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身体動作とkazetakenobujutsuのブログ
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礼という空間

「礼について」なんどもブログ「空の気持ち」でも書いてきたが、あらためて考察する。

日本の礼法として捉えるなら格式の高い流派が正しき型を伝承している。

(ここでいう礼については、私個人の見解であり稽古で体感した思いである)

礼をすることにより、相手を知り、共に在るという感覚を得る。

そして己が内と相手とを等しく観る心を養う。

そして、礼は自我を出さないという約束であり、場を乱さないという約束でも在る。

そして人と共に空間に対する礼も忘れてはならない。

その所作は美しくて当たり前から始まる、つまり求める所作は相手を汚さないという心の現れから発せられる。

もちろん技術的な段階は下手から上手に上がることだが、礼をするという心はすでに美しいのだから、それに技を磨く。

礼は頭を垂れる所作であるが、そこで所作は終わらず、立ち居振る舞いが「礼」そのものでなければならず、空間を乱さず、相手を追い越さず、所作が行われるように心がける。

先ほど「美しくて当たり前」と書いたが、もちろん身体の流線の美しさも大事だが、そのものの内に在る真心を観て美しいとみて取れなければ、技としての礼を磨くことはできない。
例えば、最初は所作も分からず、手をべたべたと所作をするものもいる。
しかし、それでも美しく映ることもある。それは純粋な飾りない所作で、真心の現れだからである。そういう方を観た時、私はただその礼を有り難く受ける。
決して直したりしない。それが美しいと分かるからである。


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