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誰にも言うなよ!! →ACと共依存のピアカウンセリング
機能不全家族に育ったACアダルト・チルドレンと共依存のピアカウンセリングです。コメント欄へのご相談はいつでもどうぞ。

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yahoo!ブログサービス終了のお知らせがきた。

ブログというものを一番最初に始めたのがここ。たくさんの友だちを得て、たくさんのやり取りを重ね、そしてここでカウンセラーと出会い、私のACアダルトチルドレンが判明し、その後機能不全を治し生き直すきっかけになった場だ。

あの頃は言語コミュニケーションができずに人とのやり取りも雑で自己中で、それなのに根拠のない万能感に溢れていた。そのくせちょっと突っ込まれると交流を遮断し相手を受け入れなかった。

ネット上のバーチャルワールドではなかった。現実の私を変えるものだった。

10年以上が経って、当時のブログ友は少しずつ減った。訪ねても更新がなかったり閉鎖していた。リアルの生活の変化でブログどころではなくなったのだろう。

ブログといえばyahoo!。その後たくさんのブログサイトが立ち上がった。そして新しいSNSの登場。長文を書く、それを読むより、短い方が好まれる時代になったのか。余裕がなくなったのか。

ひとつの時代が終わる。書き溜めた記事も消える。



※「ACと共依存のピアカウンセリング」は今後アメブロ、マクスタ、blogger、mixiで継続していきます。
「ACと共依存のピアカウンセリング」で検査してお楽しみください。
全豪オープンを制した大阪なおみさんから こんな言葉が出ました。

「私は精神的に成長する必要がある」「今は3歳児の精神状態」「この1年で成長できた。今は5歳児」

自分のメンタルの弱さ、怒りの感情をコントロールできない自分を客観視できている状態です。

それまでの彼女はコートの上で怒ったりふてくされたり泣いたりラケットを投げ捨てたり、見ていても可哀想になるほど不安定でした。それがこの1年で見違えるほどの成長を遂げました。

ピンチになっても慌てない、過剰に落ち込まない。失敗しても自分に腹を立てない。

自分の感情をきちんとコントロールできている21歳の女性アスリートの姿がそこにはありました。



怒りの感情をコントロールするのは、そう簡単にはできません。特に私たちACには至難の技です。

自分の感情が一体どこから来るのか分からない。どう対処すればいいのか分からない。冷静に自分の感情と向き合うことができずに、感情的になってしまう。激昂してしまう。それでパニックになってしまう。自分の感情に簡単に飲み込まれてしまうからです。自分で毒を吐いて、その毒に当たって中毒を起こしてしまうのに似ています。自家中毒です。

ACのもう一つの悪い癖は「余分な感情を上乗せする」ことです。

自分の内側に立ち現れた感情を客観視できずに、冷静に対処できずに次々に感情を増幅さです。

例えば立ち現れた不快な感情の原因が「嫉妬」だとします。これに「私は今、彼(彼女)に嫉妬してる」から原因を探ったり、その感情をなだめたりするのではなく、さらに余分な感情を、例えば恨み、憎しみなどの感情を上乗せしてしまうのです。

客観視する とは、一枚の風景画、風景写真のように眺める に近い行為と言えばいいでしょうか。

感情を無理やり抑え込むのではなく、客観視する。ただ眺める。
余分な感情を上乗せしないことはとても大切です。

全豪オープンを制した大阪なおみさんから こんな言葉が出ました。
「私は精神的に成長する必要がある」「今は3歳児の精神状態」「この1年で成長できた。今は5歳児」
自分のメンタルの弱さ、怒りの感情をコントロールできない自分を客観視できている状態です。
それまでの彼女はコートの上で怒ったりふてくされたり泣いたりラケットを投げ捨てたり、見ていても可哀想になるほど不安定でした。それがこの1年で見違えるほどの成長を遂げました。
ピンチになっても慌てない、過剰に落ち込まない。失敗しても自分に腹を立てない。
自分の感情をきちんとコントロールできている21歳の女性アスリートの姿がそこにはありました。


怒りの感情をコントロールするのは、そう簡単にはできません。特に私たちACには至難の技です。
自分の感情が一体どこから来るのか分からない。どう対処すればいいのか分からない。冷静に自分の感情と向き合うことができずに、感情的になってしまう。激昂してしまう。それでパニックになってしまう。自分の感情に簡単に飲み込まれてしまうからです。自分で毒を吐いて、その毒に当たって中毒を起こしてしまうのに似ています。自家中毒です。

