんです。
海を渡った古伊万里の磁器を扱った、記事は時々目にしますが、唐津の方はまず無いと思います?
有る人のジャカルタの記事で、「ジャランスラバヤ(有名な骨董街)を冷やかしながら歩いていた、これも偽物、あれも偽物と言った感じです(笑)
所が、目の前に唐津が飛び込んで来るんです。まさかと思って目を
擦ったが〜やっぱり刷毛目の古唐津...と続くわけです。
アユタヤは周りに一杯〜古窯があると思うのに何故〜唐津?
その理由は〜大きな皿が無かったからだと言う見解も有るみたいです。
アユタヤもバンテンラーマ(ジャカルタ以前は此処)当時の国際貿易港でした。
ネシアは昔から陶磁器は海外調達でしたので、アユタヤからも随分と陶磁器がやってきたはずです。
大皿は、タイでは作ってないので肥前陶磁器に頼ったのかも知れませんね?
[ pada ]
2015/7/12(日) 午前 7:15
窯ノ辻窯 輪花染付皿欠片〜これを持っていたと言うことに
感激です。
バンテンラーマの発掘はNPOが入り込んで大々的にやってます。
この小さな陶片を見つけた時の、感激は〜成程と伝わってくる物が
ありました。
時代はオランダのVOC以前の話に成るとか?たぶん中国船が運んだんだろうと言うことでした。
此処の発掘品は中国製が8割を占めるんですが、その様な時代に
初期伊万里が飛び出て来るんですからね。
これはホントお宝です(笑)
[ pada ]
2015/7/12(日) 午前 7:25
凄い資料ですね!
出土した窯がはっきりとした陶片は貴重ですね!
今では、もう、個人では所有出来ないですものね!
ナイス!
[ Dr.K ]
2015/7/12(日) 午前 10:05
> ことじさん
肥前陶片馬鹿ですが、製品以上に背景が気になり
開窯の年代や流通に関心がいってしまいます
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 7:47
> 不あがりさん
二彩唐津とは、後期の唐津陶の代表的製品で、磁器製品の
生産が本格的に商業ベースに乗る頃は、陶器窯は次々と
廃窯になりました。
しかし一部の窯場では、需要が無くなった唐津陶に意匠を
凝らし、磁器製品に対抗したのです。
磁器を生産する為の材料が調達出来ない窯場では、磁器の
生産に切り替えられない事情から生まれた製品です。
なので、たくましく、ダイナミックで力強い意匠が多く
感じるのは森川天だけでしょうか。
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 8:11
> 閑寂庵主人さん
いや、お恥ずかしい、この程度のものです
閑寂庵さんのハイレベルな蒐集の品にはコメントする知識が
無く、失礼ばかりです。
肥前の窯跡まで、2時間圏内なので現地訪問がその気に
なれば出来るわけで、利便性も手伝っての事です。
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 8:24
> アジアの骨董2さん
nazonazoさんが紹介下さった刷毛目に鉄釉の陶片は
櫛刷毛目に鉄釉の流し掛けを施した大皿のようです。
土味・胎土目重ね焼・高台作りの特徴から見ると
画像1番目の、武雄市北部に位置する「川古窯の谷新窯」
(かわごかまのたにしんがま)か、その周辺の窯場製品と
思われます。
近年は武雄にて生産された唐津陶を指して「古武雄」と
呼ぶ運動が定着しつつあります
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 8:37
> padaさん
海を渡った陶器製品について綴られた書籍は少ないですか。
案外と有りそうな気もするのですが、言われてみると
森川天も持っていないようですね。
なるほど、タイでは大皿の生産が無かったのですか
納得出来ますね、土の耐火度や焼成温度あたりにもその
原因が有ったかも知れませんね
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 8:54
> padaさん
この輪花染付皿の小片は何度捨てようかなんて思った事か
あまりにも小さ過ぎて、資料価値が無いものですが
何となく、他の資料の隙間で生き延びていました
よもや、お披露目の場があろうとは(泪泪)
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 9:02
> Dr.Kさん
西本谷窯の陶片は所有する人はマニア簡でも極めて
少ないと思いますが、その他に紹介した陶片は以外と
出回っています。
好きな陶磁器が手元に来た時、それについては全てを
知りたいと考えるのは誰しも同じで、追求していくうちに
のめり込んでしまいます。
[ 森川天 ]
2015/7/12(日) 午後 9:12
> 森川天さん
ご解説いただき、ありがとうございます。日本の古陶ってあまり良く解ってないので、今回、これをきっかけにちょっと勉強してみようかと思いました。 失礼ながら、トラバさせてもらいますね。
2015/7/12(日) 午後 10:57
> アジアの骨董2さん
本来、木製塗碗しか存在しなかった日本の食器類
ですが、唐物陶器や磁器技術が流入し、発達した
わけですね。
高品質に成長したそれらは後世には生誕の地へも
届けられるようになり、重宝された。
それらは、命を全うして廃棄されていても、流通の
資料として再度日本へ戻る。
実に面白いでしょう。
[ 森川天 ]
2015/7/13(月) 午前 7:28
唐津は窯を特定するものとなっていますが、実際の判別はそう簡単ではないのでしょうね・・・
しかしそれが楽しみでもありますね・・
[ 夢想miraishouta ]
2015/7/15(水) 午前 5:13
> 夢想miraishoutaさん
志野と唐津は窯にこだわりますねぇ
唐津の場合では、売り手にしてみると
何でもかんでも岸岳系と言いたくなる
ようですね。
[ 森川天 ]
2015/7/15(水) 午後 10:47
バンテン出土の陶片のルーツをさぐる
まるで謎解きのようで、おもしろいですね。
たくさんの知識がないとできません。
さすが森川天さんです。
海をわたる陶磁器にはロマンを感じます。
妹家族がジャカルタにいたときにバンテンに行きましたが、
ブラックマジックの話とかボーッと聞いていました。
もっと、しっかり下をみておけばよかった。
でも、何がなにかわからないから無駄だったでしょう(笑)
☆
2016/8/24(水) 午前 2:41
> 佑果さん
たまたま、手元に資料があった事と生産していた窯跡を
訪ねたことが有って、それについても調べた経緯がある事
から、ブログ友の記事に反応出来ました。
海を渡った日本製品はたくさん有りますが、生産地の能力は
生産のみで、海外消費地の需要に応じて、これらを調達した
東インド会社の能力が凄かったわけですね。
[ 森川天 ]
2016/8/24(水) 午前 7:05