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昨日、1人で夕食をとることになり、くら寿司に行きました。とんこつラーメンが食べたかったからです。ここのラーメン、量は少ないが美味いんです。
寿司も食べましたよ。えんがわ、鉄火、かれいなどの伝統的などにまじって、海老のガーリックなんとかとか、イカのガーリックなんとかとか新作の寿司も食べました。寿司は小ぶりで、形が壊れやすいけど、100円ですからね。ガーリックなんとか、海老もイカも美味かった。 両隣の客は、カレーも食べてました。カレーも始めたんだーと思いつつ、前にあったカレーのポスターというか、写真付きの説明をみると、普通のカレーではない。ご飯に酢飯のしゃりを使っているんだ。これが、カレーに合うと書いてありました。 もうラーメンに寿司8皿を食べてしまった。カレーは今度にしよう。 それで思いだしました。市内に、カレーの美味い中華料理屋があるとか。中華よりもカレーが美味くて感激したとサイトに載っています。種類もいろいろあるらしい。まず、そっちを試してみようかな。 |
コラム・雑文
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今、セリーグがどういう状態か、誰が見ても明らかだ。この混戦を抜け出したチームが、セリーグ優勝に一歩近づく。
そんな時に、0勝4敗の投手を先発に出してきてどうするのか。すくなくとも4ゲーム以上2位以下のチームを引き離していいる時に、最近調子がいいようだから試してみようというのなら分かる。あるいは、今のような混戦でも、相手打者によっては、この打者に強いからとワンポイントのように使うこともあるだろう。 しかし、このような時に先発に使ってくるとは解せない。 4本柱で、最近4試合で一番休養が長い岩田が中4日と、きついのは分かる。しかし、昔の投手は中3日だ。なんとか6回まで投げてもらって、あとは小刻みにリリーフを使っていく手はある。また、先発が秋山か山本という起用もあり得たのではないか。 まさか、岩田、秋山、山本の3人が故障ということもあるまい。そうでないのなら、なんとも分からぬ昨晩の投手起用だ。セリーグ優勝をあきらめたんですか。 |
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東条は、首相になってから、天皇の戦争回避のお気持ちを理解して、多少の努力はしたのだろう。だが、しょせん、陸軍で一夕会の早くからのメンバー。陸士一年上の永田鉄山をリーダーと仰ぐ男だ。永田、岡村寧次、小畑敏四郎の陸士同期が集まったドイツのバーデンバーデンの会合に、2日目に顔を出したという。
永田と小畑は、後に統制派と皇道派の別れ意見を異にし、永田は軍務局長の時に、局長室で相沢三郎中佐に惨殺されるが、それまでの永田は、陸軍内で暗躍し、主流だった長州閥・宇垣閥と、対立する皇道派を陸軍から追い出すのに躍起となり、それはほとんど成功した。 永田の死後、跡を武藤章が継ぐ形になるが、しかし、武藤にそうした役目を負わせ、全陸軍を指揮したのは登場である。ついには、陸軍を抑え込むのは東条しかいないと首相になったが、本音は和平と戦争半々の気持ちだったのではないだろうか。 権力者の東条には、悪い評判がいくつもあるが、その最たるもののうちの一つは、それまで徴兵年齢を超えていた者を徴兵したことだろう。強烈な東条批判演説を行った政治家・中野正剛は、身柄を東京憲兵隊に拘束された後、釈放されるが、自宅で自決した。中野を取り調べたのは、東京地検の中村登音夫思想部長だが、中村は中野を釈放している。 中村には、ほどなく赤紙が来て徴兵されている。中村はこの時43歳で、一平卒として戦場に赴いた。 「竹槍では間に合わぬ」と東条に反対して書いた毎日新聞海軍記者の新名丈夫にも赤紙が来た。38歳である。毎日の編集局長と局次長は解任させられた。新名は丸亀連隊の連隊長が入営後に便宜を図り、さらに海軍が助け、3か月で召集解除になった。 戦後に東海大学を作り、衆院議員になる松前重義も、逓信省通信院の工務局長の時に赤紙が届く。数えの44歳だった。米国と日本の生産力格差を調べ、政府の数字がでたらめだと暴露したがゆえだった。2等兵でフィリピンに送られるが、南方軍総司令官の寺内寿一(腹切り問答の当事者)に助けられ、軍政顧問となる。 しかし、新名、松前などは直接赤紙が来たものの、命を助けられる人脈があったからまだいい。彼らだけでは腹いせに徴兵したと思われるので、大正時代に徴兵検査を受けたものを徴兵して、250人が新名と同じ丸亀連隊に送られた。この250人のほとんどすべてが、硫黄島で玉砕してしまうのだ。 これだけでも、東条が靖国神社に祀られているのが分からない。日本国民に対する冒涜ではないか。 |
