ミニ曳山合戦絵巻

角館のお祭りとキン肉マンの激闘を精巧に再現!!

涙そうそう(T.T)

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宇喜多の懐かしい思い出や、寂しく悲しいニュースを紹介するコーナーです。
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これまでホテルフロントや、タクシーの配車係を経験して来た宇喜多ですが、どちらの仕事も共通している事が、夜勤(宿直)より日勤の方が忙しいという事です。掛かって来る電話は多岐に渡り、量も1.3〜1.5倍はあると思います。たまに日勤を経験しますが、もうグッタリしますね∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!! よく周囲からは「いつも夜通しで大変だね」とかと言われますが、逆にその方が楽なのです。出勤は夕方からだし、朝になり終わって帰った後は、フリーで日中寝られますからね(^^; 警備会社では日中仕事をしましたが、体のリズムか狂いました(==;

日勤と夜勤(宿直)とでは会社への往来の負担差もあります。宿直だとそのまま会社で夜を過ごすので、その日の通勤は片道ですが、日勤の方は会社と自宅の毎日往復になります。正直よく頑張ってるなぁと感服しますよ。純粋な喧嘩だとパワーの差で男が勝つと思いますが、女性にはそれとは別の強さを感じます。女性陣はマジで強いと思いますね(^^; 宇喜多には日勤の激務は耐えられませんよ(●ノ´з`)ノ<.∴;:゙;`ブーッ 余談ですが参考画像の、フロントの美女には(*´Д`*)ハァハァ しますね(爆) モロに宇喜多のタイプです∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!!
    
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b3/66/moriokawakamono/folder/1199838/img_1199838_32027264_5?1277290379
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さて1月も間もなく終わりですが、宇喜多の地元・秋田県角館町(現・仙北市)では毎年2月1日に、恒例の厄払い行事が行なわれます。数え年の33歳(女性)と42歳(男性)の学年が対象で、カッコ内の性別の方々は町の神社(神明社)でのお祓いを受けます。そして午後からは男女とも別会場で合流し、同窓会を兼ねた祝賀会が行なわれます。同期生と旧交を深める貴重な一日でもあり、(祝賀会は)恩師と再会できる貴重な場でもありますね。宇喜多は去年、数え年の33歳の部で経験をしましたが、とても楽しかったです♪今年は一学年下の後輩の方々の番ですね。おそらく準備は最終段階でしょうか?前日の除雪作業は大変ですからね∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!!

そういえば一学年下の、昭和54年組の中学担任の先生には、美人の英語教師がおりましたね。宇喜多が中3の時に、2年生のCかD組の担任で、たぶん引き続き翌年もそのクラスの担任だったと思います。宇喜多の学年は別の英語教師が担当だったので、全くと言っていいほど接点はありませんでしたが、英語のO先生は若くて綺麗でしたね(*´Д`*)ハァハァ 宇喜多、隠れファンでした(爆) イメージとしては画像のようなアニメ「ゼロの使い魔」に登場した、アンリエッタ王女のような美人だったと思います。優しく真面目な先生で、芯の強い女性という印象がありますね。おそらく昭和54年組の皆さんには、O先生に憧れていた男子生徒もいたのではないでしょうか(^^;

おそらくO先生にも、(厄払い終了後の)祝賀会への招待状が届いていると思います。急用が無い限りは出席されるでしょう。当時25前後でしたから、現在は40代前半くらいですかね?たぶん今でも綺麗だと思います。自民党のゆかりタンのように、40代でも綺麗な女性はいますからね(^^; 当時O先生に憧れていた生徒は、ぜひ「実は俺、先生のこと好きだったんだ!!」と打ち明けてください。たぶん喜ぶと思います(爆) もしO先生がフリーだった場合は「先生、俺と結婚してくれ!!」と、同期の女性陣そっちのけで求婚を迫る、気概ある後輩がいてくれたら嬉しいですな!! 宇喜多、そうゆうシチュエーションがたまらなく好きです∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!!