ACのもう一つの悪い癖は「余分な感情を上乗せする」ことです。
自分の内側に立ち現れた感情を客観視できずに、冷静に対処できずに次々に感情を増幅させるのです。
例えば立ち現れた不快な感情の原因が「嫉妬」だとします。これに「私は今、彼(彼女)に嫉妬してる」から原因を探ったり、その感情をなだめたりするのではなく、さらに余分な感情を、例えば恨み、憎しみなどの感情を上乗せしてしまうのです。

客観視する とは、一枚の風景画、風景写真のように眺める に近い行為と言えばいいでしょうか。

感情を無理やり抑え込むのではなく、客観視する。ただ眺める。
余分な感情を上乗せしないことはとても大切です。


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「ここは、おしまいの地」こだま著 を少しずつ読んでいる。
読みながら感じる独特の初めての感覚を言葉にできないでいた。

そんな時、自分の記憶が途絶えた頃の感覚と重なったのだ。

浮遊感。

読者でしかない私が、彼女の物語の中で、亡霊のように俯瞰であるいは隣で、それを眺めているのだ。
私は彼女の物語の中にいる。物語の展開を眺めている。

この感覚は。


私は3歳から10歳ほどまでの記憶がない。
小学校入学、校外写生会の大きなイベントの記憶はあるが、日常の生活の記憶がない。
きっかけは父親のDV。
いつものようにお昼ごはんを食べていた。母親の言葉の何が気に障ったのか、父親の目の色が変わる。明るい鳶色に。
掘り炬燵は夏の間、食卓テーブル代わりになる。
父親は食べ物、食器の乗ったこたつ板を両手で持ち上げた。全てが散らばる。3歳の私は泣き出す。母親は危険を察知して逃げ出す。後を追う父親。それを私が追う。このような事件は珍しいことではなかったのだろう。今思えば母親の反応は素早かった。
部屋を出た土間を走り、突き当たりは台所(炊事場)とお風呂場。井戸ポンプが据えられているので逃げ場がない。
井戸ポンプと壁に挟まれた母親をめがけてこたつ板が振り下ろされる。

ここで私の記憶が消える。

心理学では乖離という。衝撃が大き過ぎた事件を記憶から消して「なかったことにする」のだ。自分の命を、脳を守る本能から来るのだろう。
記憶が途絶えた7年ほどの間、私には生きている実感が希薄だったようだ。時間の感覚もない。夢うつつの中にいるような感覚。どちらの世界にも属さない感覚。

あの日見た恐ろしい光景をなかったことにするには、相当の時間が必要だったのだ。私の中でどのような作業が行われていたのか知る由もないが、その記憶を切り取って前後を繋ぎ合わせることさえできず、そっくりそのまま記憶を消したのだ。
浮遊感は決して恐怖や不安ではなかった。だからといって心地よい訳でもなかった。


この感覚が蘇り、本の中で彷徨う自分を感じている。
本を読んでこんな感覚を覚えるのは初めてだ。

前作「夫のちんぽが入らない」から1年だという著者の文章はやはり綺麗で品がある。悲しみを笑いにしてしまう強ささえ、私の胸に刺さる。泣きたいのを我慢し、笑いたいのも我慢して生きてきたのかと、そんなところにも共感してしまう。

こんな読み方をする読者は極めて少数だと思うが、こんな読まれ方をする作品も珍しい。

久しぶりに紙の本を読んだので、今日はその感想文です。
単行本の頃からあちこちで話題になって、今更の感はありますが、文庫版が出たので購入。
なかなか衝撃的なタイトルで、拒否反応を示す方も多いでしょう。そりゃそうです。今までタブーとされてきたワードです。少なくとも男性の間で話し言葉として使われてきたものが、女性の手で書き言葉になったんですから。でもこれだけでも私はあっぱれと言いたい。
男性が女性器を呼ぶときのいやらしさは微塵もない、女性が男性器をこう呼ぶ時、むしろとても愛おしい、可愛らしいものとして呼ばれるのです。(もちろんこう呼ばない人もいらっしゃるので、その自由は尊重します。)
夫婦の間で、恋人同士の間で普通に交わされるであろう会話、ワードを表に引っ張り出した功績は大きいと思うのです。
普通なら入るはずの夫のちんぽが入らない。想像するだけで悲しい。そのくせ夫以外のちんぽなら入る不思議とおかしさ。
エッセイとして書かれているので、もっと生々しいはずが、この文章はとても綺麗です。細かな描写が優しい。そして切ない。

