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自然に 素朴に 明日をみつめて

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先日、浅草に行ったときに、前にも入ったことのある、100年以上も前から開業しているレトロなカフェ──「MILK−HALL Laplagu(ラ・プラージュ)」に入った。

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小さな縦長のショーウインドーが洒落ている。

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前に入ったときは1階席だったが、今回は2階席だった。

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明治時代から開いていたこのお店、最初は「ミルクホール」だったということだが、東京で一番早く出来たミルクホールで、その頃は、絞りたてのミルクを出していたそうだ。

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「ミルクホール」は、明治から大正時代にかけて、市街地にできた飲食店である。明治時代に時の政府が国民の体質改善のためにミルクを飲むことを推奨したことに端を発しているらしい。
コーヒーが台頭してくると、コーヒーを提供するミルクホールが大正時代に全盛期を迎えるが、関東大震災を契機にして「喫茶店」に取って代わられていったという。

ピザトーストとブレンドコーヒーを注文。ピザトーストは、厚みもあるが、実においしかった。
 
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お客さんもあまり来ず、ゆったりと過ごせた。
壁や階段には油絵が飾られている。

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散々歩いて、汗をかいて入ったが、クーラーだけでなく、椅子やテーブルも涼し気だ。


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前に来たときは気づかなかったが、今回はマッチをいただいた。

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もう一つは、群馬県・桐生の寺院を巡った時に、桐生西宮神社の近くを車で走っていたときに、たまた看板が目に入って、訪ねてみた喫茶店──「古民家cafeらいむ」だ。

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静かな住宅街にあり、古民家をリノベーションして最近開業したばかりだという。
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店内は明るい。

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野菜ジュース(ラ・ビバ)を販売する企業が運営しているとのことで、野菜ジュースやいろいろな自然食、お米なども販売している。

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黒の格子のインテリアが、和風の落ち着いた雰囲気を醸し出している。

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すでに食事をしたあとだつたので、アイスコーヒーを注文したが、オーガニックにこだわったランチもさまざまあり、今度ぜひ食べに来たいと思った。

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このお店のすぐ近くには、レンガの建物や、昔のキリンビールの看板のある酒屋さんなどがある。

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いずれも、猛暑の中を歩いた後で、ひとときの凉に救われた思いである。

群馬県の桐生市は、伝統的な絹織物が盛んな地域であるとともに、歴史的建造物、史跡など文化財も多く残されている。
さらに、歴史のある寺院や神社も多い。

東京で連日猛暑が続く中、夏の“最高気温”で常に上位をキープする群馬県に行くのは冒険ともいえるが、お寺や神社のあるところは緑に囲まれきっと涼しいにちがいない……などと、楽観的な判断をして、足を運んだ。
 


まず、川内町にある臨済宗宝徳寺。

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宝徳寺は臨済宗大本山巨福山建長寺(神奈川県鎌倉市)第73世仏印大光禅師を開山として、桐生佐野正綱公の開基によって宝徳年間(室町時代の1450年頃)に創建された禅寺で、桐生城(柄杓山城)の裏側を守る為の要害という意味もあってこの場所に建てられたという。

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本堂などがとても新しく見えたが、今の本堂などは平成14年に新築したという。
毎年5月初旬から中旬にかけてのぼたん祭り、11月頃の紅葉祭りは見事で、人でも多く出るらしい。本堂の床に反射しての「床もみじ」は絶景だという。

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境内には、広島原爆の残り火「平和の火」というのがあり、四角いガラス窓からその火が灯って見える。

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案内板には次のように書かれている。

「この火は、1945年広島に投下された原爆の残り火です。福岡県八女郡星奈村(現八女市)の山本達郎さんが、原爆投下後の広島から故郷に持ち帰り、『恨みの火』『復讐の火』として火鉢やこたつにひそかに保存していました。『報復では永久に平和は来ない』と考えを改め、23年後の1968年星野村役場に提供し、以来同村は『平和の火』として保存しています。1988年ニューヨークで開催された第3回国連軍縮特別総会に運ばれ平和のシンボルとして灯されました。戦後70年を迎えるにあたり、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えていく為に201586(広島原爆忌)に八女市より分火してもらいました。」

その隣には「世界平和の鐘」がある。

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六地蔵。

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■宝徳寺 
 川内町5丁目1608
 電話: 0277-65-9165


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次は、萬松山崇禅寺。

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崇禅寺は、元久2年(1205)に、法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、俗名・園田太郎成家)によって浄土宗寺院として開創され、その後南北朝の中頃、応安3年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第45世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山されその長い歴史と法灯を今日に伝えている。この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる開創以来約800年の歴史を持つ古利である。

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境内には、高さ約22メートル、目通り6メートルもある、樹齢600年以上のイトヒバがある。昭和52年52に落雷で先端が枯れたこともあるという。
実に見事で、太い幹に手を当てて目を瞑ってみると、不思議に心が安らいだ。
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ここにも、六地蔵が。
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■崇善寺(そうぜんじ)
 桐生市川内町2丁目651
 電話: 0277-65-9422
 

