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日米欧などの国際研究チームが10日の夜10時過ぎに、たいへん重要な発表を行った。米、ベルギー、中国など日本を含む世界6カ所で同時に行った記者会見で世界で初めてブラックホールの影を撮影することに成功したと発表したのだ。

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ブラックホールの存在は約100年前にアインシュタインの一般相対性理論によって予測されたが、それを証明したかたちになる。
 
そもそも、ブラックホールは、強大な重力で光さえも飲み込まれて外に出られないため、観測は難しいとされてきた。
 
今回の観測は、米国のハワイとアリゾナ、スペイン、メキシコ、チリ、南極にある、世界6カ所8台の電波望遠鏡を用いて、いわば地球サイズの巨大な望遠鏡で観測し、ブラックホールの影を捉えた。

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今回撮影されたのは、おとめ座銀河団の楕円銀河M87の中心に位置する巨大ブラックホールで、このブラックホールは、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍にも及ぶという。
 
ブラックホールは、想像図やシュミレーションでは、これまでよく見かけてきたが、写真で見ることができるのは、実に画期的であり、まさに快挙と言っていい。
 
アインシュタインも、あちらの世界で、おそらく舌を出して喜んでいることだろう。

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これだけの仕事ができたのは、なによりも、世界の科学者や専門家たちが力を合わせたからできたのである。
 
さらに、宇宙の謎の解明に力を合わせていってもらいたいし、今回の事を大きな教訓にして、環境問題や、貧困問題などにも世界が力を合わせて取り組んでいってもらいたいと思う。必ず問題解決はできるはずだ。

マリナーズのイチロー外野手(45)が21日、現役引退を表明した。

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 (「スポーツ報知」22日付)


今朝のスポーツ紙各紙が大々的に報道しているのは当然かと思うが、「読売」「朝日」「毎日」「産経」などの全国紙も1面と社会面で大きく取り上げ、夕刊にも、翌日の新聞にも特集記事が載るなど、イチローがどれだけの功績をあげたのかを物語っていると思う。

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  (22日付の朝刊各紙)
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(22日付夕刊各紙)



私が、まだ野球少年だった子どもの頃に、「ミスタージャイアンツ」こと巨人の長嶋茂雄が引退を表明したときにも、引退セレモニーで「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言を残し、日本中の多くの野球ファンに惜しまれた。たしか、あのとき、長嶋が、マウンド上で直立不動で話し、それを見るファンたちの多くも直立不動で見届け、テレビで正座して観ていたという話しも聞いた。
 
それに対して、今回のイチローの引退は、最後にプレイをした球場でも、記者会見の場でも、そんなに力を込めたものではなく、イチロ―らしく、軽快で、しなやかだったような気がする。しかも、「ミスターベースボール」として、日本だけでなく、世界の野球ファンに惜しまれたのだ。
 
野球は、何といってもホームランなど長打が出るのが醍醐味のように見られている。特に大リーグでは、筋骨隆々な大きな打者達が、ホームランを量産し、競っていると誰もが思う。
 
そんな中で、「スポーツ報知」の記事の中にあったが、イチローが3089本の安打を打ったうちの23%、約4分の1近くが「内野安打」というのにはびっくりした。509盗塁と合わせて、この脚力が史上初の10年連続シーズン200安打の礎になっているのは間違いない。
 
ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストで、ピュリツァー賞を受賞したこともある野球記者のレッド・スミス氏は、「野球の塁間90フィート(約27・432メートル)は、人類の作品で最も完璧に近いものだ」と言ったという。「この距離が短ければ内野安打が増え、長ければ簡単にアウトになってしまう。つまり、野球のスリリングなプレーを演出しているのが、この塁間の距離なのだ」そうだ。

「イチローは90フィートの塁間の距離でメジャーの常識を覆していった。内野安打はメジャー1年目の01年に56本を放つと、10年には最多の64本を放つなど、3089本の23%に当たる713本(ベースボール・リファレンスによる)。デビュー当時の相手チームの内野手は、イチローが打席に立つと、浮足立った。簡単なゴロでも、プレッシャーで慌てるという光景が見られた。メジャーにスピードという概念を植え付け、恐れられた」と「スポーツ報知」の記事は書いている。
 
しなやかさとスピードでメジャーリーグの常識を覆したといっていい。
 
記者会見で「決断に後悔や思い残すことは」の質問に対して、「今日のあの球場でのできごと…。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。」として、「もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために、自分なりに重ねてきたこと」「自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言える」「これを、重ねることでしか、後悔を生まないということはできないのではないかなというふうに思います」と答えた。
 