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水野と桜井は、同じ旧制松山中学を卒業している。水野は海軍で大佐、桜井は陸軍で少将まで行き、退役している。反戦軍人というが、水野はその名にふさわしく、第1次大戦の戦禍をヨーロッパに見て、それ以降反戦を貫き通す。桜井は、日露戦争で負傷して、通常の軍務を全うするには無理な体となるが、たびたび本を書き、「軍人文士」と呼ばれる。筆者が水野と桜井を同じ本に著したのは、同じ中学出身であることからだと思われるが、桜井を書いた部分になかなか興味深い記述が現れる。
桜井が著述を続けられたのは、田中義一(陸相、首相)のお蔭と言っていい。最初に著作「肉弾」を書いてから、陸軍の大半は快く思わなかった。軍人のくせにという思いがあったのだろう。ところが、長兄が大隈重信にこの本を紹介して、大隈は陸相になる前の田中にこの本を贈り、さらにセオドア・ルーズベルトにも送って一読を勧めた。田中は、桜井を呼び出し、「君は最近何も書いてないじゃないか」と尋ね、桜井は「『肉弾』を書いて叱られたものですから」と答えた。すると田中は「だれがそんなことをいうのか。どんどん書いてくれ。戦勝に酔ってる奴らの目を醒まさんといかん。日露戦争は勝ってばかりいたんじゃない。ずいぶんザマの悪いこともしている。そんなことでも何でも書いてくれ」と言って、励ましたという。 田中上奏文などという偽書まで出て、評価の悪い田中だが、日露戦争は完全に勝ったわけではないし、それを国民に分からせたいという思いがあったようだ。首相になって、張作霖爆殺事件が起こり、それが日本軍によるものと知り、天皇に直ちに関係者を処分すると報告し、支持を受けるが、参謀本部の、処分は軍令側で行うもので政治が介入すべきでないという主張を崩せず、処分なしということになり、天皇の怒りを買って首相を辞める。後に天皇は、あの時田中の辞職を認めたのは誤りだったと後悔しているが、もはや長州閥の田中でも陸軍は制御不能になりつつあった。 さて、水野の方であるが、水野も日露戦争で従軍し「此一戦」を書いている。そして対米戦を想定した「次の一戦」を書くのだが、その後、第一次世界大戦の跡を見るため、欧州を旅行し、米国にも行き、帰国した水野は、戦争はやってはいけないと反戦主義者に変貌していた。のみならず、その時までの日本にはびこる官僚主義や戦争に向かう日本の行く末に、強い危惧を表している。 「なお一層馬鹿馬鹿しいのは荷物の税関通知に、通関御許可相成度此段奉願候也 という願書を税関長に出すことである。荷物の通関ぐらいに願い奉るに及ぶまいものを、官僚式の愚の骨頂である」との感慨を漏らしている。これなど、幾分よくなったとはいえ、現代にも通じる。 予想される日米戦争に原因は「両国国民間における相互理解の欠乏に基づく疑心に他ならない。すなわち利害の衝突にあらずして、むしろ感情の衝突に他ならない。」「両国国民の誤解に乗じ、両国の軍閥者や軍国主義者が善良にして無識なる国民に対し、相互に敵愾心と憎悪心とを扇動鼓舞することが、益々両者の反目嫉視を助長するのである」 「欧州戦争以来、戦争は全国民的となった。−次の戦争は東京も大阪も火の雨降ると覚悟せねばならなぬ」 「職業は趣味を生じ、趣味は愛着を生ず。軍人の職業は戦争である。すでに職業である以上、彼らが戦争に趣味を有し、戦争を好愛するは人間の自然である。軍人はその職任に忠実なれば忠実なるほど、戦争を好愛する。ー軍人は好戦の危険あるが故に、これを政治の外に置かねばならぬ」 「戦争で国運が発展すると思うのが根本の間違いである」 「理性に基づかざる思想は動転する。明知の伴わざる信念は動揺する」 「満蒙問題は兵力をもって到底解決しえざる事、したがってもし陸軍が満蒙合併のために現兵力を有するという腹があるならば、それは極めて危険で、かつ無謀であると信じる」 「平和に対する言論を一切封禁しておきながら、荒木(貞夫・陸相)らが、平和提議を世界になすなどというに至っては、まったくへそ茶の至りです」 まだまだ載せたい言葉が一杯ある。 このようにして、平和を説いた水野だったが、日本はついに戦争に突き進んでいった。それは、陸軍中枢にすくったわずか20−40人の「職業は趣味を生じ、趣味は愛着を生ず。軍人の職業は戦争である。すでに職業である以上、彼らが戦争に趣味を有し、戦争を好愛するは人間の自然である。軍人はその職任に忠実なれば忠実なるほど、戦争を好愛する」軍人によって簒奪された陸軍と、艦隊派によって条約派を追い落とした海軍が一緒になることによって始まったのだ。 このような時代が、二度と来ないという保証はない。 |



