人間とは何か

君も一つ、死んでこれがよくもあしくも「私が生命の書だ」といって神の前に出すものをお書きなさい。(西田幾多郎)

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私は人間とは「身体である人格、人格である身体」だと考えている。これは人間という現実性の二面である。ここで身体とは単なる肉体のことではなく、こころとからだの統一体としての身体のことである。キリスト教も仏教もともに人間を身体として把握してきた。人間の本質は滅び行く肉体(悪の原理)に閉じ込められた神的で不滅の実体であるとか、その現代版と考えられる把握、つまり人間の本質は自我であるとか、このようには決して考えてこなかった。身体は自我を生かす道具ではなく、自我の単なる容器でもない。自我は身体の一機能である。意識し、選択する機能である。それぞれの状況で何を選択するかは身体・人格の全体性から決まるので、単なる自我が自分勝手に決めるものではない。
ところで「身体である人格」とは、人間は物質世界の一部であり、生命世界の一環であり、かつ人格だということである。すると、まず倫理が地球的倫理であるという意味は、単にそれが人類的普遍性をもつということだけではなく、地球の生命世界を視野に入れた人類倫理だという意味でなければならない。アルバート・シュヴァイツァーは「生命への畏敬」が倫理の根本だと説いたが、東洋思想に共感をもっていたシュヴァイツァーはカントの明示化しなかったことを言い当てたのである。これは現代倫理に不可欠な視点を含む。地球的倫理というとき、そこには必ずこの面がなければならない。

八木誠一著『増補 イエスと現代』(平凡社ライブラリー、2005年)、280−281ページより

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