また、「一軍デビュー後で、いま思い返して印象に残っているシーンは」と聞かれて「この後、時間がたったら今日が一番真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただ、それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではない」としつつ「自分にとって、それは目指してやってきたんですけれど、いずれそれは、僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのは、しなくてはいけないことでもあるとは思う」「そのことにそれほど大きな意味はないと言うか。そんなふうに、今日の瞬間なんかを体験すると、すごい小さく見えてしまうんでうよね。その点で、例えばわかりやすいのは10年200本(安打)を続けてきたこととか、MVPをとったとか、オールスターでどうたらとか、ほんと小さなことに過ぎないと思います。今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後チームと一緒になって練習を続けてきたんですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。」
 
そして、「今まで残してきた記録は、いずれ誰かが抜いていくと思うんですけど。去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないと、ささやかな誇りを生んだ日々であったんですね。そのことが、去年の話ですから近いということもあるんですけど。どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。」と述べた。
 
人にとって、人生にとって「誇り」とは、を考えさせられる気がする。

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 (22日付「日刊スポーツ」 )
 
 
「生き様で伝えたいこと、伝わっていたら嬉しいと思うことがあれば」という質問に、イチローは「生き様というのは、僕にはよくわからないけど、『生き方』というふうに考えれば…」と前置きして、次のように応えている。
 
「先程もお話しましたけれど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの日か『こんな自分になっているんだ』という状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないというふうに思うんですよね。
一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。
でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので。
そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日のあのゲーム後のファンの方の気持ちですよね。それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見て頂いていたのかなと。それは嬉しかったです。そうだとすればすごく嬉しいし、そうじゃなくても嬉しいです、あれは。」
 
なにかうなずけるものかある。もう60年、70年と生きてる人生経験を積んてきた人の言葉のようだ。
 
イチローの野球人としての人間像とともに、記者会見では家族についても語られた。
 
「弓子夫人への言葉は」という質問に、「いやぁー、一番頑張ってくれたと思います」と力を込めて、「僕はアメリカで3089本のヒットを打ったんですけど、妻は、およそ、ゲーム前ホームの時は妻が握ってくれたおにぎりを食べるんですね。の数が2800くらいなんですよ。3000行きたかったですね。そこは3000個握らせたかったなと思います。妻もそうですけど、頑張ってくれました。妻にはゆっくりしてほしいですね。」と語った。
 
そして、さらに、愛犬の一弓についても話が及び、「今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラですけど、懸命に生きているんですよね。それを見ていたら俺も頑張らないとと思いますよね。ジョークでもなく。あの懸命な姿。まさか最後まで、現役を終える時まで一緒に過ごせると思っていなかったので。一弓の姿は感慨深いですよね。妻と一弓には感謝の思いしかないですよね」と述べた。
 
奥さんが握ってくれたおにぎり、懸命に生きる老犬……ここにもイタローのモチベーションの原動力、精神的支えがあったであろう。
 
最後に、以前に、イチローが「自分は孤独を感じながらプレーをしている」と語ったことについて記者から問われ、「アメリカに来て、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれたんですよね。この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので…」「孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いこと、しんどいことから、逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく。そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています。」
 
まさにイチローの人生訓とでもいったところだろうか。
 
「こんなにいるの?びっくりするは」にはじまり、話がやや哲学領域に入ると、「僕、おかしなこと言ってます?」などと記者に確認をしたり。最後は、自分の発言に「締まったね、最後」と言いながら、「いやぁ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、みなさんも。ねえ、じゃあ、そろそろ帰りますか、ね?」と会見を締めた。
 
終始、軽快な言葉の中に、45年間の人生と、28年間の野球人生の積み重ねが垣間見える会見だった。
 
イチローありがとう!

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中秋の名月

今日は十五夜。

中秋の名月である。

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「中秋の日」というのは、旧暦の8月15日で、今年は、今日9月24日となる。
しかし、「中秋の名月」は必ずしも満月とは限らず、今回は、明日25日が満月であり、その前日となる。

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「十五夜」とは本来は満月のことで、年に12回または13回めぐってくる。
中でも旧暦の8月は1年の中で最も空が澄んでいて月が明るく美しいとされていたそうだ。
そして、平安時代から月見の宴が開かれ、江戸時代からは収穫祭として広く親しまれるようになったという。 

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昔からウサギが餅を突いているといわれるが、たしかに、よーく見ると、そんな気もするから不思議である。


ついこの間まで、記録的猛暑が続いていたが、耳を澄ませてみれば、もう秋の虫たちが盛んに鳴いている。

 