けど真面目な話、成人式&直後のクラス会を最後に、恩師の先生と会う機会は上記の厄払い行事くらいかもしれません。本当に限れております(><) だから先生達には素直に、感謝の気持ちを伝えた方がいいでしょうね。又、いろいろ迷惑を掛けた方は、一言お詫びも言った方がいいと思います。どちらも言いそびれると後から後悔するでしょう。又、前日には33歳の男性陣による、神明社の除雪作業が行なわれますが、これは非常に骨の折れる作業です(==; 面倒くさがらず参加できる人は、参加した方がいいでしょうな。まして今年は大雪で、作業は難航を極める事が予想されます。それでは陰ながら、今年の厄払い行事の成功を祈っておりますm(_)m

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3月になっても北日本では雪が降っております。昨日なんか「ふざけんな、この野郎!!」というくらい、ガッツリ大雪が降りやがりましたね(ーー# 少々不機嫌モードの宇喜多ですが、3月といえば卒業シーズンです。昨日は馬鹿な国会議員の糾弾で熱くなってしまったのですが、今日は癒し系の記事にしたいと思いますm(_)m

春は出会いと別れの季節で、どこか切ない気持ちになりますね。今日は宇喜多お気に入りの卒業ソングを紹介致します。卒業ソングといえば「仰げば尊し」が王道でありますが、宇喜多地方はそんなに愛着が無いかもしれません(^^; 個人的には小学校の卒業式で歌った、「門出の歌」の方に愛着があり、もうたまらなく好きです♪

「門出の歌」

1.喜びに胸を張り お母さんと来たっけな
 新しい服を着て 入ってきたあの日

2.明るい教室で 君と並んでいたっけな
  駆け回った広い庭 懐かしいあの日

3.優しかった先生を 怒らせもしたっけな
 友だちとけんかをして 泣かせちゃったあの日

4.思い出の校舎とも 今は別れの時が来た
 新しい希望の道へ 進む日も近い

動画はこちらになります ↓
http://www.youtube.com/watch?v=dA6mldw9WEI

叙情的なメロディーと、小学時代の思い出が蘇える歌詞ですね。卒業式の最終盤に歌うのですが、ジーンと込み上げて来る物がありましたよ。今でもこの曲が好きで、着メロもダウンロードしてしまいました。いや〜、これを聴くとセンチメンタルになりますね(><) もし(卒業式で)門出の歌を歌った事のある方は、ダウンロードしてみてはいかがでしょうか?当時を思い出し、心の癒しになりますよ( ´ー`)y─┛    

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皆様ご機嫌麗しゅうございます。昨日は日本海側を中心に大荒れの天気でしたね(==; この冬最大の低気圧が来襲しているようで、全く持って迷惑至極な話です(怒) 地球は温暖化どころか、寒冷化に向かっているそうではありませんか!誰だ、嘘の情報を流していた奴は!?けれど昨日の大雪が2月1日でなかったのは幸いでした。この日は地元・秋田県角館町(現・仙北市)で厄祓い行事があった日です。それぞれ数え年で、女性陣が33歳・男性陣は42歳が厄祓いの対象ですね。対象外の性別の方は準備役に回ります。前日に神社の除雪作業(33歳男性陣担当)があり、2月1日は神社でのお祓いの後、午後から祝賀会(同窓会)がそれぞれ年代別に行なわれます。33に該当の宇喜多は連休を取り盛岡から帰省。1月31日の除雪作業から参加して来ました。

けどいつも不思議に思うのですが、「数え年」って一体何なのでしょう?宇喜多の実年齢は31歳(昭和53年生)なのに、多く年をカウントされていて、どうも釈然としないものがあります_| ̄|○ 非常に紛らわしいし、実年齢でない水増しの年齢で扱われるのは嫌ですよ!これって何か意味があるんですかね?言っちゃあ悪いのですが、「数え年」という概念を考えた奴は、はっきり言って馬鹿だと思いますね∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!! 厄祓い行事も実年齢でやるのが筋だと思います。けど前倒しで出来た感があるので、あまり文句は言えないのですが(^^; この厄祓い行事、地方や地域によっては行なわれない所もあるようで、その土地によって考えが違うようですな。

