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自然に 素朴に 明日をみつめて

日記

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まず、「日刊スポーツ」5日付の政治コラム「政界地獄耳」を引用したい。

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「大島所感」検証を
 
★衆院議長・大島理森は先月31日、国会内で会見し所感を発表し、通常国会を振り返った。厚労省の労働時間調査での不適切データ問題に言及し、森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざんや自衛隊日報隠蔽(いんぺい)、加計学園疑惑や前財務次官のセクハラ問題を念頭に「政府は深刻に受け止めてほしい。再発防止のための制度構築を強く求める。個々の関係者の一過性の問題として済ませず、深刻に受け止めていただきたい」と要望。国民の思いを代弁した形だ。
 
★相次ぐ政権の不祥事について、野党の追及にもかかわらず、政府与党は真摯(しんし)に向き合わず、衆院議長から極めて厳しい、安倍政権への反省と改善を促す異例の所感となった。「民主主義の根幹を揺るがす問題だ。立法府の判断を誤らせる恐れがある。国民に大いなる不信感を引き起こし、極めて残念な状況となった」と苦言。「国民の負託に十分に応える立法・行政監視活動を行ってきたか、検証の余地がある」とも指摘した。
 
★官房長官・菅義偉に所感は手渡されたが、ジャーナリスト・江川紹子はネットで「大島衆院議長の所感を伝える各紙(毎日5面、朝日4面、読売4面)。立法機関の長がわざわざ記者会見まで開いたというのに、こんな扱いの報道でいいんだろうか」と、各紙の扱いの小ささに疑問を呈した。この国会は、大島が指摘する相当問題の多い議会だったが、森友・加計学園疑惑など一連の政権の対応とそれを守ろうとする官僚が、国会で平気でうそをつくことを、途中からメディアは飽きたかのように扱わなくなった。
 
★まさに大島の所感の記事の扱いが、それを象徴しているのではないかとの指摘に、政府も答えるべきだが、メディアも真摯に受け止めるべきではないのか。大島所感を、きちんと検証すべきだ。(K)
                                       (以上 引用)

 


相次ぐ不祥事に揺れた通常国会について、国権の最高機関の長である衆院議長、しかも自民党出身の大島理森衆院議長が、安倍政権への反省と改善を促す異例の所感を公表した。
 
行政府が立法府を欺くという、前代未聞の深刻な不祥事に対する危機感は、強く、与党の元衆参議長経験者からも危惧する声があがっている。
少し前になるが、4月に、自民党の伊吹文明元衆院議長がBS11の番組で、森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざんや自衛隊の日報隠蔽問題に関し「改ざんした文書やないといっていたものが出てくるのはあり得ない」と批判して、「安倍晋三首相が内閣を代表し、衆参両院議長にお詫びに来ないといけないほどの問題だ」と指摘したことがあった。
 
「森友・加計」問題や自衛隊派遣に関わる公文書の「隠蔽・ねつ造・改ざん」だけでなく、国会に提出する法案に関わるデーターまでが意図的に改ざんされるなど、国権の最高機関であるはずの国会の権威と信頼性が崩れ、民主主義の根幹を揺るがしかねない重大性、深刻さを持つものであるということを、国民からの声として捉え、安倍首相も政権与党も、真摯に受け止めるべきである。
 
もうひとつはマスコミだ。
たしかに、江川氏の言う通り、異例の衆院議長の所感であるにもかかわらず、1日付の新聞各紙の報道は、「東京」が2面で、4段1/3ほどの記事。

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これでも小さいかと思うが、全国紙の「読売」「朝日」「毎日」は、さらにその4分1ほどのまったくやる気がないのかと思うほどの小ささである。

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「毎日」「読売」「朝日」

 
安倍政権になって、首相とマスコミ幹部との会食が増える一方で、政権に批判的なメディアへの攻撃が強まり、官邸や自民党が直接テレビ局に圧力をかけたり、キャスターが降板させられた。さらに、「朝日」については、首相の息のかかったいくつもの月刊誌が、毎号のように激しく罵り、叩くという異常な事態となっている。
 
そうした中で、権力のチェック機関であるべきメディアが、萎縮し、政権批判に躊躇があるように見受けられる。過去の政権がからんだ疑獄事件では、メディアがスクープを競っていたように思うが、「森友・加計」問題では、スクープや独自取材は一部に限られていたように思う。また、野党などから新たな資料が出てきても、他のメディアの取り上げ方を様子見しているようで、インパクトに欠けていた。
 
さらに、政府与党が、「働き方改革」法、「カジノ実施」法、「改正公職選挙」法などをろくな審議もせずに数の力で押し通したが、本来なら、国会の「数の力」に対して、メディアが様々な意見や問題点を指摘して、世論に訴えかけるべきであるが、残念ながら、「働き方改革」法でも、天下の悪法である「カジノ法案」も、最初は、ほとんど黙っていて、すでに委員会で通過して成立が確定的になってから「アリバイ的」に、問題点を指摘し批判している始末である。
 
「安倍一強」は、自民党の中にも「モノ言えぬ」状況をつくり、メディアの中にも政権批判ができぬような状況をつくってきた。しかし、そのことは、結果的には、根底で国民との矛盾を深め大きくしているといえよう。
 
