ミニ曳山合戦絵巻

角館のお祭りとキン肉マンの激闘を精巧に再現!!

1995・西部vs桜美町

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1995年9月9日「角館のお祭り・曳山ぶつけ」 西部vs桜美町の本番激突をミニ曳山で再現!!
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序盤戦は真っ向から組み合い、ほぼ互角の状態だった西部と桜美町。両丁内の若衆や観衆が多すぎて、身動きを取るのもままならず、「90年代・頂上決戦」もやや膠着状態気味と言ったところか。一方で、もう一つの大一番・岩瀬vs菅沢の「伝統の一戦」も始まった模様で、そちらの方も気になる一部観衆は横町西方面へ流れた。
1995年 岩瀬vs菅沢の再現はこちら → http://blogs.yahoo.co.jp/moriokawakamono/folder/703223.html

その分スペースに余裕ができ、両丁内の若衆は少し身動きが取りやすくなった様子だ。そのまま前進の構えの桜美町に対し、西部は若衆やロープの配置を少し変えている。何かに気付いたのか、正副の責任者が桜美町の曳山を見つめ、耳打ちをし合っている。そして幹部クラスの人が曳山の上に上がり、先導に対し何か指示を出したようだ。中盤から終盤にかけ、何か大きな動きがあるかもしれない。

西部ミニ曳山(人形・伊達政宗) × 桜美町ミニ曳山(人形・八幡太郎義家)

新ミニ曳山コメント掲示板DX(ファン登録者限定)→ http://blogs.yahoo.co.jp/moriokawakamono/29083720.html

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ついに西部が膠着状態打開の為に動いた。中盤から後半に差し掛かり、数センチだけ下になっている桜美町の曳山の、落下防止のつっかえの天棒を掛けていない事に気付き、相手の曳山を落下させるべく突如として曳山を後退させた。相手に気付かれないよう、容易周到に後退の準備をしていたのだ。確かに西部は昔から機動力があり、自由自在に曳山を動かす実力者であったが、重量が増した新曳山初年度から仕掛けて来るとは思わなかっただろう。西部の予想外の戦術を前に、桜美町の曳山はあっという間に急降下する。

桜美町の曳山は本来なら簡単に落ちるような代物では無い。しかし完全に上がりきっていなかった状態だったので、例年の戦いよりもバランスが不安定だったかもしれない。又、1988年に新造した桜美町の曳山だったが(老朽化の為)、1995年より少しずつパーツ交換による大型化プロジェクトを実施している。プロジェクト初年度のこの年は、横看板が付いてる一番太い部位・担木を、一気に前後左右を交換。おそらく以前の担木に比べ、交換初年度で各段に重かったのではないか。それによりバランス比率が大きく変化し、西部の戦術に対応出来なかったものと推察される。突然の状況変化に観衆から大歓声が上がった!

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中盤までは全く五分の展開だったが、西部の突然の後退戦術により、地面に落下してしまった桜美町の曳山。
ここに来て落下防止つっかえ天棒をかっていなかった事が響いた形だ。西部は間髪入れず前進し、桜美町の上に覆い被さる。桜美町に体勢立て直しの機会を与えない為、必要最小限の後退距離に留めて置いていたのだ。流石は西部である。強豪と恐れられる桜美町も、予想外の事態に動揺を隠せない。西部は再び攻勢を強める。一方で桜美町は反撃する事が出来るのか!?

かつて西部は1986年の岩瀬との「世紀の大決戦」において、中盤以降に引いては前進しぶつける戦術を取ったが、(一瞬の隙を付かれ)曳山を下ろし後退した所に乗り上げられてしまい、苦杯を喫した歴史がある。その後の岩瀬は桜美町との抗争に移行。後退し体勢の立て直しを図ろうとした岩瀬を、桜美町は猛烈な追撃を繰り出し、王者相手にリベンジを果たした。そんな過去を持つ両者だが、仇敵・岩瀬に不覚を取った西部が、岩瀬を撃破した桜美町相手にこのような展開を見せるとは、どこか因縁めいたものを感じると共に少し皮肉にも思える。

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相手の不意を付いた戦術で圧倒的優位な状況に立った西部は、再び横ロープを多数繰り出しさらに攻勢を強める。西部の若衆がロープを持ち、桜美町の陣地に流れ込んだ。さらに曳山の上に20人前後の若衆が次々と上がって、「オイサッー、オイサッー」の掛け声の合わせ体を揺らし、圧力を掛け桜美町の曳山を潰しにかかる。まさに西部黄金時代の象徴とも言える光景だろう。ここ数年は東部や岩瀬らの強豪を圧倒し、確固たる地位を築き上げた桜美町であったが、まさかの大苦戦である。状況を悲観した一部の若衆が少しずつ曳山から離れ、桜美町の黒い半纏が少なくなり、周囲は西部の青い半纏が覆い尽くすようになって来た。

西部の土台先端が桜美町の欄干の上に乗り上げ、ガッチリ食い込んでいるとはいえ、桜美町も気合一閃で後退すれば外せるかもしれない。しかしその戦術を取らず、あくまで前進の構えの桜美町。交渉決裂時に「力ずくでも前に進む」と宣言した事を遵守しようというのか。桜美町はほとんど後退の戦術を取らない丁内である。それはかつての同胞であり、兄貴分の横町の流れを汲んでいるものと思われる。まして今でも横町の曳山を強く慕っているこの年の正責任者(指揮官)I 氏は、その美学を踏襲しているのかもしれない。その後の横町や桜美町は(その年の正責任者によって)、後退する戦術を用いる時もあるが、この西部戦では前進あるのみの姿勢のようだ。

西部ミニ曳山(人形・伊達政宗) × 桜美町ミニ曳山(人形・八幡太郎義家)

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西部からの凄まじい攻勢で、だいぶ押し込まれた桜美町。しかし状況を打開する為、後退し体勢を立て直す考えは毛頭無いようだ。あくまで前進にこだわる考えのようである。そんな6時間以上に及ぶ西部と桜美町の大激闘だったが、空を見上げると少しずつ夜が明けて来た。余裕が出てきたのか、西部はこの状態のまま後退し、すぐに前進して相手に打撃を与える戦術を取る。西部が後退し組んでる状態が外れた時、桜美町が間髪入れず前進。そして勢いそのままに、西部の曳山をある程度押し戻した。久々に桜美町の若衆が湧いた瞬間である。

西部が後退し外れた時、桜美町も後退し体勢を立て直す事も可能だったが、あくまでも交渉時に宣言した「力尽くでも前に進む」という目的をこだわった形だ。最後の最後に意地を見せた桜美町。厳しい戦いだったが、最後まで降参はしなかった。そして最終盤の猛反撃は意義のあるものだったのではないか。ちなみに余談であるが、この年の桜美町の本番装備のテコは、通常の3本でなく2本であった。西部が2本だったので、桜美町もそれに合わせたのか。又、3本で臨んだものの、力を込めすぎて真ん中の1本だけが破損したのだろうか?そんな中、夜が明けて来た。若衆も地面に座り休んでいる。間もなくし、和解に向けた交渉が開始された。

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