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身体動作とkazetakenobujutsuのブログ
武の動きが癒しとなり道を拓く

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〜ただやる〜

集中という心地よさがある。

思考で稽古してしまう昨今、ただやる、という集中が尊い。

稽古や練習の最近の流れは、考えて、それが効率が良いかどうかということをその場で話しあったり、嫌な練習ならやらない方がいいということで、好みのメニューを立て、しかもそれが効率が良い方が良い、と。そのような練習になってきているようだ。

無駄のない良いことかもしれぬ。

だがすべてを切り捨て効率の良い、結果さえよければ、という考え方に身体が私には落ち着かぬ。

集中や静寂などは古い感覚なのだろうか、その静寂に何の意味があるのかというようなことも言われている。

そこに意味を求めるのではなく、感覚に入る行為ということを考えないようだ。

感覚を遣うより情報を使えということだろう。

先日の稽古では、そういう静寂の中の感覚を稽古した。

わざわざ感覚の稽古です、などとは言わぬが、ただ黙々とやる。

終わったあと、身体はすっきりと、言葉にはない感覚が蘇ったように感じた。

それぞれに感じ方、考え方はあるが、そういう稽古も良いと思う。

とくに感覚を大事にする武術の稽古や、踊りの稽古等はそういう時間が大事と思う。

納得しないと動くのは嫌だとか・・・そういう気持ちは果たして、正しいのだろうか・・。

結果とか効率とか、頭でっかち過ぎて、どうなのか・・。

私の稽古法ではない。

すべてを明らかにしたいという今の世の中ではそういう流れか・・。

分からぬことがあって面白いことがあるのにすべてを明かしてしまったら、はたして面白いか・・。

マジックのタネを全部知った上で観に行きたいかな・・。

などと思う次第で在る。

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