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桐生西宮神社。

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桐生西宮神社は、関東で唯一の兵庫県西宮市のえびす宮総本社西宮本社の直系分社として、明治34年11月20日分霊勧請した。「関東一社 桐生西宮神社」と呼ばれ、県内有数の古社として知られる上野国延喜式内社「美和神社」の境内内に勧請した
御祭神は、蛭子大神で、毎年秋季例大祭である「桐生ゑびす講」は、毎年1119(宵祭り)20(本祭り)の両日行われるが、商売繁盛などを願う多くの参詣客が桐生近郊、関東一円から20万人余の参拝者がおとずれ、周辺道路は歩行者天国となって賑わうという。
 
なお、隣の美和神社の祭神が大物主(大国主・大黒)であることから、桐生ゑびす講は、恵比寿・大黒の二大福神が揃った祭であるとされる。
 
 
■桐生西宮神社
 桐生市宮本町2丁目1‐1
 電話: 0277-22-4390
 

次は、大蔵院。

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大蔵院は、天台宗総本山比叡山延暦寺の直末寺で、傳教大師最澄上人が東国地方を教化巡錫して上野(群馬)、下野(栃木)を教化した折りに桐生の里に一草庵を建立したのが大藏院の開創と伝えられる。
大藏院と桐生天満宮との関係は、桐生豊綱のころ、佐野より清蔵院なる山伏(祈祷師)があり、祈祷をもってその名を知られていたので豊綱は彼を迎え上久方字の山王に居住させて桐生家の祈願所とした。その後、清僧となり下久方字谷の大中牢の林に一宇の寺を建立し、桐生家の為に祈祷僧としての役目を果たしたとある。桐生城落城後に赤城の森に移りその後天満宮の別当寺となり、慶長11年(1606年)、清蔵院から大藏院と寺名を改め、更に正保4年(1647年)常祇の薬師堂も天満宮境内に移したという。

その後、明治維新の神佛分離以前は大藏院は現在の天満宮境内にあったが、明治政府の政令によって現在地の桐生市東久方町に移転、時の住職が天満宮の御神体(菅原道真公及び本地佛の11面観音像)を持参し現在は当寺の観音堂(金比羅様)護摩堂に護持奉安している。

大蔵院
 桐生市東久方町1丁目1-36
 電話: 0277-44-4915
 

最後は観音院。

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観音院は、真言宗豊山派の寺院で、正式名は「諏訪山 観音院 能満寺」と号する。一般には「日限地蔵尊」として知られる。
本尊は聖観世音菩薩で、境内には、地蔵菩薩を祀る地蔵堂があり、毎月24日の縁日には、参道に露店が立ち並び、多くの参拝者が訪れる。
観音院は、約370年前の江戸時代初期の正保元年(1644年)に、当地で織物業をしていた岩崎彦右衛門が開基となり、法院秀賀和尚を開山として創建したち伝えられている。以来、永年法灯を受け継ぐ。御本尊様は聖観世音菩薩で秘仏としてお祀りされてをり江戸時代初期の御仏である。また、特に「群馬名所百選」に選ばれた日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)が祀られていて、この地に深く広く信仰され「お地蔵さま」と親しまれている。

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寺伝によると、昔この村に大きな機屋があって、大勢の奉公人は夜も遅くまで夜なべ仕事をしていた。 ある時そんな機屋の窓辺に不思議な影が毎晩現れると、家中で騒ぎとなってしまった。ある晩の事、気味悪がった家人がその影を鉄砲で撃ってしまった。手ごたえがあったので行ってみたが影も形もなかった。すっかり肝をひやした家人はろくろく眠る事も出来ずに夜明けを待って調べてみ。するとそこには土に点々と血の流れた跡があり、その跡をつけて行くと観音院の庭で消えていた。
ある夜の事、この機屋の主人の夢まくらにお地蔵様が現れ「わたしが毎夜そなたの家の外に立っているのは、そなたの家を守護するためだ。わたしは野天に立っているため衆人の信仰もない。世の大勢の人々を守護するためお堂を建ててほしい。その時は何日なりと日を限って願かけをすれば必ず願望をかなえよう」とお告げがあったという。
さっそく主人は村人にこの話をしたところすぐに村中に知れ渡り、そして当院の庭からひっそりと屋天に祀られたお地蔵さまが見つかった。よくよくお地蔵さまを見ると不思議にも肩に鉄砲の玉の跡があった。先に騒ぎとなった影の正体がこのお地蔵さまだと知る事となり、村人たちはこのお地蔵さまが日々村を見守っていてくださったのだとわかり、大勢の人の浄財を集め現在の場所にお堂を建立してそこにお地蔵さまを移して安置した。その後は盛んに祈願法要が行われるようになり、機屋の商売は益々繁盛し、この村の織物が一大産業として発展したと云われてる。(日限地蔵尊観音院縁起より)


風鈴が涼しげだった。

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なでぼとけ。

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■観音院
 群馬県桐生市東2丁目13−18
 電話: 0277-45-0066

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まだまだ回りたかったところがあったのだが、やはり暑さは厳しく、ここまでで帰路に向かった。
この日のニュースで、桐生が最高気温で全国4番目にランクしていた。


駆け足だったが、いずれも、歴史と由緒のある古刹で、もっとゆっくり回れればよかったと思ったし、ぜひまた足を運びたい。




いただいた御朱印(それぞれ数種類の御朱印があるところもある)。

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宝徳寺

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崇禅寺

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桐生西宮神社

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大蔵院

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観音院








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