その象徴的な出来事のひとつが、今回の異例の「大島所感」となったともいえる。
それは、「自民党政治の劣化は極まれり」の現れである。
 

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先日、浅草に行ったときに、前にも入ったことのある、100年以上も前から開業しているレトロなカフェ──「MILK−HALL Laplagu(ラ・プラージュ)」に入った。

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小さな縦長のショーウインドーが洒落ている。

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前に入ったときは1階席だったが、今回は2階席だった。

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明治時代から開いていたこのお店、最初は「ミルクホール」だったということだが、東京で一番早く出来たミルクホールで、その頃は、絞りたてのミルクを出していたそうだ。

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「ミルクホール」は、明治から大正時代にかけて、市街地にできた飲食店である。明治時代に時の政府が国民の体質改善のためにミルクを飲むことを推奨したことに端を発しているらしい。
コーヒーが台頭してくると、コーヒーを提供するミルクホールが大正時代に全盛期を迎えるが、関東大震災を契機にして「喫茶店」に取って代わられていったという。

ピザトーストとブレンドコーヒーを注文。ピザトーストは、厚みもあるが、実においしかった。
 
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お客さんもあまり来ず、ゆったりと過ごせた。
壁や階段には油絵が飾られている。

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散々歩いて、汗をかいて入ったが、クーラーだけでなく、椅子やテーブルも涼し気だ。


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前に来たときは気づかなかったが、今回はマッチをいただいた。

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もう一つは、群馬県・桐生の寺院を巡った時に、桐生西宮神社の近くを車で走っていたときに、たまた看板が目に入って、訪ねてみた喫茶店──「古民家cafeらいむ」だ。

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静かな住宅街にあり、古民家をリノベーションして最近開業したばかりだという。
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店内は明るい。

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野菜ジュース(ラ・ビバ)を販売する企業が運営しているとのことで、野菜ジュースやいろいろな自然食、お米なども販売している。

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黒の格子のインテリアが、和風の落ち着いた雰囲気を醸し出している。

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すでに食事をしたあとだつたので、アイスコーヒーを注文したが、オーガニックにこだわったランチもさまざまあり、今度ぜひ食べに来たいと思った。

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このお店のすぐ近くには、レンガの建物や、昔のキリンビールの看板のある酒屋さんなどがある。

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いずれも、猛暑の中を歩いた後で、ひとときの凉に救われた思いである。

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「PHP」8月号の「未来の道しるべ 今、この人に聞きたい」は、「人が人でなくなる。それが戦争です。──戦争は人の心も破壊する」と題して歴史作家の半藤一利さんが自らの戦争体験を寄稿している。

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東京の下町、向島区(現墨田区)に生まれた半藤さん。
対米英戦争がはじまったのは11歳の、小学校2年生の時だった。平穏だった暮らしも、このときを境に激変した。
 
昭和18年に中学校に入学。翌年、学徒出陣でゼロ戦の弾丸を作る軍需工場で働くようになった頃には、すでに母親と3人の弟、妹は母の実家の茨城へ疎開し、東京にいたのは父親と半藤さんだけだった。ちょうど数え年で15歳だった半藤さんは「15歳以上の男子は、いざとなったら国に尽くすべき」と疎開の対象からはずされたのである。
 
軍需工場に通い出したのと同時に、敵機による東京への空襲がはじまった。
そして昭和20年3月9日の夜11時半頃に父親の声で飛び起きて表に出ると、すでに南の深川方面は火の海となり、次から次へとB29が低空飛行で焼夷弾を落としていった。半藤さんの家にも焼夷弾がさく裂し、家に火がつき、裏の油脂工場からも柱のような火が吹きあがった。
 
「焼夷弾、恐るるに足らず」「逃げるな。絶対に火を消せる」とのお上の言葉を信じ、半藤少年は火を消そうと必死だった。そしてこう語る。
 
「しかしね、そんなのみんな嘘っぱち。焼夷弾の火というのは、とてもじゃないが、バケツの水程度で消しおおせるものじゃありません。この世に『絶対』なんていうものはないのだと、このとき身をもって知りました。以来、私は、『絶対』という言葉を一度も口にしなかったし、文字にしたことはないんです。」
 
真っ黒な煙と炎が迫り、大人たちの「逃げろー!」の声に半藤少年も走った。
途中、右へ行けば隅田川、左に行けば中川にぶつかる分岐で、とっさに左を選んだ。
「これも人の運でしょう。右の隅田川へ向かった人は、誰も帰ってきませんでした」
 
しかし、中川に着いても、そこもまた地獄だった。平井橋の半ばで火に囲まれ、行くも戻るもできなくなった。たまたま救助にやってきた船に助けられたものの、今度は、船の上から川でおぼれかけている人を助けるうちに、引きずりこまれて、川に落ちてしまった。
 
「川のなかは真っ黒でした。そして、そこには炎に追われて飛び込んだ大勢の人がもがき苦しみ、うごめていていました。阿鼻叫喚とは、このことです。誰もがワラをもつかむ思いで、見知らぬ人の足や背中にすがりつく。私は、それを振り払うようにして、必死に水面に上がろうとしました。」
 
