ミニ曳山合戦絵巻

角館のお祭りとキン肉マンの激闘を精巧に再現!!

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おはようございます。少し遅れましたが本日は、先日亡くなられたプロレスラー三沢光晴さんの追悼記事を掲載したいと思います。掲載が遅れて申し訳ありません。又、三沢選手を語る上でどうしても外せない、(少し前に亡くなられた)もう一人の偉大なレスラーについても、合わせて語りたいと思います。何卒ご了承いただければ幸いですm(_)m すでに皆さんご存知の通り今月13日、プロレス団体・ノアの広島大会で、試合中に相手の攻撃を受けたノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送され、そのまま帰らぬ人になりました。タッグマッチで斎藤選手からのバックドロップを受けた際に、受身を取り損ねた模様で頭部を強打。死因は頚髄離断だったそうです。プロレス界の至宝といわれるレスラーに突如として起きた悲劇に、プロレスファンの間では大きな衝撃と悲しみが広がりました。悲しみのあまり、しばらく仕事にならない方もいるでしょう。もちろんプロレスファンである宇喜多もショックを受けています。傷心でキーボードを打っています。最近は怪我を多く抱えていたようでしたが、それでも50代までは現役だろうと思っていたので、引退どころか46歳というあまりに早すぎる死は予想外の出来事でした。今でも三沢選手の訃報が信じられません(><)

三沢選手は2000年に全日本プロレスから独立し、新たにプロレスリング・ノアを立ち上げました。社長兼エースとして活躍されておりましたが、ニ足の草鞋による負担は相当なものだったと思います。しかも最近は日本テレビのテレビ中継が打ち切りになり、年間1億5千万〜2億という放映権料が入らなくなり、金策に悩んでいたと聞きます。それに持病である首の故障の他に、体中あちこちに怪我を抱えていたようですが、集客の為に自らの欠場は極力避け、怪我を押して毎試合出場しておりました。非常に責任感の方でしたね。確かに三沢選手が出ると出ないでは、集客に影響が出るかもしれません。三沢選手は46歳になった今でもトップクラスの実力と人気を誇り、絶大なカリスマでした。彼があまりに偉大すぎる存在ゆえ、どうしても若手や中堅の存在が物足りなく映ってしまうのでしょう。又、同じノアの看板選手である小橋選手が一時期病欠していた時期がありました。その時期も試合に出場し続けた三沢選手、集客面を考慮し満身創痍の体にムチ打っての出場だった事でしょう。

「格闘神」とまで称された三沢選手は、どちらかというと圧倒的な強さを感じさせるレスラーではなく、負けない戦いをするレスラーだった気がします。前者のタイプは小橋選手の方ですね。後者の三沢選手は受身の天才で、倒しても倒して立ち上がってくる・・・。彼ほど粘り強く打たれ強い選手は、おそらく他に存在しないでしょう。非常に言いにくいのですが、宇喜多は三沢選手のファンではありませんでした。厳密にいうと“アンチ”だったかもしれません。ハンセンファンだったので、2度ほど三沢選手からベルトを奪われ悔しかったですね。そして応援していた全日本プロレスから、大量の選手を引き連れ離脱した時はショックでした。けど三沢選手は王者らしい王者だった事に間違いはありません。全日本の至宝・三冠ヘビー級王者のベルトが、非常に似合うレスラーだったと思います。“ミスター三冠”という敬称がピッタリで、彼によりベルトの価値や権威は高まりました。三沢の「三」という字は、三冠の「三」のように感じます。だからこそ全日本を突如離脱した時はショックでした。けどいろいろ複雑な事情もあったようで、どうしても譲れない事もあったのでしょう。彼ほどの偉大なレスラーがこのような決断をするという事は、余程の事だったかもしれません。去られてしまった全日ファンとしては複雑な思いがありました。しかし“プロレスファン”として見た時、彼は本当に心魅かれる素晴らしいレスラーだったと思います。

