ここから本文です
初詣は靖国神社のブログ
共産主義者は死ねばいい!。

書庫全体表示

通州事件の惨劇01
http://blog-imgs-43-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/20100922222804546.gif


通州事件

以下は、実際に現場にいてこれを体験した方の手記です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)・日本人皆殺しの地獄絵】

昭和12(1937)年7月29日、北京の西50キロにある通州市において、数百人の日本人居留民が虐殺されました。
大東亜戦争のきっかけのひとつになったともいわれる「通州事件」です。

通州の日本人居留民は、日本軍守備隊の留守をねらった支那の保安隊、学生によって、世界の残虐史上類例を見ないほどの残虐行為を受け、虐殺されました。
支那人達は、殺した日本人に対して一片の同情も哀れみもなく、屍体までもいたぶった。
ようやくかけつけた日本軍がそこで見たものは、言語に絶する惨状でした。

通州事件を、私達日本人は決して忘れてはいけません。
なぜなら、この事件は、一から十まで全て事実だからです。

以下は、その通州事件の体験者であるSさんの体験談です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【Sさんの体験談】

私は大分の山の奥に産まれたんです。

すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。
それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。

そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。
小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。

それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。
大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に「Sさん、私のお嫁さんにならないか」と言うのです。

私は最初は冗談と思っていたので、
「いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。」と言っていたのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。

そのときは全く驚きました。
冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。
「Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと言ったそうですが、あなたはいつも、ああいいよと言っていたそうです。
それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。
それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。」とYさんは強い言葉で私に迫ります。

それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと言う と、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると言う し、少しばかりあった借金も全部Tさんが払っているというので、私も覚悟を決めて結婚式場に行きました。

支那の人達の結婚式があんなものであるということは初めてのことでしたので、大変戸惑いました。

でも、無事結婚式が終わりますと、すぐに支那に帰るというのです。
でも私も故郷の大分にも一度顔を出したいし、又結婚のことも知らせなくてはならない人もあると思ったのですが、Tさんはそれを絶対に許しません。

自分と結婚したらこれからは自分のものだから自分の言うことを絶対に聞けと言う のです。

それで仕方ありません。
私はTさんに従ってその年の三月に支那に渡りました。

長い船旅でしたが、支那に着いてしばらくは天津で仕事をしておりました。

私は支那語は全然出来ませんので大変苦労しましたが、でもTさんが仲を取り持ってくれましたので、さほど困ったことはありませんでした。

そのうち片言混じりではあったけれど支那語もわかるようになってまいりましたとき、Tさんが通州に行くというのです。

通州は何がいいのですかと尋ねると、あそこには日本人も沢山いて支那人もとてもいい人が多いから行くというので、私はTさんに従って通州に行くことにしたのです。

通州事件の惨劇02
http://blog-imgs-43-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/201009222228417a8.gif


それは昭和九年の初め頃だったのです。

Tさんが言っていたとおり、この通州には日本人も沢山住んでいるし、支那人も日本人に対して大変親切だったのです。

しかしこの支那人の人達の本当の心はなかなかわかりません。
今日はとてもいいことを言っていても明日になるとコロリと変わって悪口を一杯言うのです。

通州では私とTさんは最初学校の近くに住んでいましたが、この近くに日本軍の兵舎もあり、私はもっぱら日本軍のところに商売に行きました。

私が日本人であるということがわかると、日本の兵隊さん達は喜んで私の持っていく品物を買ってくれました。

私はTさんと結婚してからも、しばらくは日本の着物を着ることが多かったのですが、Tさんがあまり好みませんので天津の生活の終わり頃からは、支那人の服装に替えておったのです。

すっかり支那の服装が身につき支那の言葉も大分慣れてきていました。

それでもやっぱり日本の人に会うと懐かしいので日本語で喋るのです。

遠い異国で故郷の言葉に出会う程嬉しいことはありません。
日本の兵隊さんの兵舎に行ったときも、日本の兵隊さんと日本語でしゃべるととても懐かしいし又嬉しいのです。

私が支那人の服装をしているので支那人と思っていた日本の兵隊さんも、私が日本人とわかるととても喜んでくれました。

そしていろいろ故郷のことを話し合ったものでした。

そして、商売の方もうまく行くようになりました。
Tさんがやっていた商売は雑貨を主としたものでしたが、必要とあらばどんな物でも商売をします。
だから買う人にとってはとても便利なんです。

