ここから本文です
森川天
ブログサービスの終了まで更新続けます

書庫肥前古陶磁

肥前(長崎・佐賀)の古いやきものなどの話です
記事検索
検索

全19ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

山瀬・縮緬皴の話



最近当ブログにて交流があるブロ友さんから相談がありまして
これって、どうなんでしょうとの相談が寄せられました。

森川天は自宅で使っていたパソコンは昨年暮れに使えなくなり
処分したので、今朝スマホでブログ確認していると相談の記事
が限定公開となってあった。

画像を観ると素地の窪み部分は、やや黄赤っぽく見える分から
フッ化水素を使っているように見えたので・・・あ〜って、
思ったんだね

それで、店に来てから改めてパソコン画像を観ると、それほど
窪みのシワ中は黄赤く見えなかった。
ディスプレイが変わると画像の色合いもかなり違って見えるもんだ。

だけどパソコンの大きな画面で視ると、製品の状態がよく判る。
相談の製品の画像使って記事書いても良いでしょうかと返事して
早速、記事アップの準備にかかった。

この山瀬盃は、まだブロ友さんの所有ではないそうなので
現所有者に配慮して全体像が判らないように部分拡大し画像補正
してアップしている

イメージ 8
(画像はシワの状態を見易くする為、補正している)

触れ込みは山瀬窯発掘盃とのことで、無傷の状態。


▪土は間違いなく山瀬の土。
▪藁灰釉もよく再現されている。
▪成形も端反りで窯の特徴がよく出ている
▪釉際に出るアクも本歌と全く違わない。

でわ、ド〜コガァ チガウノ・・・・かって。


山瀬っていえば、縮緬皴(ちりめんじわ)と云われる
ほど、高台削り痕のシワが有名なんだよね。

そのシワの話をしよう
たぶん天正(1580前後)の前後頃だと思うけど朝鮮から
伝わった施釉陶器の焼造技術に伴い、蹴ロクロも持ち込まれた。
蹴ロクロの使用は、国内では肥前地方の窯場のみであったようだ。

肥前の窯場にて盛んに用いられた蹴ロクロは殆どの場合、右足で
向側に蹴り出していたので、反時計廻りの左回転となる事が多い。

 ※他の窯場にて、右廻りに回転して造られた製品の陶片も
  僅かではあるが、確認されるので全てとは云えないが・・・



これは山瀬茶碗の高台画像になるが、高台内のヘラ削りで
出来るシワ(亀裂)の方向を見てほしい。
ロクロが左廻りするために高台内の削り痕は右方向に向かって
逆剥けしたようにシワ(亀裂)が出来る。
これが、蹴ロクロ左回転の状態なんだね。
イメージ 1
既出の茶碗、山瀬上窯・口径115・高60 


イメージ 2
同じく皿・山瀬上窯・口径115・高34


イメージ 3
同じく小杯・山瀬上窯・口径62・高35


イメージ 4
こちらは極僅かに所有する、山瀬下窯の茶碗資料陶片


イメージ 5
山瀬上窯の茶碗陶片・茶陶を意識したような高台


イメージ 6
山瀬上窯の小皿陶片・この皿のあがりが相談を受けた品と
よく似ている。


イメージ 7
上2点の高台を比較すると・・
茶碗と皿との違いはあるものの、これが同じ窯で焼かれた
製品なのかと思うほど、高台造りの違いに驚かされる。


結論・・・山瀬に限らず、古唐津を焼成していた窯場では
     殆どと云えるほど左回転になるよう蹴ロクロを
     使っており、削り痕のシワは右側方向に向かって
     逆剥けの状態になっている。
     朝鮮の作陶技術に於いては、これが習慣だった
     のではと、思っている。

相談を受けた盃は右回転のロクロにて高台を削っており、
削り痕のシワ(亀裂)が左側に向かって逆剥け状態になって
いるのが判ると思う。
この事が、森川天が現代作かなと思った根拠になる。

現代の電動ロクロは右回転、左回転は自由に切り替えられるが
作陶の際には、細部まで完全に写すという意識が無い限り、
陶芸作家は習慣的に日常使っているロクロ回転方向にて作陶する
と思ったからです。