物語のもう一つの柱が、「言えない」というキーワードだと、私は読みました。この時に思ったことをそのまま口に出して言えばいいのに、言えない、言わない。自分の中にぐっと溜め込む。あ〜また我慢しちゃった。。がいくつも出てくる。
彼女がどう育てられたか、その生育歴が私のそれと重なって、切ないような懐かしいような感覚を何度も持ったのです。
あ〜、そう育っちゃったから言えないよねー。と共感してしまう。

振り返れば私もACだった頃、最初の結婚も燃えるようなときめくような感動はなかった。離婚するのも淡々としていた。二度目もそうだった。それは理性的とか冷静などというものではなく、単純に脳が動いていなかった、思考はしていたが感情は動かなかった。感情が何者かも知らなかった。動かし方を知らなかった。感情を言葉にすることができなかった。
彼女の文章を読みながら、そんな自分の過去を重ね合わせていました。本を読んで自分の過去を重ねるなど、カウンセリング関連の本を読んで以来のことです。
読み終わって著者に感謝のメッセージを送りました。
『どうもありがとうございます。「入らない」以外の出来事も同じくらい重くのしかかっていたことなので、そこも読んでいただけて嬉しいです。』
と返事が来ました。話し言葉でコミュニケーションをとることが苦手でも、彼女のように書き言葉できちんとコミュニケーションをとることができれば、それでいいのです。自分を表現する手段が一つでもあればそれでいい。それが一方通行ではなく、相互通行できていればいいのです。

そしてこの本のおそらく最大のテーマであろう「普通」を求める、求められることの理不尽を思うのです。みんなと同じでいなければならない窮屈さ、それをお互いに求めている不自由さ。

実はね、一緒に買ってきたこの本『ヒトは「いじめ」をやめられない』に、奇しくもそのヒントがあったのですよ。
セロトニン。
この読後感想文も書きますので。
秋の夜長は読書です。

他人には期待しない

こんなツイートがタイムラインに流れてきました。



なるほど。私にもこの体験はあった。この欲求、この感情があった。そしてこれにケリをつけるのが一番厄介だった記憶があります。

人をどうしよう=他人を支配し、操作(コントロール)しようとする欲求。
人にどうしてもらおう=他人に依存し、無意識に他人の下に入り込み、他人に結論を委ね自立、自律を放棄する。

ACの特徴に「過剰」という嗜癖があります。100か0か、All or nothing な感覚。中庸がないのです。これを他者に求める。
他者とほどよい距離をとる、ほどよい関係を保つ、ができない。幼児期からの見捨てられ不安が今も続いているのでしょう。
幼児期、親とべったりくっついて過ごす安心感を得られていないままなので、成長と共に離れていく体験もないまま大人になったのです。これを親以外の他者に求めてしまう。
ACの対人関係の過剰さはここからくるようです。

All or nothing ですから「他人に期待しない」と書かれると、相手を拒否する、関係を遮断する、嫌いになることと勘違いしてしまう。

他人には期待しない、とは具体的にはどういうことでしょうか。どうすることなのでしょうか。
❶ まず「他人は他人」「自分は自分」と自他の境界をはっきりさせる。
❷ 自分の欲求や感情で他人を支配・操作しようと思ってはいけないし、できるものではないと知る。原家族では行われていたかもしれないが、赤の他人には通用しない、通用させてはいけない。
❸ 「期待」という言葉を「支配」「操作」に置き換えてはいけない。期待はあくまでも期待。それが叶わないと相手を恨む、憎むのは相手の問題ではなく、自分の側の欲求や感情に問題がある。
❹ 他人に期待しないと同様に、自分にも過剰な期待しないこと。自分に期待して、それが叶わなかった時の打撃の方が大きいと想定できる時は、自分に負荷をかけないこと。できそうな目標を立てることはOK。1か100か、ではなく50でいい、20でもいい。どちらでもない中庸の心地よさを知る。
❺ あなたを受け入れるから、あなたも私を受け入れて!など交換条件を出さない。あくまであなたはあなた、私は私。それぞれ別の人格。お互いに自由であること。

やってみてください。


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