誠 - BELIEF

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「信じる」とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ぬ事実を確認することである。
−神、全存在、との対峙−
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昨日は25の誕生日でした。

誕生日を迎えると、自分の命の出発がどこにあったのかということを振りかえさせられます。

私は、両親の願いと想いと愛があって、
そして、神様に命を授かり、
産まれました。

両親の願いは、私が神と世界の為に生きる者となってほしいというものでした。

私の命がそのように始まったのならば、
そのように使い、
そのように生き、
そのように生を全うしたいと思います。

「25」は自分にとって特別な数字です。
18で大学入学してから7年間が経ちました。
ようやく、自分が生涯において何を為すべきか、分かってきました。
さらなる準備の上に、一手でも二手でも打ってまいりたいと思います。

年始、出発の決意
富士山が一望できる毛無山(標高2000m弱)に登頂してきました。

山頂で日の出を拝むために、夜中出発。
ふもとの気温は「−7℃」
山頂ではゆうに−10℃はこえてるだろうな、、と震えつつ出発。
雪もちらちらと降っいて、山では数cm積もっていました。
凍てつく寒さ、滑る足元、視界がおぼつかない暗さ、着込んだ服装、重い荷物、、
さらに思った以上に急で過酷なコースを、久しぶりの登山どころか「久しぶりの運動」に挑戦する私。

きつかったです。

「もう歩けない」

何度も思いました。
しかし、敢えてこんなきつい登山に挑んだのは、「一年の出発として、たとえどんな困難があろうともそれを乗り越えられる心」を鍛えたかったから。
ここで、弱音を吐いてしまっては、今年一年が思いやられる。いや、それどころか、私の夢は決して果たしえない。こんな登山なんかより、もっともっと計り知れないほどの困難が待ち構えてるんだ。
そういう想いで、何とか乗り越えました。

そして山頂付近で。

イメージ 1


朝焼けの富士。あまりにも美しかったです。
そして、日の出の富士。

イメージ 2


残念ながら、尾根を歩いてるときに出会いました。
本当は山頂で出会いたかったのですが、尾根の途中で拝むことになりました。
予定よりも大幅に遅れ、目標時間を数時間オーバーしました。
それだけきつかったです。
正直、己の体力の衰えを感じました。体を鍛えなおさなければならない。

それでも富士は美しかった。
そして雄大でした。

「頂に上って、初めて、全体の展望がみえる」

私も頂点を目指します。

年頭標語

2006年を迎えました。

毎年、一年間の目標を書にして出発することにしていますが、今年も書初めいたしました。

イメージ 1


「一種献身」
私の造語ですが、
「一つの種と為ってこの身を献げていきたい」という意味です。

聖書に有名な一節があります。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」(ヨハネ伝12/24・25)

私は今年で25に為ります。
この歳はある種、特別な意味を持っていると考えています。
青年としてこの地に立つと同時に、一粒の麦として地に落ちるときでもあると感じています。
そのとき、自分が死ねるか。
自分の身を捧げ、他の為に、国の為に、世界の為に、そして天の為に生きれるか。
一粒の麦が、麦として枯れるのか、種として新しい命の糧となるのか。

私は30でもう一度空を見上げたいと思っています。
それまでの五年間、
地の底で如何に死ねるか。
どこまで深く根を下ろせるか。
どこまで寛く根をはれるか。
やってみたいと思います。

そういう出発の一年であると心して、本年を出発いたします。

皆さん、本年も宜しくお願いいたします。

Marry Christmas!

世界中が祝うクリスマス。
イエス・キリストの生誕日。
世間(日本)でそういうことを考える人はほとんどいないでしょうけど、今一度、世界中が祝うこの日がどんな意味を持っているのか、その人がどんな人生を生きたのか、考えてみてもいいのではないかと感じます。

私はイエスの言葉で最も重要なうちの一つは以下の聖句にあると思います。

「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。また、自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。」 (ルカ伝10/27)


この言葉を最後、十字架上まで実践したのが、イエス様の人生であり我々へのメッセージだったと言えるでしょう。そしてこれは、当時のユダヤ教の律法(つまり旧約聖書)にあった言葉でもあり、イエス自身が律法の中で最も重要な戒めであると説いたものです。

今やクリスマスは、キリスト教の信者であるかは関係なしに、あらゆる家族やカップルが祝う記念日となってます。
そのこと自体は悪いこととは思いません。
しかし、そういう日を機として、愛するということの意味、愛することの素晴らしさ、そしてそれに伴う責任、また愛する人がいることの幸福、感謝の想い、、、を確認し合える日となることを望んでやみません。

自分もささやかなプレゼントを渡しました。
普段の想いを形で表すということも大切だと感じます。
イメージ 1


同時に、今から2000年前、愛することを説き続け昇天されたイエス様の生とその果たされなかった心情を偲ぶしだいです。

私の修論(Master of Reigious Education)のテーマは、ケースメソッドを通したInter-religious(超宗教)教育についてでしたが、関連する内容の国内ニュースを発見したので紹介します。

2005年7月31日に「京都・宗教系大学院連合」(Kyoto Graduate Union of Religious Studies, K-GURS)という団体が設立されたようです。

HP(http://www.kgurs.jp/index.htm)から引用すると、
「本格的な宗教多元化が進行する世界の中で、リーダーとしての役割を果たしうる人材を輩出していくためには、自らが帰属する宗教的伝統だけでなく、他の宗派や宗教についても認識を深めることのできる教育プログラムが必要です。「京都・宗教系大学院連合」は、次世代の研究者・宗教指導者を養成するための総合的な教育インフラを作ることに貢献できるでしょう。」
とあり、単位互換性度などを進めていくようです。

加盟大学院は
●大谷大学大学院 文学研究科
●高野山大学大学院 文学研究科
●種智院大学 仏教学部
●同志社大学大学院 神学研究科
●佛教大学大学院 文学研究科
●龍谷大学大学院 文学研究科
と、仏教系が多いのに対しキリスト教系の同志社が入っています。
他、日本クリスチャンアカデミーが協力団体として入っています。

今後、より幅広い宗教的背景を持った大学院及び関係団体が国内外から参加し、柔軟で複眼的視点をもった宗教者を育成できるような機関になっていってほしいです。
私の修論テーマだった、ケースメソッド方式の超宗教教育も、実践してもらえたらなぁと思います。

ブログ(http://kgurs.exblog.jp/)もあるようです。

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