真面目な作品であっても、業者の手により、発掘品風に色付け
されて市場に出て来たりします。
なので、より注意深い観察が求められますね。

でわ・・・また。                
     



・・・・追記しました・・・・・



<  ロクロの左回転で高台を削るとシワは右方向に向かって
逆剥けの状態に  >、、、、、、、って。


実物で確認しないと、どのような状態なのか頭がコンガラカッテ・・・
のご意見が寄せられました。

森川天も自分で書きながら・・・
んん〜と、コッチが、こうだからコッチは、こう回転するんだって・・
になるもんねぇ。



でわって、
高台の画像だけでは判り難そうだったので絵を描いてみた。

イメージ 9



図をどう描けば判り易いかなって、考えながら
自分なりに書いてみたけど、どうだろう。






無釉高台の初期青磁碗



少し前の事になるが、ブログ記事にて紹介されていた
初期伊万里陶片の断面が土色に焼き上がっている事に
話題が集中した事があった。


陶土を混合してない磁器土であっても、登り窯焼成時の
焼成温度や窯焚きしている時の天候、また窯詰めした位置
の火当たり状態など様々な要因で土色、いわゆる赤あがりに
なる磁器もある。
今回は、そんな赤あがりの青磁碗を紹介する。


イメージ 1


この青磁碗は寛永〜慶安初(1630~1640)頃の製品になり
西有田の掛ノ谷窯(柿ノ谷とも)の初期青磁碗で見込みに
簡略された菊花文の染付を施してあるが残念ながら、
この碗には窯疵があり、見込みが荒れている。

イメージ 2



高台無釉部分は、あたかも陶器のように見えるが
陶土を混入せず、磁石から精製された磁器土のみで
成形された青磁であるが僅かな焼成温度の不足から、
このように陶器のようにも見える、焼あがりとなって
しまう。
イメージ 3




イメージ 4



陶器のように見えてしまう
イメージ 5



掛ノ谷窯は大外山に属し、操業後期の1650年頃は主に皿類の
生産が多くなってくる。
その成形や焼成技法に於いては初期の磁器に分類されているが
有田内山では、この頃は既に素焼きの後に染付など装飾を施した
いわゆる古伊万里の生産も始まっていた頃になる。


赤あがりの素地が観られる磁器の紹介でした。








名誉の為に…


ネットにアップされていた陶片をブログに再掲載して
生産地・時代を問うた問題に読者が湧いた。

本物・偽物・情報不足で判断しかねる、など
コメント多数だったし、内緒コメもたくさん寄せられたようで、
コメントした回答が正解だったのか、結果待ちのドキドキ感が
楽しくて、とも・・・


     この2個の鷺図陶片がテーマだった
          ↓
イメージ 1

padaさん出題のブログ記事での解答編
       ↓


何と解答の結果は女性陶芸作家さんによる古陶磁の再現。
いわゆる古陶レプリカの作品であった。

作家さん談によると・・・
販売すれば贋作となる事は十分承知している事であり、
あくまで古陶の再現を試みたものであり、販売を目的とする
ものでは無い、との事がブログ上にて説明されていた。


森川天も、もともと知り合いの陶芸作家さんである
伊藤明美さんは、屋号を「うつわや」さんといい、福岡県の
田川市にて作陶活動をされている。


伊藤さんに関しては、奇しくも時期を同じくして、お二方が
ブログに取り上げられた事になる。


こちらも、森川天のブログにコメント頂いたり、書き込ませて
頂いたりと、交流のあるブログ友のhizuさんです。

hizuさんのブログ
     ↓


伊藤さんは佐賀県唐津市の「古唐津研究会」にも所属し、
古陶磁の研究や古窯跡の探訪、また荒らされた古窯跡を
埋め戻す作業のボランティア活動などにも協力を惜しまない
活動的な陶芸作家さんです。

森川天及びhizuさん何れとも、伊藤明美さんとは岸岳庵さんを
通じての知り合いになります。

鷺図のレプリカ陶片の製作については、森川天は作品の存在を
知らなかったので、padaさん出題の「この陶片どう見る」旨の
回答としてコメント欄には内緒コメントにもせず、贋作である
と書き込んでしまい・・・
後になって、もう少し言葉を選べば良かったかな、何て思った
のでした。



それで、
伊藤さんの名誉の為にも、伊藤さんが本業の傍らの活動
にて製作に関わった古高取を特集した図録集などに貢献
されていた実績など紹介したいと思います。
また、森川天が直接頂いた伊藤さん製作の品を紹介します。



イメージ 2

イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5


名品画像が数多く収められている素晴らしい図録
仕上がっている。
hizu さんの購入された画像を拝見すると、第2集も
あるようだ。



数年前に頂いた、伊藤明美さん製作の「狂言袴湯呑」
森川天は店内にて日々使っており、とても重宝している
湯呑碗だ。

イメージ 10


イメージ 11

見込み内にも象嵌の輪線が巡らせてある
イメージ 7

古陶磁愛好家らしく、高台畳付には砂目積みが観られ
雰囲気を出している
イメージ 6





また・・・
鷺図陶片が陶器を思わせるような土色のあがりだった
ことについて、古典に基づいて製作されたのであれば
それは当然磁器でなければ意味が無いもので・・・

百間窯の陶胎染付も有名ではあるが、皿に至っては見た
事が無い。
しかしながら、磁器であるのに露胎部分が陶器のように
あがった製品も観られることから伊藤さんも、そんな
あがりを試みたのではと推測した。