先日、9月15日は、米サブプライムローン問題に端を発した米投資銀行大手のリーマン・ブラザーズの破綻した「リーマン・ショック」(2008年9月15日)から10年目にあたる日であった。
その前後で、新聞などでは、「リーマン・ショック10年」として様々な特集や論評記事があった。
 
 

「日本経済新聞」9日付では、連載で「リーマン危機10年 当事者の証言(1) 責任不在、次の危機の芽」という記事を掲載している。
 
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冒頭で、あれから10年がたち、「世界経済や金融システムは息を吹き返したが、爪痕は残り、新たな危機の予兆はある。」と指摘する。
 
その記事の中で、リーマン副会長だったトーマス・ロッソ氏が、破綻の原因に関して「危機の本質はリーマンの経営問題ではない。様々な主体の『レバレッジ』(借金による投資)だ」と語っている。ロッソ氏によれば、「政府の持ち家促進策で家計も住宅価格の上昇を過信。返済能力の低い低所得者らへの住宅ローン(サブプライムローン)など過剰な債務が積み上がり、住宅バブルが育った」という。
 
「高度な金融技術を使えばリスクを分散できる」との幻想で金融資本主義は暴走。「個々のサブプライムローンは巨額の投資商品に仕立てられ、金融機関や投資家に転売された。やがて低所得者は身の丈を超えた借金を返済できなくなり、回り回って投資商品は価値を失った。その膨大な損失が金融機関を押しつぶしたのがリーマン危機の実相だ。」とする。

債券部門でリーマンのトレーダーだったローレンス・マクドナルド氏は「FRBが06年に利上げをやめたのをみて、経営幹部はさらにリスクをとるよう指示した。実態は不動産投資ファンドだった」と語り、「住宅バブルに踊った」と認め、「トップが収益拡大の旗を振り、過剰なレバレッジを使い、リスクの高いサブプライムローンなど不動産投融資にまい進。ウォール街では『破綻は自業自得だ』との声もあった」と振り返る。
 
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そして、今日の世界情勢と経済について、記事ではこんな指摘をする。
 
「米国を筆頭に主要国が同時成長を続ける18年。最高値の更新が相次ぐ米株価など経済は居心地のよい環境にある。だがそれはコインの一面にすぎない。10年前の危機がもたらした人々の不満は社会や心理の地殻変動を誘発し、米国という国のかたちを大きく変えている。その象徴が、露骨な『自国第一主義』を掲げるトランプ大統領の登場だった」

「『中国が盗み、日本が盗み……。我々から盗まない国なんてどこにもない』。今年8月31日、トランプ氏は資金集めの集会で巨額の貿易赤字を計上する相手国を批判した。大統領の口癖は『我々はピギーバンク(貯金箱)』。安全保障や貿易で気前よく出費や自由化に応じてきた歴代政権を非難する。『自国第一』で世界のリーダー役を放棄する流れが加速する。」
 
もうひとつ、「留意すべきなのは、いまの世界経済の好調が、前例のない強力な金融緩和や財政出動に支えられた『実力以上の姿』であることだ。トランプ大統領が米経済の高い成長や歴史的な低失業率をいくら自賛しても、それは持続的な姿とは言えない」として「短期、そして局所的には効果を上げたように見える制裁関税などの強硬な貿易政策も、やがて米国の消費者や産業界に負の影響を及ぼしかねない」と予測する。

そのうえで「10年前のようなグローバル規模の危機が起きた場合、多国間の協調体制を嫌うトランプ大統領が果断な対応をとれるかは、極めて疑問だ。米国が背を向ける国際社会で『次の危機』に立ち向かう枠組みとリーダーシップを誰が担うのか。世界が直面する真の問いはそこにある。」と分析する。

 

 
「東京新聞」は15日付では「負の遺産が世界を覆う──リーマン・ショック10年」と題して社説を立て、「世界経済が底割れしてしまうかと緊張が走ったリーマン・ショックから10年。危機が残したものとは何か。格差、不平等、そしてポピュリズムの萌芽だ」と最初に結論付ける。

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 「米国の名門投資銀行の破綻劇は『百年に一度の未曽有の危機』として経済史に記録されるべきものである。だが、それは金融の世界を切り口にした一断面にすぎない」として、「2つの大きなうねりがみえてくる」として次の2つのことを指摘した。
 
1つのうねりは、「リーマン・ショックの『負の遺産』がポピュリズム(大衆迎合主義)の広がりにつながっていったこと」「トランプ現象やブレグジット(英国のEU離脱)への系譜」だとし、金融危機で破綻した銀行があるものの、多くは、公的資金(国民の税金)によって金融機関が救済され、さらに銀行経営者が法外な報酬を受け取っていたため、大衆の怒りが増幅。
 
