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ずっと忘れない

<大切な思い出たち>
 最後の入院中ベッドの上で、まだ付き合っていた頃のアルバムを二人で見ました。

 上司が企画して下さった遊園地ツアーや、関東近県をあちこち旅行した時のことを思い出し、写真の中の自分達に「二人とも若いなぁ。」と懐かしく笑いました。 

 最後のページを見終わった後、彼は写真に眼を落としたまま言いました。 「よかった、まっくの中に俺は残っていられるね。」 

<ありがとうございました>
 彼のことを大切に想って下さった方々へ…ありがとうございました。 闘病中の彼は、励ましの言葉をいただく度に繰り返し言いました。 「俺は大事にされていたんだなぁ。 もっと早くに気づけばよかった。 悪いことをしたなぁ。」 

 たくさんの人達が、自分を待ってくれている。 このことが彼をどれだけ励まし、彼に病気と闘う気力を湧かせたことでしょう。 

 彼の心の支えになって下さり、本当にありがとうございました。 皆様方がお元気で、充実した日々を過ごされますよう…彼もまた心からそう願い、見守らせていただくに違いありません。


 

 

 

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彼の最期

<お見送り> 
 朝、彼が出勤する時は、私も一緒に玄関に出て「いってらっしゃい、気をつけてね。」と言って手を振りました。

 塀の向こうの道に出て歩きつつ、彼はもう一度玄関先の私を見て軽く手を上げます。 当たり前だったあの光景も、もう見ることはできません。 けれど私の記憶の中で幾度となく蘇り、生きている限り彼のあの姿を忘れることはないでしょう。

 彼と長く暮らしたこの家とも、今日でお別れです。 また新しくも懐かしい土地で、一緒に頑張ろう。

<回想 27(代筆)>
 いつでも一緒、どこでも一緒。 さと&まっくなら大丈夫。 

 3月の手術の日、彼の手のひらに私がそう書きました。 「ずっと一緒だから。」 「うん、わかった。」 二人で何度この言葉を交わしたでしょうか。 

 彼が息を引き取った5月24日、昼休みにお見舞いに来てくれた友人がいました。 大学時代からの親友で職場の同僚で…、闘病している彼のために、何度も足繁く会いに来てくれました。

 あの日もベッド脇で、穏やかに話しかけてくれました。 彼の左手を友人が、右手を私が握り締め、彼を中心に静かな時間を過ごしました。「じゃあ、また来るからな。」 友人が部屋を後にした矢先のことでした。 

 彼の心拍数が、急に低下しました。 私は彼の手を握り、懸命に名前を呼びました。 「うん。」彼は返事し私を見ました。 呼吸もこれまで以上に苦しそうで、拭いても拭いても汗が噴出します。

 帰ったばかりの彼の友人の携帯に電話し、状況を伝えると直ぐに戻ってくれました。 友人もまた、彼の名前を呼び続けました。

 途中一度、心拍数と血圧が平常値に近いところまで戻りました。 友人と私が話しかける言葉に、彼は「うん。」と返事を続けます。 最期まで、意識がありました。 大きなあの眼を見開き、前を見続けました。

 そして、午後3時5分。 少し呼吸が小さくなり、私達を見つめる彼の瞳孔がゆっくりと開いてゆきました…。

   

<回想 26(代筆)>
 5月17日の朝、「今日・明日の様子をみて、胸膜処置を検討中。 もちろん慎重に考える。」との説明を受けました。 彼の体力は、表現のしようの無いほどに落ちていました。

 しばしば呼吸が荒くなり、一瞬にして額にびっしりと細かい汗が噴きだします。 19日の朝、再び説明がありました。 右胸にもかなりの水が溜まってきたため、左胸の胸膜癒着より先に右胸にもドレーン(=管)を入れ、胸水を抜くべきかもしれない…と。

 胸膜癒着療法による発熱などにより、もし左肺が上手く機能しなかった場合、右肺が今の状態ではますます危険だからです。 

 5月22日、この日の血液検査の結果を聞きました。 「肝機能がかなり低下し、黄疸が出ている。 心臓・肺の機能も低下している。 骨髄機能の低下により貧血が進み、白血球が4万3千になっており、腫瘍が原因なのでもうコントロールできない。」

 21〜22日にかけても、また体力が一気に落ちたのが見て取れていたから、先生の説明を聞いてぼんやり「そうだろう…」と思いました。 常に痰が絡んでいる様な状態で、今後は痰が詰まって窒息死する可能性もある、とのことでした。 

