TABIBITO

自然に 素朴に 明日をみつめて

日記

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太平洋戦争末期に唯一の地上戦となり、島民の4人に1人の命が犠牲となった沖縄。本土決戦を遅らせるために、日本が、沖縄を“捨て石”とした戦いだった。

 
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戦後、その沖縄はアメリカによって占領される。今度は、沖縄の人々の生活は、米軍による圧制によって脅かされ苦しめられた。
米軍(アメリカ)による弾圧や卑劣な行為に屈することなく、那覇市民、沖縄県民とともに不屈に闘い抜いた1人の男の闘いと生き様を描いたドキュメンタリー映画が話題となっている。
 
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』である。
 
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54回ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど高い評価を得た2016年放送のテレビドキュメンタリー番組を、追加取材し新しい資料も加えて、再編集をおこない映画化したものだ。
 
監督は「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、本作が初監督となる佐古忠彦氏。テーマ曲を坂本龍一氏が手がけ、ナレーションは大杉漣氏が担当している。
 
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すでに8月12日から沖縄那覇市の劇場で先行上映され連日満員で話題になったようだが、東京でも8月26日から渋谷のユーロスペースで上映され、私が見に行ったのは4日目だったが、上映時間の1時間近く前に着いたので座れたが、満席で立ち見が出た。
 
驚いたのは、映画が終わった後、まるでそこにカメジローがいたかのように万雷の拍手が起きたのだ。試写会でもなく、すでに上映が始まって何日もたっているにもかかわらず起きた拍手。これまで様々な映画を見たが、こんなことははじめだった。
 
映画情報サイトの「CINEMATOPICS」によれば、「通常の興行ではめったに見られない現象」としながら、沖縄でも、東京でも毎回拍手が鳴り響いているのだという。
 
国内最大級の映画情報サイト「ぴあ」調査による82526日公開作品の「初日満足度ランキング」では並み居る競合作品を押さえて第1位となった。ちなみにテレビで大宣伝されている「関ケ原」はランキング10位である。
 
渋谷ユーロスペースでは、この反響を受けて、31日からは上映回数を4回から5回に増やしているそうだ。
 
 
 
この映画は、戦後の沖縄の歴史と1人のカリスマ性の強い政治家の人物像が描かれた「ドキュメンタリー映画」という枠を超えて、現代の私たちの情感を揺さぶる“何か”がある。そして、私たちに「沖縄はこういう状況になっているのですよ。さあ、あなたはどうするのですか」と迫ってくるようでもある。
 
 
 
なによりも、とにかく亀次郎は、ブレずに一貫していた。どんなに逆境にあっても信念を決してまげなかった。
 
1枚の写真。沖縄を占領するアメリカ軍は、日本への復帰運動などを抑えるため、アメリカが指名した行政官による「琉球政府」を設立。195241日、首里城跡地で、その創立式典が行われた。現在の県議会議員にあたる、立法院議員が、アメリカ軍への忠誠を誓う宣誓が行われたときの写真だ。
全員が脱帽し、直立不動の姿勢をとっている中、最後尾でただ一人、座ったまま立ち上がらなかった人物の影がある。名前を呼ばれても、返事もしなかった。会場に広がるどよめきの声。
 
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その人物が、瀬長亀次郎だった。
米軍の将軍たちの顔は真っ赤になり、米軍によって指名された琉球政府主席はじめ日本人行政官は青ざめた。
 
このことは、亀次郎と米軍との本格的なたたかいが始まる原点ともいえる出来事となった。
亀次郎は「アメリカが最も恐れる男」「沖縄抵抗運動のシンボル」となる。
 
亀次郎の演説には、毎回何万人という市民が集まり、熱狂した。亀次郎の米軍による蛮行・横暴を断じて許さないという怒り、祖国復帰と基地のない沖縄をめざす情熱に聴衆は、突き動かされていく。人々は瀬長亀次郎に沖縄の希望を見た。
 
だからこそ、米軍は、亀次郎を追放し、市民と分断するための謀略や諜報活動も含むあらゆる手段を講じた。
 
1954年10月。米国民政府は亀次郎を、沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまったとする容疑(出入国管理令違反)で逮捕した。弁護士人をつけることも拒否され、亀次郎は懲役2年の刑を言い渡され沖縄刑務所に収監される。さらに翌年1月、ほかの囚人と接触させないために、船で18時間かけて宮古島の刑務所に移送された。この移送については米軍が、亀次郎の体調が悪いことを知りながら、そのまま放置し命を落とすことを狙っていたのではないかともいわれた。
 
那覇の医師が書いた「十二指腸潰瘍、胃下垂症」のため「手術が必要」という診断書は宮古に届くのは半年以上もたってからだった。宮古刑務所の嘱託医の医師が圧力に屈せずに奔走して、診断書を那覇から取り寄せることができ、亀次郎は手術を受け一命をとりとめることができたのだった。
亀次郎の出獄の時(1956年4月)、出獄を歓迎するたくさんの市民で通りが埋め尽くされた。
 
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出獄後、1956年12月に行われた那覇市長選に出馬し当選。米国民政府は、管理する琉球銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置など「兵糧攻め」にした。その危機に、亀次郎の市政を支えるためにと、大勢の市民が自主的に納税に訪れ列ができた。瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し、97%にまでになった。その後も、米国民政府と市政野党(琉球民主党など)が瀬長市長不信任決議を提出するがうまくいかず、1957年に米国高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令(瀬長布令)を改定し、1954年の投獄を理由に、亀次郎を追放し被選挙権を一方的に剥奪した。
 
市役所を去る際に、亀次郎は次のように語った。
「この追放司令によって、瀬長市長を追放することは可能である。だが、可能でないのは一つある。祖国復帰をしなければならないという、見えざる力が、50日後に迫った選挙において、やがて現れ、第二の瀬長がはっきりと登場することを、ここに宣言しておく」

