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おおっ! 屋根の上で千両箱を抱えているのは……!
江戸八百八町を騒がせる、あの鼠小僧だ!
 
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この鼠小僧像は、浅草の伝法院通りにある浅草公会堂の前の呉服屋さんの屋根の上にある。2012年12月に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さん(享年57)に模してリニューアルされたものだという。勘三郎さんは、歌舞伎「野田版 鼠小僧」で主人公を演じていた。
人相書きまで立てられている“盗人”であるにもかかわらず、堂々としている。鼠小僧は、小説やドラマなどでも江戸町民から慕われる“義賊”として扱われている。
 
 
そんな鼠小僧について、江戸時代の古文書などの史料にもとづいて、そのHistoryを紹介している実におもしろい本がある。
 
歴史学者の氏家幹人氏の書いた「古文書に見る江戸犯罪考」(祥伝社新書)である。
 
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江戸時代であっても、児童虐待、介護殺人、夫婦間のトラブル、通り魔殺人、多彩な手口による詐欺など、現代と同じような犯罪や事件、中には残虐な事件もあった。同時に、江戸時代ならではの特異な犯罪もあるし、今では考えられないような同心や岡っ引きによる捜査もあったという。
そこには、その時代の空気や社会の実態を反映した犯罪の作法や手口、犯罪をとりまく人の心の深層などにも光が当てられ、その人間模様は興味深いものがある。
 
 
 
この本の中の、鼠小僧にかかわってだけ紹介すると、まずおもしろいのは、「田舎小僧」だ。
 
あとで詳しく述べるが、鼠小僧治郎吉は、100以上の大名屋敷(少数ながら旗本屋敷も。当時の江戸の大名屋敷は全部で266だったという説もある)に忍び込み、3000両以上の金子を盗み出し、ヒーロー的存在となったが、鼠小僧が横綱だとすれば、田舎小僧は、せいぜいその“露払い”程度の盗人だったのである。
 
天命4年(1784)から同5年にかけて、江戸の大名屋敷に20回ほど忍び込み、盗みをはたらいたのち捕らえれ、天命5年9月に34歳で処刑された。鼠小僧より半世紀も前の盗人で先輩格のはずだが、盗んだ金額や逸話(評判)が比較にならないほど乏しいので“露払い”なのだ。
 
著書には、忍び込んだ大名屋敷の一覧表があるが、どれも名だたる大藩の江戸藩邸や御三卿の屋敷で、鼠小僧治郎吉に比べて数は少ないものの、田舎小僧もなかなかのものだった。ところが盗んだ金額や品物があまりに見劣りする(それも古文書から一覧がある)。
 
稲葉小僧が盗み出したのは、2年間で、金200両に達せず、現在の金額なら200数十万円から300万円くらいだし、鼠小僧の15分の1程度にしかならない。
 
素朴なコソ泥と思われるが、彼のすごいところは侵入の方法だという。“表からひっそり”そして“移動は屋根の上”で、門をくくらず、素早く屋根に上がって移動できる。そのための、人並み優れた筋力と敏凄性を備えていたといわれる。
大きなお屋敷の屋根の上をさっそうと歩く姿は、鼠小僧などの時代劇ではおなじみのシーンだが、田舎小僧はその先駆者ともいえるのかもしれない。
 
田舎小僧は、同時期の盗人の「稲葉小僧」と混同されたようだが、両者が同一人物なのか別人なのかは、江戸時代から諸説あり定かでないという。
 
 
 
もう一人。鼠小僧次郎吉と同じように江戸時代に「義賊」(盗んだ金を貧しい人々に与える義侠心に富んだ盗賊)がいた。倉田吉右衛門である。
 
古文書には、文政5年(1822)9月7日に、旗本矢島減七郎の屋敷に何者かが忍び込み、金子と証文、書類などが入った引き出しが箱ごと盗まれた。被害届によれば、金37両と、借金の証文が金20両1枚と15両4枚、10両の証文1枚、そして帳面と書類だった。ところが、4日後の11日午後8時に、隣家の境に、丸い包みが投げ込まれ、中には、7日に盗まれた証文と帳面などの書類と手紙が入っていた。
手紙には差出人には「倉田吉右衛門拝」と書かれた手紙には次のように書かれていた。
(本の中では、丁寧に、当時の古文書と訳の両方が書かれているが、ここでは意訳だけ)
「貴殿の暮らし向きが富裕であると思い金子を借用(盗み)に参りましたが、忍び込んでみると、以外にもさほど豊かでないご様子。大変申しわけないことをしました」
「しかしながら、私は自分のために忍び入ったのではありません。もはや生きていられないほど苦しんでいる人を見殺しにできず、さりとて私も困窮の身、やむなくお宅の金子わ借用した(盗んだ)次第です」
「近日中にきっと返済いたしますので、それまで少しの間お待ちください」
 
