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「____でもそういうことじゃない、彼女が言ったのはそういう意味じゃなかったのです。実際、あの
ときわたしたちが睨み合って立っていたとき、(わたしのからだがそのまま走り続けていたら当然彼女の
そばを走り抜けて階段についていたはずですが、その一瞬まえに)彼女はわたしにたいして他の誰よりも
礼をつくし敬意を払ってくれたのです。わたしはドアを入ったとたん彼女こそ他の誰よりもわたしを子供
扱いしないでくれていることに気がつきましたわ。『ローザですって?」とわたしは叫びました。「この
わたしに面と向かって』彼女の手がわたしに触れ、わたしがぴたりと止まったのはそのときです。あるい
はそのときもまだわたしのからだは止まらなかったのかもしれません。と申しますのは、わたしが階段を
のぼるのをさえぎろうとしていたあの意志の、形があってしかも重さのないものを(彼女はその意志の所
有者ではなく手先にすぎなかったのだと今でも思っておりますが)まだ盲滅法に押している自分に気づい
たからです。それともそれ(わたしのからだ)が止まるまえに別の声が、階段の上から聞こえてきたあの
たった一語が、すでにわたしたちを引き離していたのかもしれませんが、よく分かりません。分かってい
ることは、わたしがなにやら怪物めいた不動のものめがけて猛烈な勢いでからだごとぶつかっていった
ら、このわたしの白い女のからだにふてぶてしくもあの黒い手が触れて引き止めたので、驚きと怒りをお
ぼえるよりはやく身を引いた、ということです。なぜならからだとからだが触れ合うことには礼儀作法と
いうもののこみいった面倒な順序を省略してまっすぐじかにつながるところがあるからで、それは敵同士
でも愛人同士でも知っているところです。だってからだとからだが触れ合えばどちらも___自我の中心
に潜んでいる、精神でも魂でもないものの砦ともいうべき肉体が触れ合えば、得手勝手なだらしのない心
など、この世の仮寓(肉体)の暗い玄関にだれでもかまわず引き入れてしまうものですからねえ。からだ
とからだが触れ合えば身分や肌の色の違いなどといった卵の殻みたいな約束事はたわいなく崩れてしまい
ますよ。ええ、わたしはぴたりと止まりました。」
これは大事な人が殺されたことを聞いて一時も早くその現場に辿り着こうという時の描写です。
この数分の時間の凝縮はまだまだ前後があるのですが、とてもじゃないけど長すぎて全部は引用できませ
ん。
この引用部分は、体を引き止められただけのことを、からだとからだが触れ合うことを三度も重ねてこれ
だけ書くことの感動です。
さすが作家です。ちゃんと分かってます!?
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