日記にもこう書いた。
「私は勝ちました。アメリカは負けました。第二の瀬長を出すのだ。それが、布令に対するこよなきプレゼントになるのだ。」
たたかいの闘志をさらに燃やしていったのだ。

 
 
亀次郎のこうした不屈で真っすぐな生き方に影響を与えたルーツはなんだったのか。
瀬長亀次郎は、1907年に豊見城村我那覇に生まれた。貧しい農家の生まれで、亀次郎が3歳のときに父がハワイに出稼ぎ移民としてハワイに渡ったほどだったという。
そんな亀次郎の生き方に影響を与えたのが、母親のこの言葉だった。
「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ アッチュンドー」──むしろのあやのようにまっすぐ生きるんだよ──
 
「持たざる人たち」のために、そして、沖縄のために、どんなときも信念を曲げず、ブレずに、自らの命も身分も顧みずに働き続けた亀次郎。
「不屈」という言葉が好きで何回も使った。
その「不屈」のたたかいの原点は、自身の過酷な沖縄戦の体験にあった。
 
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一昨年発見された未完成の亀次郎の原稿に、これまで知られていなかった、亀治郎の沖縄戦体験が記されていた。

激しい艦砲射撃が島を襲う中を、一家は逃げ惑っていた。
その道中で、朝日が上がったとき、亀治郎が目にした光景は、道端に転がっている死体だった。
死臭で息が詰まるようだ。
鉄帽を射抜かれて、倒れている兵隊。両足を吹っ飛ばされて、頭と胴体だけで、仰向けに天をにらんでいるおじさん。そして、頭のない赤ん坊を背負って、あざみの葉を握りしめて、うつ伏せている婦人の死体……。母は気を失って倒れてしまった。

そんな過酷な“捨て石”とされた沖縄戦を生き延びた人々が、次に直面したのは、米軍による「占領」という時代だった。沖縄戦と戦後の基地問題がつながっている。

亀次郎は、アメリカという巨大な権力に対してもけっして媚びることなく、妥協することなく、沖縄県民の立場でその要求を真っ向からかかげて闘い続けた。
 
いまに語り継がれる演説の名フレーズがある。終戦から5年後の1950年7月、群島知事(奄美、宮古、八重山諸島などの自治政府)選挙に出馬した際の、市立首里中学校の校庭での立会演説会での演説だ。
 
「この瀬長一人が叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。
ここに集まった人々が、声をそろえて叫んだならば、全那覇市民にまで聞こえます。
沖縄70万人民が、声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を超えて、ワシントン政府を動かすことができます。」
何万人もの聴衆から万雷の拍手を受けた。

亀次郎は、ガジュマル(熱帯地方に分布するクワ科の常緑高木)をこよなく愛したという。
 「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。
同時に彼は、選挙で倒した“敵”に対して「ガジュマルの木陰で休ませ、同じガジュマルになれと説得し、民主主義を嵐から守る態勢を取ろう」と呼び掛けたという。
 
スケールの大きさ、ふとろの深さ、この人間的魅力が多くの人々の心をとらえて離さなかった。
 
亀次郎は歌にもなった。沖縄音楽ボーカルグループのネーネーズが歌う『おしえてよ亀次郎』だ。
「……それはむかしむかし その昔 えらいえらい 人がいて  
島のため人のため つくした あなたならどうする 海のむこう 
おしえてよ 亀次郎……」
 
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さて、昨今の日本の政治に目を移してみよう。
 
この何年かの政治を見ても、閣僚が次々とは暴言・失言を繰り返し、国会議員も地方議員も不祥事をやらかす。おまけに、理念も政策もなく、とにかく自分が当選することが第一で、あっちの党へ行ったりこっちの党に渡り歩いたり、政党助成金目当てに年末になると新党をつくったりする。「国民のため」「住民のため」に仕事をしている議員は、どれだけいるのだろうか。
 
国会で故・佐藤栄作首相(当時)と亀次郎が質疑を交わす映像があったが、これがなんとも堂々としていて、すごい迫力である。一方、佐藤首相の方も、最近の首相答弁とは違って、メモなど何も見ないで自分の言葉で答弁している。
 
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ぜひ、党派を問わず、政治家の方々にも観ていただきたい映画である。「〇〇塾」とかなんかに行くよりも、きっと背筋がシャンとするのではないだろうか。
 
 
また、私たちにとっても、辺野古新基地建設で揺れ、米兵による事件やオスプレイ墜落事故などで怒りがひろがる沖縄の基地問題について、「遠い出来事」とか「他人事」として、あるいは知らず取らずのうち「傍観者」となってしまうのではなく、自分たちの問題として捉えて考えるいい機会となるのではないだろうか。
 
今後全国で上映される予定となっている。
ぜひ多くの人に見てもらいたい感動のドキュメンタリー映画である。
 
 
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<瀬長亀次郎 略歴>
 
1907年 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に誕生
1932
年 治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で投獄
1936
年 沖縄朝日新聞記者になる
1938
年 兵役召集され「中支」へ
1940
年 復員し、毎日新聞那覇支局記者になる
1946
年 うるま新報(現、琉球新報)社長に就任
1952
年 第1回立法院議員選挙で最高得票数でトップ当選
1954
年 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕
1956
年 那覇市長選に出馬し、当選
1957
年 市長の座から追放 「瀬長布令」
1966
年 「瀬長布令」の廃止により、被選挙権を回復。
1968
年 立法院議員選挙で当選
1970
年 戦後沖縄初の衆議院議員に当選 *以後7期連続当選
1990
年 衆院議員勇退
2001
年 死去  享年94
 

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私は、これまで「権力のチェック機関」としての本来の役割を日本のメディアが果たしていないことについて度々警鐘を鳴らしてきた。
 
