団塊世代のつぶやき

今年も残りわずかになってしまった。

無題

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”いじめ”で思うこと

  ”いじめ”問題が、大きく取り上げられている。自分の中学時代は、1クラス52人平均で12クラスあった。気に入らない人間もいたし、仲間同士での喧嘩もした。しかし、医者にかかるような怪我人がでたり、いさかいが原因で自殺することなどなかった。
  子供の中学時代、8年前であるが不登校が社会的問題になっていた時である。一度、校長先生、教務主任、生活指導の先生と話をする機会があった。その時に、こんな先生に子供を預けることは出来ないと感じた。問題意識がないのである。物事の捉え方が、表面的なのである。学校での出来事に対するとらえ方が教師よりも子供の方が的確なのである。
  2人の子供を見ていると、中学生ともなれば基本的な考え方は大人と同じである。観察力も一人前である。親として教えられることも沢山あった。学校側の問題は、教員の生徒への接し方ではないだろうか?年齢も違い、立場も教師と生徒であるが、人間としてみると変らないのである。このことを理解しないまま、子供だから、、、生徒は何もわかっていない、教師は何でも把握している、、、、こんな頓珍漢な考え方が、積もり積もってきた結果が、現在ではないのか?そんな気がする。
  ”いじめ”は、子供同士だけの問題ではなく、子供が育つ環境、家庭、学校、世間のすべてが関係していると思う。大人が、人間らしい生活をしていれば、自然に子供はその価値観を身につけるものである。親と子、教師と生徒、この信頼関係がすべての根本ではないのか?問題が起きると、コンサルタントを派遣して、、、制度を変えて、、、、と大人の立場だけであり、表面的なてこ入ればかりである。子供達は、どうして欲しいと思っているのか把握しているのだろうか?テレビで学校関係者の発言を聞いていると、何もわかっていないのではないかと思ってしまう。先生は、教員免除を有する”プロ”である。”いじめ”が先生だけの問題ではないことは承知しているが、、、、問題の起きる学校には、学校側にも問題があることも確かだろうと思う。

  中学校を卒業して40年以上になるが、52人のクラスメイト、今でも担任の先生を囲んでクラス会を開いている。海外に行ったり、仕事の関係で参加できない人、亡くなった人を除いて、今でも30-40人が集まる。当時の喧嘩相手も、今では話の出来る友達である。担任の先生には、今でも相談できるし、先生も経験を通じていろいろな話をしてくれる。こんな信頼関係があれば、”いじめ”も無くなるはずだ。
  名前を忘れてしまったが、女性の方がテレビで言っていた。”学校は、命をかけていくところではありません。”その通りだと思う。人間として信頼関係の得られない環境に身をおくことほど不幸なことはない。家庭も学校も、年齢は違っていても、同じ人間の集まっているところである。すべての基本は、人間としての信頼関係ではないのか?経験のある大人は、もっと経験のない若い人を子供として扱うのではなく人間として付き合わないといけないのではないか?

1周年

  恐る恐る始めたブログ、何もわからず始めたブログ。ちょうど1年が経過した。よく継続できたと自分でも感心している。知人からは、”顔も知らない人と話をしてもつまらない”、”中傷されることもある”、、など、いろいろ言われた。
  開設のきっかけは、定年まで残り少なくなり、企業の研究開発部門一筋で生きてきた人間が、世代交代の波に乗れず、研究開発の現場から去らないといけなくなったことである。これまでとは、違った価値観で生きていかないといけない!そんな気持ちであった。過去を捨てないといけない。そんな時期が、いつか来るとわかっていても、その時となってしまうと気持ちも不安定になる。
  何か新しいことをやってみよう。その一つがブログであった。1年が経過し、会社にしがみついていた生活も、少しづつだが解消してきた。定年まで1年半を下回ってきた。定年前に退職するかもしれないが、ようやく、将来に向かって、これまでの価値観を変えていけるような気持ちになってきた。その時、その瞬間、思いついたことを書き留めてきただけだが、それでよかったと思う。訪問していただいた方からのコメントもうれしかった。いつまで続くかわからないが、もう少しブログを継続してみようと思う。

 訪問者が500人を越えた。訪問者リストを見ると、意外と若い世代の人が訪問してくれているようだ。見た瞬間に閉じてしまうような内容ではないかとも思うが、若い人にも読んでいただいていると自己満足している。同じ団塊の世代の人が少ないように感じる。社会の中では人数が多くても、意外とブログを利用していないのかもしれない。

 訪問していただいた方には、感謝、感謝である。ありがとうございました。何しろ、平日は長時間通勤でパソコンに向かうこともほとんどないので、休日だけの書き込みです。使い方もよくわからず、主題もないその日の気分次第ですが、できるだけ長く継続してみようと思っています。

まもなく大地震

 昨年の今日、約2時間後に大地震が発生した。自分の生まれ故郷である長岡のことである。新潟大地震は自分が高校生の時であり、長岡でも大きな揺れを感じたが、その後、長岡で地震など考えもしなかった。神奈川でも最初の地震の揺れを感じた。結構、大きい地震とは思ったが、長岡が震源とは思いもしなかった。
 テレビをつけたら、震源地が中越地方であった。地震発生から約5分後、これは大変と兄弟の家に電話したが、通じない。兄弟3人、従兄弟や親戚など、手当たり次第に電話した。全く通じない。
 1時間後、ようやく姉につながった。姉の家ではけが人は出なかったが、電気、ガス、水道は使えない。余震がひどく、家の中には入れないとのことであった。長男が、被害のひどかった山古志村近くに出かけていたが、翌日、無事に帰ってきた。
 5時間後、もう一人の姉と連絡が取れた。こちらも同じような状態であった。姉は、この年8月頃から体調不良で原因がわからず検査を繰り返していた。地震で気持ちが緊張したのであろうか、しばらくは元気にみえた。2ヵ月後、すい臓がんと判明した。地震による家の中の整理を終え、自分の身の回りの整理もし、今年1月生前形見分けを行い、2月入院、6月に旅立った。両親のお墓も壊れたが、これは真っ先に応急処置をした。まだ、本格的な修理は終わっていないが、外見的には元の姿に戻ったお墓で姉は両親と思い出話をしていると思う。
 兄と連絡がついたのは、2日後であった。電話をしても、正常にコールしているようなのだが、全くつながらない。この間、姉達も自分のことで精一杯であったようで、兄の住む地域でのけが人がいないらしいということしか情報がなかった。余震も大きく、その数も多かったので、肉声を聞くまでは心配であった。
 兄と連絡がつくまでの2日間は、1年経過した今も忘れることはできない。マスコミの報道で、復旧の様子が取り上げられているが、日常生活での打撃は、深刻であり、まだまだ時間がかかる。そして、復興した時には、別の”長岡”に生まれ変わっているのであろう。
 

訪問に感謝

 こんなブログに100人を越える人が訪れてくれた。訪問していただいて、ありがとうございます。じっくり最後まで読んでくれる人、見た瞬間に閉じてしまう人、いろいろでしょうが、とにかく、訪問者がいるということは、うれしいものです。今後も、できるだけ長く続けていこうと思います。

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