『しあわせ工房森の天使』ありがとうの日記

それも愛、これも愛、すべてが愛。人は宇宙の愛を受け取るだけでいい

おじいちゃん

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母も尊敬する私のおじいちゃん。
母から聞かされた、おじいちゃんの歩みを公開します。
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ばあちゃんを見送る

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祖母の葬儀が終わった。
実はお通夜は数知れず出たが、
葬儀は、じいちゃん以来。
じいちゃんの時は確か中1くらいだったから、
あまり記憶が無い。
 
今回棺おけの祖母を見て、肉体がなくなることを目の当たりにした。
 
真っ白。
血の気が無いってこういうことなんだ。
 
きれいな紅をまとい、安らかな顔。
 
でも、『無』だった。
そこに意思は感じられない。
 
湧き上がる感謝と、愛しさと、止められない涙を感じながら、
自分は生きているとこを実感した。
 
生きているから感じる。
生きているから想い、行動する。
 
白いお布団をめくり、かたく組まれた手に触れた。
 
生前私が帰る時に、車のそばまで来て握手をしようと手を伸ばすばあちゃん。
ばあちゃん車に引かれちゃうよ〜
 
なんて、笑いながら手を振った。
 
きっとそれが最後だって分かっていたら、
ばあちゃんを抱きしめてもっともっと時間を大切に過ごしただろう。
 
今週の富良野行きで逢いに行けたらと思っていたけれど
間に合わなかった。
 
こんな風に、あの時こうしていれば・・・・
って思わないように、今日一日を大切に過ごしなさいと
臼井先生の五戒にあるんだよね。
 
ばあちゃんの頬に触れて、おでこを撫でて、
手に触れて言った。
 
 
ばあちゃんの学びの続きは、私たちにバトンタッチだよ。
 
 
見せてもらった全てを活かして、自分の魂を輝かせる、
幸せになる選択をしてゆく・・・・
 
ばあちゃんの胸に、私の大好きなひまわりを添えて、
私は誓いました。
 
ばあちゃんのどの部分も、全部私の人生に活かして行ける。
必要なところは自分に取り入れて、
嫌だなって思えることは、それと同じことをしなければ嫌な思いをしないで済むという
裏側を教えてくれた。
どれも、どんなことも手本として見せてくれた。
 
骨になったばあちゃんは本当に小さかった。
真っ白で、ただ真っ白な骨だけが、そこにあった。
 
ばあちゃんはひとまずこの人生を
『おしまい』
にした。
 
生きている私たちは生きている限り、
『続く・・・・』
 
今日やってしまった失敗も、成功させるチャンスがある。
今日傷つけた人にも謝るチャンスはある。
自分が納得するまで、
いくらでもチャンスがある。
 
生きているだけで、こんなに、こんなにやれることがあると言うのに、
 
もう先が無いとか、もう駄目だとか、
勝手に思い込んでは動けなくなったり、決め付けたり、
 
そんな風に人生過ごしたらもったいないよね。
 
 
私には幸運なことに、レイキを知ることが出来て
エッセンシャルオイルやカラーで更に、自分が生き易くなる術を知った。
 
きっと皆さんも、自分を助けてくれるもの、サポートしてくれるものが
身近にあったり、知るチャンスがあるはず。
 
 
人の死は、反対側にある生を実感させてくれる・・・・・
 
 
 
さぁ、今日からまた普段通りに、
おうちのことと、お仕事します
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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昨日ばあちゃんが#175に帰った。
ばあちゃんの誕生日は7月25日だから、#175
って、迷わず帰れたかなぁ・・・・最後は母さんがちゃんとレイキで見送ったから大丈夫だね。
 
多分90歳くらいかな。
 
時々登場するじいちゃんの奥さんがばあちゃん。
友引を挟むので、通夜は明日。駆けつけても何もすることがないので、
今日はまだ家にいて自分のやるべきことをしている。明日昼から息子と富良野に走ります。
 
