|
組んでる状態を解く和解交渉を行なっていた西勝楽町と岩瀬であったが、深夜2時半すぎ責任者(指揮官)同士の直接交渉により、合意に至ったようだ。組んでる状態を解き、互いに曳山を端に寄せ、交互に歩を進め交差する、同時交差に近い形だろうか。曳山ぶつけの余韻が残る中、両者は無事に交差した。昭和29年以来、49年ぶりとなる対戦だったが、非常に見応えあるものであった。余談だがこの後すぐ、桜美町と横町の曳山がやって来た。彼らも他曳山との本番激突を終えて来たらしい。西勝楽町と岩瀬(Uターンして来た)と対峙し、全ての交差が終ったのは朝5時頃だったと記憶している。この年の横町西界隈は最後まで賑やかだった。
その後、西勝楽町と岩瀬の再戦は実現していないが、現在の力量はどのような物なのか検証したい。直近のお祭り(2009年)で西勝楽町は、東部と対戦した。2004年のお祭りで苦杯を喫した因縁の相手である。まさにリベンジ戦となった訳だが、降参を奪った訳ではないが事実上のリベンジを果たしている。その戦いぶりは従来の西勝楽町のイメージを一変させるものだった。スマートだった旧型の曳山時代は「試合巧者」。重厚な現行型の曳山になってからは「反撃型」のイメージだったが、後方の本番装備を新調したこの年からは「豪腕型」といった所か。とにかく凄まじい戦いぶりで、見ていた者は戦慄を覚えたのではないか。
一方で岩瀬はどうか。今年のお祭り2日目、兄弟曳山の山根と観光用激突(正面からぶつけては引くを繰り返す、観光客向けの余興的な激突)を組んでいたのだが、それを控える時の1シーンの事。栄町の通りに構える、岩瀬の若衆の人数はハンパじゃなかった。とんでもない人数であった。それは王者として君臨した昭和の全盛期を彷彿させるものだった。これまで当ブログでは西部を、現在の最大人数丁内と紹介していたが、もしかしたら岩瀬が再び逆転したのではないか。思わず見入ってしまった程だ。そんな岩瀬と西勝楽町が再戦をしたら想像を絶するような大激戦になるだろう。それがいつになるかは分からないが、興味は尽きない所である。
西勝楽町ミニ曳山(人形・柴田勝家) / 岩瀬ミニ曳山(人形・酒呑童子)
|