その三沢選手との対戦を熱望したレスラーがいました。かつて新日本プロレスのエースとして活躍し、離脱後は新団体・ZERO−ONEを立ち上げ、2005年に40歳で若さで亡くなられた橋本真也さんです。三沢選手とは所属団体が違った為、戦う機会は限られておりましたが、彼も三沢さんに負けず偉大なレスラーでした。90年代、全日本プロレスで三沢選手が三冠王者として活躍していた頃、ライバル団体・新日本プロレスでIWGP王者として活躍されていたのが橋本選手です。全日本には三沢・川田・田上・小橋の「全日四天王」が存在し、新日本には橋本・武藤・蝶野の「闘魂三銃士」が存在しました。90年代は団体間の対立もあり対戦は実現しませんでしたが、常にファンから比較され対戦を熱望されていた存在です。本人達も口に出さなくとも、内心はかなり意識していたと思います。よく三沢選手は、同じ天才肌タイプで同い年の武藤選手と比較されておりましたが、90年代の隆盛を考慮すると三沢選手の対抗軸は、橋本選手だったかと存じます。特に90年代前半〜中盤の橋本選手は本当に強かった。「破壊王」のIWGPの防衛回数は全部で20回で最多記録だったと記憶しております。その年代は全日本=三沢、新日本=橋本という構図でしたね。プロレス誌では常にトップ記事を争ってました。

交わる事のなかった両雄ですが、世紀が変わりプロレス界の勢力図が一変。次第に実現の流れへの傾きます。三沢選手が全日本を離脱しプロレスリング・ノアを旗揚げすれば、様々な確執から新日本を解雇された橋本選手はZERO−ONEを立ち上げました。以前の全日本と新日本は対立関係にあった為、全日四天王と闘魂三銃士の対決は実現しませんでしが、自由の身になった橋本選手は全日本の流れを汲むノアの選手との対戦を熱望。特に三沢選手との対戦を強く望みました。そして消極的だった三沢選手も、ついに熱烈なラブコールに折れ対戦要求を受託。最初はタッグマッチながらノア大会で、両者の初対決は実現しました。そして2001年3月2日・両国国技館。ZERO−ONEの旗揚げ戦で、橋本真也&永田裕志vs三沢光晴&秋山準で真っ向勝負しました。試合は三沢選手が橋本選手からフォールを奪い勝利しましたね。タッグマッチだったとはいえ、全日本と新日本の流れを汲む元トップ同士の夢の対決でした。複雑な事情で新日本と決別を余儀なくされた橋本選手でしたが、その理由の一つに自由になり他団体の実力者と、思う存分戦いたいという願望もあったと聞いています。特に同年代に王者として活躍した三沢選手とは、互いの力が衰えない内に戦いたかったんでしょうね。

その後、複雑な事情があってか両者のシングル戦は実現しませんでした。相手の技を全て受け止めた上、勝利する「王道プロレス」の三沢選手と、実力至上主義である「ストロングスタイル」の橋本選手のシングル戦は見たかったですね。かつてA猪木がG馬場に対戦を要求しましたが、こちらも実現しませんでした。時代は繰り返すのか、頂上決戦は再び幻に終わりましたね。ちなみに三沢選手は関節技でベイダーの腕を折ったりと、非情なまでに勝利にもこだわる“ストロングスタイル”の試合もありました。逆に橋本選手はノートンや健介と真っ向勝負の肉弾戦で“王道プロレス”を展開するなど、それぞれ対極スタイルの試合も出来るレスラーだったように思えます。又、両者は新団体で社長業も勤め、不況化で苦しい経営にも尽力しました。社長との兼業は想像を絶する負担だと聞きます。それも選手寿命を縮めた要因かもしれませんね。三沢選手は試合中の事故死ですが、もしかしたら蓄積された疲労が受身のタイミングを狂わせたかもかもしれませんな。プロレス界の至宝2人の早すぎる死は悲しい限りですが、たぶん2人は天国で再会をし、存命中は実現しなかったシングル戦を戦っているのかもしれません。三沢選手ならびに橋本選手のご冥福をお祈り致します。そして本当にありがとうございましたm(_)m

PS. 三沢選手の入場テーマ「スパルタンX」、橋本選手の入場テーマ「爆勝宣言」どちらもいい曲ですね(涙)

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しんしんZ殿
コメントありがとうございます。私もブロ友さんのブログで、三沢選手の記事をたくさん
目にしました。切ない気持ちになると同時に、彼を想ってくれる方々が多くいる事に胸が
熱くなりましたね>< スパルタンXの着メロを聴くと、自分は全日で活躍していた頃の
勇姿が思い浮かび涙が出てきます。他レスラーの皆さんには、彼の意思を引き継ぎ、
事故に気をつけて頑張ってほしいですね。三沢選手には感謝の気持ちでいっぱいです!

