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森川天は真鍮や銅で造られた道具も好きで
以前にも何度か記事にしたことが有った。
特に職人の手により使い込まれた道具達には
焼きものの、それと同じような味わいを感じる。
今回の真鍮道具も職人の道具として永い間使い
込まれたものです。
森川天が、駆け出しの頃からのお客様でしたが、
近年亡くなられて以後、倉庫内はそのままの状態
でした。
本業の工事で訪問した際に、主の居なくなった道具
を少し頂いてきました。
さてさて、今回の問題です。
下の丸い碗形の真鍮は何職人が、どのように使って
いた道具でしょう。
正面から
側面から
裏側の様子
昭和の頃には、これを使って作業している光景を
何処でも見掛けたものですが、近年は機械化が進み、
あまり使っている場面に遭遇する事も無いようです。
では、ヒントです。
下の道具も一緒に頂いてきました。
もう判りましたね。
今でも部分的な仕事をする時には必要な道具のようです。
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昭和の話
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店内でPC作業している後ろの壁に掛けてある時計
ボーンボーンとうるさく急き立てていたのが、
静かになったのは、いつ頃だったか。
時間が遅れがちになった頃から、振り子調整でごまかして
いたけど、ここ数ヶ月は黙り込んでしまった。
業務多忙だったのかな?、そう思えないけど・・
オーバーホールやる気が乗らないまま別のクオーツ時計を
下げていた。
そんな矢先・・・
日頃、訪問して古時計メカの事やメンテ手順などを勉強
させて頂いているブログ友が同手の古時計のメンテナンス
作業の工程記事を投稿された。
ブログ友.路地裏の骨董カフェ.donsukeさんの記事
↓
で、しばらく眺めていたが・・・
触発されて、よしやるかって壁から外した。
明治期の北出時計で10数年前にジャンク入手したもの。
状態は欠品だらけの動かないもので、安く手に入ったもの
だったように記憶する。
文字盤は紙製が重ねてあったが、擦れ破損が酷く
外して下面のオリジナル文字盤に戻し、その殆どが剥げて
いた、振り子室ガラスに描かれた金彩装飾は全部剥がして
スッキリ。
元より完全な状態まで復元する気も無く欠品してる部分は
手元にある適当なものを取り付けて、それらしく。
で、
ブログ友donsukeさんがネット上にアップされていた
北出時計のラベルを紹介されている。
↓ ネット拝借の北出時計「日の出」ラベル画像 こちらはブログ友donsukeさんが記事中でアップされて
いる、ご自身所有の北出時計「日の出」トレードマーク表示
が無いラベル。
OSAKA.の文字は「S」が裏返しになっている
それで今日主題の時計は
森川天の北出時計のラベルだが、同じタイプの旧ラベルで
「日の出」マーク無し「S」文字は裏返しになっている。
ラベルに重ねて貼られているシールは販売店のものか
文字は右から左方向配列なので古い時代のシールに見える
下側に大きく書いた店名は「店商川〇」と読める 背板に貼ってあるシールは大部分が剥げているが
CLOCK.FACTORYが読める
北原町西1丁 中川商店の文字とスタンプは修理店か
現代の文字配列と同じ事から思うに、たぶん戦後に
なってからの修理であろうと思える。
メカは油が固まってきており、洗浄が必要だけど
精度はそれほど気にならないので、簡単洗浄で済ます。
メカを箱から出して、どこまで手を掛けるか様子をみる。
こちらはブログ友donsukeさんの北出時計の刻印
FACTORY文字の「F」は標準文字で刻印されている。
北出時計が時計の製造を始めた頃の製品との事で
「日の出」をトレードマークに登録後は「F」文字の
上線が欠けているとの解説あり。
こちらは森川店の北出時計メカの刻印でFACTORY文字の
「F」は上線が欠けている。
ブログ友の説明によれば、これが明治27年に「日の出」を
トレードマークとして意匠登録した後の製品になるようだと。
なるほど・・・
箱に貼られたラベルは登録以前の旧タイプ。
時計文字盤と機械本体は登録後の仕様という事になる。
では、この状態は何を意味するものかって、
森川天は推測してみた。
森川天の本業である家電品小売業も、昭和の前半頃までは
〇〇ラジヲ店などの屋号が多く、時計店なども同様の販売
形態だったように思う。
この頃の小型機械や電気製品などの小売業は製品の種類
にもよるが、製造会社からはブロック組立品や部品単位で
半完成品で仕入れ、注文を受けてから組み立て販売されて
いた。
「店商川〇」・・・北出時計がトレードマークを登録した
後も旧ラベルを貼った箱を在庫していたなって・・・
推測通りであったとすれば、これはこれで面白いものかな。
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数日前から報道にて知っていたが
明日、17日は午前8時より交通規制が敷かれる
森川天は実家へ毎日通っていて、実家へは
この道路が主要であるが、明日は迂回する事になる。
実家と三菱重工長崎造船所との距離は200m足らずで
あるが、今回の不発弾発見場所の建屋跡とは700mほど
離れているので、強制避難区域外となり、ひと安心。
数年前に発見された500㎏爆弾は実家まで300mほど
だったので、避難を強いられた経験がある。
NBC長崎放送の報道番組より、アップされていた
動画を転載していたが、削除されていた。
急な思い付き投稿で、資料が無かったけど・・・
YouTubeにアップされていたので拝借した。
1941年12月8日午前1時30分(日本時間)に
発信された
「ニイタカヤマノボレ、 トラ・トラ・トラ」
の開戦から76年、終戦後72年が経過するも・・・
未だ、戦後処理は終わらない。
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森川天の店内にて活用している絣の
タペストリーがある。
もう3年以上前の話になるかな
永いお付き合いになる奥殿のご友人は
森川天は藍染が好きだって言っていたのを
聞いていたんだと思う。
ご自宅を本業の用で訪問した際・・
実は、亡き母が紡んだ藍染の絣がある
少しなら差しあげられるけど、如何って。
そんな大切な形見の布
頂いてもいいのかなぁって躊躇いながらも
喜んで頂きますって・・・
やっぱり言ってしまった。
嬉しい限りで3尺ほど切って下さった。
しばらくは大事に仕舞っていたけど・・・
これでは死蔵になるって思い、細い竹を
通してタペストリーに仕立てたんだ。
随分と器用な、お母上だったようで・・
専用の織り機でも持っていたのかなぁ。
布の上に置いてみたのは、過去にも一度取り上げた
ことのある呼続の青磁碗です。
ぶち割れの陶片ですが、波佐見青磁の
最高峰とされる三股青磁古窯の初期青磁です
呼続の部分も初期伊万里染付片で
継いでいます。
かなり面白い作品に仕上がっています。
で
タペストリーはどうなっているかって・・
店内にて壁のボロ隠しに活躍させて頂いてます。
下側
この花台の下には店舗用のガスメーター器が
露出設置してあるんだよね。
なので、棚板作って目隠ししているんだ。
友人の母が織った絣の紹介でした。
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