森使いの診療所

変わらぬテーマは「地域づくり」
虐待や過剰な管理をする親は子どもを親自身のための自己実現の手段にするのであり、子ども自身の希望や興味、やりがい、達成感などは無視する。

K君は小学校3年生の途中からそろばん塾に通っていた。8級から始め、4級までは順調に急を進めていった。
5年生で3級の練習をするようになったが、暗算が難しくなり、応用問題が学校で習った算数のレベルを超えたことから上達がつかえてしまい、検定にもなかなか合格しなくなった。「暗算の桁が多くてできない」「応用が習っていないからわからない」と母親に言えば、「みしみねえからだ」「馬鹿だからだ」と否定的なことしか言われないから、何も言わなかったが、検定で不合格になるたびにひどく叱られ、けなされた。

母親がライバル視していたW君(2年生の学芸会で劇の主役をやったW君)は後から始めたのにK君を追い抜いて、もう2級が合格しそうだった。
実はW君には3歳年上のお姉さんがいて、勉強でわからないことがあればお姉さんが教えていたからK君に較べてアドバンテージがあったのである。K君には妹しかいなかったし、小学上級レベルの勉強は母親には漢字くらいしか教えることができなかった。

それでもK君は応用問題の「利益」や「原価」などの定義や割分厘、%の計算の仕方を自分で考えてだんだんものにしていった。応用問題と暗算はどちらか成績の良いほうの得点が採用されるから、暗算は捨てて応用問題に懸けることにし、何回目かの挑戦で3級に合格することができた。

「次は2級に挑戦だ。」
当然のようにK君が2級の問題集を珠算学校からもらって帰ってくると、母親は3級合格のお祝いやねぎらいの言葉もなく、いきなりK君を怒鳴りつけた。
「まだやるつもりか、この馬鹿!」「3級ぐれえでさんざん手こずって、2級なんかやったらどういうことになるんだ!」「もうやめるからすぐに本なんか返してこい!」

K君がそろばんをもっとやりたいかどうかなどということは全く問題にされず、有無を言わさず塾をやめることが母親によって決められたのである。完全に一方的な決定であるが、支配者である母親にとってはK君の意向などということは、どうでもよいのである。K君はそろばんをやっている本人なのだが、母親にとっては自分のほうが全体を支配する本人だからだ。

K君の母親にとっては、母親が勝手にライバル視しているW君がすでに2級から1級に進んでいることから、そろばんでは自分のメンツが立たないということなのである。S君に離された状態で息子がまだそろばんを続けるというのは、いまいましくてならないのだ。

担任のO先生には、「成績は間違いなく学年で1番」と言われていたから、母親にとっては、「学校の勉強ではW君に負けない。そろばんなんかやめても構わない。もっとずっと大事な学校の成績で勝負だ」ということなのだ。だからその後、6年生の教育相談で、「学年3番くらいかも」とA先生に言われた時に激怒したわけである。

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教育虐待がどのようにして起きるかといえば、親が子供を通じて自己実現しようとするからである。その親にとっては、子供への周囲からの評価がすなわち自分自身への評価なのであるから、子供への過剰な要求が日常的になる。親は自分自身で努力する時期は過ぎているがunfinished workとして積み残しの課題が心のなかに残っている。その自分ではできなかったことを、子供に対して管理、命令して実現しようとする。それが子供自身の能力の範囲であり、自分でも納得できることならよいが、意に反することをさせられたり、能力を超え、過剰であったりすると子供にとって大きなストレスとなる。反抗期の時期になれば大きな葛藤も生じてくる。

3歳児健診の時にはK君の母親は事前に何をきかれるか情報を仕入れ、K君に訓練を施した。大きな声ではっきり答えること、前をみて姿勢を正していることなどもしつけて本番に臨んだ。K君自身も吸収する能力があったから、母親の期待に立派に応えて面接の係の人にも褒められた。母親は周囲の他の母親たちからの羨望の視線を得意になって感じながら健診を終えた。

「しつければこの子はできる。」その確信は揺るがぬものになった。K君のほうも3歳で脱腸ヘルニアで入院、手術したときも子供と思えないほど病室でおとなしく過ごしたし、歯医者に行っても、ホームで電車を待っていても、走り回るほかの子とは違い母親の横でおとなしくきちんと座って母親を得意にさせた。親戚の家にいっても「K君がいてもいるかいないかわかんないね」などと言われ、「この子は利口だ」「偉くなる」という、お世辞も含んだ他人からの評価が母親の自尊心を満足させた。

