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終戦の日、日本の敗戦を知りながら特攻に赴いた宇垣纏海軍中将(第5航空艦隊司令官)搭乗の彗星艦爆機11機。米英戦に反対していた井上成美海軍大将は、それを聞き「若い者を道ずれにするとは何事か」と怒ったという。

宇垣特攻については、さまざまな本に載っているが、若い航空兵の血気と宇垣司令官の後追いの気持ちが一緒になったとする本もあった。私も、全員が日本の敗戦を当然知った上での特攻だと思っていた。

ところが、今日のNHKのニュースで、この時の生き残りの操縦員がいて、玉音放送も聞かされず、その放送があったことも知らされずに特攻に行かされたことを話していた。もちろん、宇垣中将は、玉音放送を知っていた。

 助かったパイロットは、川野和一さんといい、沖縄に特攻出撃したが、敵艦は一隻も見えず、同乗の乙飛18期で同期の日高保偵察員に本当に沖縄かと聞いたが、間違いないという。やむなく爆弾を捨てて、帰投する途中、燃料切れで鹿児島湾に不時着したが、日高偵察員は、頭を強打して亡くなる。その後、出発前に玉音放送があったことを聞いたという。

本棚で特攻関連の本を調べたら、「神風特攻の記録」(金子敏夫著)に、11機の搭乗員名が載っていた。この時、3機が不時着していて、5人が助かっている。

川野さんは、今でもその時のことを語り継ぎ、毎年8月15日が来ると、日高さんのことを思って、拝んでいるという。

それにしても、宇垣中将はひどい人だ。井上大将が「一人で死ねばいいものを」と言ったように、20歳くらいの若い人たちに、玉音放送のことを知らせず道連れにしていった。中将のくせにそんなに1人で死ぬのが恐かったか。

レイテで初めて特攻隊が編成された時、自分の教え子だからと甲飛10期を集め、「行くのか行かんのか、はっきりせい」と言って全員に手を挙げさせた玉井浅市201航空隊副長。それまでそういう感じでなかったのに、鬼のようになって特攻員を送り出していったが、戦後に復員している。最後は僧侶になり、毎日、寒い日でも水をかぶり、心臓麻痺で死ぬが、娘さんは「やっぱり生きて帰って来てはいけなかったんですよ」とテレビで語っていた。

戦闘機隊では、飛行隊長は腕のいい部下を自分の後ろに飛ばせて用心棒の役目を負わせるが、最初の特攻隊の敷島隊に、その腕もいい部下である大黒繁雄上等飛行兵を入れた横山岳夫大尉も、去年テレビに出ていたが、生きててよかったのだろうか、と思う。

全員特攻を唱えて、実際に特攻を仕切った201空の中島正飛行長は、戦後自衛官となり、最終階級は空将補だったとか。

井上成美のように、戦争に反対しておきながら、戦後は忸怩たるものがあったにだろうか、横須賀市の長井に引っ込み、近所の子供たちに無償で英語を教えた人もいる。海軍で総力戦の研究して、出した結論が「くだらん」。総力戦研究所で教官の陸軍中佐に食ってかかり、戦後は碁会を所のオヤジとなった志村正少佐もいる。

戦争で、肩怒らせてやってた人が部下をだましたり、死ねなかったり、上手く立ち回ったりしてのに比べ、戦争に反対だった人たちの方が、よほど責任感が強く、清廉潔白だった。

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