ところが、もうひとつ「権力のチェック役」として、権力と対峙して立ち向かうべきはずが、いつの間にか権力と癒着してしまったものがある。
 
労働組合最大のナショナルセンターである「連合」である。
 
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労働者の生命と生活、労働条件を守るべき労働組合の「連合」が、なんと「残業ゼロ」法案を容認したのである。
 
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「高度プロフェッショナル制度」として一部専門職を残業代支払いの対象から外す労働基準法改正案について、「連合」の神津里季生(りきお)会長が安倍晋三首相と会談し、一部修正の方向で一致したのである。
 
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「連合」は、「残業ゼロ」法案について、これらの制度は「長時間労働を助長して過労死などの危険性を高めかねない」として、2006年にその最初の計画を小泉政権のときに閣議決定して以来10年以上、反対し続けてきた。
 
「高度プロフェッショナル制度」は、金融ディーラーや研究開発者など年収1075万円以上の一部専門職を対象とし、残業や深夜・休日労働をしても会社が労働者に割増賃金を支払わなくてもよいことにしてしまうという、いわば労働法制の規制緩和である。
 
かつて経団連側は、年収「400万円以上」での導入を提言していたので、労働組合側は、「残業代ゼロ」法案と猛反対してきた。
 
「連合」側が示した修正点は、「年104日以上かつ4週間で4日以上の休日取得」(つまり週休2日)を義務付けた上で、「労働時間の上限の設定」「休憩時間を設ける」「2週間連続の休日取得」「臨時の健康診断」と言った4つの項目の中から労使に選ばせるという内容となっている。「年104日以上の休日取得」は、残る261日は何時間働かせても違法でなくなり、長時間労働の是正にはつながらないと言っていい。
「臨時の健康診断」ということについても「診断を受ければ働かせてもいい」とも受けとれ、むしろ長時間労働を助長させるものとなりかねない。
つまり、「出来高払い」によって計られる職種については、どれだけ長時間働こうが、会社はいっさい責任を負わないというものだ。
 
しかも、労働法の改正(規制緩和)は、これまで「派遣労働自由化」の場合もそうだったように、一旦法律が通ってしまうと、次々と拡大され、最初は労働者を守るかのような「縛り」があっても、いずれ取っ払われてしまう可能性がある。スタートでは「年収1075万以上の専門職」という「極一部の労働者だけ」だから、関係ないと思っている人も多いかもしれない。しかし、経団連の方は、それをもっと拡大して、早く「年収400万円以上」に引き下げたいというのが本音だろう。突破口を開けば、あとは、職種や年収の上限などもどうにでもなると考えているのかもしれない。
 
「連合」側が修正点として要求した労働者の働き過ぎの防止策などが、長時間労働の歯止めとして効力を持ち続けるのかどうかも極めて疑わしいものと言わざるを得ない。
 
残業規制を巡っても、今春、神津会長と、経団連の榊原定征会長とのトップ会談の結果、「月100時間未満」で決着した。この内容では厚生労働省の“過労死ライン”と同じ水準で、“上限規制”と呼ぶに値しないものだ。
 
近年、春闘でも、安倍政権が経済界に直接賃上げを要請する形が続いている。そして、メーデーでは、安倍総理が挨拶をするという具合だ。安倍政権は「政労使」の会談の場を設け、連合を取り込んできた。
 
これでは、労働者の代表としての存在意義さえ疑われる状況だ。誰のため、何のために連合はあるのか、突き詰めて問い直すべきだ。
 
 
しかも、自民党が都議選で歴史的惨敗をして、安倍内閣の支持率が急落し、政権が追いこまれている中で、今こそ、安倍政権に対して、労働者と国民の団結で要求を突き付けていくべきときであるにもかかわらず、労働者側が攻勢に出るのでなく、労働組合の側から安倍首相に助け舟を出すなどとんでもないことである。
 
これまで「連合」は率直に言って「労使協調路線」と言われてきた。しかし、安倍政権の支持率が急落し、これまで「御用新聞」とよばれた「読売」新聞でも論調に変化が起きているというのに、「連合」は、ますます「御用組合」のようになって政権にすり寄ろうというのか。
 
 
現在の日本の就業者人口は、約6400万人。そのうち3人に1人は非正規雇用労働者である。
それに対して、厚労省の「労働組合基礎調査(平成28年)」によれば、労働組合加入者は994万人で、主要なナショナルセンター(中央組織)ごとでは、「連合」が675万3千人({連合}ホームページでは686万人とある)、「全労連」55万人、「全労協」10万人となっている。
労働組合の組織率も戦後まもない頃に50%を超える時期もあり、1970年代から1990年代後半までは、組合員数で1200万人を超えていた時期もあったが、現在の推定組織率は17%である。
 
実は、デンマーク、フィンランド、スゥエーデンなどの北欧諸国での労働組合の組織率は、どこの国も6割〜7割以上だ。しかも、たいていは正規も非正規もない。
残業をしないことが当たり前で、時間外労働をする場合の割増賃金は半端ではない。北欧では、法律で「休日は働いてはいけない」ことになっている。例えば、ノルウェーでは、法律で休日出勤する場合の賃金は「10割増」、クリスマスなど特別の日は「13割増」などと定められているという。
なにしろ、北欧では、この何年かで「1日6時間勤務」導入を促進し、採用する企業が増えているというのだから驚きだ。日本人だったら「えっ、じゃあ賃金が下がるの?」と思うかもしれないが、そうではない。8時間働いた分と同じ賃金が払われるのである。
 
今、日本で、安倍政権と労働組合の「連合」までが一緒にすすめようとしていることは、こうした北欧諸国がすすめていることとは真逆の時代逆行のとんでもないことである。
 
都心には、ニョキニョキと大企業の豪華な高層ビルが立ち並び、年々、大企業の株主への配当や、役員報酬などは目玉が飛び出るほどの額だ。内部留保も日本の国家予算4年分に匹敵する390兆円にものぼっている。ところが、それでも、大企業は法人税の減税や研究開発減税、多国籍企業への外国税額控除をはじめ、各種の優遇税制の特別の恩恵を受けている。
 
