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知り合いの喫茶店のマスターは、古いレンガ造りの建物や塀に興味があって、店が休みのときに散策している。そのマスターが、先日、荒川区にある「旧千住製絨所」のレンガ塀を見に行ってきたそうで、「ぜひ行ってみなさい」と言われ、それではと、さっそく訪ねてみた。
 
 
時折小雨が降る寒い日だった。駅前や、交番で道を聞いた。
 
荒川区の南千住駅から徒歩10分ほどのところに、すでに工場は取り壊されていてないが、旧千住製絨所の跡地はあった
 
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レンガの塀も残っているのは、北西側の荒川工業高校と南千住野球場沿い、南東側のスーパー「ライフ」沿いのみだが、それが歴史を感じさせ、風情がある。
 
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千住製絨所は、殖産興業をすすめる明治政府が建てた、日本初の官営毛織物工場だ。
明治12年(1879年)に敷地面積8300坪、建坪1770坪という広大な工場として創業を開始した。
 
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ドイツで長年毛織物技術を学んできた井上省三が初代所長となり、国産の生地生産の発展のために尽力した。日本の羊毛産業の功労者として、その像が荒川スポーツセンターの前に建てられている。
 
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現在残っているレンガ塀は、明治44年(1911年)〜大正3年(1914年)頃に建てられたものとみられている。
 
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千住製絨所は、内務省、農商務省と所管が変わり、明治21年(1888年)に陸軍省の管轄となり、敷地面積を拡大し、毛織物生産にとどまらず、研究施設や福利施設なども整備された。
その後に、陸軍の工場として、「富国強兵」「殖産興業」の国是のもとで、軍服の生産を担ったという。
大正時代には周辺地域を買収して敷地面積32400坪余りに創業時の4倍近くに拡張された。
 
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工場は、敗戦後、昭和24年(1949年)に「大和毛織」に払い下げられ民間工場となったものの、新素材が次々と流通するようになる中、需要が落ち込み、昭和36年(1961年に閉鎖され、80年余りの歴史に幕を閉じた。
 
跡地の一部に、昭和37年(1962年)に東京オリオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身)の本拠地球場だった東京スタジアムが建設されたが、これも昭和47年(1972年)に閉鎖、解体された。
実は、私が子どものとき、はじめてプロ野球を観戦に行ったのが東京スタジアムだった。
 
現在は、都立荒川工業高校、南千住野球場、スーパーライフなどとともに、南千住警察、荒川総合スポーツセンター、東京都水道局第二支所、都営住宅などが旧敷地に建っている。
 
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荒川工業高校側のレンガ塀から、スーパーライフ側のレンガ塀まで歩くと、その敷地がいかに巨大だったのかがわかる。
 
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昨年、群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録されたが、富岡製糸場が開業した7年後に、この千住製絨所ができた。しかも、最大で、富岡製糸場の16255坪の倍の面積を有した巨大工場だった。もし、建物が残っていれば、世界文化遺産となっていたかもしれないな、などと思ったりした。
しかし、残されたレンガ塀だけでも、歴史的な価値のある荒川区登録無形文化財に登録されており、荒川区がバットレスなどで補強もしながら保存していることに心から敬意を表したい。
 
レンガ塀を後にして、近くを散策してみたら、こんな日本風の塀もあった。
 
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近くにある素盞雄(すさのお)神社(天王神社ともよばれている)に立ち寄った。いろいろな花が咲いていた。
 
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桃の節句にちなんで、境内にたくさんの雛人形が飾られていた。桃の花は、古来から魔除けの力を持つ木とされ、桃太郎の説話もそのことに由来するという。
 
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そして、隅田川にかかる千住大橋。
 
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橋の袂に、突然、陸軍大将の林銑十郎の筆による「八紘一宇」の石碑が目に入った。「紀元2600年(昭和15年、1940年)建立」とあるが、なぜ、こんなところに?。
 