又、女性陣の対象が数え年で33歳なのですが、なぜ33歳なのでしょうね?「散々」「惨事」「災難」とか連想するからですかね?個人的には巨人・長嶋監督の背番号で、縁起のいい数字のように思うのですが・・・。長嶋監督の現役時代の背番号は3だった事もあり、日本人は3という数字が好きな方だと聞きます。33は「燦燦と輝く」という意味もあり、自分的には好きな数字です(−w−) まぁ、34歳が対象なら(死を意味する4が絡むので)まだ分かるのですが・・・。まぁ、男性陣の42歳と言うのは納得ですね。そのまま「死に」と意味するので、その年を迎えると何か不気味な物を感じる事でしょう。いずれにせよ。お祓い行事に関しては必要かもしれませんな(−.−)y・・・

さて1月31日の地元神社(神明社)の除雪作業ですが、午前9時から行なわれました。地元同期の男性30人ほどが集まりました。これだけ居ればすぐ終わるのかと思いましたが、サッパリ終わらなかったですね(==; 例年より雪は少ないという話でしたが、それでも相当な量でした。あと階段の凍った氷をやっつけるのも大変でしたね。あれは非常に厄介です!昼食で他メンバーと一杯やった後、作業を再開したのですが、神社入り口や境内脇の除雪作業もタフでした。作業開始当初は懐かしい面々との会話で、和気藹々とした雰囲気でしたが、疲れと共に次第に会話が少なくなり、黙々かつ淡々とやるようになりましたね_| ̄|○ オマケに夕方からは雨が降って来ました(泣) その日の除雪作業が終わったのは夕方5時半で、かれこれ8時間はやりましたよ∵ゞ( ̄ε ̄β)ブハッ!!

2月1日の男性陣は午前3時に集合で、融雪剤を巻いたりする最終作業がありました。その前に一度仮眠を取ったのですが、すでに筋肉痛に見舞われてましたね(汗) 日頃の運動不足の祟り、これまでにないくらい箇所も多く痛かったです。もはや身体障害者のような状態でしたね(=△=; 幸いにも前日・当日とも雪が降らなくて良かったです。もし2月1日の3時からの作業時に、雪が降っていたら最悪でしたね。その時点で体力を使い果たしていた人も多かったと思います。けど過去には当日も降雪で、除雪作業をした年もあったでしょうね・・・。先輩方には敬意を表す次第ですm(_)m さて(女性陣が来訪しての)神社での式典はお昼頃で、そちらの方は担当の者だけ残りました。そして午後1時からは冠婚葬祭など出来る飲食施設にて祝賀会(同窓会)です!

地元で同期が一同に会したのは1998年の成人式以来です。残念ながら参加人数は、当時の3分の2でしたが(別に亡くなった訳ではありませんよ)、賑やかで盛大な会食なりました(=▽=) 中学時代の恩師の先生方にも来ていただき、とても懐かしかったですね〜。けど担任の先生が当時と全く変わっていなかったのには驚きました(==; もしかして不老不死なの!?(爆) 成人式の時は式典の後クラスごとに散ってしまったので、一同に会しての酒宴は初めてですね。お祭りや結婚式的な雰囲気も入り、もう何でもありでしたな(●ノ´з`)ノ<.∴;:゙;`ブーッ けど自分のその仕事の経験があるのですが、施設側に人からすれば大変なんですよね。慌しくて落ちつかなかったと思います(^^; 夕方5時頃までやった後は、それぞれ中学クラス会の2次会に別れました。

