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_____深作欣二という方が何かの雑誌でアメリカの俳優に演技をつけた体験を語っておられましたけども、
アメリカ人の俳優が監督に抗議するときの言葉は決まって「ナチュラルじゃない」というんだそうです。
『自分たちよ!』 伊丹十三著
僕も、特に日本のテレビドラマを見て嫌で嫌でしょうがないのは、「自然じゃない!」ということ。
それは、シナリオが悪いせいだとばかり思ってたが、俳優の演技も大いに関係していたとは。
とにかく、”説明”ばかりのシナリオ、”説明”ばかりの台詞で、僕は見ながら「嘘だ!嘘だ!」と叫び続けてい
た。
「自然じゃない、自然じゃない、こんなの嘘だ!空々しいのにも程がある!」と苦虫を噛み潰したみたいに不快感
露わに見ていた。
何故、こんなドラマが作られ、何故こんなドラマを喜んでみる人が居るんだ?といつもいつも思っていた。
とにかく自然じゃないんだよ!胸糞悪くなるほど自然じゃないんだよ!
胸糞悪くなるほど自然じゃないせりふなんだよ!
それは胸糞悪くなるほど自然じゃない演技を呼んでいたのだ!
それは何故なんだ?何故なんだ?とずっとずっと疑問に思っていた。腹が立つほど疑問に思っていた。
なるほど。アメリカ人の俳優も決まって抗議していたのだ。僕だけじゃなかったのだ。
日本のドラマは「自然じゃない」!
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演劇芸能スポーツ
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2010年ワールドカップ優勝国スペインのMFイニエスタの”準備”ほどドラマチックだったものはない。
彼は決勝ゴールを決めるやいなや観客席に向かって上のシャツを脱いで下のシャツに書いてある言葉を誇らしげに見せた。
そこには去年26歳で心臓発作で亡くなった同じクラブの盟友への言葉、「いつもお前と一緒だ」、が書いてあった。
イニエスタの”準備”をチームメイトは誰も知らなかった。
_____”準備”をするに加えて、見事決勝ゴールを決めたイニエスタ!
決勝ゴールの瞬間90%以上の視聴率だったというスペインは、今この話題でもちきりらしい。
余談だが、シャツを脱ぐことはイエローカード。実際彼はこの事でイエローカードをもらったが、彼はそのために2枚目のイエローカード、レッドカードで退場にならないように”準備”していた。
決行のためにはそれまでは絶対一枚目のイエローカードをもらわないようにしなければならない。
そのようにプレーしなければならない。チームのプレスが弱まっても自分だけの希望のために。
”準備”を実現するためそのようにプレーした。
そして、英雄になった。
更に余談。ウルグアイのある選手も意識的に故意にルールを破って英雄になった。
相手ゴールをハンドで死守し一発のレッドカードで。
相手はペナルティキックを失敗し続け、自国は勝利したのだった。
それで英雄になった。
我々は誰でも英雄になれる。
その為には”準備”しなければならない。
でも、ここではあげなかったが、”準備”には意識的な”準備”ばかりでなく、無意識の”準備”というものもある。
そう、だから、無意識的な”準備”も含めて、”準備”全般に勤しもう!
そして、時にはルールも意識的に破ろうではないか!?
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ずっと気になってることだけど、演歌というか歌謡曲というものが流行らなくなりはじめてから何年経つかわからないけど、平成になってからか?____「暗さ」という雰囲気すべてが、それと軌を一にして流行らなくなってきたのではないだろうか?
それは何故なんだろう?