トランプ大統領の選挙参謀を務めたスティーブン・バノン氏は、政界入りの動機について、「(リーマン・ショックで)銀行は救済されたのに、住宅ローンを抱えた庶民は救済されなかった」ことへの怒りだったことを語っている。富が集中する1%の金持ちに対し、「我々は99%だ」を合言葉とする「ウォール街を占拠せよ」運動が起こるのは危機から3年後の2011年だったが、金融業への批判はすでに醸成していたとする。
 
2つ目の大きなうねりとは、「米国で長らく続いた金融業支配の産業構造が転換を迎えたことだ」として、米国の産業の主役が、金融危機を契機として、金融業からITへと入れ替わり、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの頭文字を並べた『GAFA(ガーファ)』が、すでに世界を席巻するまでになった。
しかし、その「米国の産業転換」が「繁栄から取り残された人々」を増大させ、「ポピュリズム」を伸長させたとする。
 
IT産業が繁栄する一方、鉄鋼や自動車産業が集中した地域では白人ブルーカラー層の疎外感や不満が高まり、それがトランプ大統領の誕生を後押ししたという。
「ポピュリズム」には、様々な形態があるが、「先進国の経済が停滞する中、格差拡大がより進んだ。富裕層へ富が集中するだけでなく、低所得層は一段と困窮し、中間層から低所得層へ転落する人が増えた」として、問題は「中間層以下の不安、不満に対し、政府やエリート層があまりに鈍感」で「バノン氏らトランプ陣営が『取り残された人々』の声に耳を傾けたのと対照的だった」としている。
 
だが歴史は皮肉なもので、現在の世界経済にとって、自国第一主義を掲げ、国際的な協調には一貫して背を向ける「トランプ大統領が目下の最大のリスク要因になっている」として、「リーマン・ショックの危機が克服できたのは、たとえば先進国に新興国を加えたG20体制の発足であり、日米欧の大規模な金融緩和や中国の巨額の財政出動だった。国際協調なしには困難だったのだ。危機は必ず繰り返すが、今の政治状況は危うすぎるのである。」と結んでいる。

 
 
「日本経済新聞」8日付のコラム「大機小機」では「失業率は改善したけれど…」と題して、7月の完全失業率が6年前に比較して「目覚ましい改善ぶり」だとしつつ、次のように書いている。
 
「そんな中、今年の経済財政白書に気になる記述を見付けた。失業率の低下は新規の失業が減少している要因が大きく、失業中の人が就業したことによる寄与は小さいというのだ。
若干の改善はあるものの、『失業』から『就業』への確率は世界金融危機前と同程度の水準。それは労働市場のマッチング機能がかつてとほとんど変わっていないことを示しているのだという。失われた20年といわれた時代に、『追い出し部屋』などまで設けて多くの社員を退社させたような事態こそなくなっているが、当時に失業してしまった人々の再チャレンジは進んでいないのだ。」
 
「就職氷河期にまともに就職できなかった人は、現在30代半ば〜40代後半になっている。こうした人々の再就職市場が極めて限られていて、まともに就職できていない人が約150万人もいるということを、本年4月の経済週刊誌が特集していた。その記事によると、この人々がそのまま老後を迎えて生活保護に頼らざるを得なくなると、それによる生活保護費の増加は約30兆円にもなるという。失業率が歴史的な低水準になり、新卒の労働市場が過熱状態になっているというのに、そうなのである。」
 
成長率引き上げのためには、少子化対策が重要といわれる。しかしながら、少子化対策で出生率が上がっても、今年生まれてくる赤ん坊が稼ぎ出すのは、早くて20年後。その間、150万人もの人がまともな職に就けないということで人的資源が浪費されているのでは、わが国の経済成長率が高まるはずはない。
再チャレンジは、安倍内閣が第1次政権の時から掲げてきた成長戦略の原点のひとつだ。労働市場のマッチング機能を高めていくことは、そのために不可欠。それは、日本の格差社会化を進めさせないためにも重要だ。表面的な失業率の低下に目を奪われて、その原点を見失うようなことがあってはならない。その大事な原点が、今年の経済財政白書に指摘されているのである。
 

 
また、東京商工リサーチが13日に「リーマン・ショックから10年『リーマン・ショック後の企業業績』調査」と題した全国約26万社を対象にした調査結果を公表した。
 
そこでは、「日本ではこの10年間に東日本大震災、政権交代、超金融緩和など、次々と大きな動きがあった」として業績推移のグラフも示しながら、リーマン・ショック前の2007年度以降の業績を分析。
国内企業の業績は、2007年度を「100」とすると全企業の売上高合計は2017年度で「98.8」にとどまり、リーマン・ショック前の水準に戻っていない。一方、利益合計は「162」に伸び、売上高と好対照となった。震災復興や東京五輪に向け好調な建設業、物流が盛り返した運輸業がけん引しているという。
 