また、
鷺図陶片の話題初期に取り上げられたオークションサイトの
「青磁鷺図染付陶片」については誰一人、これって陶器では
との声は上がらなかった。
染付の部分ばかりに目が行き、素地に対する疑問は生じ得な
かったのかが、森川天には不思議に思えていた。

 
話題の初めに取り上げられた「初期青磁鷺図」
森川天は陶片自体は古唐津なのかと思った。                              
イメージ 9
イメージ 8

















                                   


            追記です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


hizuさんが、ご本人の伊藤明美さんと連絡を取って
下さいました。

伊藤明美さんのメッセージを公開させて頂きます。

面白く拝見しました!
あの陶片は私が作ったものではありません。(鷺図陶片①②の事)
自作の断面は白いです!        (及びネット上の類似陶片)
断面が土色なのは、焼成温度が低いか
(焼成温度高くなると白くなる場合もある)
あの色は土よりに近い磁器だからでしょうか。
他にも窯の中で割れて断面に緋色が出て赤くなる
場合もあります。
お知らせいただけ感謝です!


hizuさん、伊藤さん、ありがとうございました。






銘 微 妙



たまにオークションサイト覗くと
面白そうなの見つかるね。


似たような銘が有ったので比較してみた。
肥前亀山焼の銘一覧の1部から・・・
イメージ 1




手持ち資料からのアップ。
比較的早い時代に纏められた古陶磁の銘ばかりを集めた
信頼度の高い本で、インターネットが普及する以前は
プロにとってもバイブル的存在の本でした。

右ページの一番上の銘を、ズームアップしてみた
イメージ 2


            
              追加
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆さん盛んにオークションサイトをウオッチしているの
かなって思っていたので、今回のブログアップ意図も省略
していたけど、どうも伝わらなかったようで画像を追加した。


で、こちらはオークションサイトから拾ってきた亀山焼の銘
になるが、↑との違いを探してね。
イメージ 3



長崎は大村藩の管轄下にあったが、現在の市内にあたる
地域は天領だった事もあり、藩窯とは違いますが亀山焼は
東インド会社向け容器製造の取引を前提として長崎奉行の
肝入りで築かれた窯で、後に一般磁器製品の焼造も行った。

長崎奉行の威信もあり、原料及び顔料、呉須に至っても
品質の高さを誇り、製品の格は高いもので、甘手などの
存在は見た事が無い。
通常は中央に銘を入れる為、針目(支え)を中央に置くことは
無い。

呉須を用いて釉下染付を後から施すのも困難な事では無い。







一、 
    矢上へ焼物土有之付而、焼物被指免被下度よし、
  左御座候得者、在所之勝手に相成候霊落之所に
  御座候條、如願被付度旨、訴状差出候付而、
  今日相澄、於會所園田清左衛門へ、伊香賀右衛門殿、
  太田十助殿被相渡候書付
 
豊前殿
  私領諫早矢上百姓、焼物、土見出申候付而、擂鉢、土鉢之類、
  彼在所に而作り立申度之旨、訴訟之通、被遂被露候し處に、
  如願、被仰出候條、向後、右擂鉢、土鉢之類之外、作立不申様       稠敷被仰付、手形等可取置候、以上


この文書は諫早藩の日記で「日新記」または「諫早日記」と
呼ばれ、延宝4年(1676)~慶応4年(1868)までの記録が残され
ている。

矢上の現川村で焼物に向く土が見つかり、焼物作りの許可を
願い出ていた件については・・
日常使用の擂鉢・土鉢類の生産を許可るとした旨の記録である。


佐賀藩支藩の諫早家は元々は竜造寺家と云い鍋島家とは親類
同格の身分であったが、二代当主の頃(天正年間)諫早に改性
したとされ、同時に鍋島家の配下として位置付けられた。


日新記によれば、
諫早家の被官であった田中刑部佐衛門が佐賀藩領の有田駐在
していたが、跡目を長男に譲って職を退いた後の元禄4年(1691)
諫早領.現川に移り住んで窯を築き、陶器を焼いた。


