ミニ曳山合戦絵巻

角館のお祭りとキン肉マンの激闘を精巧に再現!!

作品一覧(ミニ曳山)

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宇喜多が作った「角館のお祭り」のミニ曳山を紹介するコーナーでござる!!
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◎柴田勝家(1522年〜1583年)
織田氏の重臣。初め信長の弟・信行に仕え、信行の反逆に味方したが降伏。切腹を覚悟するが、勝家の実力を高く評価している、信長から許され忠節を誓う。以後は筆頭家老として、織田家の勢力拡大に尽力する。1570年、近江の長光寺城を守っている時、水不足に陥り苦戦するが、水瓶を破り出撃して六角氏に勝利。「瓶割り柴田」や「鬼柴田」の異名で恐れられるようになる。1575年、信長は越前を勝家に与え、北陸地方の総管とした。猛将のイメージの強い勝家だが、領内での善政ぶりは有名である。勝家は1580年に加賀も平定し、越中に進出する。佐々成政・前田利家らを組下とし、上杉謙信・景勝と交戦。しかし本能寺の変では、対上杉の備えで上洛できなかった。信長後継を巡り、信長の三男・信孝を擁立しようとし、信長の嫡孫・三法師を推す羽柴秀吉と対立。ついには全面対決に至った。しかし賤ヶ岳の合戦では、佐久間盛政の命令無視の他に、前田利家の戦線離脱もあり敗戦。本拠地・北庄城に落ち延び、羽柴軍と最後の戦いに挑むも、奮戦むなしく妻・お市の方と共に自刃した。

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◎平敦盛(1169年〜1184年)
平安末期・平家の武将。平経盛の末子。従五位下に叙せられたが、官職に就いていなかったので無官大夫と呼ばれた。又、女性のような美しさを持つ武将としても有名である。1184年(元暦1年)、源氏軍との一ノ谷の戦いに敗れた平家は海上へ逃れた。このとき逃げ遅れた敦盛は、源氏方の熊谷直実と一騎討ちを展開する。奮戦するも直実に捕り押さえられ討たれた。享年は16歳または17歳と伝えられる。稀代の笛の名手で、祖父・忠盛が鳥羽院より賜わった名笛小枝を携えていたという。敦盛を討った直実が、人生の無常を感じ出家する話は「平家物語」などに収められ、幸若舞曲「敦盛」、謡曲「敦盛」、また浄瑠璃「一谷嫩軍記」などでよく知られている。

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◎悪源太義平(源義平 1141年〜1160年)
平安後期の武将。源義朝の長子にして頼朝の兄である。父と対立関係にあった木曾義仲の父を討ち取り、源氏を代表する剛勇として「鎌倉悪源太」と恐れられた。保元の乱(1156年)に戦功のあった義朝は、父・為義を殺されるなど戦後処理に不満をもっていた。一方、当時の実力者・信西入道(藤原通憲)に出世の道を阻止された藤原信頼は、義朝を誘って信西を滅ぼす機会を狙っていた。1159年12月、信西の武力的後援者である平清盛一族の、京都留守中を狙いクーデターを決行。義平も父に従って勇戦。熊野から引き返す平氏軍を、摂津阿倍野で迎え討とうと主張したが、信頼の反対にあった。そして戦況に利は無く、京都六条河原で敗戦。父は尾張で殺された。美濃まで逃れた義平は、父の死を聞いて京に引き返し清盛を討たんとねらったが、平家の難波経房に捕らえられ、永暦元年正月、六条河原にて斬られた。義平は斬られる直前、経房に「雷となって汝を殺さん」と言い残したという。数年後、怨霊(雷神)に化けて飛来した義平は、経房は雷を浴びせて殺したという伝説がある。

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◎平知盛(1152年〜1185年)
平清盛の四男であり、平家を代表する勇将である。平治の乱(1159年)の後、平家の台頭は著しく、父清盛の官位昇進に伴い、知盛も左中将・左兵衛督と昇進し、従二位権中納言となる。全盛を謳歌する平家政権に対して、後白河院を初めとして次第に対立勢力が表面化して来た。1180年(治承4年)に源頼政が後白河院の皇子以仁王を奉じて挙兵、平家追討の令旨が諸国に伝えられた。知盛は以仁王・頼政追討の為、以仁王の隠れる園城寺に向かい、奈良へ向かって脱出した敵軍を宇治平等院に破った。以後、木曽義仲や源義経らとの戦いが続き、一時的に讃岐屋島(香川県高松市)へ退く。1184年(元暦1年)1月、一ノ谷の戦いでも奮戦したが敗れ、海上経由で西国へ逃れた。翌年の屋島の戦いでも利なく、3月の壇ノ浦の戦いで源氏に敗れる。そして安徳天皇を始め一門の女性の入水を見届け、自らも巨大な碇を体に巻きつけ海に沈み、その波瀾の生涯に幕を閉じた。現在でも人形浄瑠璃「義経千本桜」の二段目『碇知盛』の題目で、知盛の豪快にして悲壮な最期が語られている。

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◎酒呑童子
伝説上の鬼の王。圧倒的な体格と力を誇り、婦人や財物を奪ったと伝えられる。丹波の大江山に住み、源頼光の四天王と対決した。平安末期、大江山が盗賊の巣窟になっていた事から生まれた伝奇に、源頼光と四天王の武勇譚が付与されて、古浄瑠璃・歌舞伎などの題材となった。その内容は、池田中納言の娘が大江山の鬼に誘拐されて、悲しみのあまり時の帝に奏聞した所、源頼光に退治を命じたので、彼は渡辺綱・碓井定光・卜部季武・坂田公時の四天王と、藤原保昌らを従え山伏姿で大江山に登頂。巧みに酒宴を開き酒呑童子を酔い潰し、その間に酒呑童子を退治して姫を救ったという物。「大江山鬼伝説」は歌舞伎や狂言には何度も登場し、近松の人形浄瑠璃にも上演の記録がある。又、各地の山車お祭りの人形外題として、非常に高い人気を誇っている。

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