ただ、非上場の小売業の売上高は2009年度に「66.2」まで低下し、2011年度に「70」台に乗せたが、その後も回復ペースは鈍く、2017年度も「78.9」にとどまっており、利益についても2008年度に「29.6」まで低下、その後、回復せず、2017年度は「74.」にとどまるなど、売上高合計・利益合計ともに「100」に戻しておらず、「戦後2番目の好景気の中で、少子高齢化による需要減少や大手の寡占化で業績回復はまだら模様をみせている。」と指摘。

全企業の利益合計が2017年度に「162」に回復したが、売上高は「100」を下回るという対照的な結果となったことについて、同社は「利益面は技術革新や製品の差別化、生産性効率の向上などが寄与したが、海外移転に伴うコスト削減、正社員から非正規社員へのシフトなど、人件費抑制や労働分配率の低下も影響しているとみられる。労働分配率の低下は、個人消費の落ち込みに直結するだけに、小売業や耐久消費財関連の企業業績への影響もうかがわれる。」と分析している。

つまり、この調査結果を見る限り、モノが「売れた」から利益がではなく、海外移転や非正規化などによって人件費を抑えることにより企業(特に大手企業)が大儲けしているということなのである。
 
調査結果をまとめた最後に、「ものづくりの根幹を担う中小製造業の付加価値力の向上や労働分配率の底上げが急がれる。売上高はリーマン・ショック前の壁を乗り越えることが難しい状況にある。こうした時期こそ将来を見据えた営業施策、円滑な事業承継など足腰の強い中小企業を育成する施策が必要だろう。」と結んでいる。
 
 
 

日本にとっては、リーマン・ショックは、雇用形態の大きな変化の流れの中で、労働者や中小企業の雇用と営業を直撃したと言っていいだろう。
1990年代初頭にバブル経済が崩壊して、「失われた10年」とも「20ともいわれる停滞期に入る。90年代後半に、財界の要求に沿った政府の主導によって労働市場の規制緩和や自由化が進められ、日本型のいわゆる終身雇用が急速に減少し、パートや契約社員といった非正規雇用が急増した。
 
自民、公明、民主、社民などの各党が賛成した1999年年の「労働者派遣法」改正によって派遣労働を原則自由化し、「派遣」という形での「使い捨て」労働の増加に拍車をかけた。
さらに2001年に発足した小泉内閣は、「構造改革」路線を加速させ、まず「不良債権処理」の名で中小企業つぶしをすすめ、03年には、企業がリストラをすればするほど減税をするという「産業再生」法を改正・延長し、大企業のリストラ政策を後押した。04年には、派遣自由化は製造業にも解禁された。
 
こうした中で、2000年代には「ネットカフェ難民」、「ワーキングプア」、「女性の貧困」などが次々と社会問題化した。
 
リストラ、派遣切りの横行、非正規化への移行と合わせて、「就職氷河期」(バブル崩壊後の1993年〜2005年)もその当時の多くの若者たちの人生を狂わせた。不本意な仕事に就き転職を繰り返し、そのプロセスのなかで給料が下がっていくという負のスパイラルが待ち受けた。
(また、前出の「大機小機」にある本年4月の経済週刊誌」は以下にある)
 
こうして、労働者たちが、「人」と見られずに、安上がりな雇用の調整弁に置き換えられ、いつでも使い捨てできる状況、一方で下請け中小企業は、単価切り下げと下請けいじめが横行する状況下でのリーマン・ショックだった。
 
2008年12月31日から2009年1月5日まで、東京のど真ん中、日比谷公園に開設された「年越し派遣村」を思い起こしてみよう。その当時、私も、「所持金500円」とか「20円」という派遣切りに遭った若者数人と話す機会があった。たいていは、会社の寮に入っていて派遣切りにされると「明日からこなくていい」と言われ、同時に「寮も今日中に出て行くように」と言われ、突然住まいも失うことになる。
 
まさに人間扱いされない“モノ”のように「使い捨て」られたのだ。
当然、彼らの瞳には希望はなかった。
 
 
非正規雇用者数は1995 年の 1001 万人から 2007年には 1732 万人に膨れ上がった 4。割合は 1995 年の 20.9%から2007 年には 33.5%まで増加している。12年間で 731 万人増加した。2016年末で、2016万人である。全雇用者に占める割合は37.5%である。
 
