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再び押し合いに移行した桜美町と下岩瀬町。かれこれ4時間ほど激闘が続いていたが、日付が変わった9月10日の午前4時前後だろうか。薬師堂参拝を終えた最大人数の大丁内・西部の曳山が、桜美町の後方にやって来た。桜美町と下岩瀬町のどちらにとっても、西部は因縁ある存在なので一気にその場に緊張感が走る。一定の距離を置いた所に本拠を構えた西部は、少ししてから桜美町に対し接触を図って来た模様だ。 「1995年・西部vs桜美町」の本番激突 → http://blogs.yahoo.co.jp/moriokawakamono/folder/1186086.html 西部と桜美町は元友好丁内同士であるが、対立が生じた90年代中盤に激しい覇権争いを繰り広げた。数年前の抗争は、両丁内の若衆にとって記憶に新しいところだろう。しかし西部の目的は下岩瀬町のようだ。こちらは15年も本番激突から遠ざかっており、逆に対話が出来た丁内同士で、観光用激突(曳山を上げず、ぶつけては退くを繰り返す、観光客向けの余興的な激突/真剣勝負でない)を、隔年ながら組んだりもしている。 この年のお祭り2日目も西部と下岩瀬町は観光用激突を組んでいた。しかし経緯が特殊だった事もあり、お祭り直前にして条件の食い違いが露出。その擦り合わせが不調のままお祭りに突入した。終了後に下岩瀬町が転回し駅前に向かうと、西部がそれを徹底的に追跡する一幕があった。結局、対決には至らずお祭り3日目に突入。同じく対戦を望んでいた桜美町が、(西部より先に)下岩瀬町を捉え現状に至っている。 その西部に後ろに尾けられた桜美町。数年前まで抗争を繰り広げていた経緯があるので、若い世代はやや警戒気味か。しかしベテラン世代や幹部クラスは、比較的冷静に振る舞っている。95年と97年に凄まじい死闘を演じた両丁内。その後(両者にとって)共通の友好丁内である横町の仲裁で、一時休戦の協定(2000年・西部vs菅沢の第ニ幕を参照)を結んでいる。よって後からぶつけられる可能性は低く、一安心といったところか。 西部としては速やかに目の前の桜美町と下岩瀬町の一戦を終結させ、両者が交差した直後に下岩瀬町と前日の決着戦に持ち込む事である。あと数時間で夜が明けお祭りも終わる。西部にとっては時間が無い。桜美町に対し対戦の譲渡を迫る西部。桜美町としても打倒までは至らないものの、自らの誇る本来の力を仇敵・下岩瀬町に示したので、対戦権を西部に譲ってもいいと考えたのか。かつての抗争相手・西部との話し合いに応じ始めた。 一方で上記の両丁内を敵に回す下岩瀬町にとっては忌々しき事態だ。もし桜美町と安易な和解に応じ交差してしまえば、間髪入れず西部との本番激突に突入するだろう。実力的には負けないものがあるが、強豪である桜美町と5時間近くやり合った直後に、最大人数の上に疲れていない西部とのダブルヘッダーはさすがに厳しい。絶対に西部や桜美町の共謀に乗る訳にはいかないのだ。 どうやら西部と桜美町の幹部(正責任者自らか?)が、揃って下岩瀬町に対し接触して来たが、後者は完全無視の構えのようだ。どんなに呼びかけて来ようが、下岩瀬町は全く応じる気配が無い。刻々と時間が過ぎ、次第に焦って来る西部。又、挟まれている桜美町としても、自由に動けないので好ましい状況ではない。下岩瀬町だけでなく、西部や桜美町も苦しい状況なのだ。神経戦に突入した三丁内。どのような結末を迎えるのか。 西部ミニ曳山(人形・伊達政宗 / 桜美町ミニ曳山(人形・八幡太郎義家) × 下岩瀬町ミニ曳山(悪源太義平) 新ミニ曳山コメント掲示板DX(ファン登録者限定)→ http://blogs.yahoo.co.jp/moriokawakamono/29083720.html
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