今日は死ぬのにもってこいの日だ

ポジは誰にでもある。ネガは自分でつくる。___ゴダール

多様性

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みなさん、「負性」のない「多様性」ってあると思いますか?

あるんです。

テレビに雑誌ラジオに新聞、ありとあらゆる情報機関は「多様性」を「正性」として扱っているんです。

何と、彼らの使う「多様性」という言葉には、「負性」は入っていないんです。驚きです。

「多様性」という言葉を使ったら最後、必ず下の句には「素晴らしい」という言葉が来る。

全く一様に「素晴らしい」と来る。そして微塵も、綺麗さっぱり「負性」のことなど触れない。

それはもうはっきり明るさに満ちている。それもそのはず、いっさい金輪際「負性」の事を忘れようとし

ているのですから。


「負性」のない「多様性」です。

明らかに言葉の矛盾でしょ。

「正性」だけの「多様性」なんてあるはずがない。

「負性」のない「多様性」なんてあるはずがない。


「多様性」が素晴らしいのなら「負性」も、必ず「多様性」に含まれざるをえない「負性」も、素晴らし

いのです。


「多様性」に「負性」が含まれるなんて初めて知った、なんて言わないでくださいね。


「多様性」を「正性」だけとしか扱わない良識家のみなさん、どうか良心があったら「負性」も「多様

性」に入れてください。


「負性」は断固として存在価値を持っているんです。

何故なら世界は真の意味で、もういい加減分ったでしょうね、「多様性」、なんですから。

日常茶飯事

_____どうやら殴打は日常茶飯事であったらしいーーーもちろん子供をさんざん殴りつけることを<日常茶飯事>と片付けてしまえればの話だが。  『心臓を貫かれて』マイケル・ギルモア



そのようにされて育った子供ゲーリーは、激しい自己処罰の欲求にかられ続け、犯罪と刑務所の往復に明け暮れ、刑務所の中でも常に反抗と懲罰房と自殺を繰り返し、最後の行き着いた所は無差別殺人と死刑のカップリングだった。そうして自らの意思で死刑を選び返し36歳の壮絶な生涯を終わらしたのだが。

<日常茶飯事>、「<日常茶飯事>と片付けてしまえればの話だが」、そう、確かにそうなのだが、<日常茶飯事>を、決してめったに起こらないことではない、決して珍しいことではないとするなら、「子供をさんざん殴りつけること」は、人類の発生から、家族というものを持った時からあったし、連綿と行われ続けてきたのではないか。まさに<日常茶飯事>として。

「子供をさんざん殴りつける」憎しみと悪は人類発生時から今の今まで続いているし、これからも続き続ける。家族と社会がある限り。

ゲーリーの人生!ゲーリーを殴り続けた父の人生!その父の人生!そのまた父の人生、そのまたまた父の人生として、人類発生時まで遡る。人類の歴史とは暴力と殺戮の歴史である。


もちろん、愛も善も人類発生時から今の今まで続いているし、これからも続き続くに決まっている。家族と社会がある限り。

盗みも殺人も愛も善も<日常茶飯事>として、<混沌>、<多様性>として、ありつづける!

救いは、家族から、社会から遠のくことにしかありえない。
そのかわり、悪から遠のくことにはなるが愛からも善からも遠のくことになる。
逆にいうと、愛に近づこうとするから憎しみが芽生え悪に近づく。悪は常に愛がらみなのである。

どんなにしても、<混沌>、<多様性>の範囲内であることはやめることはできない。

抑圧ごっこ

今日の「多様性」のお勉強は、平凡と常識を押し付けあうのはやめよう、の一言です。

終わり!


『抑圧ごっこ』はやめよう!


それだけです。

ぷっつりと途絶えていた、(ブログ全体では「多様性」臭、反平凡臭、反常識臭をプンプン匂わせていた

はずなんですが)、この講座も絶版ではあまりにもったいないとの熱烈な要望が各界から多数寄せられ多

くの熱心な一人だけのファンの後押しにより復刻の運びとあいなりました。つきましては前シリーズは衒

学的なきらいも無きにしも非ずでしたので今シリーズでは卑近をモットーにやっていきたいと思っており

ますので今後ともよろしくお願い致します。

とまずは言っておいて、行きますよ!錨を上げて銅鑼の音高く。銅鑼の音って知ってる人いるのかな?

では今日は少し逆から入っていきましょうね。卑近にあくまでも卑近をモットーに。そう、そうくれば当

然逆なのですから、「多様性」の逆「一様性」ですね。嫌ですね、「一様性」、特に日本という国は性質

が悪いことに「一様性」を好むのですね。型にはめる文化の伝統があったりするのですね。型といっても

あくまでも「多様性」のひとつとしての型ならいいのですが、全員右へならい、の型になりがちなんです

ね。困ったことに。嫌なことに。島国という地理的条件の為もあるのでしょうか、異物を排除しようとい

う動きも止められない。世界では<外人>が当たり前なのに日本ではその意味が通用してしまう。嫌です

ね。それが身にしみている。そう思って何とも思わない。外の人です?これだけ交流が盛んになっている

のにです。海外旅行など屁にもなっていない。物見遊山の旅行ですから珍奇なものを見るというだけで、

「違い」や「多様性」を身をもって感じるまでには到底なれない。「一様性」の一枚岩はびくともしない

のですね。

アメリカに住んでみて一番感じるのは、自然に自分の好きな服を着ていることです。

ファッションとしてではなく、自然に自分の着たい服を着ている。夏でもセーターを着ている人もいれば

冬でもTシャツの人がいる。寒ければ寒いのだし暑ければ暑い。人の目を気にしないし、人も別に奇異の

目で見るという事が全くない。<すべてが万事>。違っているのが当たり前。アメリカも世界も多様なの

が当たり前。日本とは真逆です。日本では人の目を気にする。人と違っていてはいけない。まわりに合わ

せなければいけない。嫌ですね。嫌の極致です。常に「一様」であることを気にかけてる社会。「多様」

であろうとしてもポーズでありファッションであってしまう社会ですね。

私のこの講座など蚊の鳴くようなものです。蚊が屁をするようなものです。それでも手を変え品を変え

「多様性」思想の普及のため続けていきます。どんなに少なくても一部の熱烈なファンがいる以上!

今日はここまで。

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「多様性」お勉強講座は、依然として佳境に入り続けている、のは分っていますね!

では行きますよ。
今回は「多様性」思想の悪、毒、危険性、のお勉強です。
「多様性」を信じる者は、すでにお気付きのお方もおられましょうが、なんということか
その「多様性」そのものに裏切られてしまうのですね。何故なら「多様性」は「一様性、独断と偏見」思想をも受け入れる内部構造をすでに孕んでしまっているからです。

どころか、悪、をもです。分りますね、そのあたりのことは。

危険、ですね。危険です、「多様性」思想は危険思想なのです。

ですから、そのあたりを哲学しつつ、両刃の剣を巧みにあやつりつつ、厳粛にかつおおらかに、やっていこうとするのが、何度も言うようですが、この講座なのです。

少しずつお勉強していきましょう。自分の存在を認めてもらうために。

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