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あなぐまの下町質屋ブログ
横浜の下町・弘明寺にある質屋のブログです。
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昔話をすると、なんかイヤですが、
私が父の後を継いで、この質屋業界に入ったのが30年前の昭和61年、
すぐに地元の横浜質屋協同組合の青年部に入部して、勉強会や懇親会に参加するとともに、この青年部の機関紙「若樹」の編集委員としてスカウトされました。

青年部自体は私が入部する10年前から活動していて、「若樹」も既に10年の歴史がありましたが、その歴史ある「若樹」の編集委員として組合の役員さんや重鎮、大先輩方に取材に行ったり、他県の質屋さんや、古物市場、宝石研究所、リサイクルショップなどにも取材させていただき、
業界の事情を勉強するとともに、県内外の質屋さんや市場主、宝石業界にも顔を知ってもらいました。何年か後に中央宝石研究所の社長さんに私の事を覚えていてくださったことは感動でした。

当時「若樹」は年4回の発行で、企画会議を行い、取材をし、原稿を集め、校正して印刷屋さんに渡す。出来上がってからの配布は組合経由で行いますが、広告主に配布とともに請求書を送り、代金回収を確認。これを年に4回やっていたわけです。

企画会議は編集委員のお宅にお邪魔して、皆さん仕事が終わってからなので夜の9時過ぎから夜遅くまで行い、
とはいえ、初めのうちはお茶やビールを飲みながら、古物の相場や、こんなお客さんが来た等、質屋同士の世間話から始まり、本題の次号の企画を立てるのは12時過ぎてから、だから終わるのは3時4時もあたりまえで、日の出を仰ぎながら帰ったことも何度もありました。

その「若樹」の初代編集長・藤井さんが昨年他界して、
先週の土曜日に藤井さんを偲ぶ会として、歴代の編集部員が集まって同窓会のような飲み会を横浜駅西口の「旬菜や くらち」で開催しました。

この若樹の編集委員の中では私が最年少、
いらした大先輩方は、当時は現役の青年部員でしたが、現在は還暦どころか喜寿、米寿をとおりこした皆さんですから、
この時も私が最年少。あたりまえですね、いつまで経っても私は若手のホープですから。

そういえば、私がこの業界に入ったころは、全員年上ばかりで親父と同じぐらいの年齢の方々ばかり、当時カタカナ職業がもてはやされ、自営業を継ぐ人等誰も居なかったためにスズキ自動車を辞めて質屋を継いだ私を珍しがったものです。
でも、楽だったな〜、みんな先輩で、優しく大切にしてくれたから、
そんなわけで、年上の方々とばかり飲みに行き、石原裕次郎なんか全て歌えるようになったのも大先輩の皆様のおかげです。

そんな思い出を語りながら、本題の藤井さんのお話になった頃にはラストオーダーの時間になり、皆さん全然変ってない、と思った楽しい夜でした。

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