|
はじめ、宗教と精神分析を使って自己解放を試みた。
色々やったよ。
宗教でいえば、キリスト教から真言密教まで。
精神分析でいえば、『原初からの叫び__抑圧された心のための原初理論』みたいなのを読んだりね。
ちなみにその本の表紙にどんなことが書いてあるか、
___フロイドを超え、病める心を救う画期的新理論
なぜ、他人の評判が気になるのか。
なぜ、わけもなくいらいらするのか。
なぜ、いまの自分は本当の自分ではないと思ったりするのか。
血も凍るような<原初からの叫び>に導かれて、著者は、病める心に巣食う共通の苦痛を探り当て た。それはまだ幼い頃の拒否された愛の記憶である。
無意識の親の一言が、一挙一動が、子供の心を傷つけ歪め、そしてその傷は一生付きまとって心身 を苦しめる。では、どうすれば苦痛は消えるのか。
自由な精神をとりもどせるのか。
精神療法の常識をくつがえした衝撃のベストセラー!
でもだめさ。
結局、青い鳥なんだよ。此処ではない何処かに幸せがあるというやつ、追えども追えども幸せは掴めない。幻影、陽炎の追求ね。
それがあるとき、民俗学の本を読んでて「多様性」という考えに思い至ったんだ。
レヴィ・ストロースの『悲しき南回帰線』に出てくる今なお文明からかけ離れた生活をしているアマゾンの民族や、新聞や写真でみるアボリジニとかね。
とにかくそれがきっかけだったよ。
人間の生き方は一定じゃなくたって一向に構わない、ということが分かった。
人間だけじゃなく、宇宙のありとあらゆるものが「多様性」じゃないかってね。
青い鳥を求めるんじゃなくて、今のままでいいんだってね。歪んだ心でもそれが俺ならそのままで生きればいい、別に直す必要なんてない、束縛からの解放なんて必要ない、束縛のままで生き切るのが「多様性」に生きることだってね。そういうことが分かってきた。
フォークナーはそういう生き方の人間ばかりを描いているよ。
幼児体験を修正しようなんてばかげている。正しい性格にしようなんてばかげている。
それが自分。良くも悪くもないそれが自分。どんなに苦しくてもその自分を真っ向から引き受けて生きることがヒロイックな生き方なんだってね。
だから誰でもが英雄になれるチャンスがある。正しくなんてしようとしないで、社会に合わせたおりこうさんになろうとなんてしないで、自分の運命として逃げずに生きさえすれば誰でも英雄になれるんだ。こんな平等なことはない。
解放じゃない。束縛を自ら選び取るんだ。
『そのような自分が存在する以上、そのような自分のままで生き続けたいという希望を持つのは当然だろう』 _____「万延元年のフットボール」大江健三郎
『私は、自分の中からひとりでに出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したに過ぎない。何故それが、そんなに困難だったのか』____「デミアン」ヘルマン・ヘッセ
|