それなのに、なおかつ、労働者の生活が豊かになり労働時間が短くなるどころか、労働者を正規から非正規に置き換え、どんどん安上がりに使われ、若い人たちは「結婚もできない」「家のローンも払えない」状況に置かれている。そのうえ、正規労働者は長時間労働でこき使われ、日本だけしかない世界でも有名な「KAROSI」は、いまだに根絶されないままだ。
そのうえ、今度は、残業代も払わなくていい“仕組み”をつくろうとし、首切りだって自由にできるようにしようとしている。
 
安倍政権は「働き方改革」とさかんにアドバルーンをあげているが、結局は経団連をはじめ財界・大企業の要望に沿った「改革」ということでしかない。今度の「残業代ゼロ・過労死促進」法案の「修正版」も、なんと「働き方改革」関連の「統合法案」として秋の臨時国会に提出するというのだから、「働き方改革」の本質が透けて見える。
 
そして、「連合」は、そんな経団連と政府の考えた「働き方改革」に異議を唱えるのでなく、加担するのでは、「連合」の名前は、「経団連・労働組合部」とでも変えた方がいいのではないかと思う。その方がわかりやすい。
 
 
今回の「連合」の不可解で唐突な方針転換に対して、「連合」傘下の労組からも強い反発の声が出ているという。修正内容について、「連合」の執行部の一部メンバーが政府や経団連と水面下で調整してきたことや、傘下の労組には直前まで方針転換について伝えられなかったことで、「長時間労働の是正を呼び掛けてきた組合員に対する裏切り行為であり、断じて認めるわけにはいきません」(全国ユニオン)と反対声明を出す組合も出ている。
 
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そのため、本日(19日)に、安倍首相と連合、経団連のトップ会談を行って連合の要望を踏まえた「修正」について合意する予定だったが、連合内の反対意見や慎重な対応を求める声が強く、会談は急きょ延期されたという。
 
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また、過労死遺族の団体や弁護団などからも反対の声が出ている。
広告代理店最大手・電通の新入社員で当時24歳だった高橋まつりさんが過労自殺した事件を契機に、あの悲劇を二度と繰り返してはならないという、世論の関心が高まり、過労死の根絶をめざす法制化を含む具体的対策のチャンスが訪れているというのに、それに逆行するような修正を労働組合の側から提案することに強い批判が寄せられるのは当然である。
しかも、現実には、こうした事件があった以降も過労事故や災害は増えているのである。
 
厚生労働省が6月30日に発表した「平成28年度 過労死等労災補償状況」によれば、仕事が原因で脳・心臓疾患や心の病で労災申請した人は2016年度はその前年度よりも101人増え、2411人にのぼった。
 
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特にうつ病などの心の病による労災申請は1586人と急増し、全体の6割超を占め、そのうち認定されたのは498件と、1983年度の調査開始以降、最多となり、自殺者数は未遂も含めて84人だった。仕事による脳・心臓疾患の労災認定は260件で、うち死亡したケース(過労死)は107件だった。過労自殺には、昨年9月に労災認定された電通の高橋まつりさん(当時24)も含まれる。
 
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過労自殺した電通社員高橋まつりさんの母幸美(ゆきみ)さんは、今回の結果を受けて、弁護士を通じて以下のようなコメントを出した。
 
「これほど多くの人が仕事が原因で命を落としたり、健康を損ねてしまったという事実は本当に悲しいことです。大切な家族を亡くした悲しみは決して癒えることはありません。
 労災認定された人たちは原因がわかっています。
 労働現場での重大な事故の後ろには多くのヒヤリハットがあり、それを見過ごすことなく改善策をとり、同じ様な事故を未然に防ぐことができるでしょう。
 同じように、長時間労働という過重労働の中では、身体も精神も追い詰められ死の危険があることもわかっています。この長時間労働という原因をなくすことで大切な命や健康を守ることができます。
 これ以上、頑張って生きている人の夢、希望、人生、命を奪わないで欲しいと、強く願います。」
 
 
世界でも異常な働かせ方をさせられている日本の社会として、母・美幸さんの強い願いに応え、そして高橋まつりさんをはじめ過労で亡くなった多くの人たちの死を絶対に無駄にしないために、まず、労働者の権利を守るべき労働組合こそがその本来の役割を果たすべきであろう。
 
そして、政府は、“企業の大儲けのための”「働き方改革」などはさっさとやめて、「世界でも異常な働き方の是正」にこそまず真っ先にとりくむべきだ。
 

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「かいけつゾロリ」──この30年ほどの間で、子育てをしてきた人たちなら、たいていはこの名知っているのではないだろうか。
 
我が家の3人の子どもも、いずれも20歳を過ぎたが、小学生の低学年の頃にはみなこの「かいけつゾロリ」にガッチリはまっていた。
 
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クラスのみんなも読んでいて、学校の図書室も、近くの図書館も、いつも何十人待ちで、なかなか見ることができない状況。そうなると余計に見たくなる。何度「本屋さんで買って、買って」と言われたことか。実は、私も、いつの間にか「隠れファン」になってしまって、「しょうがないな〜」と言って買ったことを覚えている。
 
おそらく、今のお父さん、お母さんで、同じ経験をしている人も多いのではないだろうか。
 
「かいけつゾロリ」シリーズは、これまで60巻出版され、累計3500万部を超えるというからすごい。
 
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その人気児童書「かいけつゾロリ」シリーズが、誕生から30周年を迎えたことを記念し、展覧会が開かれた。「30周年記念かいけつゾロリ大冒険展」である。
会場は、日本橋の高島屋の8階ホール。
 
