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「毎日新聞」6月8日付夕刊の「特集ワイド この国はどこへ行こうとしているのか 『平和』の名の下に」で、作家の半藤一利さん(85)が再び登場し、インタビューに応えていた。
 
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昨年5月には、歴史の「ノーリターンポイント」(突き進むしかなくなる引き換えせぬ地点)について語っていたが、今回は「『非国民』にされる空気」として安保法制問題と異なる言論に対する許容度の低下について語る。
 
1年前と同じ喫茶店の同じ席で、半藤さんは「あれから、まだ1年しかたっていないんですね」と小さく笑った。
 
昨年5月のインタビューでは、安倍政権が集団的自衛権を行使可能にする憲法解釈の変更に踏み出したのを受けて、何度も指で空をつまむ仕草を繰り返し「戦争の芽を一つ一つつぶしてかかるしかない。こんなふうに、自分の手で」と言っていた半藤さん。
今回は「この1年で国は随分変わりましたね。『戦争の芽』は指ではもうつぶせないくらいに育ってしまったようだ。戦後70年の間で、今ほど国会で『戦争』が論じられた日が過去にあったでしょうか。70年間、常に平和を論じてきたはずなのに」と語る。
 
東京大空襲の焼け跡で14歳だった半藤少年は「絶対に日本は正しいとか、絶対に神風は吹くとか、すべてうそだ」と思い知った。それ以来「絶対」という言葉を使わないと決めた。
安全保障関連法案が閣議決定された5月14日夜、安倍首相は記者会見で「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」と断言した。半藤さんはその安倍首相の「絶対」に対して「絶対、などとなぜ言い切れるのか。あの言葉に心から安心できた人がいたのでしょうか」と言いながら国会で審議中の11の安保関連法案の一覧や、武力行使できる新旧「3要件」の相違点が書かれていた小さな紙切れを見せてくれた。
「要点がわかりにくいのでメモを持ち歩いているんです。国会中継を見ていても、武力行使と武器使用は違うとか、後方支援は武力行使に当たらないとか議論がよく分からない」として「分かりにくさ」は意図されたものだ、という。
 
「安倍さんが語るのは理念だけ。集団的自衛権の行使が可能となる『存立危機事態』を説明するのにも、具体的な『仮想敵国』一つ挙げない」。
国会で議論になっている“具体的な地域”が「中東のホルムズ海峡」や「南シナ海」などとなっていることについて「朝鮮半島や日本近海での有事を語らない。国民が戦争を具体的にイメージし、恐怖や不安を感じ始めるのを巧妙に避けているかのようじゃないですか」と指摘する。
 
また、「分かりにくい理由のもう一つ」は「安保法案の一括審議だ」という。
「麻生太郎副総理が2年前、改憲について『ナチスの手口に学んだら』と発言したことで、立法権を国会が政府に委任した『全権委任法』が話題になりました。しかし実は、同法より前、ヒトラーは国会決議を経ない閣議決定で大統領緊急令を発令させ、ワイマール憲法を空洞化し、幾つかの法を一束にしてまとめて変え、国民の自由を制限しました」として半藤さんは、「安保法制の進め方にも似ていませんか?」と静かに言う。
半藤さんは、昨夏から隔月刊雑誌「こころ」(平凡社)に「B面昭和史」と題した新しい連載を書いているが、「政治家や軍人が刻んだ歴史がA面だとすれば、人々の暮らしや風俗から読み取れるのがB面の歴史。私たち民衆がかつてどんなふうに政府にだまされ、あるいは同調し、戦争に向かったのかをどうしても書き残しておきたいのです」と話す。
 
そこには、戦前の民衆の暮らしがじわりじわりと変わる様子が描かれる。
昭和2、3年ごろは盛り場をモダンガールと歩いた男性が、7、8年後には官憲から「非常時にイチャイチャするとは何事だ」と批判される。軍縮や対中国強硬論反対をぶっていたはずの新聞が読者の期待に沿うように<勝利につぐ勝利の報道>へとかじを切り、これがさらに読者の熱狂をあおる。「銃後」の言葉の下、女たちが自主的に兵士の見送りや慰問を始める……。<決して流されているつもりはなくて、いつか流されていた>。
 
「昭和の最初、米英批判は極端な意見に過ぎなかった。ところが人々がそれに慣れ、受け入れるうちに主流になった。リベラリストが排除され、打倒米英を本気で唱える社会となっていった。国定教科書改訂で『修身』が忠君愛国の精神を強調した数年後には『日本臣民』が続々と世に増えました」
別段、ヒトラーのような圧倒的な独裁者がいたわけではなかったが「むしろ政治家は、民衆のうちにある感情を受容し、反映する形で民衆を左右した。最初は政治家が世論を先導しているようでも、途中から民衆の方が熱くなり、時に世論が政治家を駆り立てたんです」と指摘する。
 