2009/6/17(水) 午後 10:08 権中納言・宇喜多

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こんばんは^^ 天国で再開^^
鳥肌たちました^^ 本当にそうあってほしいです^^
天国でまた戦ってたり^^ そう思いたいです。

2009/6/17(水) 午後 10:33 橘朝臣幸麿

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実に悲しいニュースでした。。。
三沢選手がデビューして間もない頃まだ前座で試合をしていたのをよく覚えています。
そのときの全日本プロレスは馬場さん、鶴田さん、ブルーザー・ブロディと今は亡き名レスラーで大盛り上がりでした。
三沢選手は天国で名レスラーたちとバトルロイヤルをしているのでしょうか。。。
ALLポチ!

2009/6/17(水) 午後 11:13 [ ukonoetaisyou ]

三沢選手にせよ、橋本選手にせよ・・・・早いよ・・・・・泣

ビッグネームを失ったプロレス界ですがかつての三銃士、四天王を

完全に凌駕するホントの意味の新たなビッグネームが出てくることが

未来の明るいプロレス界になるのではないでしょうか。

ともかく今回の三沢選手の不慮の死は未だ受け入れる事ができない

ですね・・・・・・謹んでご冥福をお祈りします。

2009/6/17(水) 午後 11:17 造形心

幸麿殿
ご訪問ありがとうございます。死後の世界の事についてはよく分かりませんが、
たぶん三沢選手と橋本選手は天国で再会し、握手を交わしたような気がします。
社長業の負担もなく、負傷も癒えてると思います。存分に戦ってほしいですね。

2009/6/18(木) 午前 0:33 権中納言・宇喜多

ゴア殿
ALLポチありがとうございます。三沢選手が若手の頃の全日本は、物凄いメンバーが
揃っていましたよね。当時は全日本も新日本も、エネルギーでみなぎっていましたwww
三沢選手は大柄な方ではありませんでしたが、人一倍の努力でJ鶴田やハンセンなどの
強豪を乗り越えましたね。人間味もあり、本当に素晴らしいレスラーだったと思います。

2009/6/18(木) 午前 0:36 権中納言・宇喜多

造形心殿
コメントありがとうございます。ついこの間まで普通に試合をしていた選手達が
突然亡くなるのは、ファンとして非常に悲しいですよね・・・。テレビとかで見た
勇姿が目に焼き付いているので>< 三銃士や四天王の中でも、三沢選手と
橋本選手は王者の風格が漂っていました。今の中堅・若手のレスラーが彼らを
乗り越えるのは容易でないかもしれません。それ程までに両者は偉大でした。

2009/6/18(木) 午前 0:43 権中納言・宇喜多

いまだ三沢さんが死んだ事を受け入れたくありませんな…。
この悲しみはまだまだ続きそうです…。
自分の記事で色々皆さんの返コメに想いは書いたので…トラバという形ですみません。
トラポチクリ!!!

2009/6/18(木) 午後 8:26 OLAPスペシャル

OLAPスペシャル殿
トラポチクリありがとうございます。多大なるご支援を賜わり、心より感謝申し上げますm(_)m
あと1ヵ月くらいはモチベーションが低い日が続くでしょうね。もしかしたら夢に出てくる日も
ある気がします。他の選手達には事故に気をつけて、三沢選手の分まで頑張ってほしいです!

2009/6/19(金) 午前 0:35 権中納言・宇喜多

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宇喜多殿
これはちょっとビックリでした・・・
プロレスラーで知ってる人の名を挙げろといわれれば
三沢さんくらいなので・・・

それにしても、技をかけた選手が一番ショックですよね(><)
この方も早く心が癒されるように祈るばかりです。

2009/6/19(金) 午前 0:49 [ - ]

琥珀殿
コメントありがとうございます。三沢選手は現在のプロレス界のトップでしたからね・・・。
あまりに偉大すぎて、若手・中堅だけでの興行だと集客が厳しく、怪我を押して出場して
いたと思います。社長業での負担も大きく、疲労蓄積により受け身のタイミングを誤った
気がしますね。悲しい事故でした>< 斎藤選手には挫けずに頑張ってほしいです!!