当時の角館中学校はA〜E組まであったのですが、我が組の開催回数は一番多いと思います。これまでも何度か開催していたのですが、今回のが一番面白かったですね♪自分達で段取りし尽力した厄祓いが無事に終わり、その満足感や高揚感もあったかと存じます。3次会はカラオケで、宇喜多もアニソンを熱唱しました♪自分で言うのも何ですが、(謎が多いと言われる)宇喜多の貴重な歌を聴ける機会は滅多にありませんぞ(爆) 前日の除雪作業の疲れを忘れる楽しさで、一生の思い出になりました。人によって思い入れのある年代は違うかもしれませんが、個人的には中学時代が一番楽しく、印象に残っておりますね。今でもよく夢を見ます。皆さんも地元行事やクラス会などがあったら、強引にでも休みを取って参加された方が宜しいかと思います。忙しく慌しい日常や人生の中で、この上なく癒され潤うでしょう。そして大切な何かを思い出すかもしれませんよ( ´ー`)y─┛

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最近、著名人の訃報が相次いでおりますね。順に追悼記事を載せて行きたいと思いますm(_)m 昨日は17日に亡くなった元・プロ野球選手で、日本ハムの一軍投手コーチだった小林繁さん(享年57)の通夜が行なわれ、所縁のある球界関係者ら300人が出席しました。小林氏は1970年代から80年代にかけて巨人・阪神で活躍したプロ野球選手で、「江川事件」による江川卓投手との交換トレードで、阪神に移籍した事で有名ですね。移籍先の阪神でも堂々たる活躍をされ、引退後は解説者を経て、近鉄・日本ハムで投手コーチを努めておられました。細身ながらも気迫溢れる投球と、芯や精神的にも強い選手でした。又、紳士的で爽やかな方でもありましたね。宇喜多は現役時代を知らない世代ですが、プロ野球ファンとして今回の訃報は残念でなりません(><)

小林氏は1972年にドラフト6位で巨人へ入団。細身の体を目いっぱい使った独特の横手投げで、長嶋政権下の76・77年に、ともに18勝を挙げリーグ連覇に貢献。沢村賞も受賞しました。しかし1978年(昭和53年)オフに、球界でドラフト"空白の1日”に絡んだ「江川事件」が発生。コミッショナー側からの強い要望もあり、江川卓投手と交換トレードで阪神に移籍。1年目の79年には巨人戦8連勝を含む22勝を挙げ、見事に最多勝を獲得しました。その後も阪神の主力投手として活躍し、83年は13勝を挙げましたが、そのオフに電撃的に引退しております。通算成績は実働11年で139勝95敗17セーブ・防御率3・18だったようです。

先に挙がった「江川事件」とは次の通り。1978年オフ、巨人が野球協約を無視して江川卓投手と入団契約を交わし、社会的事件に発展した事件です。前年にクラウンライター(現西武)がドラフトで獲得した交渉権が切れる、78年ドラフト会議前日の11月21日に、「空白の一日」を利用して江川卓投手と巨人が入団契約を交わしました。翌日、阪神が同投手を強行指名。巨人は契約の優先権を主張も、コミッショナーはそれを認めず。その後"強い要望”として、阪神と巨人とのトレードによる解決策を示します。そして阪神と江川卓投手が年明け79年1月31日に契約。そしてすぐさま同日夜に阪神・巨人両球団が、江川卓投手と小林繁投手とのトレードを発表しました。

現在の球界ではありえないような事件です。「空白の1日」もそうですが、揉めた末にようやく契約も、その後すぐに他球団の選手と交換トレード。コミッショナーが事態収拾に乗り出す、異例の事件でした。江川氏の巨人への思い入れ・執着は尋常じゃなかったですね。それまでも他球団がドラフト1位指名をし、くじ抽選で交渉権を獲得するも、全て断っております。まぁ、江川氏も江川氏ですが、本人は「巨人以外は絶対に行かない!!」と言っているのに、それでも強行指名する他球団も問題だと思います(−−; 「江川事件」による小林投手との交換トレードで、江川投手には世間から強いバッシングが集中し、小林投手には同情の声が集まりました。しかし記者会見で小林投手は、「同情は買いたくない」「求めれられて行くのだから名誉な事だ」「伝統球団・阪神の復興に貢献したい」と、毅然とした態度で語ってましたね。その模様を映されたVTRには物凄くしびれました!

