今日は死ぬのにもってこいの日だ

ポジは誰にでもある。ネガは自分でつくる。___ゴダール

芸術

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趣味

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芸術って趣味だと思う。好みそのもの。 

芸術って学問だと思う。芸術学。芸術を研究する学問。



子供の頃から身体を使って表現することや、頭の中のイメージを表現することや、身の回りの自然をたくさん教えてもらったら、どんなに楽しいことだろう。実務以外のこういうことが人生にとってどれだけたいせつなことかはかりしれないんだ。



スポーツ芸術大臣ってどこかの国にあったような?



芸術新聞がどんどん発売されればいい!



芸術がいつでも話題になればいい!

自分の本物でも希薄な人生より贋物でも濃厚な文学のほうがいい。

だから、希薄な工夫のない文体には用事がない。時間のムダ。大衆読み物には用事がない。

作者に哲学があって、描写に唸らせるものがあるのがいい。

そういうものに出会うと、生まれた甲斐がする、この人生をしっかり受け止めた気がする。

人生のエッセンスを思う存分味わった気がする。

どんなに現実が貧弱でも、豊かになれる。

自分を豊かにしてくれるもの、芸術と自然。





芸術と自然は僕の生きがい。

いつも自然と触れ合い、憧れの芸術を真似して生きる。










「現実は小説より奇なり」、そう、いつか芸術を真似して現実にするのが夢!?

たまたまふらっと開いた古い週刊誌。

そこにこんな文章が、

_____著者インタビュー 沢木耕太郎 「危機の宰相」 大蔵省<敗者>の人間模様 ____そこで、ふと眼に留まったのが三島由紀夫の<世界の静かな中心であれ>という短文でした。三島が願いを込めた一文と下村さんの<ゼロ成長論>がどこかで共鳴し合うことを感じながらも、当時の僕には書けませんでした。29年を経て、下村さんの最後のインタビューと三島の一文を絡み合わせながら、僕は<終章>を書き上げることができたのです。もしかしたらそこに、現代に響く何かがあるのかもしれないと思ったりもします。



そして隣のページにも、

___一冊の本 評者 古屋美登里 「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ 訳 土屋政雄___読んでからかなりの時間がたっても物語全体を包む雰囲気、感覚、あるいは感情が読み手の心から消え去らないタイプの小説がある。「わたしを離さないで」はまさにそのタイプの小説で、物語全体を包んでいるのは<美しいまでの切なさ>とでも名づけたいような感情である。






カズオ・イシグロ氏は映画「日の名残り」の原作者!

沢木氏も元々のファン!



このように、こういう本の紹介に会うと、本当に自分の人生なんてどうでもいい、こういう本だけ読んで

一生を終わってもいいと、いつも思う!

芸術を語ろうとするもので「今日の芸術」を読んでいないものを、僕は信用することができない!?

では岡本太郎さんとはどんな人だったのか。

1911年東京生まれ。’29年パリへ渡る。パリ大学哲学科に在籍、民俗学などを学ぶ。抽象芸術運動に参加、のちにシュールレアリスム運動に加わるなど、前衛的な活動を続け、’40年に帰国。’53年以降、サンパウロ、ベネチアの各ビエンナーレほか国際的に活動する。’70年大阪万博に「太陽の塔」を制作。評論活動も旺盛で、’62年『忘れられた日本』で毎日出版文化賞受賞、ほかに「自分の中に毒を持て』『岡本太郎著作集』など著書多数。’96年没。

そしてその「今日の芸術」の初版の序は

___この本の中で、あなたはかって耳にしたことがない、まったく思いもかけないこと、いままでの常識とは正反対のことばかりを聞かれると思います。
しかしよく読んでいただければ、私の言っていることのほうが、はるかに自然で真実であり、理の当然であることに気がつかれるでしょう。
私はこの本を、古い日本の不明朗な雰囲気をひっくり返し、創造的な今日の文化を打ち立てるポイントにしたいと思います。
芸術を中心として話を進めてゆきますが、問題は、けっして芸術にとどまるものではなく、われわれの生活全体、その根本にあるのです。だから、むしろ芸術などに無関心な人にこそ、ますます読んでいただきたい。
私はここで、あなたと直接に、膝をまじえて語りあうような、らくな気分で話をすすめてゆきます。もし読んだあとで、納得できないふしがあったり、反対の意見があれば、どんどん、ぶっつけてきてください。そして明朗に、積極的に、おたがいの力でこれらの文化を守り立ててゆきましょう。

   一九五四年八月                           岡本太郎


更に目次は



第一章 なぜ、芸術があるのか
    * 生きるよろこび
    * 芸術の見方ーあなたには先入観がある

第二章 わからないということ
    *「八の字」文化
    * わからない絵の魅力
    * 鑑賞と創造の追っかけっこ

第三章 新しいということは、何か
    * 新しいという言葉
    * 芸術はつねに新しい
    * 新しいものへのひがみ
    * 近代文化の世界性
    * アヴァンギャルドとモダニズム

第四章 芸術の価値転換
     芸術はここちよくあってはならない
     芸術はいやったらしい
     芸術は「きれい」であってはならない
     芸術は「うまく」あってはいけない

第五章 絵はすべての人の創るもの
    * 見ることは、創ることでもある
    * 昔、絵は見るものではなかった
    * 下手な絵描きたち
    * 名人芸のいらない時代
    * だれでも描けるし、描かねばならない
    * 自由の実験
    * 子どもと絵

第六章 われわれの土台はどうか
    * 日本文化の特殊性
    * 芸術と芸ごと
    * 日本的モラル


以上、興味が湧いた人いませんか?

僕に信用されなくとも構わない?

ちなみに僕は氏の著作からニーチェを読んだ。

そして氏の人と作品はもちろんのこと、その文体に多大の魅力を感じている。

何故、芸術文学が好きで、大衆文学が嫌いなのか?

何故、大衆読み物より、芸術読み物を求めてしまうのか?

何故、大衆読み物も読めば結構おもしろいだろうとは思うけど、つい芸術読み物、純文学のほうにいってしまうのか?


芸術読み物と大衆読み物の違いはその文章の違い。

大衆読み物は文章がつまらない。

大衆読み物の文章はただ説明するだけの文章。

芸術読み物の文章は作者の物の見方感じ方が現れている文章。

僕は作者の物の見方感じ方に触れたがっている。

小説はストーリーの展開より描写の仕方に最大の関心がある。

描写の仕方!文体!

描写の仕方、文体の面白い作家こそ僕の求めている作家。


芸術には知的刺激がある。

僕はたぶん、いつも知的刺激を欲しがってうずうずしているのかもしれない。

ほかの刺激も欲しがってるかもしれないけど、芸術をはっきり好きといえるのは芸術的刺激が僕を反応さすから。

純文学を求めてしまう理由。

芸術的刺激。

物の見方感じ方。文体。

哲学にもそれはある。

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