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身体動作とkazetakenobujutsuのブログ
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〜木曜日の基礎稽古〜

さて本日は身体動作の基礎稽古会。

毎週木曜日の朝。

この稽古は何を稽古しているかというと。

「自分の身体を手に入れる稽古」

「頭ばかりが先に行き、体は自分のものではないかのような感覚

そんな身体はもっと心に寄り添っているもの

身体の心を開き自分を感じることを目的としている」


立つこと 座ること 礼をすることから始まり、関わること、触れること 放つこと。

剣を使って姿勢を探究し、剣を置いて舞を学び、相手と関わり 癒しを学ぶ。


そんな稽古を行っています。

本日の稽古では剣術の構えから、舞のやわらかさ、優しさを感じ、触れることで、癒す意味を稽古しました。

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ご興味ある方は、身体動作ホームページよりお問い合わせください。

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〜目黒武術会‼〜

さて本日目黒武術会。

剣術構えからの正確さ、重心、軸などを丁寧に稽古した。

そして前々回に続き、一会堂院長の岡村先生も稽古に参加。

構えの筋力半端ないほどにガッチリ入ってました!!

そして一通り剣術の体の使い方、杖の連動性を稽古してけら、後半は、触れ、メンテナンス。

プロの岡村先生に触れを指南していただき、芯の取りなども勉強させていただいた。
やはり指の繊細さと、体の浮き、はさすがである。

腕や指にとらわれることなく、体幹と指が繋がっていた。

私も背中を触れて頂いた。

スッキリとした依存のない触れであった。

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繊細な手の指。

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浮きの利いた体幹。

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相手の中心を合わせる
静かな集中。


次回もご参加くださるとのこと
楽しみにしております。

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〜そのように抜く〜

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居合いは瞬間の勝負。

今という瞬間に抜けなければ技ではない。
身体で問題なのは腕ではなく脚!

道場のように平らな場所ならば摺り足で早く抜けるだろう。

しかし足場が崖ならばどうか。

道場と同じような稽古では抜けぬ。

どんな場所でも対応の効く体。

体は水平真っ直ぐが良いわけではない。

崖ならば崖と同化するような姿勢。

そして抜くときは、そのように抜く。

方法ではなく、その場の身体にて抜く。

どう抜いたのですか?

聞くほうが野暮というもの。

抜けたならば抜けの身体であったということ。

抜けぬのなら、下手な身体であったということ。

それだけのこと。

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〜野生の強さ〜

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舗装されたきれいな道、快適な家屋、清潔すぎる街並み。

便利さを追い守られ過ぎる環境。

はたして身体はそういうものに順応するためにあるのか。

転ばぬようにかばい、傷付かぬように体は萎縮し、、。

体はどこに向かおうとしているのか。

痛みに恐れ、本能を忘れ、外部から守られ、内側の己を忘れ、それが生命の強さに繋がるのか、、。

勉強という名のもとに自由度を奪い、感覚という強さと自由さと可能性を否定する。


稽古をしているとふと思うのだ。

身体はそんなに弱いのか?

痛みがでればビクビクと萎縮し、できなければクヨクヨシ。


稽古で摺り足がある。

摺り足は足腰を曲げ制限をかけるキツいうごきだが、それは、平らな床の上や畳の上で行われる。

股関節骨盤はそんな平らなものだけに対応していない。

もっとでこぼこした山や崖を上れるように関節は出来ている。

摺り足の学びとはそういう野生の場所を使いきって、そして改めて行う歩法だと思う。

平らも中腰で動け、でこぼこ道もなんなく越えていく、そんな足腰が逞しい!

山を駆け下りていたころ私は、でこぼこ道から転げ落ちたとがある。
しかし体は打撲と擦りむいた程度。
べつにふつうの日常であった。

山と一体であったし、体は転べば痛みもあるだろ、ふつうのこと。

身体はもっと野生に強くなれる!

体は痛めれば痛いんだよ!それがなにか?

治るときに治るんだよ!

最近ビクビクしている自分に気づいてきた!

もっとでこぼこ道を歩かなきゃな!

痛みや苦しみは経験すりゃあ、そっから強くなるのが体ってことだ!

さてさて頑張るとするか!

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〜身体と自由な心〜

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本日は摺り足からの稽古。

摺り足という制限のなかからどれ程自由に動けるかという歩法。

私自身も毎回そのときの感覚を大事にしている。

摺り足のときに何を考えているか、また、感じているか。

生徒によく質問をするのだが、どう感じましたか?と。

皆それぞれの感じ方がある。

腰を感じた、足首、膝等を意識した等。

私は今日は体よりもゆらめくエネルギーを軸に感じていた。

生徒は色を意識したと。

少し感覚がシンクロしたのか、。


このような抽象度の高い感覚も体の一部だ。

身体という実感する肉体だが、時に感じ方は自由であってほしい。

身体という筋骨格の集合であるが、それに意識が加わると、身体は動きを変え生き生きと姿を変える。

意識を放つだけで、筋肉は普段より伸び、滑らかな動きになる。

こうでなければならないという型は大事であるが、そこから自由を求め型の意味を知り、自分の動きや存在の仕方を感じてほしい。

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