森使いの診療所

変わらぬテーマは「地域づくり」
自民党のT議員のパワハラ音声がマスコミを通じて流れ、多くの人がそれを耳にすることとなった。
そこにみられたのは、圧倒的な支配関係において行われる言葉と身体の暴力である。

K君は子供のころ、母親から同じような虐待を受けていた。人が人を「支配」する方法には多くの共通する方法があり、パワハラと児童虐待も似通っているところが多い。

虐待はそれを経験したことのない大多数の人たちにとっては想像することが困難である。
それは単発的な暴言とか単発的な暴力ではない。延々と長時間、また毎日繰り返される圧倒的な支配の表現である。暴言暴力のない時間帯にも支配の空気は延長され、被支配者は常にその空気を呼吸しながらその場を過ごさなければならない。
今回暴露されたのはそのパターンの一つに過ぎないが、具体例が現場の録音の形で世に示されたという意味は大きい。T議員はその役割を期せずして担ってしまったのである。

職場のパワハラと児童虐待が一番違うのは、前者が脱出したり、法的手段に訴えたりするなどの方法があるのに対し、後者にはそれがないということである。子供には逃避する方法がないばかりか、多くの場合、「自分のほうが悪い」「自分はダメな子なんだ」と思い込んでいるのである。

今後も少しずつK君の経てきた支配‐被支配の関係を書いていきたい。

この記事に

開く コメント(0)

ヒステリー盲

K君が生まれたのはA市の産院である。

産気づいた母親を産科医院に送りとどけた父親は、ちょうど出張が重なっていたため2泊の予定で出かけてしまったが、出かける前に公衆電話から義父が働く隣町の工場に電話をかけ、義母にお産扱いに来てくれるよう伝言を頼んだ。(一般家庭における固定電話はまだ充分普及しておらず、K君の家や母親の実家にも電話はなかった。)

K君は午前2時28分、順調に正常分娩で生まれ、母子ともになんらの問題もなかったが、母親は伝言して来てくれるよう頼んだはずの母(K君の祖母)が産院に来なかったことがいたく不満だった。
当時は妻の出産時に夫が付き添わないことは普通だったし、K君の祖母からしても自分の時代は家で産むのが当たり前だったのに、娘は病院で産むというのだから必ずしも付き添いに行かなくてもと考えていたのだ。K君の祖母は産院からバスで40分ほどのところの山あいに住んでおり、車酔いがひどかったためにバスの中で嘔吐してしまうことが心配だったということもあった。

K君が生まれて1日目が過ぎたが、K君の祖母は現れなかった。
夜になって病室に入ってきた看護婦に母親が突然言った。
「看護婦さん、あら電気消しちゃいやよ。どうして消しちゃうの? 早く点けて!」
母親は看護婦がいたずらで灯りを消したのだというように、そして自分はそのいたずらに対応して他愛なくふざけ合っているだけだというように笑いながらそう言ったのだが、実際は部屋の灯りは点いていて明るいので、看護婦は不審に思い医師を呼んだ。

意識低下や麻痺など、ほかの神経症状を伴わずに両眼が一度に見えなくなることはまずありえない。あるとしたら「見えているのに見えない」状態、つまりヒステリー盲である。
ヒステリー盲という診断名は現在使われなくなり、解離性障害/症状に含まれるが、その診断はより厳密になっているので、この時のK君の母親の状態は今の診断基準では疾患に含まれないだろう。ストレスによる一時的な解離性症状ないし「演技」のようなものととらえられるだろう。場合によっては詐病とされるかもしれない。

K君の母親は「目が見えなくなった」「それほど大変なのだ」「すぐ来てくれ」というメッセージを産科医院から夫や母に伝えてもらいたかったのである。
直接「目が見えない」というより「電気を消さないで!そんないたずらしないで!」と訴えるほうが、目が見えなくなったことに自分で気づいていない、という“状況設定”となり、「より哀れっぽくなる」という計算があった。母親を診察したI医師は、「今日どなたも面会に来なかったのですよ」という看護婦の報告を受け、精神安定剤を処方して詰所を出て行った。

後々K君は母親に、「お前を産んだ時にはいかに大変だったか。お母さんは目が見えなくなったんだ。苦労したんだ。」と繰り返し聞かされた。
その他にも夜泣きの苦労、おむつの世話の苦労、乳児湿疹の苦労など育児で大変だったことばかりが語り聞かされ、K君が生まれたことの喜びは全く語られることはなかった。K君は自分の存在は母親にとって大変なのだ、自分は他人に負担をかけるのだ、という罪悪感を自然ともつようになり、そのことがK君の一つひとつの行動を規定し、拘束するようになった。

K君が中、高生、また大学生の頃には、母親は狂言家出や狂言自殺を反復するようになったのだが、「演技」的な方法、手段は少なくともすでにK君誕生の頃から彼女にみられたのである。