そして、「追伸」では、「私は、裕福な人の物を奪い貧しい人を救うことを何年も続けていますが、借りた(盗んだ)お金は遅かれはやかれ必ず返してきました。そのせいか、もう年齢も50代ですが、寿命も尽きず、つつがなく過ごしています」と自分の義賊としての経歴や年齢まで述べ、さらには、矢島家の戸締りや防犯についても「貴兄のお宅は、戸締りは完璧なのですが、そのため油断があるのか皆さん寝坊です(盗人の侵入に気づかないご様子です)」と忠告までしている。
 
盗人に入ったあとに、被害者に謝罪の手紙を送り、返済を約束するとともに、長年盗みを繰り返してきた余罪まで白状してしまうというのもおもしろい。
 
当時、その手紙は、矢島の親族や知人・友人などを通じて江戸中にひろまり、義賊・倉田吉右衛門は人々の注目を浴びたのだが、その後、彼がどうなったのかは定かではないという。
 
 
さて、本題の鼠小僧治郎吉だ。
彼は天保3年(1832)8月に36歳で処刑されているとされているが、となれば、生まれたのは寛政9年(1797)となる。出身地は、新和泉町(現在の中央区人形町3丁目)で、父親は定次郎(貞次郎とも)で、歌舞伎芝居の出方を務めていたが、次郎吉が処刑される3年前の文政12年(1829)に病死している。
 
14歳で神田の箱職人に初めて奉公するものの、やがて博奕に没頭して奉公先を変え、16歳で親元にもどる。建具職、鳶人足など職を転々とするが身持ちの悪さはいっこうに改まらず、遊びや賭博の金欲しさに、文政6年(1823)、27歳から武家(大名)屋敷に盗みに入るようになった。
 
文政8(1825)、一度捕らえられ、入墨の上中追放の判決を受けているが、ほとぼりがさめた頃、また博奕に精を出し、金銀に窮して武家屋敷に忍び込み盗みをはたらいた。.
 
天保3年8月8月19日に引き渡しの上獄門となるまで、盗みに入った回数は120回以上、盗んだ金の総額は3100両以上だという。
 
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次郎吉の人物像については諸説あるが、父親が歌舞伎の木戸番であったことも影響したのか、演技力を備えていて「上手にウソをつく才能」があったとされる。
 
また、太っ腹で金離れがよく、人を引き付ける魅力もあったそうで、古文書からはこんな次郎吉の一面が書かれている。
 
「博奕の勝ち負けにかかわらず、博奕で丸裸になった者や『おか引旦那方』(岡引)には惜しまず金銀を与え、人によっては衣類をやったり吉原や岡場所でおごったり。しかも金銀を貸しながらお世辞を言うので『次郎吉ならでは』(さすがに次郎吉さん。次郎吉さんでなくちゃ)と讃えられ、猫も杓子も(誰も彼もが)次郎吉を『大将、大将』と呼んだ」
 
そして気前よくおごる次郎吉は、「貧しい人や悪い病気で湯治に出かける人、伊勢参り人などは、たとえ見ず知らずの人でも惜しまず金銀を与えた」とも書かれている。
 
また、お縄を頂戴して、取り調べを受けているときも、「次郎吉は、おびえた様子もなく、『天罰が下ったのさ。いままでの多くの大名屋敷の高塀を軽々超え、好き放題に忍び込んできたオレだが、お縄になってしまえば、この体たらく。だらしねえ有様さ。天命が尽きたに違いねえ』と悠然と構えていた」という。
 
さらに、次郎吉が、関係していた女たちに難が及ばないよう、逮捕される前に、それぞれに絶縁状を与え、盗賊と知って次郎吉のもとを去り長屋で一人住まいをしていた女に対しても、彼女の親や親戚、ご近所にも贈り物をするなど細やかな配慮を欠かさなかった。
 
そして、松平宮内少輔の屋敷で捕らえられ、今にも殺されようとしたときに次郎吉は「ここで命を奪わず、町奉行所に差し出してくれ。オレは奉行所で吟味を受けてから処刑されたい」と懇願した。
 
