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損失補填の禁止(2)

損失補填の禁止立法後に、改正法施行前の損失補填約束(当時は、損失保証といっていました)の履行を求める訴訟が相次ぎました。私は(文章にはしていませんが)、禁止立法前は、損失保証も有効である、いや有効と解すべきだと考えていました。損失保証を有効とし、その履行を強制することによって、損失保証のような莫迦な契約を証券会社が結ばなくなるようにするのが、好ましいと考えていたからです。

「損失補填は悪くない」という主張は、証券会社を擁護するものではありません。むしろ、改正法施行前の損失補填約束は、悪くないのだから、「約束を守れ」という主張につながります。私の論文を読んで、ある大先生が担当する事件の相談が私のところに来ました。「約束を守れ」という訴訟です。私は、不法行為ならいけるが、改正法施行後に約束を履行させるのは難しいと考えていましたので、意見書は書きませんでしたが、私にとって、実務相談を受けた初めてのケースでした。その訴訟では、約束の履行請求を認めた判決も出て、さすが大先生と思ったのですが、最高裁で憲法(財産権の侵害)問題となり、結局、引っ繰り返ってしまいました。これが平成15年の合憲判決です。

「損失補填は悪くない」という主張を立てた後内心忸怩たるものを感じたのは、山一證券の破綻です。山一證券は損失補填約束を守って破綻したのでした。私の説は通説ではありませんので、山一は損失補填の禁止にも拘らず破綻したともいえますが、私の弟が山一に勤めていたこともあり、個人的には責任を感じてしまいました。

「飛ばしは損失補填か」という問題があり、これを肯定した民事判決もありました。飛ばしは市場外で行われる取引であり、市場外でいくらで取引されようと市場価格に影響はありません(少なくとも、取引の事実を公表しない限り)。仮に、損失補填は市場の価格形成機能を害するという立法理由を肯定するとしても、飛ばしは市場の価格形成機能とは関係がないのです。しかし、一度できてしまった法律は、立法理由が妥当する場合に限定して適用するのは難しいのでしょう。

時代が移って、しだいに損失補填はあまり問題視されなくなりました。立法当時は、損失補填の罰則は、インサイダーと相場操縦の中間でした。その後、インサイダーの厳罰化が図られたので、損失補填はインサイダーに抜かされてしまい、影が薄くなってしまいました。平成15年の証取法改正で、国内取引所の海外展開のための制度が整備された際、外国の投資家を相手とする許可外国証券業者に行為規制を及ぼすことになりました。たとえば、相場操縦を防止するための「作為的相場形成取引の受託の禁止」は外国業者にも適用しないと内国取引所で作為的相場形成取引が行われてしまいます。このときの改正では、損失補填の禁止は外国業者に準用される規制のリストから外されました。損失補填が市場に悪影響を及ぼすのなら準用しなければならないはずです。つまり、損失補填は顧客から注文を受託する際のルールに過ぎず、市場における不公正な取引ではないのです。損失補填の禁止は、相場操縦やインサイダー取引と並べて、不公正取引の一つと位置づけられることが多かったのですが、むしろ、投資勧誘の規制の一種と見るべきではないかと私は考えています。そこで、「金融商品取引法入門」では、損失補填の禁止を投資勧誘の章で扱っています。

金融商品取引法で、損失補填の禁止は少し息を吹き返しました。それは、「市場の公正確保をも目的とする規制」は特定投資家にも適用するという方針の下で、損失補填の禁止は特定投資家にも適用されることになった点に現れています。つまり、損失補填の禁止は「市場の公正確保をも目的とする規制」と見られたことになります。私の見解ではこのような扱いはおかしいのですが、さりとて、一般投資家に損失補填すると罰せられ、特定投資家に損失補填をしても良いとなると、不平等取扱いが激化してしまいます。一般投資家の公正感を高め市場参加を促すという意味でのみ、損失補填の禁止を特定投資家に及ぼすことが正当化されるのではないかと考えています。

損失補填の禁止(1)

拙著『証券市場の機能と不公正取引の禁止』に収めた論文に「損失補填の禁止」があります。
これは、私の師匠の師匠に当たる鴻先生の古希記念論文集に寄せたものでした。

損失補填は平成3年の証券取引法改正によって罰則を以って禁止されました。この時の改正は、当時の証券取引審議会の議論を経ていません。この一事を見ても、ある種の熱狂のなかで行われた改正だと分かります。最近では、立会い外取引を公開買付けの3分の1ルールの適用対象にした平成17年の証取法改正が、同じく金融審議会の議論を経ていない改正です。ライブドアが立会い外取引でニッポン放送株を取得した事件を契機として、緊急に改正が行われたのです。当時、金融審議会の第一部会は開催されていましたが、この改正は審議事項ではなく報告事項として取り上げられていました(一部の委員は賛成の意見を述べていましたけれど)。

拙稿「損失補填の禁止」の主旨は、簡単にいうと、「損失補填は悪くない」というものです。当時、この主張は少し話題になりました。損失補填に対する当時の社会的な非難は、自己責任の原則に反するという点と、一部の大口投資家に対してのみ損失補填をした点に向けられていました。しかし、この二つの非難をとってみても、互いに矛盾するものなのです。もし、損失補填が自己責任の原則に反するから「悪いことだ」というのであれば、大口投資家だけ優遇されるのはおかしいから自分も優遇せよというのは、おかしなことではないでしょうか。総会屋に対する利益供与は「悪いこと」ですから、一般株主は会社に対して「自分にも利益を供与してくれなければ不公平だ」とはいえないはずです。

そこで、損失補填の禁止に当たっては、損失補填は市場機能を害するというもっともらしい理屈が考えられました。それ以来、この理屈は、損失補填が市場機能を害する反社会的行為であるならば、法律によって禁止される以前から、公序良俗に反していたはずだという形で一人歩きを始めます。論文でも論じたように、私は、損失補填が「本質的に不公正な取引」であるとはいえないと思っています。なぜなら、損失補填と言う行為自体のなかには、大口投資家と一般投資家とを不公平に扱うという要素は含まれていないからです。しかし、一般投資家が「損失補填は不公正だ」と感じるのであれば、その不公正感を除去するために法で損失補填を禁止することもやむを得ないとも思っています。一般投資家が不公正に扱われると感じる以上、損失補填が禁止されなければ一般投資家は市場に寄り付かず、「困る」からです。同じようなことは、インサイダー取引の禁止などにも当てはまり、案外、金融商品取引法上の不公正取引の基礎となる考え方なのかも知れません。

なお、当時、損失補填は怪しからんという意見の代表は、専修大学におられた上村達男教授でした。その後、上村教授が早稲田に移られたとき、「ああ、これで私が早稲田から呼ばれることはないな」と思ったものです。その私が早稲田に移ったのは、説を変えたからでも、上村先生に丸め込まれたわけでもありません。自分と反対の論陣を張っている研究者であっても認めるという度量の広さに感銘したといえば、近いかも知れません。

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