阪神への移籍初年度、小林投手は巨人戦8連勝を含む、自己最多の22勝を挙げ最多勝を挙げました。当然ながらトレードが発奮材料になっていたと思います。巨人への反発心・対抗心もあったでしょう。けれどその気持ちは、その後は薄れていったようですね。「江川事件」によるトレードがあった当時の巨人監督は長嶋茂雄氏でした。今回の訃報で「現場の指揮官として、大変申し訳ない事をした」と語っておりましたが、長嶋氏はそのトレードに一切関与しておりません。江川投手も阪神側に「金銭トレードでお願いしたい」と要望していたようです。けれど阪神は金銭より戦力となる選手を欲したようで、(巨人と交渉の結果)江川投手と小林投手の交換トレードに至りました。長嶋監督はトレードの報を聞いた時、「うわ・・・小林か!」と天を仰ぎ絶句したようです。

そのトレードにより小林投手は阪神へ移籍しましたが、長嶋監督はその後も小林投手の事を気に掛けていたようですね。79年に小林投手は22勝で最多勝を挙げますが、フル稼働で無理が祟り体を痛めたそうです。それを聞いた長嶋監督は、ポケットマネーで巨人軍の(小林投手も看た)トレーナーを派遣させ、小林投手にアイシングを施しさせたとか。その長嶋監督の心遣いに小林投手も、「巨人への恨みつらみは無くなった」と、親しい記者に語ったようです。心に響くいい話だと感じました。一方で当事者同士の江川投手とは、お互い意識し避けていたようですね。一度ステーキ店で鉢合わせになった事があるそうですが、小林氏がさりげなく手で制して、会話は実現しませんでした。オールスター戦でセリーグ選抜で一緒になっても、ほとんど会話は交わして無いようです。

2人の直接対決の結果は江川氏から見て7勝2敗。通算勝利数は江川氏が135勝で、小林氏が139勝で拮抗してますね。江川氏は小林氏への敬意から、絶対に直接対決では負けられないし、勝利数も追い越さなければと思っていたようです。直接対決の模様は見た事はありませんが、異様な熱気と雰囲気で注目度も高かったでしょうね。すれ違いのまま28年の月日が流れましたが、ご存知の通り2007年に日本酒CMで両者は共演しました。黄桜のCMで「多くの人にお酒を酌み交わしながら、触れ合いを深めていただきたい」という意味があったようです。どうやら台本は一切無しのぶっつけ本番だったようで。江川氏が「長い間本当に申し訳ありませんでした」と謝罪すれば、小林氏は「謝ることないじゃない」と応じました。そして小林氏が「大変だっただろう・・・まぁ俺も大変だったけど」「お互い大変だったよな・・・」と、江川氏を気遣う内容だったと記憶しております。

深い味わいがあり、とてもいいCMでしたね。そして撮影後に小林氏から「今度は俺の方から声を掛けるよ」と言われた江川氏は、「大変緊張したが、再会できて本当に良かった・・・」と感極まって涙したとか。今回の訃報を聞き、「申し訳ないという気持ちは一生消えない、一生持ち続けるつもり」「小林氏の残した実績や野球への想いを、これからずっと伝えていきたい」を語ったそうです。因縁ある2人ですが、最後は和解できて本当に良かったと思います。「もう一度全力で投げ合いたかった」江川氏の願いは、いずれ天国で実現するかもしれません。小林氏は爽やかな紳士であり、情熱的で熱い男だったと思います。現役世代を知らない世代の人間でも、自然に好感を持てる人物でした。球界にとって損失だと思います。小林繁氏のご冥福を心よりお祈り致しますm(_)m

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