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軍服を生産していた千住製絨所がすぐ近くにあったことと関係しているのだろうか?
かつて日本がアジア・太平洋戦争に突き進んでいった苦い歴史の反省材料として残されているなら、そのことが書かれていいはずだが、何も説明がなくポツンとただ立っている。戦争に至った歴史を示す一つとしてなら、きちんと説明書を建てるべきではないだろうか。
 
国会では、自民党の三原順子参院議員が、「『八紘一宇』は日本が誇る世界のお国柄」「日本が建国以来大切にしてきた価値観」と絶賛し、強い者が弱い者を助ける論理だとして、この理念を日本が世界に発信すべきと質問したことが問題になってる。
 
三原議員は元女優だったが、俳優の故菅原文田さんは「戦争だけはしちゃいかん。政治の役割は絶対に戦争はしないこと」と死の目前まで訴え続けた。宝田明さんは、「二度と戦争は越してはならない」と、自らの辛い戦争体験を「命ある限り」と語り続けている。
そのこととあまりに対照的すぎる。
 
また「八紘一宇」については、現在発売中の「文藝春秋」4月号で北海道大学の中島岳志准教授が『八紘一宇とイスラーム国の危うい類似──若者はなぜテロリストになるのか』と題した論文で、「『八紘一宇』と同じ様に『イスラーム国』による悩める若者を溺め取る大きな物語に気をつけなければならない」と述べているが、最近の「イスラム国」や「オウム」の事件に関する論評で、過去の日本の「八紘一宇」が度々登場している。
 
話がそれてしまった感があるが、いずれにしても歴史的建造物や遺産、日本の古き良きものを残し、後世に残していくことは大切だが、反省すべき「二度と繰り返してはならない歴史」を美化して「取り戻す」ことなどは、歴史を冒涜するものであり、許されるべきものではない。
 
そんな事を思いながら、レンガ塀のある街を後にした。
 
 
なお、あとで調べたら、荒川区には、隅田川の水運にも恵まれていたこともあり、明治の初期から尾久地区を中心にレンガ工場があり、製造されたレンガは、工場、住宅、土木構造物などの建材として使われて広く用いられたという。
なるほど。あちらこちらにレンガの塀や花壇があったり、民家の軒先にレンガが積んであったりした。
 
千住製絨所の塀のレンガも“地元産”だったのだろうか。
 
 
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閉じる コメント(6)

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2015/3/21(土) 午前 6:07 [ 悪人正機 ] 返信する

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三原じゅん子は意味わかってないのです。本当に良い言葉だと思って禁止用語なのに知らずに使っていますね。不勉強な議員の反則発言です。
それをきちんと教えず野放しにしている今の国会もおかしいと思います。
『八紘一宇』の碑は日本中にいくつかあることでしょう。このような誤解のないようにしてもらいたいものです。

2015/3/21(土) 午後 8:23 mimi 返信する

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初よろです(*´艸`*)
普段はコメントしないのですが惹かれてコメントさせて頂きました(*´∀`*)
私のあまり詳しくないジャンル記事もあって参考にしたいと思いました(*´艸`*)
私のブログも「こうした方が良いんじゃない?」って事があればレクチャーお願いします★ 削除

2015/3/21(土) 午後 11:00 [ ゆうママ ] 返信する

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悪人正機さま
ありがとうごさいます。

2015/3/22(日) 午前 1:44 [ TABIBITO ] 返信する

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mimiさま
戦争を体験していない議員が軽々しく、そのような発言することに唖然とします。意味をどこまで理解しているのか。
仰るとおり、まわりにそういう議員を嗜める議員もいないことにこれからの日本の政治の行く末を危惧します。

2015/3/22(日) 午前 1:51 [ TABIBITO ] 返信する

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ゆうママさま
ありがとうごさいます。

2015/3/22(日) 午前 1:52 [ TABIBITO ] 返信する

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