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熊野の里巡り2・古座川の風景の中に!!
熊野の里巡り
乗り換え紀伊田辺駅
青春切符の旅
[ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
2012/6/22(金) 午前 6:43
紀伊山地の中央構造線付近に分布する丹生神の信仰は、朱(水銀)の産出と関係するとされますが、奈良時代以降、実際に水銀が産出していたのは、伊勢国です。
伊勢国産出の水銀は、国内の他の地域産出の水銀とともに、中国などへ輸出されていました。
また、熊野三山付近や紀州も平安時代から鉱山が栄えていました。
清姫と熊野三山との関係については”「清弘」は、真砂庄司の元祖(第一代)として本宮大社の禰宜職となりました。
以後、二代目を「清治」が継ぎ、三代目「清重」の時、田辺の中辺路の真砂(磨那期・まなご)の地に荘園主として移り住んみました。
清姫は、真砂の庄司清重の子として、延喜年間(914)の頃に生まれた。
清姫は本宮大社に仕えていた人のお孫さんだったんですね。だから鉱山と関係が濃いですね。
熊野詣、熊野三山信仰、熊野三山信仰そして安珍清姫伝説の深層と鉱山から産出される金銀財宝は関係が濃いようです。
安珍が盗んだ鉱床秘図を取返しに鉱山棟梁の清姫は道成寺まで乗込みました。
歴史の深層と鉱山の富を考えながら”お伊勢さん〜熊野三山〜西国三十三ヵ所”を巡るのも良いですね
中辺路・栗栖川のささゆりの群生
熊野の里巡り
[ 環境歴史観光防災カメラマン ]
2012/6/5(火) 午後 9:21
清姫の里 田辺市中辺路町真砂
清姫が生まれたのが、真砂の里だ。富田川に突き出た高みに清姫の墓の板碑がある。
ここの真砂庄司の娘が清姫であった。真砂庄司は熊野八庄司の一人で、「南紀古士伝」は「真砂庄司は滝尻王子の庄司、栗須川の庄真砂村に代々居住す」と記している。
庄司は郡の公卿や寺社などの荘園の持ち主の代行をする管理者のことである。
この辺りには、清姫の墓だけではく、清姫の衣掛松、清姫の捻じ木の杉、清姫のぞき橋、清姫ヶ淵など清姫にまつわる遺跡がたくさんある。
真砂という地名は砂鉄を産出したことに由来するようである。神話の時代には、熊野は「鉄の国」と呼ばれていたこともあった。
鉱山を開いたのは、鉱物知識が豊富であった修験者である。真砂庄司が古くは「真砂の長者」と呼ばれたのは、この鉱物資源と関係があった。
安珍は清姫から鉱床秘図を盗んだ。
起こった清姫は採鉱民を従えて取り返しに行ったが採鉱民は敗れた。
その後、鉱山への課税が強化された。
これが、安珍清姫伝説の真実だと思う。
里恋箸・吉野川3・里恋箸の案内
吉野の里巡り
里恋箸を京都で広めようと
使ってくれる店
置いてくれる店を
探してみようと
思ってもみた
営業なんて
やったこともないから
一歩を踏み出すこともなく
ただ自分で買えるだけ買って
知り合いに配って終わった
吉野杉を
薄く削ってつくった
箸袋
貴重だと思った
やる価値はあると思った
思うだけで
踏み出せなかった
少しの後悔と
やっても同じだという思いと
やらなくてよかったという安堵感と
おそらく
やっても続かなかっただろう
そういう時代の流れだろう
流れを止めることも
変えることもできない
この世は
そんなことだらけだろう
そう思って何もしない方がかしこい
あえて流れに逆らわなくても
そう思えばそれだけの人生しかない
あえてチャレンジする
勇気あるものが
時代を変え
成功し栄光と名声を
得ることが出来るのだろう
何も出来ずにおわっても
それだけのものしか
持ち合わせてなかったということだから
それはそれでいい
すべては自分らしさの結果なのだから
観想詩ー週観・12/25〜12/31
観想詩1
熊野の里巡り1・豊田のじいちゃんの網かご
熊野の里巡り
小草の枯れるまで6・年の瀬音かろやかにと
2006里恋詩
[ 一郎 ]
2012/5/1(火) 午後 11:50