また、働いていても貧困ライン以下の「ワーキングプア」と呼ばれる年収200万円未満の労働者は2005年から12年間1000万人を超え、2013年から4年連続で1100万人を超えている。
2016年は1131万人で、雇用者数の23%、4人に1人弱が年収200万円以下のワーキングプアなのである。しかも、そのうち、100万円以下は雇用者数の8%、421万人もいる。(国税庁の「民間給与実態統計調査(2016年)」から)
 
しかも、「アベノミクス」で「成果が出た」「景気がよくなった」と言っているが、それが実際の成果なのかも心配な
 
公文書やデーターの改ざんが得意な政府は、2016年12月に、GDPの計算方法を変更、
それまで採用していなかった「研究開発投資」の項目を追加し、建設投資の金額を推計するために使っていたデータを入れ替えるなどの見直しを行て、その結果、2015年度の名目GDPは32兆円近く増えたというのだ。
 
「東京新聞」9月12日付「計算方法変更▶GDP急伸 アベノミクス成果大げさ?」
 


一貫して「実態経済」の危機について警鐘を鳴らし続けている日本総合研究所の寺島実郎氏は、少し前の記事になるが、3月の「エコノミスト」のインタビューの中で「10年前のリーマン・ショック以降、世界的に金融緩和を続けたことで、今や世界の金融資産総額はGDP(国内総生産)の約4倍にまで膨らんだ。これはリーマン・ショック前と同水準であり、再び金融ショックが起きる臨界点に迫っていると見ることもできる」と忠告している。 
 
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寺島氏は、「2017年の世界同時好況」を「根拠なき熱狂」として、「米国株の上昇」を「戦争経済への予兆」と見る。
 
そのうえで、「今やIoT(あらゆるモノのインターネット化)という言葉に象徴されるデジタル・エコノミーが世界経済の潮流だが、その実体は『デジタル専制』に近づきつつある。フェイスブック、アップル、グーグル、アマゾン、マイクロソフトのITビッグ5は『FAGA+M』と呼ばれ、その株式時価総額は約3・4兆ドル(約360兆円)。日本トップのトヨタ自動車が約24兆円なので、桁が違う」「この状況は、必ずしもこれらの企業のIT技術が卓越しているからというだけで起こっているのではない。ファンドが主導してどんどん金が入る仕組み、いわゆる『ITとFT(金融技術)の結婚』によって、株価が跳ね上がっている」と分析する。
 
そして「さらに特異なのが、日本の株価だ」として次のように述べている。
「米国の株価上昇に引っ張られているという要素に加え、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の株式購入分と、日銀の上場投資信託(ETF)買い上げを合わせた約60兆円にも上る公的資金が株価を上げている。公的資金投入がなくなれば、間違いなく今の日経平均は1万6000円台程度にまで下がるだろう」「安倍晋三政権にとっては、株価と内閣支持率が連動している状況のため、公的資金の投入をやめられない。中央銀行は本来、政治の意図とは独立し、物価や景気の番人としてバランス感覚を保たないといけないが、今の日銀は政治の思惑を忖度(そんたく)して動く構造になってしまった」
 
最後に、「そのような危うい構造の中で、ピンが一つでも外れれば、この株高は一気に崩れるだろう。年始からの仮想通貨の乱高下が示すように、行き場のないカネがゆがんで動くことによって、危うい構造が際立ち、日本発で世界金融危機が起こる可能性がある」と結んでいる。
 
 
 

すでに、一部報道によれば、アベノミクスによって国内株式市場に投入されている公的資金の時価総額が、6月末時点で66兆5000億円に達しているという。東証1部の時価総額に占める比率も3月末時点の10・0%程度から10・3%程度に増え、国内株の1割を公的資金が占め、株価をつり上げるという異常事態にあるという。

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 (「しんぶん赤旗」8月8日付)

 まさに、実体経済とかけ離れた巨額の投機マネーがうごめき、日本も地に足をつけない見掛け倒しの経済運営を続けている。以前だったら“禁じ手だった国民の多額の年金積立金までも株価高を装うためにつぎ込まれている現実を深刻に受け止めるべきではないだろうか。
(そもそも、巨額の年金資金をつぎ込んで各地にリゾート施設を作り、不良債権化させた「グリーンピア」をタダ同然で売り飛ばしたことの反省はあるのだろうか。またも自分の財布のように思っていないか)
 
 
10年前にリーマン・ショック、約20年前にアジア通貨危機、約30年前にブラックマンデーと、およそ10年ごとに世界経済の危機が訪れているが、いつも犠牲になるのは国民である。

すでに、世界の債務はリーマン危機時よりも大きく膨らんでおり、ファンドなどを通じてあふれ出たマネーが新たなバブルを生みだし、もしバブルがはじけた場合は、リーマン・ショックの比ではないと見る専門家もいる。