電話をもらって夕方空を見たら、ばあちゃんが笑いながらこう言っている
声が聞こえた気がした。
 
『あら、私来ちゃったわ〜(笑)』
 
ばあちゃんは笑っている。
そう思えた。
 
そう、この日笑うためにそのまま、本音を隠さず生きていた。
・・・・だよね
 
人の死を以前とは違う捕らえ方をしている自分がいる。
もちろん、肉体が無くなったワケだからもう逢えないことは寂しいけれど、
意識だけでいつでも逢える気がしている。
 
子どもの頃、内孫より関わって来たこともあって、ここ最近は
本来関わるべく人たちを大切にして欲しいと思い、遊びに行くのも控えていた。
いつでも、意識で逢えると思っていたしね・・・・。
 
居なくなった寂しさよりも、ばあちゃんの魂はどのくらい輝くことが出来たかなぁ〜と思う。
 
最後を看取ったのは、一緒に暮らしている人たちではなくて、
偶然にも父と母になったらしい。
母はこの日に間に合う様にレイキマスターを学んだのかも知れないな・・・。
 
昨日母から電話が来て、
 
最後の最後までレイキが出来て良かった。
 
レイキの愛と調和と癒しの波動で送ることが出来て、
自分がやれることを全てやれたような気がする・・・・。
本当に良かったと、涙声で言っていた。
 
私も、本当に良かったね。
最後の最後に、お母さんと一緒だったということと、
レイキのお陰でばあちゃんの中の何かクリアー出来たんじゃないかな・・・・
と言った。
 
 
 
レイキを活用している沢山の方が、
最後の最後まで自分が出来ることがあることで、
納得して送ることが出来た喜びを感じている。
 
人以外にもペットだったり・・・・。
 
また最後にピース&カーミングのエッセンシャルオイルを使うことで、
ストレスフリーで旅立つことが出来るとも言われている。
 
どちらも、人は『触れる』ことで満足が出来るんだね。
 
考えてみたら、人は生まれたときも胎盤とへその緒で繋がっているんだもんね。
 
人間の自然な欲求は人と触れて安心することかも知れない。
ばあちゃんはいつも帰る時に握手を求めていたっけ・・・・。
 
ばぁちゃんは、じいちゃんとは正反対の性格だった。
下町育ちのお嬢が、北海道に開拓について来たんだから、想像はつきますけど(笑)
 
自由奔放な生き方を子供たちは許せない時もあったようです。
 
じいちゃんは、正義の味方タイプで、努力家で、
母はその姿を脳裏に焼き付けてお手本として生きていたんだろうなぁ。
 
だから、ついこの間まで苦労だらけの人生でした。
って、そんな母をお手本にしていた私も苦労だらけの人生だったけど(笑)
 
じいちゃんは、無理に無理を重ねた結果、長いこと入退院をくり返し、60歳も半ばで亡くなりました。
 
最後は欝状態になり、ボケたみたいになり、母の弟などには罵声を浴びせたり、
こんな風になったのはお前のせいだと罵り、酷く人を傷つけたようです。
 
そんなことを先日母から聞かせれて、こう言いました。
 
じいちゃんは努力家で、誠実で人に親切で素晴らしい人だったかも知れないけど、
その裏側にあったものが亡くなる寸前に顔を出したんだね。
本当のじいちゃんは、実は裏側。
人は戦争や、時代の流れには逆らうことは出来ないけれど、
それでも、どんな状況でもみんな選択しながら生きている。
だから選択の違いで、じいちゃんと同じにはならなかった人もいるんだよね。
 
私たちはそんなじいちゃんから学ぶために見せられ、聞かされている。
じいちゃんと同じにならない生き方を選択出来る自分になるのがテーマだよね。
 
例え、ボケちゃっても今までとは違う人に変身しちゃうような生き方をしない。
建前が無く、本音で納得して色んな人に、ものに感謝できていたら、
ボケても感謝したり、笑って過ごせるような気がするよね。
 