ちなみに僕の大好きな昭和45年阿久悠のデビュー曲「ざんげの値打ちもない」の歌詞はこういうものだった。
あれは二月の寒い夜
やっと十四になった頃
窓にちらちら雪が降り
部屋はひえびえ暗かった
愛というのじゃないけれど
私は抱かれてみたかった
あれは五月の寒い夜
今日で十五という時に
やすい指輪を贈られて
花を一輪かざられて
愛というのじゃないけれど
私は捧げてみたかった
あれは八月暑い夜
すねて十九を越えた頃
細いナイフを光らせて
憎い男を待っていた
愛というのじゃないけれど
私は捨てられつらかった
あれは何月風の夜
とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の窓を見て
月の姿がさみしくて
愛というのじゃないけれど
私は誰かがほしかった
そしてこうして暗い夜
歳も忘れた今日の事
街にゆらゆら灯りつき
みんな祈りをする時に
ざんげの値打ちもないけれど
私は話してみたかった
歌ったのは北原ミレイ。歌謡曲史上初めて殺人を歌った歌だった。
当時も戦前も戦後も暗い歌などいくらでもあった。
明治でも大正でもいくらでもあった。
野口雨情のヒット曲「船頭小唄」など
俺は河原の枯れすすき
どうせ二人はこの世では
花の咲かない枯れすすき
だし、童謡でさえ超暗い歌があり、みんなで歌っていた。
雨降りお月さん
雲の陰
お嫁にゆくときゃ
誰とゆく
ひとりでからかさ
さしてゆく
からかさないときゃ
誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン
鈴つけた
お馬にゆられて
濡れてゆく
とか、
赤い靴 はいていた 女の子
異人さんに連れられて
いっちゃった
とか、
うたを忘れたカナリヤは
うしろのお山に捨てましょうか
とか、
行きはよいよい帰りは怖い
とか、
お家がだんだん遠くなる遠くなる
とか、
雨がふります、雨がふる。
遊びにゆきたし、傘はなし、
紅緒のかっこも緒が切れた
雨がふります、雨がふる。
昼もふるふる、夜もふる。
雨がふります。雨がふる。
とか、とか、とか。
江戸でも平安でも暗い寂しい歌はいくらでもあった。
外国でもいくらでもある。
この間You Tubeで聴いたあのスーザン・ボイルの『夢破れて』の歌詞でも、聴きながらつくづく「ああ、こういう歌が今の日本には無いなあ」と思ったものだ。夢に破れた状況そのものを歌にするということが。
今の日本はそういう状況そのものを「暗い」といって排斥する____
アメリカでは、カントリーでもブルースでもそういうジャンルは連綿と続いており、「暗さ」を歌にしているのに____
日本の演歌、歌謡曲というジャンルは風前の灯になって久しいとは。
日本って、本当にどうなっている?
分かりません。
そういえば、真面目なとこで、「何故ここで笑う?」という観客も、大分前にあった。その頃からか?
「暗さ」を嫌い、シリアスを笑う若者の増加は?
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ドラマチックな幕切れの内部に更にドラマが!
終了間際の決着のつくはずだったシュートを、相手は故意か偶然か、ハンドで止め、レッドカード!
もらったペナルティキック!
それを外す!
ガーナの不動のエース、アサモア・ギャン!
彼には過去が!
「地元開催の08年アフリカネーションズカップで、ことごとく好機を外し、激怒した国民が家族の襲撃を予告する
騒動に発展」!
結局、PK戦に持ち込まれ、2対1の失敗でガーナは負ける!
アサモア・ギャンは激しく泣いていた!
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選手も、監督も、みんな、日本チームが強くなるためには、何が足りないかを知っているのに、マスコミだけが優勝モード。
マスコミだけがチームワークの大切さを大げさに吹聴し国民を躍らせている。
いいですか!世界の国々がチームワークの大切さを訴えるのと、日本チームが訴えるのとは全然次元が違うのです。
もう!
世界の国々には元々「個人」というものがあり、だからこそ、「個人」に奔りがちな傾向があるからこそ、チームワークが大切なんだと言う時があるのです!
もう!
それに較べ日本には元々「個人」というものが無い!
無いのにチームワークの大切さを訴えたら、どうなるのか?
日本という国はどうなるのか?
それでいいのですか?
「個人」のない集団だけの国でいいのですか?
”恐ろしい”、”空しい”集団だけの国となっていいのですか?
「個人」が無いということはそういうことですよ!
だから、日本は世界の国々とは逆で、元々「集団的」で「和」の国なのだから、チームプレーの大切さを訴えるより、「個人」の大切さを訴えなければならないのです!
マスコミは一言でも「個人」の大切さを吹聴しましたか?「個人」の大切さを煽り立てましたか?
当の選手、監督は、みんな、「個人」の力が足りないのを分かっているのです!そう言っているのです!
分かってないのは国民を煽り立てるマスコミと____『チームワークに感動しました!あらゆることにチームワークは大切なのが分かりました!』____などと、本当に悲しくなってしまうことを平気で言ってるマスコミに煽られた国民だけです。
ちなみに、鮮やかに2本成功したフリーキックは「個人」の力!
ああ!
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