その理由について次郎吉は「オレが盗みに入った御屋敷では、その責任を取って切腹した人もいるそうだ。金銀が紛失したので疑われている人も多いだろう。オレは奉行所で残らず白状して、そんな人たちの罪を雪いでやりたいのさ」と述べたという。
 
かくして町奉行所へ引き渡された次郎吉は、10年も前からの記憶を遡って、侵入の手口から金銀があった場所まで白状した。記憶をよみがえらせるため『武鑑』(大名旗本の紋所も役職などを記録した名鑑)を見ながら、詳しく犯行を供述した。
 
自分の犯行によって処刑を受け、疑惑を抱かれた人々に対するおわびの気持ちからというところも、次郎吉が義賊と呼ばれた理由のひとつかもしれない。
 

次郎吉は、処刑当日、縛られて馬に乗せられながら毅然と目を閉じ「南無妙法蓮華経」と唱えていたという記録がある。
 
沿道に見物人が群がったが、古文書によれば「見る人涙を流し袖をしぼる」と伝えられている。
 
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現代の犯罪で、無性に腹が立つのは、お年寄りや体の不自由な人をねらっての、ひったくりや空き巣、オレオレ詐欺、訪問販売の押し売りなど、弱い者をターゲットにする犯罪があまりに多いことである。
もちろん江戸時代だってそういうこともあったのだろうが、今まで紹介した、田舎小僧や倉田吉右衛門、そして鼠小僧治郎吉たちがターゲットにしたのは、大名屋敷や武家屋敷など、「持てる者」だったのである。
 
しかも、盗人は悪いことだが、富んだ者から奪った金銀を、貧しい者たちや病気の者たちに与えた。しかも、盗みに入った相手に対してさえ気づかいをする。

江戸時代は盗人にも「人情」というものがあったということかものかもしれないが、何より、人にとって大事な“想像力”があるのか、他人の生活や名誉についても気遣う人間としての懐の広さ、器の大きさがあるのかどうか、ということではないかと思う。
 
鼠小僧をはじめとした、盗人たちのHistoryには、私たち現代人が人として生きていくうえで大事なヒントが隠されているような気がする。
 
 
この「古文書に見る江戸犯罪考」は、他にも、鼠小僧だけでなく、さまざな当時の犯罪に関して驚くような逸話がたくさん紹介されいる。ぜひお勧めの書である。
 
 
 
(★文中では簡略にするため史料を「古文書」とひとまとめにしたが、本文では、松浦静山の随所『甲子夜話』(かっしわや)や、山城屋忠兵衛編纂の『文鳳堂雑纂』(ぶんぽうどうざつさん)、『鼠賊白状記』(そぞくはくじょうき)などからの引用や解説である。)

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つい数日前、夕方、河川敷のそばを車で通ったときに、ススキが黄金に輝くような鮮やかな夕焼けを見た。
 
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その後、陽が落ちてから、空を見上げたら明るく輝く満月だった。
写真ではクレーターもくっきり写っている。
 
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そして、軽く夕飯に何か食べようかと、喫茶店に入ったら、コーヒーカップが、なんとピーターラビットだった。
 
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なんとなく嬉しくなった。
 
 
この日は、昼間が仕事がなかなかすすまず、少し気持ちが沈み気味だったが、夕方からは、燃えるような夕焼けと、白く透き通るような満月と、意表をつくようなピーターラビットの珈琲カップで、少しだけ元気になれたような気がした。
 
単純だったかな〜。

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今朝の「日刊スポーツ」の政治コラム「政界地獄耳」は、「国民の信頼なくした民進」と題して、昨日、今日に起きた政治・外交に関わる事件での「政治のお粗末さ」を嘆く。引用したい。
 