と・・・
どのような資料を観るも、全て同じ内容で紹介されている。
云わば研究内容の出所が限られているので、同じ内容が引用
されているようである。



引用の元になっている書籍がある
「現川焼の研究」正林陶城・著  無茶法師・題字
昭和15年・學藝書院・発行

無茶法師とは川喜多半泥子とある
イメージ 1

諫早家日記「日新記」
原本は長崎県立図書館・蔵
イメージ 2


イメージ 6


イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5

2.鬼木上窯
3.鬼木下窯とあるが、現在は発掘調査の結果、上下は
1基の登り窯であった事が判明している。


現川焼を紹介している文章を観ると、簡単な要点のみを
説明している為、何で突然発祥して突然消滅していったのか
疑問を投げ掛けられる事が多々ある。

西の仁清とさえ表現され、精緻な素描と大胆な意匠で既に
現川焼として完成の域に達している製品がいきなり生まれた
とは到底考えられない。
普通は年月を掛けて完成の域に達するものと思う。

ではどうして、突然と云ってよいほどの短期間で現川が生まれ
たのか。

著者の「正林陶城」師が説明している
諫早家の「被官」田中刑部左衛門は有田に駐在していた。
 ※「被官」って何・・・主に守護を目的として携わる者を指す
   ようであるが、家臣とは少し違うようにあり、地侍や百姓
   から取り上げる場合もあるとの事で刑部左衛門は焼物被官
   とある。

鍋島家と諫早家は親類筋という事もあり、藩の庇護を受けていた
「酒井田柿右衛門窯」に田中刑部左衛門は役目上、出入りして
していたようで、実際に役職を退き、跡目を長男に継がせる事と
なる3年前から息子達を柿右衛門窯にて修行させていた記録が
酒井田家の古文書に残されている。
          (元禄元年(1688)第5代柿右衛門の頃)


田中刑部左衛門は焼物被官という役目上、呉須や釉薬など調達
の目的で有田〜長崎間を度々往復したものであろう。
その途中に諫早領現川の地を何度も訪れるうち、焼物に向く
を発見したものと推測される。

田中刑部左衛門は発見した焼物土と似たような土を使って製陶
している武雄南部に位置する庭木山.白木原一ノ窯あたりの窯場
にて試し焼きをしたものと推測される。
武雄藩には諫早藩から姫を二人嫁がせていて交流も深かったと
ある。
この窯跡からは現川と全く同じに見える陶片も見つかっており
金原京一(陶片)氏の発掘鑑定によるとの事。

佐世保の木原皿山の刷毛目が影響を与えたと説かれることも
あるが・・・
松浦系の椎ノ峰窯で起きた事件(借金踏み倒し事件)
の処分で所払い追放になった陶工一人が三川内の杉林窯に入り、
刷毛目製品を焼いたとあり(元禄13年)その後、木原山窯も
杉林窯の影響を受け刷毛目を焼いたとされ、同じような刷毛目
に見えるが、双方の刷毛目は何ら関係が無いと説明している。


こうして田中刑部左衛門は密かに焼物土が適しているかの製品
作りの構想及び成形技術の習得と、準備を整えてしまった。

問題は退職して隠居した個人に佐賀藩が焼物窯の開窯と販売許可
与えるか否かが最大の問題であったようだったが・・・

田中刑部左衛門の賢いところは、現川の焼物土を自分で発見した
と届けず、百姓が発見したので、農作物の不作により年貢の納め
も儘ならないほど困窮している現川村を救う為にも焼物生産の
許可を頂けないものか、と願い出た。
焼物経験の無い百姓に焼物に向く土と判断出来るはずも無いと
思えるが、その事については説明を求められなかったようである。

藩は有田の磁器製品に影響を与えない程度の雑器類であれば
許可するとした。


こうして現川焼は誕生したわけだが、精魂込めて作り上げる
現川の製品であったが、時は庶民の間にも「白い焼きもの」
即ち伊万里焼の磁器がもてはやされるようになり、黒い陶器
の器は造りがどうであろうと、下手物扱いとされたとある。


正林陶城師の研究においては、現川焼の終焉時期については
定かでは無いとされていたが、
その後の研究にて、民間の歴史研究家.織田氏による日新記の
読解きにより文化2年の記録に「先年の陶器山は延享の頃に
不景気となって、寛延2年(1749)頃にはすでに現川窯は無く
なっていたとの記事が発見されたそうです。

元文3年(1739)3代.田中刑部左衛門 歿す


正林陶城 「顧みて」
  重ねて申し延べやう。
  之は現川焼研究の踏石に過ぎない事を。

            ムギミノル
    陶片のまじる畑や麥實る  (陶丈)






全19ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

検索 検索
森川天
森川天
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

Yahoo!からのお知らせ

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン

みんなの更新記事