保育園の発表会では「舌切り雀」のおじいさん役(主役)を立派に務めた。保護者たちや先生たちからやはり賞賛を受け、母親の期待値はさらに膨らんだ。

ところが小学校2年の学芸会の人選の時のことである。子どもたちはまず「演劇」「合奏」「呼びかけ」の3つのうちからどれか一つに参加することになっていた。K君は前年、1年生で上級生の演目を見学した時に、みんなで詩のようなものを読み上げる「呼びかけ」がいいなと思っていたから、参加する演目を決める学級会で迷わず「呼びかけ」に挙手をして希望した。
ところが大体「呼びかけ」というのは、みんなの前で大きな声を出して演技する「演劇」にも向かず、楽器ができるわけでもない「その他大勢」的な子供たちが参加するというのが暗黙の決まりだったから、Y先生はお前は合奏にしろといってマリンバを演奏することになってしまった。
また演劇のほうは「大きな石」という劇で、主役にはだれもしり込みして手をあげなかったが、先生が「じゃあ」と指名してW君とC子さんが選ばれた。

家に帰って自分は合奏をやることになったと伝えたとたん、母親の顔色が変わった。
「なんでお前は主役じゃないんだ!」
K君は劇は好きじゃないし、希望しなかったことを伝えると、「なんだ、とぼけ! 劇が一番いいに決まってらあ! 僕がやるって、さっと手を挙げなかったんか!」
主役は先生が選んだので仕方ないことを説明したら逆効果となり、母親はさらに逆上した。
「W君に主役とられちゃったんだに、この馬鹿! W君はひいきされてるんだ。お前はぼけっとしているからいいようにされちゃったんだぞ! あした先生に自分が主役やるって言ってこい!」
「もう決まったんだからだめだよ。」
「なんだと! いいからどうでも主役とってこい! 交代してもらわねえと承知しねえからな!」

決まってしまった役柄、それも主役を変更できるわけがないことは2年生のK君でも分かったので、母親の無茶な要求に泣き出してしまったが、先生に伝えなければまたひどく叱られ、小突かれることは見えていたので、翌日仕方なく担任のY先生にうつむきながら「主役をやりたい」と伝えた。Y先生は「もう決まっちゃったからなあ」と言って苦笑いしたが、帰るとまた叱られることを思ってK君は胸がつぶれるようだった。

「おかあさんは自分に主役をさせたかったんだな」ということはわかるが、だからといってどうしたらよかっただろう。学芸会の出演の振り分けをすることが事前にわかり、主役を決めることもわかっていなければその場でどうしようもない。母親は主役がいいと思っているが、子どもは劇に出たいと思うわけでもない。むしろ劇はみんな恥ずかしがって不人気だったのだ。

母親はK君を自己実現の手段としているので、また保育園のときのように主役をとり、上手に劇をしてみんなに賞賛され、鼻を高くしたかったのだ。K君自身の気持ちは置いてきぼりにされ、手段にされているのだ。 K君が賞賛されることで、自分が賞賛されたいのだ。

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教育虐待がどのようにして起きるかといえば、親が子供を通じて自己実現しようとするからである。虐待者は支配者であり、支配者は自分が優れているということを常に示そうとする。それは被支配者に対しても、自分と接する機会のあるすべての人間に対しても。

K君が小学1年の時、母親は雨が降るとK君にレインコートを着せて学校に遣った。制服というものはなく、ジャージやトレパンといった体操服を着ているので、その上からレインコートだけきちんとしたものを着てもちぐはぐに見える。ほかのみんなはそんなもの着ていない。それでもK君は1年生でよくわからないからそのまま母親のいうとおりのものを着ていった。母親からすればほかの家とは違うという意識があり、認められたいという思いがあった。担任のS先生から「K君は身なりがきちんとしている」と言われたこともあってK君の母親はますます得意になり、ゴムの長靴でなく、子供用のブーツまでそろえた。同級生たちはそもそも長靴すら履いていく人は少数で、ましてブーツなんか履くものはK君しかいない。それでも「うちの子はほかの子とは違わなければならない」という母親の強い思い込みは変わらなかった。

母親は時々K君に花をもたせて学校に遣った。最初は花瓶まで持たせて準備させた上である。だんだん上級生になるにつれ、男の子ということもあってK君はだんだん花など学校に持っていくのは恥ずかしくなってきたが、拒否すると激しい叱責に合うので仕方なく6年生まで花の持参は続いた。母親とすれば、自分の家の子はほかの子とは違う、教室に花を飾る心をもっているということを示したいのだ。実際にはK君は嫌がっているのだから、母親による見せかけに過ぎないのに。

授業参観の時、この種の嫌らしさは彼女から直接発せられることになる。
たとえば算数の時間であれば、お気に入りの万年筆とメモ紙を持参し、教室の後ろで自分も一緒に問題を解くのである。ほかのお母さんたちが自分の子は手をあげられるか、当てられたらきちんと答えられるかといったことで気をもんでいる中で、K君の母親だけ、あなたたちと違いそんなことが問題なんじゃないというように余裕をみせて自分自身で問題を解くのだ。当然ほかのお母さんたちから嫌に思われたに違いないが、本人は得意だったのだろう。


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