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作者の原さんがまだご存命、というより、ますます元気だというのに展覧会というのだからこれまであまり例のないことではないだろうか。
 
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場内では、30年間におよぶゾロリの壮大な冒険を、年代順に、150点を超える貴重な原画や、ゾロリが集めた“お宝”や各巻で登場した立体物、さらにはゾロリの名言、名シーンなどで紹介。親子や友人同士で、ゾロリの大冒険の軌跡と出来事をじっくり楽しめる企画となっている。
 
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「かいけつゾロリ」は、いたずらが好きなキツネのゾロリと、子分の双子イシシ・ノシシの冒険の旅を描いたものだ。キツネのゾロリは、イタズラの王となることと、自分の城を持つこと、かわいいお嫁さんを貰うことを夢見て波乱の旅を続ける。
 
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普段は三度傘と縞模様の合羽を着ているが、「かいけつゾロリ」として活躍するときは、シルクハットにマスク、スーツにマント、ブーツという出で立ちだ。
 
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ゾロリには、悲しいおいたちもある。父親は、ゾロリが小さいときに、飛行機のテスト飛行の事故で死亡し、母親も幼いときに病死している。
 
元々は「悪役」だったはずで、「イタズラ」が大好きで「イタズラの王者」をめざしていたゾロリ。
 
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しかし、人を驚かすような悪いことやイタズラをしようとしてもたいてい失敗し、うまくいかない。
 
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一方で、義理人情に篤く、困った人を見たらほおっておけない。たびたび、人助けもする。
 
特に、自らの境遇から、母親と子どもの「親子の絆」に絡む場合は、全力で母子を助ける場面がいくつかある。
 
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また、普段は自分のことを「俺様」とよぶが、女性の前では「僕」と言う、女性へのリスペクトも持つ紳士でもある。
 
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「男はつらいよ」のフーテンの寅さん、怪盗ルパン、鼠小僧次郎吉……いろんな物語の主役がいたが、そこまでの「大物」ではないのだが、いつまでも心のどこかに自分の友達のように記憶に残っている──そんな存在感がゾロリにはある。ゾロリに人気があるのは、その独特の人間味なのだろうか。
 
 
 
 
展覧会では、各所で本のあらすじや、ゾロリの身に起きたエピソード、その本が刊行された当時の社会の出来事なども紹介されている。
 
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寒くなるようなおやじギャグも得意だ。
 
 
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トリックアート。向こう側で、ゾロリの足を持って写真をとる。
登場人物の一人になった気分が楽しめるのだ。
 
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作者の原さんは、展覧会のオープニングイベントで次のように語っている。
「僕は最初5冊くらいで終わらせようと思っていたんです。僕は絵描きさんだったんだけど人の作品に文句ばかり言っていたので、お前が描いてみろということで始めたんですけど、本が嫌いな子のため、ページをめくりたくなるような作品を描こうと思って展覧会を開いたら60冊になっていて。誠意を持って自分たちがやるべきことをやっていればこうなるのかなというのと、ファンのみなさんが支持してくれた」
 
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さらに原氏は、「ゾロリはお嫁さん探しをしていますけど、次のお嫁さんを見つけに行ってどんなに追い詰められても元気になるように描いていて、僕もネタが出ないときとかもう1回読み返したときに僕も頑張らなきゃと思うようになってきました」と、自分の書いた作品から元気をもらっているということを言っている。
 
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そして、「こんなに長く続くと思ってもみなかったんですけど、最近、昔読んでたお父さんが連れてきてくれたり、子供の本なんで卒業していってしまって寂しいな思っていたらちゃんと覚えてくれていたり、親子で会話ができたり。展覧会を見ていたら、この時代読んでいたなというのがあると思うのでみなさんで来て頂けると嬉しいです」と原氏。
 
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たしかに、私が行ったのは平日だったのだが、少し驚いたのは、40代〜50代くらいの、私と同じようにスーツ姿の男性が何人もいたことだ。私と同じ様に、子どもと一緒になって読んでいたお父さん?だったのだろうか。
他にも、赤ちゃんをベビーカーに乗せたお母さん、学生らしいアベック、20代前半のサラリーマンなどもいた。そして、それぞれが立ち止まる年代が違う。
心の中に、それぞれの「かいけつゾロリ」がいるのだろう。
 
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ところで、「かいけつゾロリ」は、その時代の世相を反映して、流行や社会的事件・現象などを形や名前を変えてとりいれているところも他の児童書にはない特徴といえる。また、これまでも度々時事ネタが使われている。
 
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最新刊の60巻でも、どこかで見たことのある人物が登場している。派手なスーツと金髪で、なんでも金で解決することを信条とする「ドランプ」。
 
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そのドランプの助っ人として登場する「世界的な整形外科」である「バカス・クリニック」の「バカス院長」。
 
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どう見ても、アメリカのトランプ大統領であり、高須クリニックの高須克弥院長としか見えない。イタズラ好きのゾロリと同じように、作者もイタズラをするように社会を風刺している。
 
 
 
もうひとつ。この展覧会に関連して、話題になっているのが、30周年を記念してつくられた、横長のポスターだ。
 
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東京メトロの主要駅で掲示されている。
そのキャッチコピーがふるっている。
「やあ、元気だったかい? おれさまの旅は まだまだ続いているんだぜ!! ニヒニヒ」
 
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まん中の「の」の字は左右が逆転している。
そして、作者の原さんのメッセージが右上にある。
 
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「おかげさまでかいけつゾロリは30周年。みんなが読んでくれたおかげでぼくはいまでも3人の冒険の旅をかきつづけています。大人になった君たちもひさしぶりに小学生のころを思い出してみない?」
 