って言うか、本音と建前の誤差が無ければ
ストレスで炎症から病気へ発展しないしね・・・・(^◇^)
なんて、笑って話しておりました。
 
 
最近思う。
 
『仕方ない。』
って、あきらめたら、
エネルギーの循環が止まる気がする。
 
最近は、仕方ないと止まらずに、
行動することにしている。
 
やってみて、駄目だったら仕方ないと言うより、
納得してそこを離れられるから。
 
あきらめるんじゃなくて、『おしまい』にする。
 
じいちゃん、ばあちゃん、父や母の生き様を見せてもらえて、
それだけでもすっごいプレゼントだなぁ・・・・って思える。
 
ばあちゃんは可愛い人でした。
美人でした。
 
思ったままを表現する人でした。
 
ばあちゃんのそういうところは私のお手本です。
 
 
お祭り大好き下町育ち。
 
母が来てくれなかった幼稚園の遠足で行った旭山動物園や
小学校低学年の運動会
 
私がかわいそうだと
ばあちゃんが美味しい海苔巻きを作って持ってきてくれました。
 
 
ばあちゃんが居たから母が生まれ、私も存在している。
 
何をしてくれたとか、何が嫌だったとか、生き方がこうだったとかは、
ばあちゃん自身の学びの途中での表現。
 
それは私の生き方には影響はしない。
 
だって、もう自分で自分の人生のハンドルをしっかり握っているからね(*^_^*)
自分の選択で、生きたい様に行きている。
 
ばあちゃん、生まれてきてくれて本当にありがとう。
私のばあちゃんになってくれてありがとう。
色んなことを教えてくれてありがとう。
 
 
私は私の幸せを選択して最後まで歩き続けます。
 
『おねえちゃん、
ばあちゃんより(魂の磨き方)上手だね〜』
 
って言ってもらえるように・・・・ね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

脱獄犯とおじいちゃん

おじいちゃんが、東京から開拓に入り元気だったころ・・・
母がまだ3歳くらいだったころですが、

網走刑務所から脱獄してきた、しらとりさんという方が
逃亡の末、おじいちゃんの山にたどり着いたそうです。

しらとりさんは、山仕事を手伝わせて欲しいと頼み、
何も知らないおじいちゃんはしらとりさんをお家に泊まらせました。

しらとりさんの額やからだには、切りつけられた傷跡などがあり、
おじいちゃんは普通の方ではないことはうすうす気づいていたそうです。

しらとりさんは、とても食欲が旺盛で、おひつの中を覗き込んでは
何度もご飯をおかわりしていたそうで、
まだ小さな母は、なんて行儀の悪いおじさんなんだろうと
子供心に思った記憶があるといいます。
数日経ったころ、部落は騒がしくなりました。
田中さんのところに見知らぬ男がいる・・・

そして、網走刑務所からの脱獄犯が山を越えて富良野方面に
逃げているとの情報が・・・
逃げる途中砂川では、結果的に人を傷つけたか殺めてしまったとかで・・・。

当時はテレビも電話も何も情報伝達するものが無く、人から人へ伝えるしかない時代。


しらとりさんは、あちこちで仕事を転々と変えながら生き延びていたらしく
刃物を研ぐのがとても上手でしたが、
そのことを知った夜、その姿におじいちゃんもぞっとしたそうです。


そしておじいちゃんは決意し、しらとりさんに真剣に言ったそうです。
「ここにいることは、あんたの身のためにならない。」と・・・。

しらとりさんは、素直に「わかった」と言って、
町を離れました。


しらとりさんは、手錠を
曲げてしまうほどの力持ちで(怪力?)、
現在網走監獄の伝説になっているお方だったのです。


ずい分前になりますが、母はしらとりさんを思い出し、
網走監獄を尋ねました。

ちょうど、当時しらとりさんに係わっていたという、そこに勤めていた方がいらして
お話しを聞くことができたそうです。

おじいちゃんの山を後にしたしらとりさんは
その後、逃げることはやめて札幌で自首をしたようです。

そして、模範囚になり、出所して晩年を過ごしたと聞いています。

おじいちゃんが亡くなってから、その話を母から聞かされたとき、
おじいちゃんの愛と勇気にとても感動しました。
そして、愛を持って『伝えること』の大切さを教えてもらった気がします。