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★ここ数日間、政治のお粗末さを国民は目の当たりにする日々だ。首相・安倍晋三までが「オスプレイが重大な事故を起こしたことは大変遺憾。米側に対しては、防衛相から原因の徹底的な究明と安全の確保について強く要請した。飛行の安全確保が大前提だと思う」と発言しているものの、防衛相・稲田朋美は「不時着水する事案が起き、大変遺憾。コントロールを失った状況ではなく、自発的にその場に着水したという説明を受けている」と事態を小さく見せようと必死だ。それに応えるようにメディアは大破したオスプレイに対して「不時着」「着水」と呼応する。
★カジノ法の民進党の決着の仕方は何だろう。党首討論で民進党代表・蓮舫がカジノ法案の受け止めを首相にただすと、首相は成長戦略の柱としてカジノ法案を位置付けているにもかかわらず「これは議員立法」と逃げ回った。おかしな対応だ。民進党参院国対委員長・榛葉賀津也はカジノ解禁法案の採決を容認したが、ほかの野党は知らされておらず、政界では「榛葉がカジノ推進派だから」と不快感をにじませる声もある。民進党が止めなくては誰も止められない。国民との信頼関係は崩れたといえそうだ。
★そして今日から結果が見えている不毛な日ロ首脳会談が行われる。米オバマ大統領などよりずっと多い15回の会談を誇る首相とプーチン大統領との信頼は、ろくにできていなかったし、その機微を首相も外務省も見抜けなかったという間抜けぶりを露呈しながらも地球儀を俯瞰(ふかん)する外交というのだからあきれる。トップ外交と称して原発や新幹線、潜水艦を売り歩いても何ひとつ売れないことを見ても首相自身がギャンブル依存体質なのではないかと思う。(K)
                 (以上 引用)
 
 
 
その中でも、沖縄でのオスプレイ墜落事件は、看過できない。
稲田防衛相やマスコミの一部が、今回の「墜落」を「着水」とか「不時着水」とか言い張って、日本語を誤って使っていることは甚だ不謹慎極まりない。
 
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しかし、広辞苑によれば「着水」とは「空中から水面につくこと。特に、水上飛行機などが水面に降りつくこと」とある。
 
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しかし、事故現場の状況は、そんな生易しいものではなく、いくつかの報道写真でも機体はバラバラに大破していることがわかる。
「琉球新報」の報道によれば、「海岸浅瀬に横たわっている事故機をみると、真っ二つに機体が折れて大破し、回転翼も飛び散って原形をとどめていない。制御不能で墜落したとしか考えられない状態だ」として、米・FOXニュース、英・BBC、ロイターなどの海外メディアは「墜落(Crash)」と報じ、米軍準機関紙の「星条旗」でさえ、「クラッシュ」と伝えている。
 
今回の本来は「墜落」であることが明白な事故を、全国紙のすべてとテレビ各局の報道では、どれもが「不時着」「着水」と報じている。「墜落」と報じているのは、地元の「琉球新報」や「沖縄タイムズ」とテレビの報道番組では極一部だけである。

しかも、沖縄の放送局・琉球朝日放送(QAB)が、当初から「墜落」との表現をすることを決定していたにもかかわらず、キー局であるテレビ朝日から「不時着」と表現するように求められたというから、何らかの力が働いていたのではないかという疑問を感じずにはいられない。

「琉球新報」の報道によれば、これまでも米軍はオスプレイなどの米軍機事故で「墜落」という言葉を使って発表することは少なかったとして、機体が大破して事故規模が最も重大な「クラスA」に分類された事故でも「激しい衝撃を伴う着陸」を意味する「ハードランディング」という言葉を使うことが多いという。
例えば、2015年5月に米ハワイ州で発生したオスプレイの事故も機体が炎上し、乗員2人が死亡したにも関わらず「ハードランディング」と説明。事故は機体価格(約72億円)を上回る約97億円の損害額と算定され「クラスA」に分類された。
 
13年8月に米ネバダ州で発生したオスプレイの事故も「ハードランディング」と発表し「着陸失敗」と説明したが「墜落」を否定している。しかし、AP通信はこの事故を「墜落」と報じた。
1998年7月に沖縄県の米海兵隊基地キャンプ・ハンセン内で起きた普天間飛行場所属のUH1ヘリの事故でも、当初は海兵隊が「事故(アクシデント)」ではなく「出来事(インシデント)」と発表し、「墜落」ではなく「ヘリが着陸しようとした際、急速に降下して地面にぶつかった」と説明していたが、実際にはヘリが樹木に激突して大破し、乗員4人が負傷している。その後、99年4月に米側が発表した報告書の表題では「海兵隊ヘリ墜落事故(概要)」と記し、この事故を明確に「墜落」と断定したという。
 
基地に対する批判やオスプレイに対する不安や批判を拡大したくないための「着水」や「不時着」報道は、なんの意味も持たない。
 
日本の政府や、マスコミが、そんなくだらない配慮や忖度をしているから、米軍から「沖縄県民は感謝すべきだ」などと“逆切れ”されるのである。 
この“逆切れ”発言とは、知らない方に説明が必要だろう。
 