ではどうすれば、と問うと、半藤さんは「隣組を作らないこと、でしょうか」と言う。
 
「この国に今すぐ戦前のような隣組ができるとは思いません。でも今回の安保法案が成立すれば『非常時だ、存立危機事態だ』と人々の暮らしが規制され、できるかもしれませんよ、隣組」と述べ、「仮に自衛隊が海外派遣されるとする。『私たちのために戦いに行く彼らを見送ろう』と声が上がる。見送りすることは悪いことではないから批判しづらい。しかし見送りに参加しなければ『非国民』呼ばわりされかねない空気が段々と醸成されていく。ありえると思いませんか」と問いかける。
 
半藤さんは今、“異なる言論に対する許容度”が極端に落ちていることも深く懸念しているという。「閉鎖的同調社会になりつつあるのではないでしょうか。似た考えの仲間だけで同調し合い、集団化し、その外側にいる者に圧力をかける。外側にいる者は集団からの圧力を感じ取り、無意識に自分の価値観を変化させ、集団の意見と同調していく。その方が楽に生きられるから」だとし、「今はまだ大丈夫。こうして私たちが好き勝手なことを話し、書けているうちはね」と半藤さん。
 
「だから異なる考えを持つ人と語り合い、意見が違っても語り合えるだけの人間関係を築きましょう。物言えば唇寒し、と自分を縛らず、率直に意見を述べ合い、書いていきましょう」
 
最後に、記者は「テーブルの上に置かれた半藤さんの手を再び見つめた。言葉を紡ぐことを諦めないこの手こそが、戦争の芽をつむのだ、きっと。」と記事を結ぶ。
 
 
 
前回のブログで紹介したが、半藤さんは、1930年東京生まれ。1945年3月10日に14歳の時に東京大空襲で炎に追われて、中川に飛び込んだときに、自分にすがろうと伸びてきた手を振りほどいたという。その体験が忘れられず、それから何度も空襲の夢を見たという。
 
その半藤さんの著書「日露戦争史」の冒頭に「歴史には、あとは一瀉千里(いっしゃせんり)に突き進むよりほかはない時点があるのかもしれない。いわゆるノー・リターン・ポイント(引き返せぬ地点)である」と書いている。
 
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前回のインタビューで半藤さんは「日本が戦争にかじを切ったいくつものターニングポイント(転機)」として、1925年の治安維持法、1931年の満州事変、1936年の2.26事件、1937年の盧溝橋事件などを上げながら、「太平洋戦争であれば1931年の満州事変がその一つ」として、「1938年の国家総動員法が、昭和の国民にとって後戻りできぬ戦争へとすすむ転機となった」と指摘した。
 
そして「しかし国民がいきなり好戦的になったわけではない」「世の中にも人の心にもまだ余裕があり、時の権力者が中国を植民地化する野望を抱いていたことなど気づいてもいなかった」としながら「今の日本も同じ。昭和の国民が気づいていなかったのと同じように、私たちも気づいていないだけではないでしょうか」と述べている。
 
その知らず知らずのうちに「気づかない」うちにすすみ、つくられていることの一つが、今回、半藤さんが指摘する「『非国民』にされる空気」なのではないだろうか。
 
政権の中心にいる人や政治家たちはもちろん、国民の間でも、自分と意見の違う者に対して「非国民」と同じ様に「売国奴」「反日」などとされる「空気」があり、ネットなどではそれらの言葉が飛び交っている。
こうした中で、半藤さんの言うように「異なる考えを持つ人と語り合い、意見が違っても語り合えるだけの人間関係を築きましょう。物言えば唇寒し、と自分を縛らず、率直に意見を述べ合い、書いていきましょう」──そのことが今ほど大事になっているときはないとだろう。
 
戦後70年の2015年が、歴史の「ノー・リターン・ポイント」とならぬように、私たちが何をしなければならないのか、何ができるのか、改めて考えさせられた。
 
歴史に裏打ちされた半藤さんの言葉は重い。
 
 
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閉じる コメント(2)

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ペイパーを職業としている歴史学者の陥る大きい誤りは、過去の次元を現在の次元でみる事だ。
過去は過去、現在は現在、未来は未来の時間次元で思考すること。それが現実の歴史である。

2015/6/11(木) 午前 11:08 [ tas ]

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tasさま
ご意見ありがとうございます。現実と事実にもとづく歴史こそ重要かと思います。

2015/6/13(土) 午前 1:27 [ TABIBITO ]


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