2009/6/19(金) 午前 1:28 権中納言・宇喜多

こんばんは。 いまだに信じられませんねえ・・・

関係する人 全てが大きなダメージを受けたでしょう。
ご冥福をお祈りします。
ランクリです。

2009/6/19(金) 午前 3:06 tomi01

tomi01殿
ランクリありがとうございます。三沢選手の突然の悲劇に、世の無常を感じた次第です><
昨日は通夜が行なわれ、多くの戦友が出席されたようです。三沢選手は帰ってきませんが、
これを機にプロレス界が大同団結し、この厳しい経営下の状況を乗り越えてほしいですね!

2009/6/19(金) 午前 9:19 権中納言・宇喜多

内緒A殿
TBポチありがとうございます。貴重なTBを賜わり恭悦至極に存じ上げますm(_)m
限定記事、後ほど拝見させていただきます。斎藤選手には頑張ってほしいですね。

2009/6/19(金) 午後 9:59 権中納言・宇喜多

三沢さんの訃報に言葉を失いました…
旦さまがプロレスファンでノア武道館大会へ行った事があります。
あれだけ鍛えた身体をもってもこうした事故が起こるのですね…
「リングで死ねたら本望…」?まだまだやり残した事が沢山あった
はず。

三沢さん、とりあえず天国で身体を直してからリングに上が
って下さい。J・鶴田さんや橋本さんと再会出来ましたか?

ご冥福をお祈り致します。

2009/6/20(土) 午前 3:41 るな

るな殿
コメントありがとうございます。そういえばおニ人ともノアのプロレスがお好きでしたよね(^^;
最近の例で高山選手や永田選手のように、療養すればいずれ復帰できると思っていたので、
まさか入院したその日のうちに、亡くなるとは思いませんでした>< 疲労の蓄積で受け身の
タイミングを誤まったのかもしれません。本当に悲しいニュースでした。団体やプロレス界を
真剣に考えていた方なので、やり残した事は多いと存じます。安らかに眠ってほしいですね。

2009/6/20(土) 午前 11:12 権中納言・宇喜多

こんにちは。いつも幸磨ちゃんのところでは、お目にかかっております。
そうでしたか・・・
三沢選手の死は、偶然ではなく、疲労の蓄積によるものが原因の一つのようでね。
本当に残念でしたね。

ものごころ付いた頃、テレビの普及とともに当時のプロレス人気は、たいへんなものでした。
あのころが、懐かしい感じがします。
力道山の現役時代、わが町に試合公演にこらえて、祖父に連れられて見に行きました。
まだ私は、3歳くらいでしたから、うっすらですが覚えています。
当時は、メンコの図柄になっていた伝説のスターでしたが、やはり短命でしたよね。

2009/6/22(月) 午前 5:34 宮松里(みやまつり)

みやまつり殿
ご訪問ありがとうございます。みやまつり殿の事はよく存じ上げておりますよ^_^
今回が2度目のご来訪ですかね?おぉ・・・長年のプロレスファンのようですな!
力道山の時代を知っているのですか!?という事はGI時代や、新日や全日の
全盛期もご覧になられているのですね。いや〜、とても羨ましい限りですよ(^^;
話が戻りますが、三沢選手の訃報は残念でしたね。満身創痍の他に社長業務の
疲労蓄積は相当なものだったと思います。彼は本当に偉大な選手でしたね・・・。

2009/6/22(月) 午前 9:15 権中納言・宇喜多

三沢光晴さんが亡くなった事に関しては、今でも
受け入れる事ができません…

2010/3/16(火) 午前 11:35 [ うぬぼれ ]

バンビ殿
コメントありがとうございます。三沢さんの死は嘘であってほしいですよね。本当に悲しく
残念です。残った選手達も怪我の治療を優先し、事故防止に努めてほしいと思います。
あっ、一応お友達登録は了承しましたが、メッセージの方をもう一度読んでくださいね(^^;

2010/3/16(火) 午後 0:15 権中納言・宇喜多

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