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オスプレイ墜落を受け、沖縄県の安慶田光男副知事が14日、在沖米軍トップのローレンス・ニコルソン四軍調整官と米軍キャンプ瑞慶覧で面会を申し入れ、抗議の意を伝えオスプレイの即時飛行中止と配備撤回を求めたところ、ニコルソン四軍調整官からは、事故に対する謝罪はなく、逆に副知事に対して怒りを示し、声を荒らげ、机をたたくなどしながら墜落機が浅瀬に着水したことで、「飛行士は英雄だ」住宅上空を飛ばずに、県民や住宅に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ!」と県の抗議に対して反発したという。
 
安慶田副知事は会談後に「これでは、植民地意識が丸出しではないか」と語ったというが、まさに、基地を押し付け、オスプレイを押し付け、さらには事故や事件が起こっても忍従と黙従を押し付けられる、こんなことが独立国であっていいのか。
 
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オスプレイは、開発段階から事故が相次ぎ、犠牲者は40人近くに上るため、「ウイドーメーカー」(未亡人製造機)と呼ばれている。
その危険性については、当ブログでも何回かとりあげてきた。
 
ヘリコプターに比べて機体が大きい割にプロペラが小さいなど、不安定な機体の構造のため、多くの重大事故を引き起こしてきており、今回の事故によって乗組員の死亡者は、空軍仕様のCV22も含めると、これまでに累計で41人となった。
 
オスプレイが普天間基地に配備された2012年以降も、モロッコや米フロリダ州、ノースカロライナ州、ハワイ州、カリフォルニア州で、墜落や不時着するトラブルを起こしている。
 
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普天間基地には、現在24機が配備されており、今月に入って、宜野座村の民家の上空で、物資の吊り下げ訓練を行い、地元住民が抗議したばかり。
今回の事故に、地元住民からは、「市街地に墜落していたら大惨事だった」「オスプレイ配備を受け入れた日本政府の責任は大きい」などと、怒りの声が上がっているという。
 
なお、今回の事故で乗員5人のうち2人がけがをしたと報じられ、事故の原因について米軍側は、空中給油の訓練をしていたところ、オスプレイのプロペラが、給油用のホースにぶつかり、切断し、その時にプロペラが破損して、機体が不安定になり、事故につながったと説明している。
 
さらに、今回の事故機とは別のオスプレイが13日夜に普天間飛行場に胴体着陸していたことも14日に明らかとなっている。在日米軍によると、機体の不具合で前輪が出なくなり、胴体着陸になったとして、現在、詳しい原因を在沖米軍が調べているという。
そのことに関して、宜野湾市によると、防衛省沖縄防衛局からは14日に「前輪が壊れた機体が1機ある」との連絡があっただけだという。一歩間違えば重大事故につながりかねないトラブルだけに、日米両政府による情報開示の面でも大きな問題がある。
 
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東京、千葉、神奈川など首都圏にあいてもオスプレイはすでに他人事ではない。
 
米軍横田基地(東京都福生市など)には2017年後半に空軍仕様のCV22オスプレイが3機配備され、21年までに計10機が常駐する計画であり、今でも米軍普天間飛行場所属のMV22オスプレイが頻繁に飛来している。
 
千葉県木更津市にある陸上自衛隊木更津駐屯地は、来年1月から、沖縄県の米軍普天間飛行場所属の新型輸送機オスプレイ24機の定期整備拠点になる予定だ。
陸上自衛隊も2018年度からオスプレイを順次導入する予定だが、佐賀空港に配備計画がある陸自オスプレイ17機についても、木更津駐屯地で整備する方針で、将来的に日米オスプレイの定期整備拠点になる。
 
神奈川県大和市と綾瀬市にまたがる厚木基地でも、オスプレイは今年約60回も離着陸しているという。
 
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なお、「東京新聞」の報道によれば、今回墜落したオスプレイが、10月20日から24日にかけて、東京の横田基地に駐機していた機体であることがわかったという。
 
普天間や高江でも、岩国基地でも、佐賀空港でも、木更津でも、そして東京・横田基地でも、危険なオスプレイは日本にはいらない。
まさに「沖縄だけの問題」ではないのである。