このポスターは出版元のポプラ社が作成したものだが、「ゾロリとともに子ども時代を過した、“卒業生”のみなさんに思い出してもらおう」とつくったのだという。
このキャッチコピーやデザインづくりに携わったのはゾロリを読んで育った20代の人たちだそうだ。「大人になったあの頃の子どもたちへ」という思いから、「やあ、元気だったかい?」とよびかけるようなフレーズとなっている。
 
この広告がネットでも話題となり、大反響がひろがった。
「ニヒニヒという笑い方が懐かしい」
「『の』の字がちゃんと逆。広告作る側もゾロリに育てられた感じが好き」
「この広告で泣いた」
……などのコメントが寄せられたのをはじめ、多くの人たちからのメッセージが届いたという。
何年、何十年の時を経て、子どもの頃の記憶とゾロリの思い出がつながって、その頃のわくわく感、ドキドキ感がよみがえったということなのだろう。
 
 
今の子どもたちが、またいつの日か大人になって、自分の子どもの頃と「ゾロリ」を振り返れるように、ゾロリたちにも、そして原さんにも、これからもぜひ大冒険を続けてもらいたい。
 
 
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■日本橋高島屋での「大冒険展」は、5月8日(月)まで。
その後は、立川、京都、高崎へ巡回し、それ以降も続くという。
 

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安倍内閣は、戦前の日本で教育規範とされた「教育勅語」を学校教材に使うことを否定しないとする答弁書を3月31日、閣議決定した。
 
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「朕(ちん)惟(おも)フニ」で始まる315文字の教育勅語。大日本帝国時代の1890(明治23)年10月、教育の基本理念として発布された。「忠」「孝」などの儒教道徳を下地に「君主」である明治天皇が、「臣民」(皇族以外の一般国民)に対して守るべき徳目を説いたものだ。
 
戦前の学校ではこの教育勅語が朗読が強制され、勅語の謄本(写し)が天皇、皇后の御真影と共にまつられ、神格化された謄本の前では、臣民は頭を垂れることとされた。現在の道徳に当たる「修身」の教科書も、教育勅語に基づいて作られた。そして、「国家神道」と一体化し、「神」である天皇のもとで、国民を統合する手段とされ、やがて全体主義を生み、国家総動員体制と軍国主義への道を突き進むこととなる。
 
敗戦後、民主教育に転換する教育基本法が制定され、天皇を「象徴」とする国民主権の新憲法が公布された。教育勅語は1948年6月に衆院は「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている」と指摘し、基本的人権を損ない、国際的にも疑問を残すものだとして、「排除」を決議した。参院も同日、「失効確認」を決議した。国会で排除・失効の確認が決議されたことにより、
教育勅語は政治的、法的な効力を失った。
 
しかし、教育勅語に意義が唱えられたのは、戦後だけではなかった。明治の時期ですら政府内に改定論があったのである。
 
教育勅語が発行された4年後に文相になった西園寺公望は、勅語の冒頭からにじむ皇国史観が「日本は特別な国」という内向き思考を招き、国際協調に悪影響を与えることを心配した。勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古くなった考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を強め…」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)などと批判した。明治天皇も西園寺の指摘を受け入れ、西園寺に「第2次教育勅語」の草案を作るように命じている。西園寺は「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと草案に書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を起草。しかし、西園寺が病気になって改訂は実現はしなかったという。
 
ところが、自民党政権は以前から、教育勅語の道徳的な一面を強調し、「政治的、法的には失効したが、道徳的には有効」との論理で「全否定」を避けてきた。安倍首相は官房長官時代に「大変素晴らしい理念が書いてある」と絶賛したのをはじめ、安倍政権になってからは閣僚たちが相次いで、しかも堂々と賛美を表明している。
 
教育勅語の前半部分には、仲良くする、父母に孝行する、友達を大事にする、といった一般的な道徳を表す項目もある。
しかし、教育勅語の本質はそこにあるのではない。すべては最後の部分に帰結するのである。
教育勅語の後半に「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし」とある。つまり、臣民は国家の一大事には、勇気をふるって身を捧げ、命をかけて「皇室国家」(戦前の文部省訳)のために尽くすべきと書かれている。
 
いいとこだけ強調して、都合の悪い部分は、あいまいにしたり誤魔化す──これは、安保法制や秘密保護法でも見てきた安倍政権流のやり方である。い今の国会に提出された「共謀罪」もしかりである。

「親孝行」や「家族愛」などを教えるのに、なぜ、明治時代にさえも「日本は特別な国」という内向き思考を招き、「文明の進歩に少なからず障害を与える」価値観、「古くなった考え」と一時は改訂されようとした教育勅語を引き合いに出さなければならないのか。「教育勅語」でなくてはならいのは、彼らにとっては別の目的があることははっきりしている。
 
 
 
少し長くなるが、この数日で読んだ、「教育勅語」の問題で「正論」だと思うものを引用し紹介したい。
 
 
ひとつは、毎日新聞4日付夕刊のも専門編集委員・与良正男氏のコラム「熱血!与良政談」に「安倍政権と教育勅語」と題した一文。
 
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中曽根康弘政権時代の1983年、ある県の私立高校の学校行事で、校長に合わせて生徒に教育勅語を朗読させている──との一件が国会で取り上げられたことがあった。
 
当時の瀬戸山三男文相は「率直に言って遺憾なこと」と語った上で次のように答弁した。
 
「教育勅語そのものの内容については今日でも人間の行い、道として通用する部分もあるが、勅語の成り立ち、性格からいって現在の憲法、教育基本法のもとでは不適切だという方針が決まっている」
 
そして県当局に「そういうことのないよう(高校を)指導してくれ」と伝えた、と続けた。
 
「今日でも通用する」とは、勅語が求める親孝行や家族愛などを指すのだろう。しかし瀬戸山氏が指摘した通り、問題は成り立ちや性格なのだ。保守色が強いといわれた中曽根政権だが、今から思えば、至極まっとうな答弁だったと思う。
 