おじいちゃんは、畑仕事をしながら、母にこう言ったそうです。
「哲学とはな、こうやって生きていることが哲学なんだ。」と・・・

そんなおじいちゃんの血が私の中で生きていて、
私をいつも応援していてくれている

そんな気がいつもします・・・。

今日は、母方の祖夫の命日

おじいちゃんが亡くなったのは、私が中学生になったばかりだった。
長野県生まれのおじいちゃんは、祖母と結婚した当時は東京で
パン屋さんで働いていたと、母に聞かされている。
東京大空襲で、隅田川に折り重なる死体を目の当たりにし、
逃げるように北海道の未開の地に入った。
開拓募集のチラシには、農耕具も揃い、すぐ農業が出来るような文句だったが、
実際は、何も無かったそうだ。
そのころ母はまだ1歳。

朝は夜が明ける前から働き、真っ暗になるまで働く。
手付かずの地を農業が出来るまでにするという想像は
私には出来ないけれど、想像を絶する重労働だったようです。
もちろん道も無いので、木を切り、笹を刈り、石を掘り出し・・・。

おじいちゃんは、空手をやっていたというくらいなので、
がっちりした体格でしたが、無理がたたって入退院を繰り返し、
私がもの心ついたころはもう病院にいて、盆と正月だけ帰ってくるという
生活でした。

おじいちゃんは口数が少なく、話した記憶があまり無く「まさこ」と、名前を呼ばれた記憶だけ・・・。
うっすら思い出すのは、薄いみどり色のタバコのケースの色・・・わかば?
おじいちゃんは帰ってくると、いつも同じ椅子に座っていて、
小学生の私は、一度だけ肩をもむ真似事をしたことがある。
そのときは「ありがとう」って言ってもらえたような・・・。

おじいちゃんが亡くなったのは、60すぎで
今の母と同じくらいの年齢だった。

実は大人になるまで何かあると必ず、
おじいちゃんを想い浮かべてお願い事をしていた。
「じいちゃんお腹が痛いから助けて」とか、
「高校受からせて」とか、
今思い出すと、とんでもないことをお願いしていたと思う。
多分天国でゆっくり休む暇なく、いつも心配させていたのかも知れない・・・。

おじいちゃんが亡くなってしばらくすると、
後を継いだおじさん(母の弟)が離農し、畑は隣の農家の土地になったが、
母がおじいちゃんにもらった山は、今も大切にしている。

そしてその山を、今度は母が切り開き畑にした。
もちろん今の時代なので、重機やさんが入りましたが・・・。

そこは本当の無農薬の畑です。

趣味の畑ではありますが、果物にハーブも!
秋は落葉林に、きのこも出るし♪
大根にキャベツにじゃがいも、かぼちゃ、にんじん、ごぼう、小松菜、なす、
きゅうり、ズッキーニ、豆など、まるで季節の八百屋さんみたいです。
私も富良野での仕事を終えるとここに寄り、調達しては札幌の冷蔵庫を満たします。

それから、山の下の道路に沿って川が流れ、元住まいがあった場所を結ぶ橋に、
平成になってから名前がつけられました。
おじいちゃんの苗字のついた橋。
『田中橋』
おじいちゃんが生きた証が彫られた名前を見るたび、
おじいちゃんの大きさを感じます。

街から少し離れているため、車が無いと通えず、
免許の無い母が平日に行きたいときは、父が仕事に行く前に山に送ってもらい、
帰りに迎えに来てもらいながら野菜を育てています。


おじいちゃん、
わたしも近い将来、富良野に戻り、その畑を手伝いたいと思うようになりました。
手が汚れるから、虫に刺されるから畑は嫌だと言っていた私ですが、
子供のころ夏休みにクワガタを採った木はもう無いけれど、
今、その場所が大好きです。

そしておじいちゃんの存在があるから、今私がここにいるんだね。
おじいちゃんありがとう。
まさこはしあわせに生きてるよ(*^_^*)

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