何度も水を飲み、もはやこれまでとあきらめかけたところで、水面に顔が出たところで、船の上から、誰かが襟首を引っ張り上げてくれ半藤少年は助かったという。
 
「川べりには逃げ場を失った人がまだたくさんいた。赤ん坊を抱いたまま、どうすることもできずうずくまる母親の姿もありました。そんな人々を、渦を巻いたような真っ赤な炎が次々と襲っていきました。
 女の人の髪が一瞬にしてチリチリに焦げて、からだは炭俵のように燃え上がって崩れ落ちていく……。私は、そんなようすを、ただ茫然と船の上から見ていました。感情が麻痺して、何も感じることができなかったのです。」
 
約10万人の人が犠牲になった東京大空襲である。
 
その後、半藤さんは「日本のいちばん長い日」など、多くの本を書いた。
「しかし、あの夜のことだけは、ずいぶん長い間、人に話すことも、書くこともできませんでした。生きのびるために、水中でしがみついてくるひとを払いのけた自分。目の前で火だるまになって焼け死んでいく人々を見ても、何も感じなかった自分……。正直に言えば、すべてを忘れたかったし、思い出したくなかった」
 
そして、やっと向き合えたのは、60歳を過ぎてからだという。
「戦争とは何ですか」と聞かれると、半藤さんは「人が人の心を失うことだ」と答えるという。
「非人間的になる、これが戦争の、本当の恐ろしさです。だからこそ、二度と繰り返してはなりません」
 
 
半藤さんは、東大文学部卒業後、文藝春秋社に入社し、その後「文藝春秋」「週刊文春」編集長、専務取締役など経て作家となった。一頃は「保守派の論客」ともいわれていた。
数年前の雑誌のインタビューで「私はまったく変わっていないのに、周りがどんどん右へと行ってしまった」と言っていた半藤さん。
さらに、最近のインタビューなどでは「今の状況が、戦前の戦争へと向かった時代と似てきている」と再三述べ、「戦争体験者が少なくなり、戦争の真実が忘れされようとしている」と警鐘を鳴らしていた。
 
そして、さらに、「歴史は小さな事件、小さな決断の積み重ねが重大事態へと発展した。それが戦争へと突き進み自国民だけで300万人以上の犠牲を出す結果となった」「そして一番怖いのは、こうした小さな事件の積み重ねと、多くの人がその時点で正しいと思った決断が、誰も望まない不幸な結果を生む危険というのは、いつの時代にもあるのだ、ということです」とも述べている。
今まさに、歴史に学び、「人が人でなくなる」悲惨な戦争を、二度と起こさないために、半藤さんの言葉を深くかみしめたい。
 
 

 
■半藤一利さんに関して書いた過去の記事
「閣議決定による解釈改憲──『ノー・リターン・ポイント(引き換えせぬ地点)』と『忍び寄る戦争への道』」
 
「『異なる言論に対する許容が極端に落ちている』(半藤一利氏)──『“非国民”にされる空気』と歴史の『ノーリターンポイント』」
 
 

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夏の雲。

夏の雲。

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数日前に、葛飾区にある堀切菖蒲園を訪れた。

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堀切の花菖蒲は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は歌川広重らの錦絵の題材にもなっている。

昭和35年(19606月に都立公園として開園し、その後、昭和504月に葛飾区に移管、2年後には区の指定名勝に指定されている。 
   
敷地面積が約7700平方メートル、花菖蒲2006000株と、全国でも有数の菖蒲園となっている。

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最近、園内の改良工事が行われ20184月からリニューアルオープンしていた。

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毎年6月の開花時期に合わせて6月上旬〜土日には「葛飾菖蒲まつり」(水元公園と同時)を開催しており、今年は、6月1日(金曜日)から6月20日(水曜日)までだった。

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今回、なかなか行くことができず、結局は「まつり」も終わり、株分けが始まろうとしている、“最終版に訪れることになってしまった。
 
この日は、30度を超す暑さで、人もまばら。
菖蒲は、ほとんどが花が終わり、残っている花はちらほら……。
人も花もまばらな中の見学である。

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しかし、一面に咲いていたら、うずもれて知ることのない、一つひとつの花の“個性のようなものにフォーカスできた気がする。

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アジサイもいろんな種類の花があちらこちらで咲いていた。

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菖蒲やアジサイだけでなく、他にもいろいろな花が咲いていた。

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思ったよりも満足して、園を後にした。

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菖蒲園を出て、遊歩道を歩いていたら、どこからか「ピーピー」と鳥の雛の声がした。その声の方向を探すと、遊歩道の樹の上に、鳥の巣箱がかけられていた。

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駅に向かう道には、こんな建物もあった。う〜む、すごい。

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堀切周辺には、古い建物や変わったお店などもある。駅前の通りには、ラーメン屋さんも多く「ラーメン街道」などともよばれている。
また、近くには荒川放水路もあり、時間があれば足を延ばしたかったところだが、電車に乗り込んだ。

また、今度、ゆっくりと訪れてみたい街である。


 
 

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