戦前の軍国主義を推進するテコとなった教育勅語の本質は天皇が国民に強制する点にある。そこが今の憲法の基本=国民主権と相いれないことを踏まえた答弁だからだ。
 
先週、政府は教育勅語を学校教育で使用しないよう求める民進党議員の質問主意書に対し「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。
 
教育勅語を「教育の唯一の根本とするような指導は不適切だ」とも記しているが、やはり中曽根政権時代との違いは明らかだ。
 
「憲法に反しない形」とは具体的に何かはよく分からない。ただし教育勅語の成り立ちを学ぶことで無謀な大戦に突入していった歴史を生徒たちが反省することではないだろう。要するに教育勅語をどうしても否定したくない安倍晋三首相らの本音が如実に表れている答弁書だと思う。
 
勅語の再評価論者は必ず「親孝行や家族愛のどこが悪い」と言う。もちろんそれは大切だ。だがそれは個々が考えるべき話で、なぜ教育勅語を持ち出す必要があるのか。
 
結局、戦前回帰を目指しているとしか私には思えない。憲法改正と並び戦後教育の見直しは安倍首相の宿願だ。「森友学園」の教育方針と親和性があると役人がそんたくするのも当然かもしれない。(専門編集委員)
 
 
 
2つ目が、6日に自民党船田元・衆議院議員が自身のブログで、「教育勅語の復活?!」と題して次のように書いている。保守の立場からのスジの通った一文である。
 
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月に入り各学校では新入生が期待と不安を胸に抱き、登校する姿が目立ちはじめた。しかし未だに一連の森友問題は迷路に彷徨ったままである。異常とも言える速さの小学校許認可手続きや、大幅値引きの国有地払い下げ問題を、早期に解明することは言うまでもないが、塚本幼稚園の教育方法の異常さは、さらに深刻である。
 
園児たちに教育勅語を集団で暗誦させた動画は、とても衝撃的だった。私は以前の投稿で「洗脳」ではないかと述べたが、他の識者からも同様な指摘があった。善悪や価値判断の乏しい幼児に一方的な価値観を植え付けることは、明らかに洗脳である。
 
その後、ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり、また、先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない」と述べているが、私はいささか違和感を覚える。
 
教育勅語に掲げた徳目として、例えば「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」などは、いつの時代にも通用する普遍的な価値であろう。しかし勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない。
 
だからこそ昭和23年に衆参両院において「排除」「失効確認」したのである。「憲法や教育基本法に反しない形」で教育勅語を教材に使えるのだろうか。またここに述べられている徳目は、数多くの逸話や昔話などの教材によって、既に道徳教育の中に生かされている。ことさら勅語を教材とする理由が見当たらない。
 
百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる。
 
 
 
 
もうひとつは、まとめ的な論説。「信濃毎日」6日付「社説」で「教育勅語 学ぶべきは訣別の歴史」と題したものだ。
 
戦後の教育は教育勅語と決別するところから再出発した。その歴史こそ学ばなければならない。道徳教育の教材に使うことは、もってのほかである。

政府が、教育勅語を学校で教材として用いることを容認する答弁書を閣議決定した。菅義偉官房長官は、道徳の教材にすることも「否定できない」と述べている。

かつて、戦時体制を支えた国民総動員のための思想統制に、教育は大きな役割を担った。その中核にあったのが教育勅語である。

教育の根本として子どもたちに朗読させ、現在の道徳にあたる「修身」の柱にもなった。謄本(写し)が天皇の写真とともに「奉安殿」に置かれ、神聖視された。

「危急の大事が起こったならば、一身を捧(ささ)げて皇室国家の為(ため)につくせ」(旧文部省の通釈)。勅語の核心はこの一文にある。戦争が起きたら天皇のために命を捧げよという意味だ。

親に孝行せよ、夫婦は仲良く、といった徳目も書かれてはいる。ただ、それを含め勅語は、「臣民」に対する君主の教えとして、天皇中心の国家体制に国民を組み込む役割を果たした。

戦後の現憲法は国民主権を掲げ、基本的人権を何よりも重んじている。勅語がそれと相反することは明らかだ。1948年に衆院、参院はそれぞれ、排除と失効確認の決議をしている。

勅語の復活にお墨付きを与えかねない政府の姿勢は、戦後の原点にある国会決議をないがしろにする。受け入れるわけにいかない。

教育勅語を肯定する声が政権内から公然と出ていることも見過ごせない。稲田朋美防衛相は「核の部分は取り戻すべきだ」と発言した。森友学園が幼稚園児に唱和させていたことが分かった際にも、明確な批判はなかった。

安倍晋三首相自身、かつて「大変素晴らしい理念が書いてある」と述べたことがある。自民党の改憲草案にも通じる復古的な価値観、国家観がにじむ。

道徳は2018年度以降順次、小中学校で教科になる。学習指導要領や教科書検定を通じて、教育への国の介入も強まっている。今回の閣議決定にも後押しされ、戦前に回帰するかの動きがなし崩しに進まないか心配になる。

むしろ大事なのは、近現代史を学ぶ中で教育勅語について知ることだ。何が書かれ、どう扱われたのか。戦後なぜ強く否定されたのか。歴史の重い教訓として子どもたちが学ぶ。そのことに教育現場は力を入れてほしい。

 
 
いずれも、説得力のある正論である。
 
未来を担う子どもたちに手渡すべきは「教育勅語」ではなく、
70年続いた平和そのものである。
 
 
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4日午前、週に2回、定例で行われている閣議後の大臣会見で今村雅弘復興大臣が、福島第1原発事故に伴う自主避難者への対応を巡って、国の責任を質問したフリーの記者に対し激高して「2度と来ないでください」「うるさい」などと述べた。
 