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日本の政府は、これまでの経済危機の教訓と反省の上に、マネーゲームと架空の経済から、雇用や国民の消費を中心とした実体経済重視に舵を切りかえるべきときである。
財界や大企業も目先の利益を追求するだけの「わが亡き後に洪水よ来たれ」といわんばかりの無責任な立場ではなく、しっかり社会的責任を果たすべきである。
 
手遅れとならないうちに。

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先日、またも茨城県に足を運んだ。石岡、土浦に続き、古い街並みを求めて、今度は真壁を訪れた。

日本百名山の1つにもなっており、「ガマの油」でも知られる筑波山。

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この茨城県のシンボルともいえる名峰・筑波山の西麓にある町が、真壁町である。
 
真壁町は、戦国時代に、この地に城を築き(真壁城築城は承安2年・1172年)、約400年にわたって支配した真壁氏の城下町として繁栄し、現在に残る「町割り」の基礎はすでにその頃に築かれたものだといわれる。
江戸時代になると、笠間藩領となり、江戸中期には商業の町として発展していくようになった。

1954年(昭和29年)に“昭和の大合併”により、旧真壁町が、周辺の紫尾村、谷貝村、樺穂村と長讃村の一部が合併して「真壁町」が誕生し、町制は約51年間続いた。このときは「茨城県真壁郡真壁町」であった。
 
その後、2005年(平成17年)10月1日には、「平成の大合併」により、近隣の岩瀬町、大和村と合併し、「桜川市」として発足した。
現在は、「茨城県桜川市真壁町真壁」という名称となっている。
 

1837年(天保8年)の大火によって町並み景観も大きく変化する。現在に残る最も古い建物は、この大火直後に建てられたものである。
それまでは萱葺きや板葺きだったが、江戸時代から明治・大正にかけて、隆盛を誇った商家の人たちが次々と蔵や門などを建てた。

 

江戸時代の真壁は、大阪や奈良、岡崎から木綿を仕入れて頻繁に市を開き、会津や米沢など東北の商人を集める木綿流通の拠点として、さらに周辺地域の物産が集散する在郷町として栄えた。
明治時代に入ると製糸工場が建設され、真壁の中心となる御陣屋前通りには呉服太物商が軒を連ねた。さらに新たな産業として石材業も興り、「真壁石」と呼ばれる石材の産地としても知られるようになる。

 
その間、町割りはほとんど変わることなく、江戸末期から昭和前期にかけて伝統的な造りの建築物が建てられ、今日につながめ町並みの原型が形成されていったのである。
市街地には、300余棟の見世蔵・土蔵・門などがある。
の中には国の登録有形文化財も含まれており、1つの町としては日本で最多の104棟が指定されている。
  
冒頭で書いた「町割り」(一定範囲の土地に複数の街路を整備し、それによって土地を区画整備すること)については、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期の浅野氏時代に完成したといわれている。その時代からほとんど変わらならずに、桝形(ますがた)と呼ばれる城下町特有の交差点が現存し、道幅もほとんど変わらない。その町割りの中に江戸時代末期から昭和前期にかけて建てられた蔵や門など様々な種類の歴史的建造物が残っていることが特徴となっている。
 
 

1970年代半ば頃から真壁の伝統的な建造物の取り壊しが目立ち始めた。歴史民俗資料館が開館し、歴史編さん事業も開始されるようになる中で、1990年前後から、真壁の町並みの価値を評価し、保存につなげる活動が始まる。

1993年(平成5年)に、伝統的な町並みの継承・活用を志す住民有志が保存団体を結成し、専門家に真壁の町並み調査を依頼、本格的な調査が実施される。さらに、町並み写真展や、石蔵でのギターコンサートなど、伝統的な建造物の保存に向けた啓蒙活動を開始し、町並み保存における大きな役割を担ってゆく。

保存団体の提言を受け、1999年(平成11年)には行政として登録文化財制度の積極活用を開始、短期間で104棟の登録を進め、真壁は登録文化財の町として脚光を浴びることとなった。徐々に来訪者が増加し、真壁の町並みが高い評価を得るようになると、住民の間にも自分たちの町並みを見直す気運が盛り上がり、2003年(平成15年)度から伝統的建造物群保存対策調査を実施、町村合併を経て2007年(平成19年)に「桜川市伝統的建造物群保存地区保存条例」を制定、2009年(平成21年)に「桜川市真壁伝統的建造物群保存地区」をスタートさせた。



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真壁町は町をあげての町並み保存に取り組んでおり、2010年(平成22年)6月には、真壁地区の約17.6haが、県内初となる国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定された。
全国で87地区目、関東地方では4地区目、県内では初となった。