この記事に

開く コメント(0)

年始回りにて

K君がまだ5歳の時の正月であった。
夕方に家族で遠戚の家に年始回りに行き、食卓を囲んだ。

親戚はK君の母親の弟の妻の実家であり、またその弟の勤め先の段ボール会社の社長の家でもあった。つまりK君の叔父は勤め先である小さな段ボール会社の娘と結婚していたのだ。
K君の叔父がそこで働くようになったきっかけは、K君の父親が紹介したからである。K君の父親の勤める靴製造工場は、靴を出荷する際に使う大きな段ボール箱や靴の詰め物にする厚紙を、その段ボール会社に発注していたのだが、K君の母親が自分の弟をその段ボール会社で働かせてもらえるよう、夫(K君の父親)に紹介させたのだ。K君の父親がこのようにな動きをするときには、多くの場合母親が背後で操っていた。

正月の宴では、社長の息子が東京の大学の医学部に合格した話題で盛り上がっていた。その息子は出かけていてその場にはいなかったし、母親に抱かれた、まだ生まれて1歳にもならないK君の妹のほかには子供もいなかったが、K君は親戚に行くといつもそうするようにおとなしく炬燵に入って座って皆の話を聞いていた。

「Kちゃん、大人の話ばかりでつまらないでしょう? おばさんがお餅焼いてあげるからお勝手に行こうか。」
社長のまだ独身の、もう一人の娘が宴の場からK君を連れだしてくれ、お勝手で電気コンロを使って餅を焼き始めた。
「いくつ食べられるの?」
K君がもじもじしながらも「2枚」と言ったが、おばさんは3枚焼いてくれ、醤油をつけてさらにつけ焼きにし、海苔を巻いてくれた。家ではつけ焼きにはしたことがなかったので、その思いもしなかった香ばしい美味さに次々に平らげてしまった。K君はふだんから小食で、茶碗に盛ったご飯はいつも食べきれなかったし、保育園に持っていく弁当も食べきれなくて母親にいつも叱られているので、今日はこんなに食べられることが本当に嬉しかった。たくさん食べられることは、子供にとっては能力であり、食べられたことは誇りなのだ。

「あら、おなかすいているのね。もっと焼こうか。」
追加で焼いてくれる餅をさらに4枚5枚と食べて得意満面のK君。
そのうち妹を抱いて母親がお勝手に様子を見に来た。
「僕、お餅3枚食べて、もっと焼いたらまた食べて、今全部で5枚も食べられたんだ。もっと食べられるよ!」
いつもはたくさん食べられず叱られているが、今日はたくさん食べたので母親もほめてくれると思ったのだ。
笑うおばさん。「そのくらいにしときな」と言いながら笑って見せる母親。
その場ではしごく和やかな時間であり、ここまでで済めば親戚の集まりの、楽しい一場面の思い出になったはずだった。

ところが帰りの車の中で唐突に母親がK君をこづき始めた。
「お前は今日どうだったか言ってみろ!」
K君はいつも母親が怒り出すとそうなるように固まってしまい、何の思いもめぐらず、時間が過ぎるのをただ待つだけの心理態勢になった。その場の時間はK君と関係なしに過ぎていくようであり、それをK君が外から見ているといったような感覚だ。
「あれじゃ家で食べるもんもやってねえみてえじゃねえか! 客に行ってあんなに食うやつがあるもんだ!」

普段ならK君は親戚に行ってもおとなしく、大人の中にだっていつまででも我慢して座っていられるのだ。そしていつも「頭のよさそうな子だ」「この子は偉くなる」と言われることが、母親の自慢だった。
それが今日はK君が餅を食べすぎたことが、母親の自尊心をいたく傷つけたのだ。母親は社長の息子が頭がよくて医学部に入ったということが羨ましくてしかたなかった。「自分の息子だってその時になればいい大学に入れてやる」そんな対抗心で母親はいたのだ。「その時は見返してやる」と。
ところが弟の小姑がお勝手に連れ出したがばっかりに、こともあろうに餅をパクパク食べてしまった。本当に面目も何もなくなってしまった。

K君は怒鳴り続ける母親に対して、「食べ過ぎると行儀が悪いんだな」と思った。
いつもは食べないと怒るのに、今日は食べて怒られる。状況によってやりかたは変えなくてはならないし、それはとても難しいものだ。自分にはそういったことがなかなかできない・・・。
社長の大学生の息子に5歳の子を対抗させていること自体無理な話だが、そんな母親の無理や虚栄心といったものがK君にはわかるはずない。こういった経験をすると自分のほうが悪い、自分はだめだ、といった劣等感のみが子どもの心に積み重なっていく。

車を運転していた父親は、母親の言葉の合間合間にK君に対し「馬っ鹿が」と言って、母親の延々と続く怒鳴り声に同意し続けていた。


この記事に

開く コメント(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事