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記事がなかなかアップできずにたまってしまったが、11月の末に、埼玉県の武蔵嵐山渓谷(むさしらんざんけいこく)に行ってきた。
東京から、車で1時間足らずのこんなに近くに「渓谷」とよばれる景勝地があるとは少々驚いた。
 
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「武蔵嵐山」は、昭和3年にこの地を訪れた本多静六林学博士が、渓谷の最下流部にある槻川橋より、渓谷と周囲の赤松林の美しい景観を眺め、その様子が京都の「嵐山(あらしやま)」に大変よく似ているということで、「武蔵国の嵐山」という意味で名づけたということだ。この名は後に、町名にも採用されて「嵐山町(らんざんまち)」となったという。
 
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渓谷の半島部分にはそのことを記念する「嵐山町名発祥之地」が建立されている。
 
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また、武蔵嵐山渓谷は、その地形的な特徴から、秩父の長瀞岩畳に例えて「武蔵長瀞」とも呼ばれているという。
 
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見事な紅葉がところどころに。
 
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河原で絵を描いている方がいたが、まさに絵になる風景だ。
 
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上流に行くと、水の流れも急になる。
 
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紅葉を堪能したあとは、嵐山渓谷のすぐ近くに「昭和レトロな温泉銭湯」があるというので、帰りに立ち寄った。
 
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店の前には、映画「3丁目の夕日」にも出ていた、昭和30年代に活躍したダイハツ・ミゼットがお出迎え。
 
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玄関を入ると、売店があるが、もうそこは昭和レトロ一色。
 
昔懐かしい、駄菓子やめんこ、サイダーなどもある。
 
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休憩所があり、手作りの食事やおやつ、つまみ類もある。これがメニューの一部。
 
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お風呂もなかなか充実していて、露天風呂もある。
源泉は地下1,700mより湧くPh10.1のアルカリ性単純温泉で、循環式で配湯しているが、新湯を30分ごとに注ぎ、オーバーフローを行っているという。
 
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嵐山渓谷と玉川温泉。
「ちょっと近場で、散歩して、ゆっくり日帰り温泉でも…」というときは最適のスポットである。
 
 
 
■昭和レトロな温泉銭湯・玉川温泉
埼玉県比企郡ときがわ町大字玉川3700
TEL:0493-65-4977
 
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人の命にも及ぶ危険性や安全性への疑問がありながら、国策として、目先の経済成長やコスト削減、あるいは一部企業の利益のために止まることなく続けられ、その結果、後世にまで及ぶ甚大な被害と負担を生みだしたものがある。
その代表的なものが、原発であり、アスベスト被害だと思う。
 
原発についてもアスベストについても、すでに70年代から、危険性が指摘され、警鐘を鳴らし続けた専門家もいたし、使用の中止を求め国会で追及した野党もいたが、いずれも関連企業がカネの力にものをいわせて、反対世論は抑えこまれ歯止めは利かなかった。
 
その結果、原発は2011年に福島第一原発事故を起こし、山も台地も川も海も放射能によって汚染され、多くの人が故郷を追われることになった。今でも多くの人たちが帰ることができず、汚染水が海を汚しつつげている。
 
原発のことは良く知られているが、もうひとつがアスベストだ。
アスベストは、「石綿」ともいわれ、髪の毛の数千分の1程度の極めて細い鉱物繊維で、耐火、保温、防音性があり、安価だったことから1960年以降の高度成長期に、ビルや建物の耐火、断熱などをはじめ、建材、保温材、煙突、輸送機器などに大量に消費され、「奇跡の鉱物」とまで言われていた。
 
ところが、空気中に微細なアスベスト繊維(アスベスト粉塵)が放出されると、消滅することなく長時間空気中を浮遊し、その飛散し浮遊しているアスベストを、吸い込むと、呼吸困難になる石綿肺、肺がん、中皮腫の発症の恐れがあることが明らかとなっていく。その潜伏期間が20年〜40年であることから、1990年代からアスベストが原因と思われる肺がんや中皮腫による死亡が相次ぎ、2005年には石綿製品工場周辺の住民被害が発覚。アスベスト問題は、社会的関心を呼んだ。今も古い建物に残り、解体・改装で飛散する事故が相次いでいる。
 
厚労省による統計でも、昨年1年間で1504人が中皮腫が原因で亡くなっている。統計のある1995年からでは、なんと20525人にものぼる。さらに肺がんによってなくなった方など、その被害は計り知れない。
それらによる死亡者は2040年までに10万人に上ると予測されている。