最初に、「真壁壁伝承館」で真壁の歴史に触れた後、街を回った。
真壁伝承館・歴史資料館は、桜川市真壁町真壁地区に旧真壁中央公民館・旧歴史民俗資料館・旧真壁中央公園の後継施設として土地利用の再編及び町並み景観を守るべく計画された公共施設である。町巡りの起点ともなる。

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あとは、古い街並みを順不同で紹介したい。

まずは、真壁伝承館を出たところのすぐの交差点に現れる旧真壁郵便局。

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出川家住宅。出川薬局として現役だ。

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川島書店見世蔵。

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星野家住宅。

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潮田家住宅。茨城一の豪商で、「関東の三越」と呼ばれたという。

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伊勢屋旅館。

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伊勢屋 は幕末までは「勢州楼」と称し、真壁で最も名の知れた料亭だった。男はここで宴をあげると一人前といわれていた。

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根本米穀店。

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村井醸造の入り口。

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村上家住宅。

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中村家。

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黄金屋。和菓子屋で「平四郎最中」が全国菓子展覧会で金賞を受賞したことがあるそうだ。

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安達医院。

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ふじや履物店。

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橋本旅館。左手に「橋本珈琲」がある。今回の目的の一つだったが、残念ながら定休日であった。

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大森家。



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谷口家長門門。右側がお店になっているようで覗いたらお客さんがたくさん入っていたが、「完売閉店」という札が出ていた。帰ってから調べたら「馬荷亭 よし」といううどん屋だということがわかった。

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谷口家石蔵。

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白壁に黒い炭柱らしいものが立てかけてあった。

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半田履物店。

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近藤米店。

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白川菓子店。和菓子に、昔懐かしいあんドーナツやうさぎ玉などもある。


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三輪家住宅。生け花教室などの看板があった。

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村上書店。

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三輪家住宅。

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二重屋根があちこちで見れる。

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大木商会。

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この蔵は、東日本大震災で壊れたのを修復しているのだろうか?

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旧真壁郵便局の前を通る「御陣屋前通り」の看板。

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最後に、旧真壁郵便局に戻って、中に入ってみた。

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旧真壁郵便局の2階から街を見る。

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最後も筑波山の雄姿が見送ってくれた。

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真壁は、日本史に出てくるような歴史的なエピソードも多い。

明治時代には、真壁郡暴動(1876年11月末から12月初めにかけて真壁郡飯塚村ほか26ヵ村で起こった石代相場引下げ要求の一揆)や、加波山事件(1884年9月に栃木,茨城両県下の急進的な自由党員が,茨城県加波山を拠点に挙兵した反政府運動)が起こった地としても知られている。
 
また、今から316年前。江戸時代・元禄15年(1702年)12月14日の赤穂浪士47士の吉良邸討ち入りで、その47士の中に、桜川市に所縁のある「潮田又之丞 高教(うしおだ またのじょう たかのり)」と「勝田 新左衛門 武尭(かつた しんざえもん たけたか)」という、2人の浪士が参加していたという。


また、真壁町は浅野長政が隠居地として所領していた処で、この真壁藩(5万石)は浅野長政が所領し、三男長重の時に笠間藩となりその子長直の時代に播州赤穂へ移ったとされる。忠臣蔵の浅野内匠頭は長直の子供(長政の曾孫)になる。
 
1600年の関ヶ原の合戦後、この地を治めていた真壁氏は秋田に移動し、江戸初期の1606年(慶長11年)に浅野長政が隠居料として真壁に入り真壁藩5万石を与えられ、1611年(同16年)に長政の跡を継いで浅野長重が真壁城に入城した。真壁の「町割り」は、長政とその子・長重によって完成されたといわれている。いまから約400年前のことである。
 
1622年(元和8年)、浅野長重は加増され、真壁は領有し続けるものの常陸笠間城へ移動となり、その後真壁城は廃城となった。

 
また、真壁町は「真壁のひなまつり」が有名で、3月3日までの1か月、歴史の残る町がたくさんのお雛様に飾られるという。

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今回、汗をかいて、歩きまくったが、まだまだ町全体を回り切ったわけではない。1日では回り切れないほど、町全体に古い街並みが広がっている、まさに感動の"レトロワールド"、真壁だ。

ただ、どこを歩いても望める筑波山と「町割り」のおかげで、どこを歩いているのか、現在位置は確かめやすいし、街がきれいなのもいい。

古い街並みエリアが広いのと、歴史も含めて、何度か訪れてみないと、この街の本当のことはわからないかもしれない。

また、ぜひ訪れたい。

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