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都内某地下鉄駅の地下街。小用でトイレに入ろうとすると、トイレに続くコンコースの横のビヤホール兼レストランから、コック服姿の男が出てきました。私はここに数回入ったことがあります。名の通った店です。
コックはトイレへと入って行きました。驚きました。コック姿でトイレに入るとは。 トイレは、小用だと、角度によっては飛び散って返ってくることがあります。衣服に付着したり、手についたりすることもあります。大でも、たくし上げないと上着の下の部分が、座る部分についたりします。場合によっては、流した水が飛び散ることもあります。考えるだけでもおぞましい。 コックは小用でした。私の方が後から入ったので、コックの方が早くすみました。それで水道の音を後ろ向きに聞いていると、ほんの数秒しただけです。ということは、液体石鹸などはつけずに、ちょこちょこと手を洗っただけなんです。 もうこの店に行くのは止めようと固く決心しました。 |
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今年に入ってから、心の中で安倍政権への不信感が増幅している。昨年は、アベノミクスが日本経済を活性化するのではないかと期待を寄せていた。春闘の賃上げ率などを見れば多少は効果があったようだ。しかし、外交政策、安保政策、最近は核問題などで、まったく信用できないのではないかと思っている。
外交政策は、まずは終戦70周年談話である。2005年の読売新聞の世論調査で、先の戦争が侵略戦争であると答えたのはおよそ7割、侵略戦争だとするのは1割だった。2000年のNHKの調査ではアジアへの侵略と答えたのが51%。2015年の共同通信の調査では「侵略戦争」とした人は49%で、「自衛の戦争」は9%。 国民の大多数が、日本の侵略戦争と認めているのに、安倍首相は、談話で侵略戦争と明記しないようだ。つまり、安倍首相は、この国の総意を、自分の趣向を訴えるために、国民から奪い取った、乗っ取ったと言ってよい。国民感情と異なるものを閣議決定させられ、おまけに中国、韓国との関係が再び悪化すれば、迷惑をこうむるのは国民である。 安保政策は、手段的自衛権の説明が2転、3転しているように感じる。米国は、アジアでの軍事行動を肩代わりさせようとして、ケリー国務長官の広島の平和公園訪問を打ち出すなどサービスに勤めているが、国民に納得いく説明ができないのでは、しようがない。どうも、議論の底に、なんらかの別の真意がかくされている気がしてならない。たとえば、日本と密接な関係にある国の軍艦が攻撃された時の対応を訴えているが、その密接な関係とはどの程度をいうのか。それは自衛のための戦争なのか。集団的自衛権でもなく、集団安保に範疇に入るのではないか。それを憲法改正でなく、解釈でやろうとするのは、無理があるが、そうした意図を隠しているかのようだ。 最後は核だ。広島のスピーチでは、非核三原則に触れなかった。首相のスピーチは、官僚が前例に沿って草案を作る。首相が書き加えたり、削ったりすれば、「昨年とは違いますが・・・」と質問するのが常だ。非核三原則を削ったということは、意図的であるということだ。それならそれで構わない。なぜ、堂々と自分の考えを言わないのか。それこそ、国民をだますことである。 そういえば、総選挙でも、集団的自衛権の問題に触れなかった。争点にしなかった野党も野党だが、争点にしないでおこうという姑息な手段で、アベノミクスを全面に押し出して、勝ったら集団的自衛権も国民の負託を受けたと言う。こんな姑息で卑怯な政治家は、まったく見たことがない。忸怩たる思いなど持ち合わせていないのだろう。 |
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