また、ビルの寿命による建て替えが増え、建造物の解体によるアスベストの排出量が2020年から2040年頃にかけてピークを迎え、年間100万トン前後のアスベストが排出されるとの予測もある。

さらに、東京都がアンケート調査した結果によれば、都内の民間ビルの約50%に吹き付けアスベストが使用されており、もし東京で巨大地震が起き、多数のビルが倒壊したりすれば、想像を超える大量のアスベストが飛散する危険性があるといわれる。
悪性胸膜中皮腫の、発症2年後の生存率は、約20%、発症5年後の生存率は、約3.7%という極めて低い。このように、「奇跡の鉱物」ともてはやされたアスベストは、「静かな事件爆弾」とも恐れられる「恐怖の鉱物」となったのである。
 
 
こうした人の身体を蝕み死に至らしめる「恐怖の鉱物」を、国も知っていながら、目先の利益と「経済成長」を優先して、何度かブレーキも踏み、立ち止まるチャンスがあったにもかかわらず、危険性がわかっていながら使い続け、その結果、被害をさらに拡大したのである。
 
 
 
そして、今、とんでもない法案が、明日の臨時国会の会期末を迎え、いくつかの重大な法案とともに衆院に続いて、参院で可決させられようとしている。
それが、「カジノ解禁」法案である。またも、国策によって、将来に禍根を残すような事態を招きかねないのである。
 
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昨日の参考人質疑でも、法案を推進する自民党の参考人2人を含む、4名人全員が、カジノ解禁の最大の懸念として「ギャンブル依存症の増加」を挙げた。
ただでさえギャンブル依存症の割合が世界でもダントツの日本で、依存症がさらに増える可能性があるとの懸念や疑問にもなんら答えることなく、押し通そうというのだ。
 
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今日の参院内閣委員会での共産党・大門実紀史氏の質疑の中で、パチンコ業界大手「ダイナムジャパンホールディングス」(本社・東京都荒川区)がカジノ解禁法案の提出者の一人、日本維新の会の小沢鋭仁衆院議員のパーティー券を計130万円分購入していたこを追及し、小沢氏がそれを認め、「返金を検討する」と答弁した。
同社グループはマカオのカジノ運営会社に投資しており、カジノ解禁について、同社のサイトでは「日本のカジノ参加が決定すれば、当社グループの新たな事業の柱になることは間違いありません」と説明しているという。
 
すでに2日の衆院内閣委員会でも、民進党の緒方林太郎氏が、自民党と日本維新の会の法案提出者5人に対して、カジノ関連業者からの献金やパーティー券購入の有無について問いただしたが、提出者である自民の西村康稔氏は「政治資金規正法にのっとって適正に処理している」と答弁し、続いて自民の細田博之、岩屋毅両氏、維新の小沢鋭仁、松浪健太郎氏がいずれも「同様です」とだけ答弁し、事実関係を明らかにしなかった。
 
大門氏は、8日の参院内閣委員会で、これまでサラ金問題・多重債務問題に取り組むなかで「賭博の怖さ」を実感した体験に触れながら、「長い間、刑法で賭博が禁じられてきた重みを分かっているのか」とただした。
大門氏は、『日本書紀』を紹介しながら、689年の「すごろく禁止令」からはじまった日本の賭博禁止は、天武天皇のばくち行為を憂えた妻の持統天皇が自分が即位したあとすぐに出したものだと説明したうえで、「競輪・競馬などの公営賭博が、刑法の違法性を阻却(しりぞけること)して行われている“要件”に照らして、カジノが合法化できるのか」とつい追及した。

そして、「賭博は犯罪だ。政府も法案提出者も、あまりに言葉が軽く、賭博が刑法で禁じられている重みを分かっていない」と批判している。
 
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カネをくれる業界に媚びを売って、賭博を禁じてきた重みを理解しようとしない、あまりに軽い国会議員たち。
このままでは、再び、原発やアスベストと同じ甚大な被害を被りかねないのである。

カジノで儲ける企業たちはいいかもしれない。そこからパーティー券を買ってもらったり献金をもらう議員連中もいい思いをするのだろう。しかし、その甚大な被害を被り、対策費用を肩代わりさせられるのは、またも国民なのである。企業も政治家も何ら責任はとらないのである。
 
こんな議員たちに日本の政治を任せていいのか。
有権者は真剣に、今度こそ真剣に考えるべきである。

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