 翌23日の午後、血液ガスの検査を受けました。 「血液中の酸素がかなり減っていて、胸水だけでなく肺の中の肺胞にも水が溜まっており、もはや右の胸水を抜く処置は彼に苦痛しか与えないだろう…。」先生は苦しそうに説明しました。 「少しでもご本人が楽なように、薬の量を増やして眠らせてあげるべきでしょう…。」

 ここまでずっとお世話になってきた先生を前に、頷くしかありませんでした。 とうとう彼が少しでも楽に逝けるよう、考えるべき時が来てしまったのです…。 

 



 

送り火

<再び…>
 7月16日、送り火を焚きました。 初盆のご供養の際、お寺の御住職に「送り火は15日か16日か」と伺ったところ、「どちらでも好きなほうでよい」とのことだったので、無論この日にしました。

 彼を訪ねて来て下さった友人と一緒に、また燃えないオガラ(というのですね、知りませんでした。教えて下さってありがとうございます。)と格闘しました。

 そんな中、また住人の方々が集まって下さいました。 彼が好きだった煙草もくべて、彼の話をして…、しんみりとしたり賑やかに笑ったり、暫しのあいだ皆で小さな炎を囲みました。 ご参加下さって、ありがとうございました。

 

 

胸膜癒着療法

<回想 25(代筆)>
 5月11日から翌日にかけて、胃ろうチューブ(前述あり、首から食道を通し胃まで入れたチューブ、十二指腸先で閉塞しているため、溜まった胃液などの廃液を出すための管)から排出される廃液の量が激減しました。 

 首から斜めに挿入し、若干『く』の字状にチューブが曲がっていることもあるし、胃の中にあるチューブの先の位置がズレても、排出しづらくなることもあるようなのですが、また嘔吐するのでは…という不安が的中し、夜から翌日の昼頃迄の間に30回程もどしてしまいました。

 体力が弱っていると、吐物が気管から肺に少し入っただけでも致命的な状況を引き起こします。 さらに粘度の非常に高い痰が絡み、ますます呼吸が苦しくなりました。

 そんな折でも、夜中オレンジ色の電気スタンドの光の下で眠る彼の顔は、病人とは思えないほど凛としていて、3月の入院前に短く切った髪も伸びて、まだ元気だった頃の髪型に戻り、浴衣状の寝巻き姿にスーツ姿が重なりました。

 これ以上嘔吐すると危険なため、胃ろうチューブを入れているにもかかわらず、また鼻から胃までイレウスチューブを入れることになりました。 この頃から、身体に入れてある複数のチューブ等から出される廃液の中に、常時血液が混じるようになりました。 憎らしい癌が、血管をあちらこちらで突き破り、彼の貴重な血液さえも奪ってゆくのです。

 翌週の5月16日、左胸の胸膜癒着療法の処置を受ける予定でした。 今後これ以上、胸(肺と胸壁との間、胸郭部分)に水が溜まらないようにするために、今入れている管から薬を入れることにより人工的に胸膜炎を起こさせ、それにより胸膜を癒着させる…という処置です。

 ただ、胸膜炎による一時的な痛みや発熱、呼吸状態の悪化は否めないとのことでした。 それに癒着により左胸に水が溜まらなくなると、そのぶん身体の他の場所に流れる(お腹であったり、手足の浮腫みであったり)可能性も高く、困難を両手で振り払っても振り払っても直ぐ先に待っているモノは変わらない…というくらいに、追い詰められていました。

 その当日の早朝、ナースステーションの看護師さん達が慌しくやって来ました。 少し前から彼の手の指につけられていた機械は、心拍数や血液濃度を管理する物で、その情報はナースステーションにあるモニターに飛び、管理されていました。 朝5時半の時点で、眠っている状態にもかかわらず脈拍は187に昇り、不整脈が確認されたというのです。 

 心拍数を抑え通常に近づけるための注射を打ち、様子を見ているうちに徐々に落ち着いてきました。 しかし、その時の不整脈のことがあり、予定だった胸膜癒着療法の処置は延期となりました。 相変わらず、痰は絡み苦しい呼吸が続きます。

 それなのにベッドの上で仕事の夢を見続ける彼がいて…、入院直前まで携わっていた仕事の進行具合を気にしてみたり…。 本当に何より仕事と職場が大好きな人でした。

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