Tに頼んでおけば何でも手に入るということから商売はだんだん繁盛するようになってまいりました。
Tさんも北門のあたりまで行って日本人相手に大分商売がよく行くようになったのです。

この頃は日本人が多く住んでいたのは東の町の方でした。
私たちはTさんと一緒に西の方に住んでいましたので、東の日本人とそうしょっちゅう会うということはありませんでした。

ところが昭和十一年の春も終わろうとしていたとき、Tさんが私にこれからは日本人ということを他の人にわからないようにせよと申しますので、私が何故と尋ねますと、支那と日本は戦争をする。

そのとき私が日本人であるということがわかると大変なことになるので、日本人であるということは言わないように、そして日本人とあまりつきあってはいけないと言う のです。

私は心の中に不満が一杯だったけどTさんに逆らうことは出来ません。

それで出来るだけTさんの言うことを聞くようにしました。顔見知りの兵隊さんと道で会うとその兵隊さんが、Tさん近頃は軍の方にこないようになったが何故と尋ねられるとき程つらいことはありませんでした。

そのうちにあれだけ親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。
何か日本に対し又日本人に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。
Tさんが私に日本人であるということが人にわからないようにと言った意味が何となくわかるような気がしたものでした。

そして何故通州という町がこんなに日本や日本人に対して冷たくなっただろうかということをいろいろ考えてみましたが、私にははっきりしたことがわかりませんでした。

只、朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。

私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると言う のです。

そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると言う のです。
だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。
いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと言う のです。

私は思わずそんなんじゃないと言おうとしましたが、私がしゃべると日本人ということがわかるので黙って朝鮮人の言うことを聞いておりました。

そこへTさんが帰って来て朝鮮人から日本の悪口を一杯聞きました。
するとTさんはあなたも日本人じゃないかと言ったのです。

するとその朝鮮人は顔色を変えて叫びました。
日本人じゃない朝鮮人だ、朝鮮人は必ず日本に復讐すると言う のです。
そして安重根という人の話を語りました。
伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。
我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させるのだと言う のです。

私は思わずぞっとせずにはおられませんでした。
なんと怖いことを言う朝鮮人だろう。
こんな朝鮮人がいると大変なことになるなあと思いました。

Tさんは黙ってこの朝鮮人の言うことを聞いて最後まで一言もしゃべりませんでした。

こんなことが何回も繰り返されているうちに、町の空気がだんだん変わってくるようになってまいったのです。
でもそんなことを日本の軍隊や日本人は全然知らないのです。

私は早くこんなことを日本人に知らせねばならないと思うけれど、Tさんは私が日本人と話すことを厳重に禁止して許しません。

私の心の中にはもやもやとしたものがだんだん大きくなって来るようでした。

道を歩いているとき日本の兵隊さんに会うと「注意して下さい」と言いたいけれど、どうしてもその言葉が出てまいりません。

目で一生懸命合図をするけど日本の兵隊さんには通じません。
私が日本人であるということは通州で知っているのはTさんの友人二、三人だけになりました。

日本の兵隊さん達もだんだん内地に帰ったり他所へ転属になったりしたので、殆ど私が日本人であるということを知らないようになりました。

そうしているうちに通州にいる冀東防共自治政府の軍隊が一寸変わったように思われる行動をするようになってまいりました。

大体この軍隊は正式の名称は保安隊といっておりましたが、町の人達は軍隊と呼んでいたのです。

この町の保安隊は日本軍ととても仲良くしているように見えていましたが、蒋介石が共産軍と戦うようになってしばらくすると、この保安隊の軍人の中から共産軍が支那を立派にするのだ、蒋介石というのは日本の手先だと、そっとささやくように言う人が出てまいりました。

この記事に

  • トラバしますね。ナイス。

    サラ

    2012/9/24(月) 午後 8:34

    返信する
  • アバター

    Sara様。
    通州事件。
    尼港事件。
    済南事件。
    漢口事件。
    国辱事件群を絶対に忘れてはいけません。
    ナイス、ありがとうございます。

    [ 初詣は靖国神社 ]

    2012/9/24(月) 午後 9:14

    返信する

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

開くトラックバック(1)

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事