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今村氏はその後、復興庁内で記者団に「感情的になった。今後こうしたことがないよう対応したい」と述べ、謝罪した。
 
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今村大臣は4日の会見で、3月末で住宅支援の打ち切りを迎えた自主避難者への今後の対応を問われ「一番身近にいる福島県が中心になってやっていく方が良い」「福島のことは、福島が考えれば良い」などと発言。記者が「大臣自身が実情を知らないのでは」と聞くと「(避難先からの帰還を)どうするかは本人の責任、判断だ」と応じた。「自主避難者」に対して、国に責任はなく「自己責任」だ「裁判でも何でもやればいい」と声をあらげ、怒鳴り散らしたのである。
 
記者が「責任をもって回答してください」と追及すると大臣は「無礼だ。撤回しろ」と語気を強め、最後は「出て行きなさい」「二度と来ないでください」「うるさい」と怒鳴りながら、会見室を退室した。
 
これについて、菅官房長官は午後の記者会見で「私はそばにいたわけではないし、どんなやり取りがあったかのは分からない。今村大臣本人が反省し、『記者会見で感情的になってしまい、一部、冷静なやり取りができなかった』との報告があった」などと述べた。
そのうえで、菅官房長官は「報告を受け、私からは『適切に対応してほしい』ということを申し上げた。いずれにしろ、今村大臣が適切に対応するだろう」と述べた。
 
この今村大臣の発言について、テレビは、各社がとりあげた。ただ、エヴァンゲリオンのネクタイの話題が半分という気の抜けた報道も合った。
 
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問題は、大手新聞である。一面で取り上げたのは、「東京新聞」(5付夕刊と6日付朝刊)だけで、あとの新聞は、政治面や社会面の片隅に、大きくてもはがき大くらいの記事である。
 
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これはひどい。福島の原発から6年が経過して、なおも自主避難者は1万524世帯、約2万6000人にのぼり、4月以降も住居が決まって気いない人が227世帯もいる。
 
避難指示が解除された地域であっても、小さな子どもがいて放射能の影響が心配であるとか、社会的なインフラが整わない不安などからかつて住んでいた自宅に戻らない人も多い。また、6年間の長い避難生活の中で生活環境が様々に変化してきて、単純にすぐにはもどれない理由もある人も多い。
しかし、そもそもこの人たちは、原発事故があって、行政によって避難がよびかけられ、避難生活を余儀なくされたのである。避難指示を解除したんだから、戻るのが当たり前といわんばかりに、住宅無償提供や、慰謝料を打ち切る、そして、「自主避難は本人本の判断」と「自己責任」とするのはあまりに乱暴である。
 
本人の責任ではないのに、補助を打ち切り、「自己責任」と切り捨てる。こうした、国の対応でいいのかどうか──この大きな問題を、1面でとりあげるどころか、「都議選で自民党本部が都連を全面支援」などの記事と同じ程度とは情けない。
 
ネットの中でも“フリーランスの記者”の“素性”を取り上げて「反安倍の記者」「わざと怒らせようとした」などと書いているものも多い。しかし、自主避難している人たちのことをとりあげるのは記者として当然だし、路頭に迷いかねない避難者たちに寄り添えば、あそこまで問い詰めても不思議ではない。本当は、どの記者も、もっと早くから追求しているべき問題である。それを、他に問いただすジャーナリストとして骨のある記者がいなかったのではないか。だから、あそこまで食い下がった。
 
実際、「記者クラブ」などという制度のない、欧米など外国での記者会見では、歯に衣を着せぬ露骨な質問や、しつこく食い下がるのなど当たり前の光景だ。アメリカでも大統領に就任したトランプ大統領にニューヨークタイムズなどの記者が激しく食い下がる場面があったが、日本の記者は物分りがいいのか、きわめて大人しくて食い下がる場面をほとんど見ることはない。
 
本来「権力のチェック機関」としてのジャーナリストの役割をはたすなら、他の記者もこぞって今村大臣に厳しい質問を投げかけても良かった。そして、どの新聞も1面トップで大きく取り上げてしかるべき大問題だった。
あの記者がいたことと、「東京新聞」が1面で取り上げたことで、救われたようなものだ。
 
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今村復興相が反省するのは当然だが、大手新聞各社も自分たちの存在についてよく考えた方がいいだろろう。
 
今村大臣は、国交省の要職に就いていたころに、同省と関連のある企業の株式の売買を繰り返し、1部上場の優良株18銘柄(別表)を保有し、その当時の時価総額が6000億円を越えたという。

また、今村大臣は、東電株8000株、九電株4000株を保有しているという。
 
さらに、この今村大臣。「日本会議国会議員懇談会」「神道政治連盟国会議員懇談会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に属していて、安倍首相のオトモダチである。
日本会議は、原発再稼動と原発技術の輸出推進を掲げ、その関連団体が避難者の早期帰還促進を主張している。
 
 
今村大臣は、今回が初めてというわけではなく、過去にも物議を醸し出すような発言をしている。
 
今年1月28日、福島市で行われた福島復興再生協議会で、報道陣に公開された冒頭挨拶で「福島の復興はマラソンにたとえると30キロ地点。ここが勝負どころだ」と発言したが会議終了後に内堀雅雄福島県知事から「避難指示区域ではまだスタートラインに立っていない地域もある。解除された地域も復興の序の口だ」と、認識相違の大きさを指摘された。
また、312日放送の「日曜討論」に出演した際には、東日本大震災の自主避難者に対し、「故郷を捨てるのは簡単ですよ」と発言し、被災者には「そうじゃなくて(故郷に)戻って、とにかく頑張っていくんだ」っていう気持ちを持ってもらいたいし、そのための施策も進めていると改めて説明していく。」と述べた。
 
やはり、被災者に寄り添って、真の復興をすすめていくためにも、状況を理解していない今村大臣は辞任すべきだろう。
 
 
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